第十話 小人達の広場
黒髪の青年は高い樹々に囲まれた小道を歩いていた。
青年の目の前には小さな姿。
腰程の高さもない小人は地面をはう樹々の根っこや、
咲いている花を一生懸命な様子で避けては、歩いて行く。
ときおり避け損ねた根っこにつまづき、両手を上下に激しく振って倒れないようにしていた。
(大丈夫……かなあ。見ていてはらはらするんだけど)
またもつまづきそうになった。
「あっ」
背後にいた男と少女は声を揃える。
小人は耐えた。
三人へと振り向く。
「だ、だいじょうぶ、です。へいき、です!」
口を横に開いて数度頷いてみせた小人は、再び前へと向いて歩き出す。
思わず立ち止まっていた三人と三頭の馬も歩き出し始めた。
大丈夫に見えないんだけどなあ、と頭をかきながら青年は思う。
森の入口で木霊族の小人に案内され始めてから数十分、景色は変わる様子を見せない。
左右を見渡しながら歩く青年。
(それにしても……密集して樹が生えてるなあ)
密集というよりも密着してる? そんな思いを抱く樹々の様子。
樹々は複雑に絡み合い、他者の侵入を拒むがごとく隙間を埋めるように生えている。
しかし、青年らが行く小道には樹は生えていない。
まっすぐに伸びている小道だけは、樹が避けたように道がある。
(……樹が移動、なんてこと……ある、かもな)
青年は胸に得た疑問を打ち消すように、目の前を歩く小人を見つめる。
歩きとともに揺れる身体は茶褐色、がさがさと葉がすれる音を出す髪は深い緑色。
神殿の図書館にて読み知ったことを再度、青年は頭の中に思い浮かべる。
(背が小さい木霊族は一生住処の森を離れることなく生きていく)
そして、と思う。
(二、三十年で寿命を迎え、自らを樹へと変化させて森へ還り)
続けて、思う。
(樹となったあとは、幼生の木霊族をその身から生み出すと)
さらには、と思い、
(生まれた幼生の木霊族は、親樹の記憶を受け継いでいるという)
桃色の花を咲かす草を、避けて歩く青年。
不思議な一族だ、書物を読みながら何度も思ったこと。
(地の大精霊から祝福を受けた木霊族は、一族誕生からいままでずっと精霊の土地である、
森と精地を守り続けて来た。森へ訪れる人々と関わり合いながら……か)
青年は手綱を握る手を左へと寄せて、馬に花や草を踏ませないよう誘導する。
彼らが森から出ないのは色々と理由があるんだろうな、と思ったとき、
左へと持っていこうとした手綱が止まる。
「あれ?」
とつぶやいて青年は背後を歩いている馬を見る。
馬の隣には、馬の形をした茶褐色のなにかがいた。
アルトと馬は一緒になって、なにかを見つめた。
馬の形をしたなにかも顔と思われる部分をこちらへと向ける。
「へ、は、ええ?」
状況が理解できず、おかしな声を出す青年を尻目に、
若草色髪の男と橙髪の少女は笑いを堪えている。
馬の形状をしたなにかと二人を交互に見ながら青年は、
「な、なに笑ってるんだよ二人とも」
わけがわからず焦った声で言い放った。
その瞬間、馬状のなにかは動きを見せる。
青年が、動きを見せたなにかをよく見れば、そこには蔓が複雑に絡んだ物体。
全体を構成する蔓はところどころが解かれ始め、じょじょに馬であったときの中央部分に集う。
円状となった蔓のかたまりは地面へと落ち、青年の前へと転がる。
青年と馬がかたまりを眼で追いかけていると、かたまりが止まり、弾けた。
「うわっ!」
咄嗟に両腕で顔面を覆うが衝撃は、ない。
予想した衝撃がなく疑問顔で青年は腕を下ろす。
目の前には笑顔で手を上下させて笑う、文様入りの青い布を頭に巻いた、木霊族の小人。
「ひっかかった、ひっかかった!」
けらけらと笑い声をたてる青い布を巻いた小人。
その声につられて、青年のうしろにいた男と少女も笑い声をあげながら言う。
「ひさしぶりだな。フェス」
「フェスのいたずら好き、あいかわらずだねー」
「セリア、エオリア、ひさしぶりだー」
両手を振ってフェスと呼ばれた小人は答える。
小道を先行していた緑の布を巻いた小人が振り返った。
「ああ! フェス、なに、してる、ですか」
「ツィス、おまえ、おそい。まち、つかれた」
「がまん、しろ、です!」
そっぽを向いたフェスへと詰め寄ったツィスは怒り顔。
目の前で始まる小人たちの問答に呆れた顔をする青年は、後ろの二人に尋ねる。
「セリアが言ってたあの子って……」
「そだよー青い布を身につけた木霊族がフェスだよー」
「いたずら好きだが、おもしろそうな奴だろう」
いまだ笑みの抜けきれない顔で答える二人に、そうだねと返す青年。
前へと向き直ると、そこには全身を蔓で構成された狼が顔を向けていた。
アルトが思わず後ずさると蔓の狼から聞こえる声。
「さんにんとも、フェス、あんない、する。ついてこい!」
聞こえた声はフェスのもの。
見れば狼の背には蔓で固定されてわめく、緑の布を巻いた小人。
ひと吼えしたのち、蔓の狼は小道の奥へと向いて駆け出した。
アルトたちはその様子を見て、急いで馬に乗り追いかけ始める。
追いかけ出した三人を見守るように樹々はざわめき、そこかしこから動物の鳴き声が聞こえる。
● ● ●
暗雲が天を占めるはパストラ。
地の方角から、パストラの街へと向かう上空には、二つの筋雲。
街へと向かっていた二つの筋雲は、一方は街へ、一方は神殿へと向かい別れる。
街が近づくにつれ筋雲は薄くなり、駆け飛ぶ先端は高度を下げていく。
高度と速度を下げていき、先端を駆け飛んでいた龍翼人は地面へと足をつく。
鱗の翼と鱗の肌、その肌の背中付近には長い皮の帯で固定された鞄がいくつもある。
片膝を地面へとついて一息つき、空を見上げる龍翼人。
「雨に降られる前に到着できたようだ」
一息で言葉を吐き出し、膝を上げて街へと歩き出した。
歩き出しながら龍翼人は腰裏の鞄を開き、三つの手紙を取り出す。
「届け先はノン・トロッポにフランセ・ヒーリーにエラール・カマック。
およびリラヴェル・カマック」
右手にそろえもった三つの手紙を、左手で確認しながら宛先を読み上げていく。
出入口を示すかがり火を超えた先にある詰め所にて、それぞれの住所を確認する龍翼人。
赤茶色の館前にある、黒い門横の郵便受けへと手紙を入れる。
次に開店の準備に追われている酒場の店長へと手紙を手渡す。
店長には後で呑みに行くことを約束して龍翼人は酒場をあとにした。
「最後は花屋だったな」
大通りを後ろに一本、前に三本伸びる爪の足で進みつぶやく。
酒場から歩いて行った先に見えて来た花屋の前には、
表に出されていた鉢植えたちを店内へと運び入れていく金髪の女性。
金髪の女性が両手にかかえた鉢植えを運んでいくと、店の硝子戸からは藍色髪した長髪の少女。
少女も小さな鉢植えをかかえ、店内へともどっていく。
「ちょうど店を閉じる頃合いだったか」
その様子に、無事渡し終えられるな、と内心に思い龍翼人は店に近づいていく。
ふたたび表へと出て来た金髪の女性は、近づく龍翼人に気づき手をあげる。
「やあ、龍翼人のあんちゃん。うちへの配達かい?」
「そのとおり。エラール・カマックさんで間違いないかな」
「そうさ、あたしがエラールさ。手紙の送り主はアルヒト・ヤマハって奴だろ」
「当たりだ。あなただけでなくリラヴェル・カマックさん宛てでもある」
「おやおや、アル坊の奴ちゃんと送ってくるなんて、けっこうまめだねえ」
ははっと微笑を浮かべたエラールは、龍翼人から差し出された封筒を受け取る。
封筒は指二本ほどの厚みがあり、大きさも大人の両手の平を合わせたぐらい。
礼を言ったエラールに対して会釈した龍翼人は、酒場から来た道をもどっていく。
封筒を手に持ち、硝子戸の開いている店内へともどったエラールが、
「リラ、アル坊たちから手紙が届いたよ」
奥で鉢植えの整理している藍色髪の少女へと声をかければ、笑顔で振り向く少女がひとり。
● ● ●
頭上の樹々から漏れてくる光は次第に赤みを強く帯び始めていた。
小道を走り駆ける蔓の狼と三頭の馬は、いくつもの分かれ道を通り過ぎ、
小川を駆け抜け、道を遮るように倒れた巨木を飛び越えて走っていた。
一体どれだけの時間走っているのだろうか、そう黒髪の青年が思い始めたとき、
視界が大きく左右へ開く。
「ここが、木霊族が住む場所……」
勢いをゆるめて歩き足となった蔓の狼と三頭の馬は、芝生が広がり生えた広場へと進み出る。
風が吹き抜けて、樹々がざわめき、芝生に風の波がながれていく。
青年の視界には地面から緩やかに盛り上がり、草などで覆われた土のかまくらがいくつも映った。
土のかまくらからは、それぞれ色違いの布を頭に巻き付けた小人が何人も出入りしており、
大勢の木霊族がいることが見受けられた。
ときおり、木霊族だけでなく人族や手紙を届けに来ている龍翼人の姿も見られる。
「森の奥にあるわりには、けっこう人がいるんだ」
「ああ、自分らがかつて修行で来たように、精地を巡っている人々や、
ここで採れる植物などの交易でやってくる商人もいるからな」
「うんうん、ここの森で採れる新芽で煎じたお茶がおいしいんだよーもちろん果物も!」
「セリアの情報はいつも食べ物ばっかりだなあ」
ははっと笑ってアルトたちは馬から降り、手綱を引いて蔓の狼についていく。
進む途中、蔓の狼に乗る緑の布を巻いた小人を見た、広場の小人たちは、
「ツィス、おかえり。あんない、おつかれ」
「フェスも、おかえり。あとで、あそぼう」
「そうしゃ、さま、いらっしゃい、ませー」
小さな手を振りアルトたちにも言葉をかけてくる。
精霊の腕輪が見えるよう左手を振って言葉に応える青年。
近くで人族の大人に肩車された小人らも手を振ってこちらを見ている。。
いくつかの土のかまくら横を歩いていくうちに、見えてくるものがあった。
ひとつ大きく土を盛られて作られたかまくら。
蔓の狼は大きな土のかまくら入口へたどり着くと、背中のツィスをおろし、蔓をほどいて小人の姿へ。
二人の小人らは青年たちへと振り返り、
「ここが、フェスたちの、おさ」
「ディセス、のばしょ、です。そうしゃ、さま」
それぞれが言葉をつなげて言い放った。
空はすっかり暗く染まり、広場のあちこちでは灯りがともり始めていた。
● ● ●
暗雲に覆われていた天からは、小粒の水滴が地上へと降り注いでいた。
地上へと降り落ちた水滴は、建物に小さな跳ね音を生じさせて闇夜の街を包んでいく。
斜めに取り付けられた木のひさしを流れては落ちていく雨水。
ひさしに隠れた位置には硝子をはめた木枠の窓。
窓からのぞく室内、包帯を目元に巻いた少女は、数枚の紙を手に寝台へ腰掛けていた。
少女の顔を彩るのは、ときに笑い、ときに驚き、ときに憂い、ときに喜び、の色たち。
寝台に腰掛ける少女の横には封を開けられた封筒と、絵が何枚か置かれていた。
一枚の絵には大きな湖を背景に描かれている三人の人物。
三人のうちのひとりは、黒い前髪が眼の近くまで伸びており、時間の経過を感じさせる。
青年の右腕には四花の腕飾りも描かれていた。
青年の左に髪の毛を後ろでくくっている橙髪の少女、右にはうっすら髭の生えた若草色髪の男。
三人とも楽しそうな笑顔で描かれていた。
手紙を読み終えた少女は立ち上がり、寝台に置いてあった絵を手に取った。
そのまま机へと向かい、机の前にある壁へ掛けてあるコルクの板を、机の上へと置く。
三人が描かれた絵だけを選び取り、コルクの板へと、持つ部分が丸くなっている小さな針で固定する。
絵の四隅を針で固定したのち、板をふたたび壁へと掛ける少女。
目元を包帯で覆った少女は、嬉しそうな笑みを浮かべていた。
● ● ●
馬たちをかまくら付近にある樹へとつなぎ止めた三人は、
フェスとツィスの木霊族ふたりに促されて、ひときわ大きな土のかまくらへと入る。
入口にかけられていた布を右腕でめくりあげて入れば、そこには灯りに照らされた空間。
半円の広がりをもった空間は、天井中央に円錐状の花を地面へと咲かし、
数本の花からは淡い光が空間内へと放たれていた。
青年は見とれるように、淡い光を放つ花から視線を外せずにいる。
「そのはなが、きにいった、ですか」
聞こえた声に気づいて、声の主へと青年が目線を向ければ木霊族の小人がひとり。
空間奥に敷かれた干し草に座る小人は、頭に黄色い布を巻いていた。
その小人へ一度頭を下げてから青年たちは空間へと入り、小人に促されて地面へと座る。
「初めて見たので、なんだか驚いて」
「ここへ、くるひとたち、みんな、そういいます。
はじめまして、そうしゃさま。おさの、ディセス、いいます」
「初めまして木霊族の長さん……いや、ディセスさん。奏者のアルトです」
「ディセス、とよんでもらって、かまいません」
「ありがとうございます。なら、俺のこともアルトと呼んでください」
翠色の眼を弓なりに細めて小人は、嬉しそうに頷いた。
小人の目線は青年の背後に座る二人へと向く。
「セリア、エオリア、おふたりとも、ひさしぶりです」
「お久しぶりです。族長ディセス」
「以前はお世話になりました」
エオリアに続いてセリアが言葉をつなげて、それぞれが頭を下げる。
二人が下げた頭を元の位置へと戻したとき、ひとつの音が鳴り響く。
音の主は橙髪の少女、音源は腹部。
皆の視線が少女へと集中した。
「あはは……お腹空いちゃったー」
「……さすがに自分も腹が空いた」
「思えば、ずっと馬で走り詰めだったもんな」
苦笑顔で互いを見た三人へ、両手を勢いよく広げたディセスが言う。
「でしたら、ごはんに、しましょう!」
● ● ●
森の広場に集う、月明かりに照らされる人々の影。
賑やかな声と音楽が混ざり合う広場では、干し草の上に座る木霊族や人族。
円を形作るように座る彼らの前には、大小さまざまな果物が盛られた茶色の大皿。
人々の視線が交わる円の中央で四人の小人が踊っている。
頭に巻いた布で、深い緑の髪近くに、ぼんやりと光放つ花弁が付けられていた。
その花弁へと視線を向けながら青年は杯に口づける。
(あの花……の種とかもらえないかな)
青年の右隣では、エオリアとセリアがフェスを挟んで賑やかに話している。
左をちらりと眼だけをやると、ディセスとツィスが頬を膨らませて果物をかじっている。
視線に気づいたのか、黄色い布を巻いた小人が声をかけてきた。
「どうしました? アルト、ごはん、あわないですか?」
「いえ、おいしいですよ。ただ、あの花が気になってて」
アルトとディセスは互いに視線を前へと向けた。
そこでは左右にステップをとりながら、歌を歌いながら踊る小人たち。
小人たちの頭部近くには、淡い光が残滓としてただよう。
「ひかるはな、ですね。ディセスたちは、よつゆそうと、よんでます」
「よつゆそう、ですか」
「夜の露と書いて、夜露草と言うのですよ奏者殿」
背後から穏和な男性の声。
青年が振り向けば、茶色い短髪とあご髭を携えたやや太めの男性。
太めの男性はアルトとディセスの後ろへと座る。
「がくしゃどの、たのしんで、ますか」
「ええ、ええ。とても楽しませてもらっていますよ族長殿」
「あ……初めまして奏者のアルトです」
「おお、これはご丁寧に。わたくしは学者をしているトランと申します」
差し出された右手に応えて青年も右手を差し出し、握手を交わす。
「学者をしていると、いま言われましたけど」
「そうです。ここ、木霊族の住む地にて息子とともに、彼らの生活を学んでおるのです。
ああ、いま真ん中で木霊族に混じって踊っているのが我が子です」
そう言われて指を向けられた先には、四人の木霊族に混じって、
黄緑色の髪をした少年が同じ踊りで動きをとっていた。
「トロンは、とてもいいこ、です。みんな、なかよく、あそんでます」
「そう言ってもらえると、親として嬉しさを隠せません」
「……」
ディセスの言葉に、暖かな眼差しと緩やかな笑みを浮かべた太めの男性を見て、
青年は父親のことを思う。
家にはあまり帰らない仕事馬鹿だと、母に呆れた顔をされていた父も、
こんな顔をするときがあったのだろうか、そう青年は口元に当てた杯を傾けつつ思った。
「おや、どうかされましたかな奏者殿」
「……なんでもないです。それよりトランさん、聞きたいことがあるんですが」
「なんでしょうか」
「あの光を放つ花、夜露草なんですが種とかあったりしますか?」
「ふうむ……夜露草の、種、ですか」
アルトの質問に、トランは眉をひそめ苦い声で言葉を放つ。
「え、なんか変なこと、聞きましたか俺?」
「いやいや、気になさらずに。夜露草の種なのですがーー」
「よつゆそうの、たねなら、ディセスが、もっています」
「族長殿、ですがこの地以外で夜露草は……」
「むずかしい、かもしれません。でも、さかないとも、かぎりません」
太めの男性と、黄色い布を巻いた小人とのやりとりの意味が解らず、疑問顔の青年。
「あの……どういうこと、なんですか?」
「これは申し訳ない奏者殿。じつは夜露草など、この地で採れる植物の多くは、
この地以外では育てることはおろか、種から芽が出ることすらままならないのです」
「じゃ、じゃあ種をもらっても……」
「花を咲かすことは、難しいというより、無理かもしれません」
「そうなんですか……」
少しばかり気落ちした青年は肩を落とす。
その肩をぽんぽんと叩く手がある、それはディセスの手。
「おちこまないで、ください、アルト。
よかったら、はなを、もってかえって、もらっても、いいです」
「ありがとうディセス。でも、それだと花がもたないかも」
「それは、どなたか花を贈りたい方がいるので?」
「え、あああ、はい。その、花の似合う子が、いるもんで、ははは」
照れ笑いをする青年を、いつのまにか右隣の三人がにやけた顔で見ていた。
三人のにやけ顔には気づかないまま青年は言葉を続ける。
「でも、その子、花屋で草花の世話をしているんです。
俺には無理かもしれませんが、花と一緒に過ごしてるリラなら……」
「花屋……にリラ? もしやエラール殿の花屋ですか?」
「知っているんですか?」
「もちろんです。わたくし、この地へと来る前はパストラ付近に住んでおりましたので。
そうか、そうですか。ふうむ……族長殿、種を差し上げてもよいと思います」
「エラールのこ、なら、ディセスも、あんしん、です」
先ほどまでの態度から一変したトランの様子にアルトは戸惑う。
「奏者殿はご存知ないようですが、エラール殿の花屋は有名でして、
彼女の手にかかればどんな草花たちも芽を出し花を咲かせると」
「そ、そうだったんですか。そんなすごい花屋とは、知らなかったです」
「にと、じゅうねんよりまえ。ここにエラール、きたこと、あります。
たくさんの、くさはなのたね、もちかえり、みのらせて、くれました」
だから、と言って黄色い布を巻いた小人は、三粒の白い種をのせた手の平を出す。
「よつゆそうのたね、おわたし、します」
「……ありがとうございます。かならず、リラのもとへ届けます」
「うん、きっとエラール殿の子なら、立派な花を咲かせるでしょう」
種を大事そうに受け取った青年は、腰に身につけた革袋の内側、小さな袋へとしまい込む。
しまってからディセスとトランの方へと振り向くと、眼前には黄色い中身の硝子瓶。
硝子瓶のよこにはトランが顔を並べていた。
「な、どうしました、トランさん?」
「なに、奏者殿。エラール殿と知り合いであるならば……呑める口で?」
「え”っ」
「こだまぞく、ひでんの、かじつしゅ、です。アルトにも、のんで、ほしいです」
秘伝の果実酒ってなんだよ! その疑問を浮かべているうちに杯へと酒が注がれていく。
背後から手前へと回る腕にアルトは身体をかためられる。
「!? なんだ、エオリアなにするんだ!?」
「はーはっはっはっ! 愚問だなあアルト!」
「うわくせえ! 酒臭いぞおまえ!」
「にょほ〜んアルトぉ〜呑もうよ〜」
「ってセリアまで酔ってるかよ!」
「のむ、のむ! アルトも、のむ!」
右肩からは若草色髪の男、反対の肩からは橙髪の少女が、青年へと抱きついて来た。
三人の頭上へ飛び跳ねる動きで、青い布を巻いた小人が乗っかる。
「わっはっは! いい呑みっぷりですね騎士殿も巫女殿もフェス殿も。
というわけで奏者殿も呑みましょう!」
「というわけで、呑まそうとしないでくださいよー!」
宴が深まっていく森の奥から、青年の叫びがこだました。
● ● ●
小雨が奏でる、跳ね音が響く家屋の二階一室。
藍色の長髪を、机の上へとたらしている少女がいる室内は薄暗い。
唯一の灯りがあるのは机の上、油が燃えての光となる褪せた翠のランプ。
少女は青年から送られた、文章のつづられた手紙を左手側に、
自らが文字を紡ぎ出している便箋は、右手側に置いて羽根ペンを動かしている。
ときおり、目の前へ顔を持ち上げる。
包帯に覆われた目線は、コルク板へと固定されたいくつかの絵へ。
顔を持ち上げた拍子に、ランプの光が花の髪飾りに反射し煌めく。
声の無い笑い声とともに口元をゆるませ、ふたたび少女は手元を動かしていく。
幾ばくかの時間が過ぎたころ、少女は便箋に書き連ねていた文字を止める。
青年から送られた手紙への返礼となる手紙、それが少女の書き終えたもの。
机の引き出しを引いて、中から一丁の封筒を取り出す。
書き終えた返礼の手紙を二つ折りにして、封筒へと入れる。
手紙を包む封筒にのり付けはせず、青年から送られた手紙を元の封筒へと戻す。
少女が書いた封筒には宛名が書かれていない。
左手には青年からの手紙、右手には少女の書いた返礼の手紙。
ふたつを満足そうにながめて、うん、と頷き胸元へそれらを抱く。
しばらく抱いたのち、少女は机の一番下にある引き出しを開く。
青年の手紙に少女が書いた手紙を重ね、引き出しの一番奥へと置く。
そして、引き出しを閉じる。
少女は椅子から立ち上がり、ランプの蓋を開き、火を吹き消す。
光源を失った室内は闇に包まれるが、窓からは別の光。
手紙へと夢中になっていた間に雨はあがり、雲間から月光が降り注いでいた。
窓からの月明かりが室内を淡く広がり、闇とまどろんでいく。
寝台へと近づいた少女は寝そべり、身体に布を掛ける。
そっと意識を閉じる前に、胸にうかぶひとりの顔を思い、つぶやいた。
「おやすみなさい」
● ● ●
視界にうつる景色は、まどろみ。
白と黒と、あまたある色。
まざっては消え、あらわれてはまざる。
まどろみを枠に、ひとつの絵。
ひとが、ふたり。
どちらも、黒髪。
右に男性、左に女性。
眉根を詰め、厚みがあるレンズの眼鏡をかけた男。
ゆるい波がかった肩までの髪と、微笑みをもつ女。
ふたりをうつした絵に、生じる意識。
ーートウサン、カアサン。
意識は、手を伸ばす感覚だけを得る。
絵はとおくまどろみ、薄れていった。
ーーマッテ、オイテカナイデ。
意識は、涙がながれる感覚を得る。
正面ではない方向、違う絵がまどろみより生まれる。
先ほどと同じ、しかし若い姿の男女と、男の子。
さんにんの背後には一件の住宅。
ーーオレノ、オレノイエト、カゾク。
意識は、両手を伸ばす感覚だけを得る。
またも絵はまどろみへと消え落ちる。
意識は、どこかへと引っ張られていく感覚を得る。
ーーヤメロ、ヤメテクレ、カエラセテクレ!
意識は、途絶えた。
● ● ●
開いた視界に見えたのは、土の天井。
その視界には自身の両手が、天へと伸ばされていることに、黒髪の青年は気づく。
両手を自分の脇へと戻した青年は、上半身を起こし、自分の顔へ片手を当てる。
「なんで俺、泣いてるんだ……」
右目に右手を当てた姿勢の青年は、戸惑いを含んだ声でつぶやいた。
なにか夢を見ていた、そう思って夢の内容へと意識を走らせるが、思い出せない。
「思い出せないけど……なんだろ、とても大事なことだったような」
なんとか思い出そうと眼を閉じて、記憶を探るがなにも出てこない。
再度、眼を開き、右腕で目元をこすり涙を拭う。
拭っている最中に、胸の奥、苦しさと不安があることに気づく。
「……一体なんなんだよ……」
顔を洗いおうと、立ち上がろうとした青年は脚に重みを感じる。
のしかかる重みはふたつ。
なんの重さだ? と思い眼を向ければ、青年の脚を枕に寝ているツィスとフェス。
「人の脚を枕にしやがって……」
寝息をたてている小人たちに苦笑した青年は、起き上がるのを諦め、
ふたたび干し草の敷いてある地面へと寝転ぶ。
しかし、瞼は開いたまま、天井を見つめている。
「もう一眠りして、それからは……地の大精霊へ会いに行くんだっけ」
それだけをつぶやいて、青年は瞼を閉じて、もう一度、意識を暗闇へと落とした。
● ● ●
樹々が一層濃く生い茂る森の奥。
昼前を知らせる角度で、天からの木漏れ日が、低い草花を照らしていく。
木霊族の広場へと続いた小道と、同じだけの幅がある小道を、
大柄の蔓の狼に乗った木霊族の小人ふたり、三人の人が徒歩で道を進んでいる。
黒髪の青年は若干の緊張を顔に浮かべていた。
「アルト、そんなに緊張しなくてもいい。肩がこわばってるぞ」
「そだよーもっと気楽にいこーよー」
「そこまで気楽にはなれないって……」
青年の後ろを歩く少女と男に声を掛けられるも、顔から緊張は抜けない。
「だって、これから大精霊……様に会うわけじゃん」
「そこまでかしこまることはない」
「ええ? そんなわけにはいかないだろ?
地の精霊たちのトップ……というか一番偉い存在なんだし」
「一番偉いっていうのはあってるかもねー」
あってるかもねーってのはどういう意味だよ、と言うと、
「だいせいれい、ジョコさまは、きさくな、かたです」
「そうです。みんな、だいすき、です」
狼の背にのる黄色い布を巻いた小人に続いて、緑の布を巻いた小人が言う。
ふたりの小人の言うことを肯定するかのように狼が吼える。
近くを黒地の黄色いまだら模様の蝶が飛び回っている。
(元の世界にいた蝶と似てるけど、やっぱり違うな)
視線だけで追いかけて青年は思う。
前へ向けていた視線を遮る影がひとつ。
「? なんだ?」
影を追って眼をやれば、全身が黒い蝶がひとつ。
ゆらりゆらりと羽ばたく黒い蝶は青年の近くを飛び回る。
何度か回ったかと思うと、蔓の狼付近をとぶ黒地の黄色いまだら模様の蝶へと向かっていく。
そのまま、黄色いまだらの蝶と黒い蝶は、互いの周囲を飛びまわりながら森の奥へと消えていった。
「綺麗な……もんだな。蝶ってのは」
標本とかあればリラにも見せてあげれるのにな、胸に思ったまま青年は歩く。
「いきているものは、みんな、きれい、です」
「ほんとに……こっちへ喚ばれてから、何度もそう思わされます」
蝶へと手を振っていたディセスが青年へと振り向き言う。
同意を示す言葉で答えた青年へ、小人は笑顔を向ける。
「アルトも、きれい、です。ディセスたちと、いっしょ、いきてます」
「あ、ありがとう」
思わぬ賛辞を受けて、照れと困りが混ざった顔になるアルト。
「ボクもボクも、きれ〜い?」
「よさないかセリア。意地がきたないぞ」
「う、うるさーい! この馬鹿!」
「セリアも、エオリアも、きれい、ですよ」
「えええ〜この馬鹿といっしょに言われてもな〜」
「族長ディセス……遠慮は無用です」
エオリアへと怒声が飛ぶ背後に呆れた表情になった青年だったが、
次第に小道の幅が広がってきていることに気づく。
小道を見る視線を奥へ、奥へ、奥へと辿らせていけば、大樹。
大樹の根元までたどりついたところで、黄色い布を巻いた小人は狼から飛び降り、
アルトたち三人へと、大樹を指さして言葉を放つ。
「さあ、つきました。ここが、だいせいれい、ジョコさまの、おうち、です」