第19話 断罪の日
王都に朝の鐘が響いた。
その音は、王宮の石壁を伝い、広場に集まった民衆の胸を震わせていた。
「今日、判決が下る」
「宰相が……本当に断罪されるのか」
「王国が変わる日になるかもしれない」
誰もが囁き、期待と不安が渦を巻く。
広場には農夫も兵士も商人も、身分を問わず群れ集まっていた。
民衆の瞳はみな、王宮の大扉を見据えている。
その内側――大広間。
石柱の間に整然と並ぶ席に、貴族たちと軍の将官たちが沈黙していた。
壇上には王、司法卿、王太子エドワード殿下。そして証人席にわたしが座っている。
鎖に繋がれた宰相ダリウスが、護衛に囲まれて入ってきた。
彼は痩せ、顔色も蒼白に見えた。
だが、その唇にはまだ余裕の笑みが残っている。
「……さて」
王の重い声が響く。
「最終審理を始める。宰相ダリウス。最後の弁を許す」
宰相はゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、なお傲慢さが宿っていた。
「陛下、諸卿、そして民よ。私はこの国を三十年支えてきた。
もし私が罪人だというなら、今日までの繁栄は何によって成されたのか。
私を断罪すれば、王国は混乱に沈むぞ」
その声はよく通り、広間に緊張を走らせた。
人々は思わずざわつく。
「確かに宰相は長年仕えてきた……」
「だが……罪は……」
殿下が立ち上がった。
「民よ、惑わされるな!」
その声は鋭く、大広間を切り裂いた。
「繁栄を築いたのは、働いた農夫、戦った兵、支え合った市井の人々だ。宰相ではない! その汗を奪い取ったのが、この男だ!」
歓声が広がる。
人々の瞳が再び鋭さを取り戻す。
わたしは帳簿を胸に抱き、深く息を吸った。
今こそ、最後の証を突きつける時だ。
「陛下。これをご覧ください」
机の上に置いたのは、昨夜礼拝堂で見つけた補助簿――慈善会の別簿。
煤にまみれた頁を開き、王の前へ差し出した。
「“寄付金受領”と記されていますが、日付は存在しない工房の印で書かれています。
これは明らかな捏造です。そして、その筆跡は宰相府の書記官と一致します」
司法卿が拡大鏡で確認し、頷いた。
「確かに、一致している」
宰相は顔を歪めた。
「それがどうした! 下僚が勝手に……」
「勝手に? では、なぜ王妃の鍵が必要な金庫に、その帳簿が入っていたのですか」
わたしは声を張った。
「下僚が触れられる場所ではない。――宰相、あなた自身が管理していたからです!」
広間が大きく揺れた。
「確かに……そうだ……」
「宰相の手引きがなければ無理だ……!」
王が重く息を吐いた。
「ダリウス。もはや言い逃れはならぬ」
だが、宰相は最後の足掻きを見せた。
鎖を鳴らし、叫ぶ。
「王よ! 私はあなたの右腕だ! 私を失えば、国は崩れる! 殿下は未熟、民は愚か! この国を導けるのは私だけだ!」
その叫びに、広間が静まり返った。
人々は王の言葉を待っていた。
やがて、王が口を開く。
「……ダリウス。確かにお前は国を支えてきた。だが、それは己の欲を満たすためでもあった」
王の瞳は冷たく光っていた。
「腐った柱は、もはや支えとはならぬ。――判決を下す」
司法卿が立ち上がり、槌を鳴らす。
「宰相ダリウス。三代にわたる横領、記録改ざん、虚偽の文書作成、民への背信。
その罪を認め――宰相位剥奪、財産没収、一族の爵位も剥奪。本人は辺境の鉱山にて、終身労役を命ずる!」
大広間が爆発した。
「やった……!」
「ざまぁみろ!」
「正義が勝った!」
民の歓声が石壁を震わせ、窓の外の広場にまで響き渡った。
宰相の顔から血の気が引き、鎖のまま崩れ落ちる。
「ば……馬鹿な……私は……王の右腕……」
「過去形です」
殿下の冷たい声が彼を切り捨てた。
「お前はもはや、ただの罪人だ」
護衛が宰相を引き立てる。
その姿はみじめで、かつての威光の欠片もなかった。
群衆の罵声と嘲笑が、最後の鎖の音とともに遠ざかっていく。
――ざまぁ。
これ以上なく鮮やかな断罪だった。
わたしは深く息を吐き、帳簿を抱きしめた。
指先にはまだ煤の感触が残っている。
けれど、それは恐怖ではなく誇りに変わっていた。
「エリス」
殿下が静かに声をかけてきた。
「君がいなければ、この裁きは成し得なかった」
「……わたしは、記録を残しただけです」
「その記録こそ、この国を救った」
殿下の瞳が、真っ直ぐにわたしを射抜いていた。
その奥にあるのは、信頼と――まだ言葉にならない感情。
王がゆっくりと告げる。
「エリス。そなたの誠実さ、勇気、そして記録への執念は、王家にとって宝である。
これよりそなたを“王国記録官”に任じる。――国の真実を、後世へ残せ」
広間が再び歓声に包まれた。
「記録官だ!」
「彼女こそ真実の守り手だ!」
胸が熱くなった。
孤独に帳簿を書き続けたあの日々が、ここへ繋がっていたのだ。
殿下が小さく笑んだ。
「君はもう一人じゃない。共に未来を記していこう」
わたしは頷いた。
涙が頬を伝っても、それは悔しさではなく、確かな希望の証だった。
――こうして、宰相の断罪は果たされ、王国に新たな時代の扉が開いた。
けれど、それは終わりではなく始まり。
記録の力を信じるわたしと、未来を見据える殿下の物語は、ここから続いていく。