第4話 暴かれた帳簿
審理は、熱を帯びていた。
義妹メリアの証言が崩れた今、傍聴席の視線は一斉にアーネストへ向けられている。彼は椅子に腰を沈め、額に浮かんだ汗をぬぐおうともしなかった。
「続けて――夫人側からの証拠提示を許可する」
司法卿の声が響く。
「ありがとうございます」
わたしは帳簿を抱えて立ち上がった。
重ねてきた日々の記録。家政簿は、わたしがこの家で“生きた証”だ。
――いよいよ、これを開く時。
羊皮紙の束を広げ、廷吏に差し出す。
「こちらは、公爵家の家政簿。食費、使用人の給与、領地の税収と支出。そのすべてが時系列で記されています」
廷吏が受け取り、司法卿に渡した。傍聴席からどよめきが起こる。
「ふん……そんなもの、夫人が好きに書けるだろう」
アーネストが吐き捨てる。
「ええ。確かにわたくしが書きました。ですが――署名も印影も、すべて出納官と会計官の立ち合いのもとで」
わたしは一呼吸置いて、言葉を強くする。
「つまり、改ざんは不可能です」
司法卿がうなずき、数人の廷吏が証拠品を確認し始める。
「――ここに、奇妙な支出がある」
廷吏の一人が声を上げた。
「“領軍補給費”の名目で、大金が支出されている。だが同時期に、実際の軍には物資が届いていないという報告書が……」
会場がざわめいた。
わたしは静かに頷く。
「その通りです。わたくしは数度、兵糧の不足を耳にしました。しかし帳簿上では多額の補給費が計上されている。――行方は不明」
「し、知らん!」アーネストが立ち上がる。
「兵站官が勝手に……!」
「勝手に?」
王太子殿下の声が響いた。
低く、しかし広間全体を震わせるような力を帯びている。
「領軍補給費の支出には、公爵自らの承認印が必要だ。これはお前の印影だな?」
廷吏が拡大写しを掲げる。
そこには、確かにアーネストの紋章印が押されていた。だが――
「違う! 偽造だ!」
「偽造ではない」司法卿が淡々と告げる。
「印影の細部、摩耗の形まで一致している。これは、貴様自身が押した印に他ならぬ」
ざわめきが一層大きくなった。
――ここで、畳みかける。
「さらに」
わたしは次の帳簿を開いた。
「この“支出”と同じ日付で、“義妹の部屋飾り”に莫大な金が回っているのです」
「なっ……!」
「本来、領軍の補給に使われるべき資金。それが、義妹の装飾品や贅沢品に消えている。
この帳簿を見れば一目瞭然。領地の兵たちが飢えていた理由は、すべて――あなたの横領」
傍聴席から、怒号が飛んだ。
「なんということだ!」
「兵を飢えさせて、女に飾り物を!」
「恥を知れ!」
アーネストの顔は蒼白を通り越して土色になっていた。
「ち、違う! これは――」
「沈黙せよ」司法卿が厳しく制す。
「これ以上の虚偽は、国法への挑戦と見做す」
その言葉に、アーネストは口をつぐむしかなかった。
わたしは深く息を吸い、帳簿を胸に抱いた。
手が震えていた。だが、それは恐怖ではない。
長い間、閉ざされていた真実が、いま光の下にさらされたのだ。
「……証拠は出揃ったな」
司法卿が槌を鳴らす。
「公爵アーネスト・グレイには、公金横領と虚偽の証言強要の嫌疑がかけられる。正式な判決は後日とするが、当面の拘束を命ずる」
廷吏たちが動き、アーネストを取り囲む。
彼は暴れようとしたが、鉄の手が肩を押さえつけ、椅子に沈めた。
――会場が沸いた。
「ざまぁ見ろ!」
「因果応報だ!」
「兵を飢えさせた罪、軽くはないぞ!」
群衆の声は熱狂となり、やがて一つのうねりに変わった。
わたしは静かに目を閉じた。
歓声は心に響く。だが、それ以上に胸を満たしたのは、ようやく“真実が記録された”という安堵だった。
その時、王太子殿下が立ち上がった。
彼の眼差しは、まっすぐにこちらへ向けられていた。
「エリス・グレイ夫人」
「……はい」
「よくぞここまで耐えた。証拠を整え、記録を守り抜いた。その誠実は、王家にとっても宝だ」
殿下の言葉に、会場が再びざわめく。
わたしの胸の奥で、何かが静かに揺れた。
――これは、まだ序章にすぎない。
本当の判決はこれから。
だが、勝利の扉は確かに開かれたのだ。