第7話 庇護の始まり
判決から数日。
わたしは王城の一角に用意された居室に滞在していた。
窓辺には新しいカーテン。机の上には未使用の帳簿。
かつて冷たい石の屋敷で暮らした日々とは違い、この部屋には柔らかな光と温もりが満ちていた。
けれど――心はまだ落ち着かない。
全てが終わったのだと何度も言い聞かせても、夜には過去の声が蘇る。
「お前は無能だ」「誰も愛さない」――アーネストとメリアの言葉が耳に残っていた。
そんな夜。扉を叩く音がした。
「失礼する」
低く、しかし穏やかな声。王太子殿下――エドワードだった。
「殿下……」
わたしは立ち上がり、深く礼をする。
「堅苦しい挨拶は要らない。ここは、あなたの部屋だ」
そう言って、彼は微笑む。
心臓が高鳴った。
王城に来てから、幾度となく彼の姿を見てきた。
けれど、こうして二人きりになると、不思議な緊張が全身を包んだ。
「どうだ、この部屋は。暮らしに不便はないか?」
「はい。むしろ……過分なお心遣いをいただき、恐れ入ります」
「恐れることはない。あなたは、王家に守られるに値する人だ」
殿下の言葉は真っ直ぐで、逃げ場がない。
視線を落とし、帳簿に手を添えた。
「わたくしは……これから、どうすれば良いのでしょう」
「どうするかは、あなたが決めればいい」
「わたしが……?」
「公爵夫人という立場を失った。だが、それは自由を得たということだ。帳簿を続けるのもよし、新しい仕事を始めるのもよし」
殿下は窓辺に歩み寄り、外を見た。
秋の空気が冷たく、夜空には星が瞬いている。
「あなたがどの道を選んでも、私は支える」
その声は低く、確かな響きを持っていた。
胸の奥が熱くなる。
今まで、誰もそんなことを言ってくれなかった。
必要とされることはあっても、支えるとまで言ってくれる人はいなかった。
「……殿下は、なぜそこまでしてくださるのですか」
彼は振り返り、真っ直ぐに目を見た。
「あなたが、誠実だからだ」
短い答え。
けれど、その言葉は何よりも重かった。
不意に、涙が込み上げてきた。
必死に堪えようとしたが、目尻から一筋、頬を伝って落ちた。
「す、すみません……」
「謝ることはない」
殿下はそっと手を差し出した。
その手は温かく、強さを秘めていた。
「涙は弱さではない。誠実に生きた証だ」
わたしは、その手を取った。
温もりが掌から広がり、心の奥の冷たさを溶かしていく。
静かな時間が流れた。
外では夜風が木々を揺らし、遠くで鐘が鳴る。
王城の一室で、ただ二人、向き合っていた。
「明日からは、王城の図書院を案内しよう」
「図書院……?」
「古い記録が眠る場所だ。あなたのように記録を大切にする者には、きっと価値がある」
その提案に、胸が高鳴った。
帳簿を書き続けてきたわたしにとって、記録こそが力だった。
王城の図書院――そこでなら、きっと新しい未来が見つけられるかもしれない。
「……ぜひ、行きたいです」
「うん。なら決まりだ」
殿下は小さく微笑んだ。
その笑みは、冷徹な法廷で見せたものとは違う。
ひとりの人間としての、柔らかな笑顔だった。
胸が、また熱くなる。
わたしはそっと頷いた。
――こうして、王城での新しい日々が始まった。
ざまぁの終わりではなく、未来への扉。
そして、王太子殿下との距離は、確かに少しだけ縮まったのだ。