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覚醒老人

掲載日:2026/02/14

 俺の名前は、山田太郎。今年で八十五歳になる。元商社マン。三星商事で四十年働いた。自分で言うのも何だが、エリートだった。海外駐在も経験した。日本語、英語、中国語、フランス語を話せるクワドリンガル。年収は二千万円を超えていた。


 でも、今は違う。


 俺は、「さくら苑」という老人ホームにいる。認知症だ。アルツハイマー病、初期段階。


 最初の兆候は、三年前だった。妻の名前が出てこなくなった。四十年連れ添った妻の名前だ。信じられなかった。


 次に、家の鍵の場所が分からなくなった。いつも置いている場所に置いてあるのに、見つけられなかった。


 そして、ある日、家に帰れなくなった。散歩に出て、自分の家が分からなくなった。警察に保護された。


 妻は泣いた。息子は施設への入居を勧めた。俺は抵抗した。でも、結局受け入れた。


 それから二年が経つ。


 俺の認知機能は、徐々に低下していった。昨日のことを思い出せない。朝食に何を食べたか分からない。今日が何曜日か分からない。


 でも、不思議なことに、過去のことは鮮明に覚えている。商社時代の商談。海外での生活。若い頃の恋愛。すべて、昨日のことのように思い出せる。


 認知症は、そういう病気らしい。新しい記憶は作れないが、古い記憶は残る。


 俺は、毎日、施設の食堂で、他の入居者と一緒に食事をした。会話をした。でも、何を話したか、すぐに忘れた。


 介護士のタナカという若い女性が、俺の担当だった。彼女は優しかった。いつも笑顔だった。でも、俺は彼女の名前を覚えられなかった。毎日、「あの、すみません」と呼んでいた。


 ある日、施設の医師、サトウという五十代の男性が、俺を呼んだ。


「山田さん、新しい薬を試してみませんか」


 俺は、聞いた。


「新しい薬?」


 サトウは、説明した。


「レカネマブといいます。アルツハイマー病の進行を遅らせる薬です。点滴で投与します」


 俺は、興味を持った。


「効くんですか?」


 サトウは、頷いた。


「完全に治すことはできませんが、進行を遅らせることができます」


 俺は、迷った。でも、妻の顔が浮かんだ。妻に、もう一度会いたい。妻と、ちゃんと話したい。


 俺は答えた。


「やります」


 サトウは、微笑んだ。


「分かりました。来週から始めましょう」


 一週間後、俺は初めてレカネマブの点滴を受けた。


 医務室で、椅子に座る。看護師が、俺の腕に針を刺した。透明な液体が、ゆっくりと体内に流れ込んだ。


 サトウは、言った。


「一時間ほどかかります。何か異常を感じたら、すぐに教えてください」


 俺は、頷いた。


 点滴中、俺は何も感じなかった。ただ、少し眠くなった。


 点滴が終わった。看護師が、針を抜いた。


 サトウは、言った。


「これで終わりです。副作用として、頭痛やめまいが出ることがありますが、通常は軽いものです」


 俺は、部屋に戻った。


 その夜、俺は夢を見た。


 若い頃の夢だった。商社に入社したばかりの頃。二十代の俺が、会議室で資料を作っていた。上司に怒鳴られていた。でも、やる気に満ちていた。


 夢の中で、俺は思った。もう一度、あの頃に戻りたい。


 そして、目が覚めた。


 朝だった。窓から光が差し込んでいた。


 俺は、起き上がった。そして、気づいた。


 頭が、クリアだった。


 今まで、ずっとモヤがかかったような感覚だった。でも、今は違う。頭の中が、透明だった。


 俺は、自分の名前を思い出した。山田太郎。八十五歳。元商社マン。


 妻の名前も思い出した。ヨウコ。


 息子の名前も。タクヤ。


 昨日の夕食も思い出した。鮭の塩焼きだった。


 俺は、驚いた。これは、薬の効果なのか?


 でも、それだけじゃなかった。


 俺は、鏡を見た。そして、愕然とした。


 顔は、八十五歳のままだった。皺だらけで、白髪だった。


 でも、目が違った。目に、光があった。若い頃の、あの光が。


 俺は、自分の手を見た。皺だらけで、シミだらけだった。でも、動かせた。しっかりと。


 俺は、立ち上がった。足が震えた。でも、立てた。


 俺は、歩いた。ゆっくりと。でも、確実に。


 そして、思った。


 俺は、戻ってきた。


 いや、正確には、頭だけが戻ってきた。


 身体は、八十五歳。でも、頭は、三十代だ。


 俺は、笑った。そして、叫んだ。


「何だこれは!」


 介護士のタナカが、部屋に飛び込んできた。


「山田さん、どうしました?」


 俺は、タナカを見た。そして、初めて、彼女の名前を思い出した。


「タナカさん、おはようございます」


 タナカは、目を丸くした。


「え、私の名前、覚えてくださったんですか?」


 俺は、頷いた。


「はい。あなたは、タナカユイさん。二十八歳。この施設で三年働いている。趣味は、読書とヨガ。好きな食べ物は、パスタ」


 タナカは、驚きで声が出なかった。


 俺は、続けた。


「あなたは、いつも俺に優しくしてくれた。ありがとう」


 タナカは、涙を流した。


「山田さん、本当に、大丈夫ですか?」


 俺は、笑った。


「大丈夫だ。むしろ、今までで一番調子がいい」


 タナカは、急いでサトウ医師を呼んだ。


 サトウは、俺を診察した。血圧、脈拍、体温、すべて正常だった。


 サトウは、質問をした。


「今日の日付は?」


 俺は、答えた。


「二〇二六年二月十四日、金曜日」


 サトウは、頷いた。


「昨日の夕食は?」


 俺は、答えた。


「鮭の塩焼き、味噌汁、白米、漬物」


 サトウは、驚いた。


「素晴らしい。認知機能が、劇的に改善しています」


 俺は、聞いた。


「これは、薬のせいですか?」


 サトウは、考え込んだ。


「おそらく、そうでしょう。でも、これほどの効果は、報告されていません」


 俺は、言った。


「でも、体は変わってない。足は弱いし、手も震える」


 サトウは、頷いた。


「それは、仕方ありません。認知機能と、身体機能は別です」


 俺は、ため息をついた。


「つまり、頭だけ若返ったってことか」


 サトウは、微笑んだ。


「そういうことです」


 俺は、考えた。これは、チャンスかもしれない。


 その日から、俺の生活は変わった。


 朝、目が覚めると、頭は更にクリアだった。今日の予定を、完璧に把握していた。


 朝食は、七時。リハビリは、九時。昼食は、十二時。自由時間は、午後。夕食は、六時。就寝は、九時。


 俺は、リハビリ室に行った。


 理学療法士のヤマモトという三十代の男性が、俺を迎えた。


「山田さん、おはようございます。今日も頑張りましょう」


 俺は、言った。


「ヤマモト、今日は違うメニューをやりたい」


 ヤマモトは、驚いた。


「え、いつもと違うメニュー?」


 俺は、頷いた。


「そうだ。もっと負荷をかけたい。筋トレをやりたい」


 ヤマモトは、困った顔をした。


「でも、山田さんの年齢を考えると」


 俺は、遮った。


「年齢は関係ない。頭は若い。体も、鍛えれば変わる」


 ヤマモトは、諦めた。


「分かりました。でも、無理はしないでください」


 俺は、筋トレを始めた。


 最初は、軽いダンベルを持ち上げた。二キロ。楽勝だった。


 次に、五キロ。きつかった。でも、できた。


 俺は、興奮した。


「もっとだ!もっと重いのを!」


 ヤマモトは、止めた。


「山田さん、これ以上は危険です」


 俺は、不満だった。


「なんで止めるんだ!俺はまだやれる!」


 ヤマモトは、真剣な顔で言った。


「山田さん、あなたの筋肉は、八十五歳です。無理をすると、断裂します」


 俺は、黙った。


 そうだ。頭は若くても、体は老いている。


 その時、隣のマシンで、別の入居者が叫んだ。


「ワンモアセット!ワンモアセット!」


 見ると、八十三歳のサイトウという男性だった。彼も最近、レカネマブを受けて覚醒していた。


 サイトウは、レッグプレスマシンで必死に足を押していた。


 ヤマモトが、急いで駆け寄った。


「サイトウさん、やめてください!膝が壊れます!」


 サイトウは、叫んだ。


「筋肉に語りかけるんだ!成長しろ!成長しろ!」


 ヤマモトは、マシンを止めた。


 サイトウは、不満そうに言った。


「なんだよ、いいとこだったのに」


 ヤマモトは、頭を抱えた。


「皆さん、体は八十代なんです。三十代じゃないんです!」


 俺とサイトウは、顔を見合わせた。


 サイトウが、言った。


「でも、頭は三十代なんだよな」


 俺は、頷いた。


「そうだ。だから、体がついてこないのが、イライラするんだ」


 サイトウは、言った。


「分かるわ。俺、昨日スクワットやろうとして、膝が鳴った」


 俺は、笑った。


「分かる。俺は、階段駆け上がろうとして、すぐ息切れした」


 二人で笑っていると、別の入居者、ヨシダという七十八歳の女性が入ってきた。


 ヨシダは、スマホを片手に、ヤマモトに言った。


「ねえ、この動画見て。TikTokでバズってるプランク動画」


 ヤマモトは、画面を見た。


「ヨシダさん、これ、若い人向けのトレーニングです」


 ヨシダは、言った。


「私もやりたい。インフルエンサーになりたい」


 ヤマモトは、絶句した。


「インフルエンサー?」


 ヨシダは、真剣な顔で言った。


「だって、私の頭は二十代よ。TikTokでフォロワー増やして、広告収入得るの」


 俺は、思わず口を挟んだ。


「ヨシダさん、体は七十八歳ですよ」


 ヨシダは、俺を睨んだ。


「山田さん、エイジズムよ。年齢で差別しないで」


 俺は、何も言えなかった。


 ヨシダは、床にマットを敷いて、プランクの姿勢を取った。


 五秒で、体が震え始めた。


 十秒で、腕が崩れた。


 ヨシダは、床に倒れ込んだ。


「あー、ダメだ。体が裏切る、ついてこない」


 ヤマモトは、ため息をついた。


「皆さん、リハビリ室が戦場になってます」


 俺は、笑った。


 でも、ヤマモトの言う通りだった。リハビリ室は、もはや老人のリハビリ施設ではなく、頭だけ若返った老人たちが、体の限界に挑戦する戦場だった。


 俺は、ため息をついた。


「分かった。でも、もっと効率的なトレーニング方法はないのか?」


 ヤマモトは、考えた。


「そうですね。電気刺激療法とか、プールでの運動とか」


 俺は、頷いた。


「やろう。全部やろう」


 ヤマモトは、苦笑いした。


「山田さん、急に積極的になりましたね」


 俺は、笑った。


「当たり前だろ。俺は、もう一度、歩けるようになりたいんだ」


 その日から、俺は毎日、リハビリに励んだ。


 プールで歩き、電気刺激で筋肉を鍛え、ストレッチをした。


 少しずつ、体が変わっていった。


 足が、しっかりしてきた。杖なしで歩けるようになった。


 手の震えも、減った。字が書けるようになった。


 でも、限界もあった。


 走ることはできなかった。重いものは持てなかった。長時間立っていることはできなかった。


 俺は、焦った。


 頭は三十代なのに、体は八十五歳だ。このギャップが、苛立たしかった。


 ある日、俺は食堂で、他の入居者と一緒に昼食を食べていた。


 隣に座っていたのは、タナカという八十歳の男性だった。認知症で、ほとんど会話ができなかった。


 俺は、タナカに話しかけた。


「タナカさん、調子はどうですか?」


 タナカは、ぼんやりと俺を見た。そして、何も言わなかった。


 俺は、悲しくなった。


 以前の俺も、こうだったのか。


 そのとき、サトウ医師が食堂に入ってきた。


 サトウは、俺を見て、近づいてきた。


「山田さん、少しお話しできますか?」


 俺は、頷いた。


 サトウは、俺を医務室に連れて行った。


 サトウは、言った。


「山田さん、あなたの症例は、非常に珍しいです」


 俺は、聞いた。


「どういうことですか?」


 サトウは、説明した。


「通常、レカネマブは、認知機能の低下を遅らせるだけです。でも、あなたの場合、認知機能が劇的に改善しています」


 俺は、頷いた。


「それは、いいことでしょう?」


 サトウは、複雑な顔をした。


「いいことです。でも、理由が分かりません」


 俺は、聞いた。


「理由?」


 サトウは、続けた。


「血液検査の結果、あなたの体内で、通常とは異なる反応が起きています」


 俺は、不安になった。


「何ですか?」


 サトウは、説明した。


「ミトコンドリアの活性が、異常に高いです。テロメラーゼという酵素も、再活性化しています」


 俺は、分からなかった。


「それって、何ですか?」


 サトウは、分かりやすく説明した。


「簡単に言うと、あなたの細胞が、若返っています」


 俺は、驚いた。


「若返り?」


 サトウは、頷いた。


「はい。でも、脳細胞だけです。体全体ではありません」


 俺は、理解した。


「だから、頭だけ若いのか」


 サトウは、頷いた。


「おそらく、レカネマブが、予期しない副作用を引き起こしたのでしょう」


 俺は、聞いた。


「危険ですか?」


 サトウは、首を横に振った。


「今のところ、健康上の問題はありません。むしろ、良い方向に働いています」


 俺は、安堵した。


 サトウは、続けた。


「ただ、この件は、学会に報告する必要があります」


 俺は、頷いた。


「構いません」


 サトウは、微笑んだ。


「ありがとうございます」


 それから、数週間が経った。


 俺の評判は、施設内で広がった。


「山田さんが、若返った」「認知症が治った」「奇跡だ」


 他の入居者の家族が、サトウに問い合わせた。


「うちの父にも、同じ薬を使ってください」


 サトウは、慎重だった。


「山田さんのケースは、特殊です。すべての人に同じ効果があるとは限りません」


 でも、家族たちは諦めなかった。


 結局、サトウは、数人の入居者に、レカネマブを投与することにした。


 その中には、先ほどのタナカも含まれていた。


 一ヶ月後、結果が出た。


 タナカは、劇的に改善した。


 俺と同じように、認知機能が回復した。会話ができるようになった。自分の名前を思い出した。


 他の入居者も、同様だった。


 施設は、一変した。


 以前は、静かで、活気のない場所だった。入居者は、ぼんやりと座っているか、寝ているだけだった。


 でも、今は違う。


 入居者たちは、会話をした。笑った。冗談を言い合った。


 食堂は、賑やかになった。


 俺は、その変化を見て、嬉しくなった。


 でも、同時に、違和感も感じた。


 みんな、頭は若返っている。でも、体は老いたままだ。


 車椅子に座りながら、スマホをいじっている老人。


 杖をついて歩きながら、TikTokを撮影している老人。


 シュールだった。


 ある日、タナカが俺のところに来た。


「山田さん、ちょっといいですか?」


 俺は、頷いた。


「どうしたんですか?」


 タナカは、真剣な顔で言った。


「俺、ビジネスを始めたいんです」


 俺は、驚いた。


「ビジネス?」


 タナカは、頷いた。


「はい。俺、昔、中小企業の社長だったんです。でも、認知症になって、会社を息子に譲りました」


 俺は、聞いた。


「それで、また始めたいと?」


 タナカは、興奮した様子で言った。


「そうなんです!今なら、できる気がするんです!」


 俺は、考えた。


 確かに、頭が若返った今なら、ビジネスもできるかもしれない。


 でも、体は老いている。外に出て働くことは難しい。


 俺は、言った。


「でも、どうやって?」


 タナカは、微笑んだ。


「インターネットです。オンラインで、すべてできます」


 俺は、なるほどと思った。


 タナカは、続けた。


「山田さんも、一緒にやりませんか?」


 俺は、考えた。


 俺も、もう一度、働きたい。頭が若返った今、何かをしたい。


 俺は、頷いた。


「やりましょう」


 タナカは、喜んだ。


「ありがとうございます!」


 それから、俺とタナカは、ビジネスプランを練り始めた。


 何をするか。どうやるか。


 俺たちは、施設の会議室を借りて、毎日、議論した。


 タナカは、ホワイトボードに書きながら言った。


「まず、MVP(Minimum Viable Product)を作る」


 俺は、頷いた。


「そうだな。いきなり大きくせず、小さく始めて検証する」


 タナカは、続けた。


「ターゲットは、スタートアップとSME(Small and Medium-sized Enterprises)」


 俺は、言った。


「俺たちの強みは、経験だ。リーン思考でPDCAを回せる」


 二人とも、スタートアップ用語を駆使していた。


 頭は若返っていた。最新のビジネス用語も、すぐに理解できた。


 その時、別の入居者、元銀行員のサトウが入ってきた。


 サトウは七十九歳だった。彼も最近、覚醒していた。


 サトウは、言った。


「僕も参加していいですか?」


 俺は、頷いた。


「もちろんです。歓迎します」


 サトウは、椅子に座って、言った。


「僕、ファイナンス担当できます。キャッシュフロー管理、バーンレート計算、資金調達戦略」


 タナカは、喜んだ。


「素晴らしい!CFO決定ですね」


 俺は、言った。


「俺はCEO、タナカさんはCOO、サトウさんはCFO。役員が揃った」


 三人は、握手をした。


 でも、その光景は、シュールだった。


 平均年齢八十歳を超える老人たちが、スタートアップ用語を使って、起業している。


 その後、元弁護士のスズキ、元エンジニアのヤマダも参加した。


 スズキは、法務担当。ヤマダは、CTO。


 チームは、完成した。


 俺たちは、会社名を決めた。


「シルバー・イノベーション株式会社」


 タナカが、提案した。


「ちょっと古くさくないですか?もっとキャッチーな名前がいい」


 ヤマダが、言った。


「SilverTech とか?」


 スズキが、首を横に振った。


「それも平凡だ」


 俺は、考えた。


「ReVive Inc. は?Re は再生、Vive は生きる。俺たちにぴったりだ」


 全員が、頷いた。


「いいですね!」


 こうして、ReVive Inc. が誕生した。


 俺たちは、ウェブサイトを作った。


 ヤマダが、コーディングした。驚くべきスピードだった。


「おお、まだ指が動く」とヤマダは喜んだ。


 でも、途中で手が震えた。


「ああ、また震える。老化め」


 俺たちは、笑った。


 次に、マーケティング戦略を練った。


 タナカが、言った。


「SNSマーケティングが必須です。Twitter、Instagram、TikTok」


 ヨシダが、会議室に入ってきた。


「TikTok?私、TikTokerですよ」


 全員が、驚いた。


「本当ですか?」


 ヨシダは、スマホを見せた。


「フォロワー、五万人います」


 画面には、ヨシダがダンスしている動画があった。


 タナカが、言った。


「ヨシダさん、CMO(Chief Marketing Officer)になってください」


 ヨシダは、喜んだ。


「任せて!バズらせるわよ」


 こうして、チームは拡大した。


 俺たちは、最初の案件を獲得した。


 クライアントは、二十代の起業家だった。


 彼は、ビデオ会議で俺たちに言った。


「御社のコンサルタントの方々は、ご高齢ですが、大丈夫でしょうか?」


 俺は、答えた。


「年齢は関係ありません。経験と知識があります」


 起業家は、半信半疑だった。


 でも、俺たちは結果を出した。


 彼のビジネスモデルを分析し、改善案を提示した。


 資金調達戦略を練り、投資家を紹介した。


 法的リスクを指摘し、対策を提案した。


 三ヶ月後、彼の会社は、シリーズAで一億円を調達した。


 彼は、感謝の言葉を述べた。


「ReVive Inc. のおかげです。皆さん、本当にすごい」


 俺たちは、満足した。


 評判は広がった。


 次々と、依頼が来た。


 会議室は、完全にオフィス化した。


 机が並び、パソコンが何台も置かれ、プリンターが動き続けた。


 ホワイトボードには、KPI、OKR、ROIなどの略語が並んだ。


 介護士のタナカユイが、会議室に入ってきて、呆れた。


「ここ、本当に老人ホームですか?」


 俺は、笑った。


「老人ホームでもあり、スタートアップでもあります」


 タナカユイは、首を横に振った。


「信じられない」


 ある日、俺たちは「ピッチ練習」をしていた。


 タナカが、前に立って、プレゼンをした。


「我々、ReVive Inc. は、シニア層の知見を活用し、若い起業家をサポートします。我々の強みは、平均四十年以上のビジネス経験です」


 俺は、フィードバックした。


「もっと情熱を込めて。投資家の心を掴むんだ」


 タナカは、やり直した。


 でも、途中で咳き込んだ。


「ごほっ、ごほっ。すみません、喉が」


 サトウが、水を渡した。


「タナカさん、無理しないで」


 タナカは、水を飲んで、言った。


「大丈夫です。続けます」


 俺は、思った。


 頭は若いが、体は老いている。このギャップが、常につきまとう。


 でも、俺たちは諦めなかった。


 半年後、俺たちの会社は、地元で有名になった。


「老人ホームから生まれたスタートアップ」として、メディアに取り上げられた。


 新聞、テレビ、ネットニュース。


 ヨシダは、TikTokで会社の様子を発信し続けた。


「おばあちゃんCMOの日常」というシリーズは、百万回再生を超えた。


 コメント欄には、応援のメッセージが溢れた。


「すごい!年齢は関係ないんですね」「勇気をもらいました」


 でも、中には、こんなコメントもあった。


「これ、本当?作り話じゃない?」


 ヨシダは、ライブ配信で反論した。


「本当よ!私たち、本気でビジネスやってるの!」


 そして、会議室の様子を映した。


 老人たちが、パソコンに向かって、真剣に仕事をしている。


 ホワイトボードに、ビジネス用語が書かれている。


 視聴者は、驚いた。


「マジだ!」「すごすぎる」


 ReVive Inc. の評判は、全国に広がった。


 メディアが、注目し始めた。


 最初に来たのは、地元のテレビ局だった。


 レポーターは、二十代の若い女性、カワムラといった。


 カワムラは、会議室に入ってきて、驚いた。


「わあ、本当にオフィスみたいですね」


 俺は、微笑んだ。


「オフィスですから」


 カワムラは、カメラマンに指示を出した。


「ここを映して。あと、パソコン使ってるところも」


 撮影が始まった。


 カワムラは、俺にインタビューした。


「山田さん、八十五歳でスタートアップを立ち上げたそうですが、なぜですか?」


 俺は、答えた。


「なぜって、やりたいからです」


 カワムラは、続けた。


「でも、普通、この年齢だと、引退して静かに暮らすものでは?」


 俺は、笑った。


「普通?俺たちは、普通じゃありません」


 カワムラは、他のメンバーにもインタビューした。


 タナカは、言った。


「俺たちは、認知症から回復しました。第二の人生が始まったんです」


 サトウは、言った。


「頭が若返った今、もう一度、社会に貢献したい」


 ヨシダは、スマホを見せた。


「TikTokで、若い人たちにメッセージを送っています。年齢は、ただの数字だって」


 カワムラは、感動した様子で言った。


「素晴らしいですね。皆さん、本当に輝いています」


 その夜、放送が流れた。


 タイトルは、「奇跡の老人ホーム〜認知症から復活、起業する高齢者たち〜」


 放送を見た俺たちは、盛り上がった。


「俺たち、テレビに出た!」


 ヨシダは、すぐにTikTokに投稿した。


「テレビ出演しました!見てね!」


 その動画は、瞬く間に拡散した。


 翌日、全国紙の記者が取材に来た。


 記者は、四十代の男性、イトウといった。


 イトウは、真剣な顔で質問した。


「本当に、認知症が治ったんですか?」


 俺は、答えた。


「治った、というより、回復しました」


 イトウは、聞いた。


「どうやって?」


 サトウ医師が、説明した。


「レカネマブという薬です。通常は、進行を遅らせるだけですが、彼らの場合、特殊な副作用が起きました」


 イトウは、メモを取りながら聞いた。


「特殊な副作用?」


 サトウ医師は、続けた。


「脳細胞の若返りです。ミトコンドリアの活性化、テロメアの延長、シナプスの再生」


 イトウは、驚いた。


「それは、若返りではないですか?」


 サトウ医師は、頷いた。


「脳だけですが、そうです」


 イトウは、記事にした。


 翌日、新聞の一面に、俺たちの写真が載った。


 見出しは、「脳だけ若返る奇跡の薬〜老人ホームがシリコンバレーに〜」


 記事は、全国で話題になった。


 ネットでも拡散された。


「すごい」「これは革命だ」「俺の親にも使ってほしい」


 でも、批判的なコメントもあった。


「胡散臭い」「作り話だろ」「詐欺じゃないのか」


 俺たちは、批判にも答えた。


 ヨシダが、TikTokでライブ配信をした。


「批判してる人たちへ。私たち、本当に覚醒したの。嘘じゃない」


 そして、リアルタイムで、会議の様子を映した。


 俺たちは、クライアントとのビデオ会議をしていた。


 視聴者は、驚いた。


「本当に仕事してる」「マジだ」


 コメント欄が、応援で埋まった。


 一週間後、大手経済誌が、特集を組んだ。


 タイトルは、「ReVive Inc.〜高齢者が挑む、新しい働き方〜」


 記事には、俺たちのインタビュー、ビジネスモデルの分析、専門家のコメントが載った。


 専門家の一人、経済学者のワタナベ教授は、こう述べた。


「これは、高齢化社会の新しいモデルです。高齢者が、単に支えられる存在ではなく、経済を動かす主体になる」


 別の専門家、老年医学の専門家、カトウ教授は、こう述べた。


「脳の若返りは、医学的に革命です。ただし、慎重に研究する必要があります」


 記事は、大きな反響を呼んだ。


 政治家も、注目し始めた。


 厚生労働大臣が、視察に来ることになった。


 厚生労働大臣が、施設を訪れた。


 大臣は、俺たちに言った。


「皆さんの活躍は、素晴らしい。高齢化社会の希望です」


 俺は、答えた。


「ありがとうございます」


 でも、大臣の目は、冷たかった。


 大臣は、サトウ医師を呼んだ。


「この薬の効果について、詳しく教えてください」


 サトウは、説明した。


 大臣は、聞き終わった後、言った。


「これは、国家プロジェクトにすべきです」


 俺は、嫌な予感がした。


 大臣が、視察に来た日は、施設全体が緊張していた。


 警備員が増え、報道陣が押し寄せた。


 大臣は、五十代の女性、キムラといった。


 キムラ大臣は、会議室に入ってきて、俺たちを見渡した。


 そして、微笑んだ。


「皆さん、素晴らしい活動をされていますね」


 俺は、頭を下げた。


「ありがとうございます」


 大臣は、俺たちと握手をした。


 そして、会議室を見回した。


「本当に、ここでビジネスをされているんですね」


 タナカが、説明した。


「はい。オンラインで、全国のクライアントにサービスを提供しています」


 大臣は、頷いた。


「素晴らしい。高齢化社会の希望です」


 俺は、安堵した。政府も理解してくれているようだ。


 でも、大臣の次の言葉で、雰囲気が変わった。


「ところで、皆さんが使っている薬について、詳しく教えていただけますか?」


 サトウ医師が、説明を始めた。


 大臣は、真剣に聞いていた。


 説明が終わった後、大臣は言った。


「これは、国家プロジェクトにすべきです」


 俺は、嫌な予感がした。


 大臣は、続けた。


「この技術を、全国に普及させたい。認知症に苦しむ、すべての高齢者を救いたい」


 表面上は、善意に見えた。


 でも、俺には分かった。大臣の目は、俺たちを「資源」として見ていた。


 視察が終わった後、サトウ医師が俺に言った。


「山田さん、これから色々と大変になるかもしれません」


 俺は、頷いた。


「覚悟はしています」


 数週間後、政府から通達が来た。


「レカネマブの特殊効果について、研究を行う。被験者として、協力を求める」


 俺たちは、選択の余地がなかった。


 国の研究施設に呼ばれた。


 そこで、徹底的な検査を受けた。


 血液検査、脳スキャン、遺伝子解析、認知機能テスト。


 一日中、検査が続いた。


 検査を担当した研究者たちは、興奮していた。


「これは、革命です」「ノーベル賞ものです」「老化を逆転できる」


 俺は、不安だった。


 検査が終わった後、政府の役人、ハシモトという五十代の男性が俺たちを集めた。


 ハシモトは、丁寧な口調で言った。


「皆さん、ご協力ありがとうございました」


 俺は、聞いた。


「これで、終わりですか?」


 ハシモトは、微笑んだ。


「いえ、これからが本番です」


 俺の嫌な予感は、的中した。


 ハシモトは、続けた。


「皆さんには、特別な使命があります」


 タナカが、聞いた。


「使命?」


 ハシモトは、言った。


「この技術を、国家のために使っていただきたい」


 俺は、聞いた。


「具体的には?」


 ハシモトは、説明した。


「まず、研究への継続的な協力。定期的な検査と、データ提供」


 サトウが、聞いた。


「それだけですか?」


 ハシモトは、首を横に振った。


「いえ。皆さんの知識と経験を、国家戦略に活かしていただきたい」


 俺は、警戒した。


「国家戦略?」


 ハシモトは、言った。


「経済政策、外交政策、そして」


 ハシモトは、少し間を置いた。


「国防政策です」


 俺たちは、凍りついた。


 ハシモトは、続けた。


「皆さんは、長年の経験と、若返った頭脳を持っています。国家にとって、貴重な資源です」


 俺は、怒りを感じた。


「俺たちは、資源じゃない。人間だ」


 ハシモトは、穏やかに言った。


「もちろん、人間です。でも、特別な人間です」


 タナカが、言った。


「俺たちは、ビジネスをしています。国に協力する時間はありません」


 ハシモトは、冷たく言った。


「ビジネスは、続けていただいて構いません。ただし、国の要請にも応えていただく」


 俺は、聞いた。


「もし、拒否したら?」


 ハシモトは、微笑んだ。


「拒否は、できません」


 俺は、怒鳴った。


「憲法で、職業選択の自由が保障されている!」


 ハシモトは、冷静に答えた。


「皆さんの体内には、国家機密があります。研究データ、薬の効果、すべてが機密情報です」


 俺は、理解した。


 俺たちは、もう自由ではない。


 ハシモトは、続けた。


「皆さんの安全のため、施設は厳重な警備下に置かれます」


 サトウが、言った。


「監視するってことですか?」


 ハシモトは、頷いた。


「保護です。皆さんは、国家にとって重要な存在です」


 俺たちは、黙った。


 数日後、施設の周りに、フェンスが設置された。


 警備員が配置された。


 出入りは、厳しく管理された。


 俺たちは、外出許可が必要になった。


 タナカユイ介護士が、俺に言った。


「山田さん、ここ、もう老人ホームじゃないですね」


 俺は、頷いた。


「収容施設だ」


 タナカユイは、悲しそうな顔をした。


「こんなことって」


 俺は、言った。


「国家は、俺たちを手放さない」


 俺たちは、抗議した。でも、無駄だった。


 タナカは、俺に言った。


「これは、おかしい。俺たちは、人間だぞ」


 俺は、頷いた。


「でも、どうすればいいんだ」


 サトウが、小声で言った。


「逃げましょう」


 俺とタナカは、サトウを見た。


 サトウは、真剣な顔で続けた。


「このまま、国の道具になるわけにはいかない。自由を取り戻すべきです」


 俺は、考えた。


「でも、どうやって?警備は厳重だ」


 ヤマダが、言った。


「僕が、セキュリティシステムをハッキングできます」


 俺たちは、驚いた。


「ハッキング?」


 ヤマダは、頷いた。


「僕、元エンジニアです。セキュリティは専門分野の一つでした」


 タナカが、言った。


「でも、体は老いている。逃げ切れるか?」


 マツモトという元タクシー運転手の入居者が、言った。


「僕が、運転します」


 俺たちは、計画を立て始めた。


 まず、ヤマダがセキュリティシステムを分析した。


 施設のWi-Fiに接続し、内部ネットワークに侵入した。


「カメラの配置、警備員のローテーション、ゲートの開閉時刻。すべて把握しました」


 タナカが、地図を広げた。


「最短の脱出ルートは、裏門です。でも、警備員が二十四時間常駐している」


 サトウが、言った。


「警備員を誘導できないか?」


 ヨシダが、提案した。


「私が、陽動作戦をやります」


 俺たちは、ヨシダを見た。


 ヨシダは、微笑んだ。


「TikTokライブ配信で、正門前で騒ぎを起こします。警備員が駆けつけている間に、裏門から脱出」


 タナカが、言った。


「危険です。ヨシダさんが捕まる」


 ヨシダは、首を横に振った。


「大丈夫。私、ライブ配信で何十万人もフォロワーいるの。政府も、下手に手を出せないわ」


 俺は、考えた。


 計画は、リスクが高い。でも、他に選択肢はない。


 俺は、決断した。


「やろう」


 全員が、頷いた。


 準備は、慎重に進めた。


 まず、外部の支援者を確保した。


 俺たちのビジネスクライアントの一人、若い起業家のワカマツが協力を申し出た。


「山田さんたちには、本当にお世話になりました。恩返しさせてください」


 ワカマツは、車を手配し、隠れ家を用意した。


 次に、タイミングを決めた。


 金曜日の夜、警備員のシフト交代の時間を狙う。


 ヤマダが、セキュリティシステムに仕込みを入れた。


「決行時刻に、カメラの映像を十分間ループさせます。その間に脱出する」


 俺たちは、持ち物を最小限にした。


 着替え一式、薬、スマホ。


 そして、決行の日が来た。


 午後八時、ヨシダがTikTokライブ配信を開始した。


「皆さん、緊急ライブです!今から、政府に抗議します!」


 ヨシダは、施設の正門前に立った。


 そして、叫び始めた。


「私たちは、囚人じゃない!自由を返せ!」


 ライブ配信の視聴者数は、瞬く間に増えた。


 一万人、二万人、五万人。


 コメント欄が、応援で埋まった。


「頑張れ!」「政府は何してる!」


 警備員が、急いで駆けつけた。


「おばあさん、何をしているんですか!」


 ヨシダは、カメラを警備員に向けた。


「皆さん、見てください!私たちは、監視されているんです!」


 視聴者は、騒然となった。


 その隙に、俺たちは裏門に向かった。


 ヤマダが、スマホを操作した。


「今です。カメラがループしています」


 俺たちは、裏門に急いだ。


 でも、体は老いている。走れない。


 タナカが、途中で息切れした。


「ちょっと、待って」


 俺が、タナカを支えた。


「頑張れ、もう少しだ」


 裏門に着いた。


 ヤマダが、電子ロックを解除した。


「開きました!」


 ゲートが開いた。


 そこに、ワカマツが運転する車が待っていた。


 俺たちは、車に乗り込んだ。


 マツモトが、運転席に座った。


「全員乗ったか?」


 俺が、確認した。


「乗った!行け!」


 車は、発進した。


 でも、その時、警報が鳴った。


 施設の警備員が、気づいたのだ。


 パトカーのサイレンが聞こえた。


 マツモトが、言った。


「追われてる!」


 俺は、言った。


「振り切れ!」


 マツモトは、必死にアクセルを踏んだ。


 でも、体は八十歳だ。反射神経が鈍い。


 パトカーが、近づいてきた。


 タナカが、言った。


「もうダメだ」


 でも、その時、別の車が割り込んできた。


 ワカマツの仲間たちだった。


 若い起業家たちが、パトカーの前に車を並べた。


 パトカーは、停止せざるを得なかった。


 マツモトは、その隙に逃げ切った。


 俺たちは、隠れ家に到着した。


 ワカマツが用意した、郊外のアパートだった。


 全員が、車から降りた。


 タナカが、地面に座り込んだ。


「もう、無理」


 サトウが、タナカに水を渡した。


「大丈夫ですか?」


 タナカは、笑った。


「大丈夫。ただ、疲れた」


 俺は、ワカマツに礼を言った。


「ありがとう。君のおかげで助かった」


 ワカマツは、微笑んだ。


「当然です。山田さんたちは、僕の恩人ですから」


 でも、俺たちの安堵は、長く続かなかった。


 翌日、警察が隠れ家を突き止めた。


 警察署に連れて行かれた。


 そこで、政府の役人が待っていた。


「皆さん、なぜ逃げたんですか?」


 俺は、答えた。


「俺たちは、自由に生きたいんだ」


 役人は、ため息をついた。


「皆さんの気持ちは分かります。でも、皆さんは特別なんです」


 俺は、叫んだ。


「特別だから、何だ!俺たちは、人間だ!」


 役人は、黙った。


 やがて、役人は言った。


「分かりました。妥協案を提示します」


 俺は、聞いた。


「何だ?」


 役人は、言った。


「皆さんには、一定の自由を与えます。ただし、定期的に政府に協力していただく」


 俺は、考えた。


 完全な自由は無理だ。でも、ある程度の自由は手に入る。


 俺は、タナカを見た。タナカは、頷いた。


 俺は、答えた。


「分かった。条件を飲む」


 役人は、微笑んだ。


「賢明な判断です」


 俺たちは、施設に戻った。


 でも、状況は変わっていた。


 施設は、「特別研究施設」に指定された。


 俺たちは、「被験者」として扱われた。


 自由はあった。でも、監視されていた。


 毎月、政府の会議に呼ばれた。経済政策、国防政策、外交政策。様々なテーマについて、意見を求められた。


 俺たちは、協力した。拒否する選択肢はなかった。


 一年が経った。


 俺たちの会社は、まだ続いていた。でも、以前のような自由はなかった。


 ある日、タナカが俺に言った。


「山田さん、これでいいんでしょうか?」


 俺は、答えた。


「分からない。でも、生きているだけマシだろう」


 タナカは、ため息をついた。


「そうですね」


 俺は、窓の外を見た。


 空は、青かった。自由な空だった。


 でも、俺たちは、その空の下を自由に歩くことはできなかった。


 認知症から回復した。頭が若返った。


 でも、その代償は、自由だった。


 俺は、思った。


 これは、本当に幸せなのか。


 認知症のまま、何も分からずに生きていた方が、幸せだったのではないか。


 でも、答えは出なかった。


 俺は、今日も、政府の会議に出席する。


 頭は若い。でも、体は老いている。


 そして、自由は、ない。


 これが、覚醒老人の運命だった。


 数年後、レカネマブの特殊効果は、一般には公開されなかった。


 政府は、情報を統制した。


 俺たちのような「覚醒老人」は、全国に数百人いた。


 みんな、同じように、監視下に置かれた。


 そして、国家のために働いた。


 老人ホームは、シンクタンクになった。


 覚醒老人たちは、国家の頭脳になった。


 でも、誰も幸せではなかった。


 俺は、今でも思う。


 あの日、レカネマブを受けなければ、どうなっていたか。


 認知症のまま、穏やかに老いていったか。


 家族に迷惑をかけながらも、愛されていたか。


 でも、今は違う。


 俺は、国家の道具だ。


 頭は若い。でも、心は老いている。


 これが、覚醒の代償だった。


 ある日、俺は妻に会った。


 妻は、施設に面会に来た。


 妻は、俺を見て、微笑んだ。


「太郎、元気そうね」


 俺は、頷いた。


「ああ、元気だよ」


 妻は、俺の手を握った。


「あなた、頭が良くなったのね」


 俺は、頷いた。


「そうだ。認知症が治った」


 妻は、涙を流した。


「良かった。本当に、良かった」


 でも、俺は言えなかった。


 自由がないことを。監視されていることを。国家の道具にされていることを。


 俺は、ただ、妻の手を握り返した。


 妻は、俺に言った。


「太郎、もう一度、一緒に暮らせる?」


 俺は、首を横に振った。


「無理だ。俺は、ここを出られない」


 妻は、驚いた。


「なぜ?」


 俺は、答えた。


「色々と、事情があるんだ」


 妻は、悲しそうな顔をした。


 俺は、続けた。


「でも、また会いに来てくれ」


 妻は、頷いた。


「もちろん。毎週、来るわ」


 妻は、帰っていった。


 俺は、一人残された。


 窓の外を見た。


 妻の背中が、小さくなっていった。


 俺は、思った。


 これが、覚醒の現実だ。


 頭は若返った。でも、人生は縛られた。


 そして、今日も、俺は政府の会議に出る。


 国家の頭脳として。


 覚醒老人として。


 自由のない、若い頭を持つ、老いた体で。

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