第12話 宰相の微笑
王宮・謁見の間。
高い天井、荘厳な赤い絨毯の先に立つのは、王国宰相――ダリウス卿だった。
彼は恰幅の良い身体を金糸の衣で包み、ゆったりとした微笑みを浮かべていた。
その笑顔は、冷たい刃よりも鋭く人の心を削る。
「王太子殿下。随分とお騒がせになっておりますな」
「騒ぎではない」殿下はきっぱりと返す。
「これは国家を揺るがす“不正”の問題だ」
ダリウス卿は肩をすくめ、わたしに視線を向けてきた。
「そして……その騒ぎを大きくしているのは、そこの夫人か」
視線を受けた瞬間、背筋に冷たいものが走った。
まるで全てを見透かすかのような瞳。
「元公爵夫人エリス。あなたの勤勉さは評判です。ですがね――記録とは所詮、人が書いたもの。都合のいい紙切れにすぎない」
静かな広間に、嘲笑が響いた。
「……記録を侮辱なさるのですね」
わたしは帳簿を抱き、声を震わせずに返した。
「記録こそが真実を残す唯一の手段です。言葉は消えても、数字は残る」
「数字は、容易に操作できる」
宰相は薄く笑う。
「昨日、あなたが読んだ裁判記録も、今日には別の文言になっているかもしれぬ」
――やはり、この人。
記録の改ざんに関与しているのは、間違いない。
殿下が一歩前へ出る。
「ダリウス卿。五年前の“王都建設費”の帳簿。そこに流れた資金の行方、弁明できるか」
「もちろん」
宰相は落ち着き払った声で答える。
「建設計画は中止となり、資金は別の用途に回された。ただ、それだけのこと」
「ならば、その“別の用途”の記録を示していただきたい」
わたしが口を挟むと、宰相の目がわずかに細くなった。
「……小娘が。法廷ごっこをして楽しいか」
ぞくりと背中が震えた。
圧力で押し潰されそうになる。だが、ここで退いてはいけない。
「これはごっこではありません。
わたしは“事実”を知りたいのです。領軍が飢え、民が苦しむ一方で消えた資金。その行方を」
宰相の笑みが消えた。
その瞬間、広間の空気が一変した。
「……面白い」
彼はゆっくりと手を叩いた。
「ならば、法廷で決着をつけよう。あなたがそこまで言うなら、次の審理で白黒をつければいい」
「望むところだ」殿下が応じる。
宰相の目が、わたしを鋭く射抜いた。
「ただし覚えておけ。真実を追う者は、しばしば真実に呑み込まれる。――生きていられるといいな、夫人」
脅し。
だが、それに怯えてしまえば全てが終わる。
わたしは深く息を吸い、静かに告げた。
「必ず、真実を記録に残します。それが、わたしの誓いです」
宰相の口元がわずかに歪んだ。
まるで獲物を面白がる獣のように。
――審理は再び始まる。
今度は、王国最高権力者との戦いだ。