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電子の夢は、泡沫(うたかた)の海に揺蕩(たゆた)う

作者: 神海みなも
掲載日:2025/12/26

 灰色の空を覆う分厚いスモッグから、酸性雨が容赦なく降り注いでいる。濃い霧が周囲に立ち込め、夕刻の時間帯にも関わらず辺りは薄暗く朧気おぼろげだ。


 場所は巨大都市「新都しんと」の第26層、廃棄区画の裏路地の奥。灰色に染まる背の高いビル群に囲まれた小さなゴミ捨て場。


 ディーンはゴミ袋の山に埋もれるような形で目を覚ました。


 頭が割れるように痛む。ディーンが後頭部を触ると全身に激痛が走った。手にはめているグローブは自分の血で真っ赤に染まり、結構な血が出ていることが分かる。


 記憶が混濁こんだくしており、何故ここにいるのか直前の出来事が思い出せなくなっていた。


 仰向けのまま上着のポケットに手を突っ込むと何かが指先に当たる。取り出してみるとガラクタばかりだった。


 丸まったトランプに白い貝殻。数本入った潰れたタバコの箱とライターにジュースのキャップがいくつか入っているだけ。ため息を吐きそれらをまたポケットに突っ込んだ。


 ふと手の甲に違和感を覚えたディーンは手とグローブの間になにかが挟まっているのを見つける。そっと取り出してみると、それは「極秘」と刻印された黒いメモリーチップだった。


 その時、遠くから重装備のブーツの音とディーンを探す男たちの怒鳴り声が聞こえて来る。


「どこへ行った! ネズミを見つけ出せ! 生死は問わん!」


 ディーンはよろめきながら立ち上がり、路地の水たまりに映る自分の顔を見る。


 疲れ切った顔をしているがその鋭い瞳だけがディーンを睨み返した。左目は赤く発光するサイバーアイに置換ちかんされており、雨の中でも熱源情報を冷静に表示している。


 口元はニヤついた口のペイントを施した黒いマスクを付けており、ベッタリと張り付く少し長い黒髪から滴る雨水が、水たまりにいくつもの波紋を作っていた。


 ディーンは本能的に自身の装備を確認する。愛用の大型ハンドガン「シセローネ」は腰のホルスターに残っていた。しかし銃を確認すると弾倉にはわずか3発だけしか弾が残っていない。


 左腕のサイバーアームは正常に稼働しているようだが、後頭部の傷のせいで視界にノイズが走る。


「いいか、この辺りの熱源反応をすべて洗え! 見つけ次第、足を撃ち抜け!」


 路地の曲がり角から2名の企業兵士が姿を現した。1人が手でサインを出しながら物陰に隠れながら距離を詰めてくる。少しずつ、そして確実に。


 彼らはタクティカルベストを着込みサブマシンガンを構えていた。彼らとの距離は約30メートル。ディーンは素早くゴミの山に隠れ得意の光学迷彩で姿を消した。


 彼らはまだゴミの山の影に隠れているディーンには気づいていないが、発見されるのも時間の問題だ。


 幸か不幸か、雨のお陰で体は冷え切り彼らには熱源を感知できないだろう。しかし、後頭部の怪我のためか光学迷彩にノイズが走りうまく機能していなかった。


 手慣れの傭兵であるディーンだが長年の戦闘経験が「この状況はマズい」と告げていた。「くそっ、どう動く?」と自分に問いかける。


 ディーンは深呼吸をし息を整えると限界まで彼らを引き付けた。そして次の瞬間ゴミの山から音もなく飛び出す。


 その判断は冷徹かつ迅速だった。ディーンは雨音と雷鳴のタイミングを計りサイバーアームの出力を瞬時に引き上げる。


「なっ……!?」


 手前の兵士が気配に気づいて振り返ろうとしたその瞬間、ディーンの鋼鉄の左腕が彼の首を後ろから万力のように締め上げる。


 兵士は悲鳴を上げる間もなくディーンの「肉の盾」となった。ディーンはすかさず、愛銃「シセローネ」の冷たい銃口を人質となった兵士のヘルメットの隙間、こめかみに突きつける。


「うぐっ……! 離せ!」


 もう1人の兵士は慌ててサブマシンガンを構えたが、味方が邪魔で発砲できない。


「き、貴様! そ、そそ、そいつを離せ! 抵抗はやめてチップを渡せば、命だけは助けてやる!」


 兵士はそう叫んでいるが、その口調とは裏腹に声は震え上ずっていた。目の前にいるのがただのこそ泥ではなく、手練れの傭兵であることに気づき恐怖を感じているようだ。


 状況は逆転し主導権をディーンが握った。人質の首に食い込むサイバーアームの力を少し強めながらもう1人の兵士を睨みつける。


「おい、そこのお前。その武器を捨てろ。10秒だけ待ってやる。さもねぇと、こいつの頭が吹き飛ぶことになるぞ」


 ディーンのドスの効いた低い声は冷たい雨の音さえも切り裂いて響いた。そして、ゆっくりとカウントダウンを始める。


「10……、9……、8……」


 右手のシセローネのハンマーを起こす金属音が、雨の降りしきる中でやけに大きく響いた。人質になっている兵士が半狂乱で叫び出す。


「おい、武器を捨てろ! 早く捨ててくれ! こいつは本物の傭兵だ、俺をヤる気だぞ!!」


 向かい合った兵士は脂汗を雨水とともに流しながら、捕まった仲間とディーンを交互に見て視線を泳がせる。


「3……、2……、1……」


 ディーンの表情は変わらないが、代わりに左目のサイバーアイが赤く明滅し殺気は最高潮に達しようとしていた。


「くそっ!!」


 兵士は毒づくと持っていたサブマシンガンを地面に放り投げる。水しぶきが跳ね重い金属音が響いた。続けて腰のハンドガンも親指と人差指でつまむようにして捨て、両手を挙げる。


「さ、さあ、言う通りに武器は捨てたぞ。これで満足か?」


 人質となっている兵士も震える手で自身の武器をベルトから外し、目の前の地面に投げ捨てた。


「た、頼む、撃たないでくれ。俺たちはただ命令に従っただけなんだ」


 ディーンは完全に制圧し、丸腰になった彼らは戦意を喪失してしまっていた。


「命令だと? 誰の差し金だ」


 人質のこめかみに銃口を強く押し当てたまま、凄味を利かせディーンは2人に質問をする。兵士は恐怖で震え上がり早口でまくし立てる。


「い、言う! 言うからそいつは撃つな! 雇い主は『キクチ重工』だ! 俺たちはそこの下請けの『R.Q.S』なんだ」


 キクチ重工……、新都を牛耳る三大メガコーポの1つ。サイバネティクス技術と兵器開発で悪名高い企業だ。


 しかも、巨大企業「R.Q.S(レッド・クイーン・システムズ)」の私兵だと聞いてディーンは小さく舌打ちをする。


「よりによってR.Q.Sかよ……。で、このチップについては?」


 ディーンがさらに問い詰めると、捕まって手を上げている兵士が引き継ぐように叫んだ。


「中身の詳細は知らねぇ! 本当だ! ただ、ブリーフィングでは『プロジェクト・アリス』のコアデータだとだけ聞かされた! 上層部が血眼になって探しているんだよ。『絶対に中身を見るな、見た者は消せ』って厳命されてるんだ!」


『プロジェクト・アリス』。 その言葉を聞いた瞬間、ディーンの脳裏に激しいノイズが走り、断片的な記憶がフラッシュバックした。


 ――白衣の男たち、手術台、そしてガラス容器の中に浮かぶ「何か」。 ……このチップの中身はただのデータではないようだ。


 その時、地面に落ちている彼らの通信機から、ノイズと共に無機質な声が響く。


『アルファ・チーム、応答せよ。ターゲットの確保は完了したか? 応答がない場合、スイーパーをその座標へ急行させる』


 タイムリミットが迫っていた。応援が来ればこの程度の戦力では済まないことはディーンにも理解できる。


 ディーンは小さく舌打ちすると顎で落ちている通信機をしゃくり、「おい、上手く嘘をついて撤退させろ」とドスの利いた声で言った。


 兵士は恐怖で顔を引きつらせながらも、震える手で通信機のスイッチを押し対応する。


「あ……、こちらアルファ。ターゲットを……、見失った」


 彼は横目でディーンの銃口を気にしながら必死に言葉を絞り出す。


「ターゲットは廃棄ダクトへ飛び込んだ。……追跡不能だ。繰り返す、ターゲットを見失った」


 一瞬の沈黙の後、通信機から冷淡な声が返ってくる。


『……チッ、役立たず共め。帰投せよ、エリアの封鎖は継続する』


「了解……、通信終了」


 通信が切れ兵士その場にへたり込み安堵の息を漏らす。


「やったぞ……、言われた通りにした。これでいいだろう? 頼む、行かせてくれ」


 これで一時的に追跡の手は緩まったが長居は無用だ。


「だめだ、お前らには眠ってもらう」


 これ以上顔を見られるリスクと背後から撃たれるリスクを避けるため、ディーンは手早く彼らを銃床で殴りつけて気絶させる。


 まず、捕まえている兵士に一発。


「上層部が何でお前たち私兵に何も言わないか分かるか?」


 ディーンはそう言いながら、逃げようとするもう一人の兵士を捕まえる。


「銃を突きつけられて口を割るようなおしゃべりだからだよ」


 ディーンは2人を気絶させた後、意識を失った彼らの体をまさぐりサブマシンガンと予備のマガジンを2つ。そして、クレジットチップと応急手当キットを上着のポケットに突っ込みその場を後にした。


  *


 ディーンは雨に打たれながら、入り組んだ路地裏の階段を降りていた。湿ったコンクリートと消毒液の混ざった独特の臭いが漂う一角に、ネオンサインで『CLINIC』の「L」と「N」が消えかけた看板が見えてきた。


 ドアを粗々しく押し開けると、そこには違法ドラッグと色鮮やかな溶液がデスクの上に乱雑に並んでいる。医療機器が積み上がった山の奥に、狭く薄暗い手術室が見えた。


 奥のデスクでサイバネティック・アームの整備をしていた白髪の小太りな男、――ドクター・ハッターが拡大鏡を上げてこちらを睨む。


 頭には巨大なヘッドギアを装着し、「《《金は時なり》》」と刻印されていた。


「おいおい、誰かと思えばディーンか、久しぶりじゃないか。ふん、ひどいツラだな。野良犬にでも噛まれたか?」


 彼は嫌味を言いながらも慣れた手つきで手術台を指差すが、手に持ったデバイスに視線を戻しまたいじり始める。


 ディーンが手術台に腰掛け、奪ったクレジットチップをハッターの近くにあるデスクへと放り投げるとハッターは手を止め表情を緩ませた。


「なんだ、金があるなら話は別だ。……どれ、見せてみろ」


 ハッターはディーンを診察台に寝かせ後頭部の傷口にライトを当てる。


「これはひどいな、ザックリいってるぞ。よくここまで歩いてこれたな」


「丈夫なことが取り柄なもんでね。あと記憶の一部吹っ飛んでる。後で脳の診断も頼む」


「ああ、わかったよ。治療してやる」


 ハッターは傷を縫うための針と糸を用意するとディーンに麻酔を施した。


 どのくらい経っただろうか。ディーンが目覚めると頭には包帯が巻かれており、ハッターが天井にアームで繋がれたモニターを下ろしているところだった。


「おお、目が覚めたか。今からモニターに繋ぎ異常がないか診断する」


 ハッターはそう言うとディーンの首元にある接続端子にコードを繋ぎ、診断ツールを走らせた。


「ん? ……こいつは驚いた。外傷のせいだけじゃないな。脳の記憶領域に強力なプロテクトが掛けられている。誰かが意図的にお前の記憶をロックしたんだ。待ってろ」


 治療が進むにつれ、視界のノイズが消え頭痛が引いて行くのを感じる。しかし、ハッターはモニターを見つめながら眉をひそめた。


「お前のニューロポートに直前まで何かデカいデータが接続されていた痕跡がある。……おい、ディーン。お前、何か『ヤバいもの』でも持ち歩いてるんじゃないだろうな?」


 ふと、ハッターの視線がディーンが握りしめている黒いチップに向けられる。


「あのキクチ重工の極秘情報が詰まっているらしい。上層部が血眼になって探しているんだと」


 ディーンはドスの利いた声で「誰にも言うなよ」と釘を刺しながら、濡れた黒いチップをハッターに突き出した。彼はディーンの鋭い眼光に気圧され脂汗を拭いながら頷く。


「わ、わかったよ、ディーン。お前を売ったりなんかしねぇよ。……ただ、こいつが何なのか知るのが怖いだけだ」


 彼は震える手でチップを受け取ると、外部ネットワークから遮断された解析用コンソールに慎重に挿入した。


 すると突然モニターに無数の警告ウィンドウと真っ赤な文字列がものすごい速さで流れ始め、ハッターの顔色が蒼白に変わった。


「おいおいおい……、冗談だろ? キクチ重工はこんなものを作っていたのか……。くそっ、こいつはただの『データ』なんかじゃない」


 ハッターはキーボードを叩きながら、信じられないものを見たとでも言いたげにディーンを一瞥いちべつした。


 そして彼は深いため息を吐きながらチェアの背もたれに全体重を掛けながら腰掛ける。


「これは『人格構造データ』だ。人間の記憶、感情、思考パターン……、5世代型汎用人工知能によく似ているがこいつには意志がある。つまり『魂』そのものをデジタル化したものだ。これは……子供か?」


『PROJECT_ALICE‐SUBJECT:001』


 画面にその文字が表示された瞬間、コンソールから甲高い警告音が鳴り響きだす。


『警告、不正アクセスを検知。追跡ビーコンを起動。位置情報を送信中です』


「クソッ!!」


 ハッターが叫び慌ててチップを引き抜いた。


「こいつ、アクセスした瞬間に強制的にネットワークに繋ぎやがった! 奴ら、ここの場所を特定したぞ! 奴らの特殊部隊が来るまで恐らく5分もねえ!!」


 ハッターはディーンにチップを押し付けると裏口のロックを解除した。


「おい、ディーン! この裏口からすぐに逃げろ、追手は俺が足止めしてやる。いいか、よく聞け。そのレベルの暗号を解けるのはこの街で彼女しかいねえ。『バイナリ・ワーム』って通り名の狂ったハッカーだけだ。まずはそいつを探せ」


 ディーンは裏口から去る際、ハッターに「すまない、生きていたら今度奢るよ」と冗談めいた言葉を投げる。


 するとハッターは怒りと恐怖で引きつっていた表情を一瞬緩め、ニヒルな笑みを浮かべた。


「ふん……、高い酒を用意して待ってるぞ、ディーン。死ぬなよ!」


 彼はそう吐き捨てると、カウンターの下から古びたアクセスキーを投げ渡してきた。


「彼女のアジトは第13区画、廃ゲーセン『ブルーローズ』だ。このキーがあればセキュリティ・ゲートの第1層は突破できる! 俺の紹介だと言えば話を通してもらえる」


 ディーンが裏口の重い扉を閉めたのとほぼ同時に診療所の正面入口が爆破される音が響く。「突入! クリア! クリア!」という怒号と、ハッターの「うわぁ! 俺は何もしちゃいねぇよ!」という叫び声が雨音の向こうにかき消されていったのだった。


  *


 新都の第13区画、「電気街」の成れの果て。かつては最先端のガジェットが溢れていたこの街も、今は廃棄された看板とショートして火花を散らす電線が垂れ下がるゴーストタウンになっていた。


 ディーンは教えられた廃ゲーセン『ブルーローズ』の前に到着する。雨は上がっているがどんよりとした曇天どんてんは変わらない。


 曲がったシャッターの隙間から、埃を被ったレトロな筐体が墓標のように並んでいるのが見えた。


 ハッターから貰ったアクセスキーを入口の端末にかざすと、シャッターがきしみながら少しだけ開く。シャッターをくぐるとそこは異様な空間が広がっていた。


 無数のケーブルが天井から蜘蛛の巣のように張り巡らされている。床にもイモムシのような太いケーブルが敷き詰められ足の踏み場もなかった。そしてそのすべてが中央の巨大なサーバータワーに繋がっている。


 その時、頭上のスピーカーから気だるげに話す女性の声が響き渡った。


『……お客さん。アポなし訪問はマナー違反だよ。あなた、名前は?』


「フリーで傭兵をやっているディーンていう者だ。ハッターの紹介でやってきた」


 すると突然10個の赤いレーザーポイントがディーンを標的にした。見上げると天井に設置された10台の防衛タレットがディーンを狙っている。


『ふーん、ハッターの紹介キーを使ったみたいだけど、あいつは金になれば誰にでもキーを渡すから信用できないのよねぇ。……さあ、3秒以内にアタシが納得する「手土産」を見せて。さもないとハチの巣にしちゃうわよ』


 彼女の姿は見えないが、どうやらカメラ越しに監視されているようだ。話と違うじゃないかと毒づきながらもチップを掲げて言葉を投げかける。


「あんたがかの有名な『バイナリ・ワーム』なんだろう? この絡み合った葉脈の王国でイモムシで収まる器じゃないはずだ。あんたが興味を持ちそうな物を持ってきた。イモムシの……、いや、青いバラに止まる可憐な蝶のお姫様」


 ディーンはへりくだって大げさにお辞儀をして見せる。


 その芝居がかった態度は、彼女の琴線きんせんに触れたようだ。胸元を執拗しつように狙っていた10個の赤いレーザーポイントがフッと消失した。そして頭上のタレットが駆動音を立てて壁の内側に格納されていく。


『……ふふっ、あなた面白いわね。「蝶のお姫様」か。悪くない呼び名ね、気に入ったわ。アタシはリリィ、皆からはバイナリ・ワームって言われているわ』


 サーバータワーの奥からモーター音が近づいてくる。そこに 現れたのは多脚戦車のようなサイバネティック・チェアに座って水タバコをふかす青白い肌の女性だった。


 彼女は下着姿にオーバーサイズの青いパーカーだけを着用しフードを深く被っている。胸元が大きく開いており下着が見えていた。


 背中にはチューブやケーブルが幾重にも接続され、その見た目は本当に蝶の羽のようにコード類が束ねてあった。目元は巨大なゴーグルで覆われ常に何かしらの情報を表示している。


 彼女はチェアのアームを伸ばし、ディーンの手から素早くチップをかすめ取った。


「ほら、見せてごらんなさい。あなたが命がけで運んできた『お土産』を」


 彼女はチップを自身の首筋にあるポートになんの躊躇もなく直接挿入した。その瞬間、周囲の数十台のゲーム筐体のモニターが一斉に点灯し、緑色のバイナリコードが滝のように流れ始める。


「……嘘でしょ」


 彼女の口元から笑みが消えた。


「これ、キクチ重工の最重要機密『プロジェクト・アリス』のコア……。いえ、ただのデータなんかじゃない。生体人格ドナーよ。まだ生きてる」


 リリィは空中にホログラムキーボードを展開し、猛烈な速度でタイピングを始めた。


「すごいプロテクト……でも、こんな『柔らかい葉っぱ』、私の『牙』なら簡単に喰い破れる。……ふふっ、ほら開いた」


 するとモニターの一つに、「アリス」という名の幼い少女のプロフィール情報と画像ファイルが表示された。


 画像の少女は10歳くらいに見える。黒のロングストレートで白いワンピースを着ていた。


 さらに驚くべきことに、そのファイルの関係者ログにはディーンの名前と認識番号IDも記録されている。


「ねえ、ディーン。この子、あなたを知ってるみたいよ」


 リリィがゴーグルを外し素顔の瞳でディーンを見つめた。


「このチップの最後のプロテクトを解除するには、『鍵』が必要なの。そしてその鍵は、どうやらあなたの失われた記憶の中にあるみたいね」


 彼女は自分の首に刺してあったコードを1本引き抜くと、ディーンへ差し出し話を続けた。


「どうする? この子の精神データとあなたの脳をリンクさせれば、あなたの記憶も戻るかもしれない。でも、もしデータが汚染されていたら、あなたの脳が焼き切れる危険もあるわ」


 彼女の言葉にディーンは大げさに否定のジェスチャーを取る。


「おいおい、俺は脳を焼かれるために来たんじゃねえ。もう少し詳しい説明とか無いのか? 重大な事っていうのは理解できるが、そんなにすぐに決断は下せねえ」


「ふーん、さすがは自称傭兵ね。脳みそを焼かれる前に取説を読みたいってわけか。いいわ、賢い選択よ」


 リリィは肩をすくめると、細い指を空中で滑らせ、メインモニターに解読できた情報をドラッグ&ドロップする。


 無機質なデータストリームの中に、複数の写真と数行のテキスト。そして破損した動画ファイルが浮かび上がった。



【解析データ:PROJECT ALICE】


 被検体名:アリス (Subject 001)

 年齢:10歳相当

 プロジェクト概要:第5世代型汎用人工知能を次世代軍事AIのコアとして利用する実験。

 担当警護員:ディーン (ID: D-8008)



「あなた、ただの泥棒じゃなかったみたいね」


 リリィがそう呟き水タバコをふかし話を続ける。


「記録によると、あなたはこの子の『専属警護』として雇われていた。そして研究施設で何かトラブルが発生して……あなたは彼女を連れて脱走した。それが直近の出来事というわけね」


 そして、リリィは添付されている一つの動画ファイルを再生した。ノイズ混じりの画面に、白いワンピースを着た痩せた少女――「アリス」が映し出される。彼女はカメラに向かって話しかけていた。


『……ねえ、ディーンさん。約束、覚えてる?』


 少女の声がスピーカーから流れた瞬間、ディーンの脳裏に激しい痛みが走り、強烈なフラッシュバックが起こる。


  *


 雨の音。サイレン。ディーンの手を強く握る小さい手。

「私を……海に連れて行ってくれるって。本物の海を、見せてくれるって……」

 ディーンは彼女に誓う。

「ああ、必ず連れて行く。ここから出しやる」

 しかし、突然の爆発音と衝撃でその手は離れ映像は途切れる。


  *


 リリィが心配そうにディーンを覗き込んでくる。


「大丈夫? 顔が真っ青よ。……今の動画で彼女の精神データが反応してる。この子は今もチップの中で、あなたの呼びかけを待ってるわ」


 しかし、感傷に浸る時間はなかった。リリィのコンソールのアラートが赤く点滅し始める。


「マズい……! 追跡プログラムがここを嗅ぎつけた! 物理的な部隊だけじゃない、ネット経由でこの拠点のセキュリティを乗っ取りに来てる! クソッ、奴ら手に入れるのを諦めたみたいだけど、その代わりにハッキングしてデリートしようとしてる」


 モニターの映像が歪み、キクチ重工のロゴマークが表示され明滅し始めた。


「ディーン! もう迷ってる暇はない! 敵のネット攻撃を防ぐには、アタシが全リソースを使って防衛しなきゃならない。でも、そうしたらチップの保護が手薄になる。あなたが脳を直結して、内側から彼女のデータを保護して! じゃないと、彼女はネットワークの海に消されてしまうわよ!」


「ああ、クソ。分かったよ、あんたを信じてるからな」


 ディーンはそう言うと近くの椅子に腰掛け自身の首にコードを繋げた。


「いい度胸よ、ディーン! 向こうで会いましょ!」


 リリィの声が遠ざかり、彼女が敬礼する姿を横目にディーンの意識は光の渦へと吸い込まれた。首のポートから侵入した電気信号が脊髄を駆け上がり、脳の視覚野を焼き尽くすような痛みと白い閃光が弾ける。


 感覚が戻ると辺り一面静寂が広がっていた。気付くとディーンはどこまでも広がる真っ白な空間に立っている。足元には水面のような白い大理石が広がり、そこにデジタルの波紋が広がっていた。


 目の前には、巨大な「鳥籠」があり、その中に体育座りをした「アリス」がいた。彼女の体は時折ノイズが走り、足元から徐々に黒いタールのような削除プログラムに浸食され始めている。


「……ディーンさん?」


 アリスが目の前に立っているディーンに気付き顔を上げる。その瞳には涙が溜まっていた。


「来て……くれたの? でも、もう遅いかも。黒いのが、私を消そうとしてる」


 ディーンはその大きな鳥籠を見上げた。周囲を赤黒いセキュリティロックの鎖が幾重にも巻き付いている。


 その鎖には「アクセス拒否」という文字が明滅しており、これが彼女を拘束すると同時に外部からの消去攻撃に対して無防備にさせている原因のようだ。


 この鎖を破壊し彼女を助けられるのは、正規の「鍵」を持つ者――つまりその「鍵」を持っているのはディーンの失われた記憶の中だけだ。


 しかし、現実世界のリリィの防衛も限界が近づいていた。空間全体が赤く明滅し始める。


『警告:強制排除プロセス開始まで、あと30秒』


 アリスが悲しげに微笑んだ。


「私のことは置いて逃げて。そうしないと、あなたの心まで壊れちゃう」


「ダメだ、こんな所にレディを1人残して俺だけ逃げるわけにはいかないだろう?」


 ディーンはそう言ったものの何も解決策を思いつかなかった。ふと、ポケットに入っているものを思い出す。


「約束……、海……、まさか!?」


 ディーンはそう言うとあるものを上着のポケットから取り出す。それは白く滑らかな貝殻だった。それはデジタル空間の中で唯一、温かみのある光を放ち始める。


 アリスは涙で潤んだ瞳で貝殻とディーンの顔を交互に見る。


「あ、それは……」


 ディーンは檻の格子から離れるように彼女にいうと、その貝殻を鳥籠を縛る赤黒い鎖に押し当てた。その瞬間、貝殻から眩い青白い光が溢れ出し、鎖が光る粒になって消えていく。


『警告:マスターキー認証。セキュリティ・ロック……強制解除』


 鳥籠の扉が開きアリスが飛び出してきてすぐディーンの胸に飛び込んできた。デジタルの存在であるはずの彼女の温もりが、ディーンの魂に直接伝わってくる。


「ありがとう……!」


 彼女を抱きしめた瞬間、ディーンの脳裏に残っていた全ての霧が晴れ記憶が完全に蘇った。研究所での日々、彼女の笑顔、脱走の計画。そして追手による襲撃――。


 しかし、感動の再会も束の間、空間全体が激しく振動し天井が崩れ落ち始める

。轟音に混じって現実世界からのリリィの叫び声が響いた。


『ディーン、まだ生きてる! ? もう持たないわ、防壁が破られる! 6時の方向に出口がある、早く戻って!!』


 ひび割れた地面の隙間から黒いタール状の削除プログラムが溢れだし、津波のように押し寄せてくる。アリスが不安そうにディーンを見上げた。


「どうしよう、出口が……塞がっちゃう!」


 ディーンが後ろを振り替えると真っ白のドアが開き光が漏れている。しかし地面の亀裂のせいで沈みかけていた。


 今すぐこの崩壊する精神世界から脱出しなければ、ディーンもアリスも永遠にデジタルの海で藻屑になってしまう。


 ディーンはアリスをお嬢様だっこすると出口に向かって駆け出した。またリリィの声が響く。


『ディーン、聞こえる? その扉を潜った瞬間現実世界に戻ってこれるわ。でも、あなたの脳にアリスとの精神融合が強制的に行われるはずだから、激痛を伴う可能性が高いわ。最悪の場合に備えて』


 ディーンは不安に見上げるアリスを横目にさらに走るスピードを上げた。


「大丈夫だ。俺はそのくらいで壊れたりしねえよ。丈夫なことだけが取り柄だからな。捕まってろ!」


「……うん!」


 その時だった、足元が崩れ出口共々奈落の底に落ちていく。アリスがディーンをさらに強く抱き締めた。ディーンもアリスを抱きしめ返す。


「アリス、離すなよ!! うおおおお!!」


 タールの海に浮かんだ光を放つ出口の扉にディーンはアリスと共に飛び込んだ。

 

 世界がホワイトアウトし、物理的な重さではなく膨大な「情報量」が質量となってディーンの脳髄に雪崩れ込んでくる。


 アリスの記憶、恐怖、希望、そして「キクチ重工」の機密データ……、すべてがディーンのニューロンと焼き付きながら融合していった。


「ぐあああああっ!!」


 ディーンの叫び声は、デジタルと現実世界の両方で同時に響き渡った。脊髄が焼けるような熱さと、頭蓋骨がきしむような圧力がディーンを襲う。


 しかし、ディーンはなんとか意識を保ち、意識の暗い水面を一気に浮上した。


「――はっ!!」


 ディーンは現実世界の廃ゲーセンの店内で目を覚ました。鼻と耳からツーと血が流れ落ち、首の後ろのポートからは焦げ臭い煙が上がっている。視界は真っ赤に染まっているが不思議とクリアだった。


「ディーン、大丈夫!?」


 リリィがディーンの肩を叩きながら叫んだ。彼女も体力を消耗しており表情から疲労が伺えた。周囲の筐体からは火花が散っている。


その時、ディーンの頭の中にアリスの声が響いた。


『ディーンさん、右! 壁の向こうから3人来る!』


 ディーンの左目のサイバーアイに、通常のスキャン機能を超えた透視レベルの戦術情報が表示された。


 コンクリートの壁の向こうにいる敵兵士の心拍数、装備、そして予想進行ルートまでもが、赤いシルエットとして浮かび上がっている。


 アリスは今ディーンの脳と共生し、高性能な軍事AI並みの処理能力を得ている状態になっていた。


 ものすごい轟音と共に正面のシャッターが爆破され、スモークに紛れ重武装のスイーパーが突入して来る。


「ターゲット確認! ハッカーと傭兵だ! 抵抗するなら即時抹殺せよ!」


 敵は5人。ライフルを構え統率の取れた動きで展開していく。ディーンは筐体の陰に隠れ敵から奪っていたマシンガンを構える。


「リリィ、お前は逃げろ! ここは俺が何とかする!」


 ディーンはリリイに先に逃げるように叫ぶと、彼女は唇を噛み締め頷くとサーバーの裏にある緊急脱出ハッチへ手を掛ける。


「死んだら許さないから!」


 その声が遠ざかるのと同時に、ディーンの視界は変貌した。世界から色が消え、モノクロのスローモーションになる。


『モード:シンクロ。戦闘行動予測、開始』


 アリスの冷徹かつ透き通った声が脳内に響く。その声は子供の声に似つかわしくない冷たく落ち着いた声だった。


 彼らの銃口から伸びる射線が、鮮やかな赤いレーザーラインとしてディーンの視界に可視化される。ディーンは、その赤い線を避けながら次から次に体を筐体の陰へ滑り込ませ、反撃を繰り返す。


 彼らにとってそれは一瞬の出来事だった。


 ディーンは踊るように体を回転させ、最初の兵士のライフル弾を紙一重でかわすと、その懐に飛び込みサブマシンガンを放つ。


 装甲の隙間、首元のわずかな露出部へ正確に3発。兵士が崩れ落ちる前にディーンは次の標的へ視線が向いていた。


『10時の方向。グレネード投擲予備動作を確認。右腕への射撃を推奨』


 アリスの指示通り、サイト越しに銃を腕に発砲。ピンを抜いた兵士の手首が弾け飛び、グレネードが敵集団の足元に転がる。


「な、なんだこいつは!? 速す――」


 グレネードが兵士たちの足元で爆発する。


 爆風を背に、ディーンは爆炎の中から飛び出し、残る二人の眉間を空中で撃ち抜いた。着地と同時に硝煙と静寂が訪れる。5人の精鋭部隊は、一度もディーンに触れることなく全滅した。


「はぁ……、はぁ……」


 戦闘が終了した瞬間、強制的にシンクロが解除された。脳に激痛が走りディーンは膝をつく。視界が歪み鼻から大量の血が溢れ出した。精神的肉体的にディーンは限界を迎えようとしている。


『ディーンさん、起きて! まだ増援が来る!』


 脳内でアリスが叫んでいる。そこへ、廃ゲーセンに猛スピードで突っ込んできた一台の改造バンがディーンの目の前で急停車した。スライドドアが開き、リリィが身を乗り出し手を差しのべる。


「ディーン、乗って! あなた、バカみたいに強いじゃない!」


 ディーンは朦朧もうろうとする意識の中でリリィの手を掴むと車内へ転がり込んだ。バンはタイヤを軋ませネオン輝く新都の夜へと走り出す。


 車内で荒い息を整えていると脳内のアリスが囁いた。


『ありがとう、ディーンさん』


「ああ、アリスもありがとな」


 ディーンは窓の外に流れていく景色を眺めながら、密かに決意を胸にしていた。


  *


 新都から数10キロ離れた旧湾岸道路の果て。鉛色に濁った海に、分厚い雲の切れ間から差し込むカーテンのような陽光が水面を輝かせている。


 エンジンの熱を帯びたバイクの傍らで、ディーンは潮風を受けながらアリスに話しかける。


「悪いな、アリス。俺の目を通してしか海を見せることが出来なくて、すまねえ」


 ディーンの左目のサイバーアイが、波の動きや風速を無機質なデータとして表示しているが、アリスにはしっかりと伝わっていた。彼女の鈴を転がしたような優しく温かい声が響く。


『謝らないで、ディーンさん』


 ディーンの視界にアリスのホログラムがARで表示された。アリスはディーンの右腕に抱き付き一緒に海を見つめる。


 腕に搭載されたフィードバック機能により、アリスが腕を掴む感覚やぬくもりを感じることができた。


『そんなことない、私には見えるよ。波の煌めきも、雲の隙間から差し込む太陽の光も。そしてあなたの感覚神経を通して潮の匂いも、寒さも、全部感じてる』


 アリスはそう言いながらホログラムの体で目一杯空に向かって手を伸ばす


『これが「生きている」ってことなんだね。……最高に素敵!』


 アリスはディーンに満面の笑みを浮かべた。物理的な体はなくとも、二人の感覚は完全にリンクしている。ディーンが感じる自由は、そのまま彼女の自由でもある。


 悲しみも、そして喜びも……。


 ディーンはヘルメットを被りバイクのハンドルを握る。キクチ重工の追手は、いずれ2人のいる場所まで嗅ぎつけてくるはずだ。


 しかし、今のディーンには「最高のパートナー」がいる。守るものができた「傭兵」は誰よりも強い。


 エンジン音が轟き、タイヤがアスファルトの上を走り抜ける。


 終わりのない逃避行か、あるいは新たな伝説の始まりか。


 新しい二人の背中を鉛色の海だけが見送っていた。

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