第5話 王太子の庇護
審理の熱は冷めない。
アーネストが廷吏に押さえつけられ、義妹メリアが泣き崩れる。傍聴席では罵声と怒号が飛び交い、王宮の大広間はまるで市場のような騒めきに包まれていた。
その騒音を切り裂くように、王太子殿下が立ち上がる。
「静粛に」
低い一言に、広間全体がぴたりと凍った。
王太子エドワード殿下。彼の存在は、沈黙すら命令できる力を帯びていた。
「本件、まだ最終判決には至っていない。しかし――」
殿下は一度わたしを見た。
その目は、冷たくも優しい、深い湖の色をしていた。
「この場で宣言する。エリス・グレイ夫人を、王家の庇護下に置く」
ざわめきが走った。
「お、おお……!」
「庇護下に……? つまり、王家が直接守るということか!」
廷吏たちでさえ小さく目を見開いた。
「待て! 殿下!」
アーネストが声を荒げる。拘束されながらも必死に叫ぶ。
「彼女は裏切り者だ! 不貞を働き――」
「虚偽の証言は、すでに否定された」
殿下の声は冷徹だった。
「領軍を飢えさせ、義妹に贅を尽くす。そんな者の言葉に、これ以上の価値はない」
アーネストの顔から血の気が引いた。
傍聴席から拍手が沸き起こる。
「よく言った!」
「夫人を守れ!」
「公爵家より、王家の方がよほど誠実だ!」
声はやがてひとつの大きな波となり、広間を揺さぶった。
わたしは、心臓を強く打たれるのを感じた。
――庇護。それはつまり、二度と孤独にされないという約束。
けれど、それを受け入れてしまっていいのだろうか。
エドワード殿下がゆっくりと近づいてきた。
目の前に立ち、低く囁く。
「あなたは、もう一人で戦う必要はない」
その言葉は甘美だった。だが同時に重い。
庇護を受ければ、わたしの戦いはわたしだけのものではなくなる。
王家を巻き込むことになる。
「……恐れながら、殿下」
わたしは膝を折り、深く頭を下げた。
「わたくしは、まだ“自らの手”で決着をつけたいのです。記録を残し、真実を突きつける。そのうえで――もし殿下がなお庇護をとおっしゃるのなら」
エドワード殿下は小さく笑んだ。
「なるほど。あなたは強い」
わずかに差し出された手が、わたしの肩に置かれる。
「だが、強い者が弱ってしまったときのためにこそ、庇護はある。忘れないでくれ」
その瞬間、傍聴席から歓声が再び沸き起こった。
「殿下万歳!」
「夫人に光を!」
「ざまぁだ、アーネスト!」
廷吏たちが拘束されたアーネストを引き立て、義妹メリアも取り押さえられる。
彼女は泣き叫び、殿下を罵った。
「どうして姉ばかり! わたしは殿下に選ばれるはずだったのに!」
「選ばれる価値は、誠実で決まる」
殿下は冷たく告げる。
「誠実を欠いた者に、未来はない」
その言葉は、彼女の最後の抵抗をも砕いた。
――わたしは、静かに目を閉じた。
歓声の渦の中で、帳簿を抱きしめる。
この記録こそ、わたしの武器であり、守りであり、生きてきた証だから。
だが同時に、胸の奥で別の感情が芽生えていた。
エドワード殿下の言葉が、まだ温度を残している。
あの人の庇護を受けてもいいのではないか――そんな甘い囁きが、心のどこかで繰り返されていた。
審理は続く。
次は判決。
すべてが決まる時が、迫っていた。