第15話 王の前で
重厚な扉が開くと、空気が一変した。
王宮最大の謁見の間――王の座が置かれたその場に、全ての視線が集まる。
高い玉座に座すのは、王国の象徴たる人物。
国王レオポルド陛下。
長い銀髪を後ろに流し、威厳に満ちた眼差しを我々へと向けていた。
「……さて」
低く響く声。
「宰相に対する訴えを聞き届けた。だが、我が宰相は長年にわたり国政を支えてきた忠臣である。――その忠臣を裁こうというのか?」
広間がざわめく。
人々は恐れと期待の入り交じる眼差しを交わした。
殿下が一歩前へ進み、膝をつく。
「父上。宰相は確かに功績ある人物です。ですが、証拠が示す通り、不正を働いたのもまた事実」
ダリウス宰相は堂々と胸を張った。
「陛下。殿下は若さゆえに熱に浮かされております。
この女に惑わされ、ありもしない陰謀をでっち上げて……」
「陰謀ではありません!」
わたしは声を張った。
広間に響いた自分の声に、一瞬だけ緊張で震えた。
けれど、殿下の視線が背中を支えてくれる。
「五年前の王都建設費。その副本が証明しています。資金は宰相府に流れ込み、兵糧不足の原因となったのです!」
廷吏が副本を掲げ、王の前に差し出す。
王はじっと頁を見つめ、静かに息を吐いた。
「確かに……記されている。だが、それがダリウス自身の命令であった証はあるのか?」
宰相がすかさず言葉を重ねる。
「ご覧ください陛下。帳簿に名が記されているだけでございます。下僚が勝手にしたことを、私に押し付けているのです」
広間がざわめいた。
「やはり宰相は潔白なのでは……」
「いや、副本がある以上……」
空気が揺れ、どちらに転ぶか分からない緊張が走る。
殿下が立ち上がり、鋭く言い放った。
「父上。宰相の言葉に惑わされてはなりません。五年前から繰り返されてきた横領と改ざん。兵たちが飢え、領民が苦しんだのは事実です!」
「証人を」
司法卿が声を上げる。
「当時、宰相府で資金の流れを管理していた会計官を呼べ!」
扉が開き、一人の老人が連れてこられた。
震える手で杖をつきながらも、目は真っ直ぐだった。
「……確かに見ました。あの日、宰相自ら命じて資金を移すのを」
広間が揺れた。
人々のどよめきが波のように広がる。
「嘘だ!」
宰相が怒声を上げる。
「貴様ごとき下僚の言葉で、私を裁けるものか!」
だが老人は首を振った。
「恐れて黙ってきました。ですが……勇気を与えてくれたのは、エリス夫人です。
彼女が帳簿を守ったから、わたしも真実を語る決意を持てた」
視線が一斉にわたしへ注がれる。
胸が熱くなり、震える唇から言葉が漏れた。
「……ありがとうございます」
王は深く目を閉じ、やがて重く告げた。
「証言と副本。確かに重い。だが、宰相はこの国の柱。――柱を失えば、王国は揺らぐぞ」
その言葉に、人々は再び揺れた。
支持と不安が入り交じり、裁判は混沌とした空気に包まれていく。
殿下が王へと歩み寄り、真剣な声で告げた。
「父上。柱が腐っているなら、いずれ国全体が崩れます。
今ここで裁かなければ、民の信頼を失うのです」
王の瞳がわずかに揺れた。
宰相の目は鋭く、なお余裕を残している。
「殿下の言葉は勇ましい。しかし陛下、この女に国を任せられますか? 記録しか取り柄のない、孤独な女に」
その言葉に、胸が痛んだ。
過去の傷を抉るような嘲り。
けれど、わたしは負けない。
「孤独だったからこそ、記録を信じてきました」
静かに、しかし広間に響く声で告げる。
「誰も信じてくれなくても、数字と記録は裏切りません。
――だからこそ、真実を残せるのです」
広間が静まり返った。
その沈黙を切り裂くように、殿下が言葉を重ねる。
「父上。私はこの女を信じます。彼女の誠実さこそ、この国を導く力です」
玉座の上で、王は長く目を閉じた。
そして静かに告げる。
「……よかろう。審理を続ける。宰相の罪、さらに明らかにせよ」
歓声が沸き上がった。
宰相の顔から余裕がわずかに崩れる。
――ついに、王も審理を認めた。
最後の壁を越えたのだ。