第11話 裏切りの鎖
王城の一室。
捕らえられた警備隊長は、口を割る前に毒で命を絶った。
その死は、むしろ“黒幕の存在”を強く示すものだった。
殿下は険しい表情で机に手を置き、言葉を絞り出した。
「これで確定だ。アーネストたちは駒にすぎない。裏で糸を引く“主”がいる」
空気は張り詰めていた。
護衛の騎士たちも、言葉を飲み込んでいる。
わたしは震える手で帳簿を撫でた。
――記録は語る。必ず真実を残している。
「殿下。調べさせてください。きっと記録のどこかに、黒幕の名が刻まれているはずです」
「危険だぞ」
「承知しています。でも……わたしにしかできません」
殿下はしばらく黙っていた。
やがて、静かに頷いた。
「分かった。だが必ず護衛をつける」
◇ ◇ ◇
王立図書院に戻ったわたしは、殿下と共に古い記録を読み漁った。
改ざんされた頁、消された文言、数値の辻褄が合わない収支。
「見てください、殿下」
わたしは一冊の帳簿を差し出した。
「五年前、アーネストの父の裁判記録です。判決は“無罪”。しかし――」
殿下が目を細める。
「確かにおかしい。兵糧支出の数字が急に丸められている」
「さらに、同じ時期に別の帳簿があります。“王都建設費”という項目に、同額の資金が流れています」
「建設費……?」
「はい。ですが、実際には建設工事の記録は残っていません。資金だけが動き、実態は空白のまま」
殿下の顔が険しさを増す。
「つまり、公金が“王都建設費”の名で抜かれ、別の者の手に渡った」
わたしは頷いた。
「この“空白”こそが、黒幕の痕跡です」
その時、殿下の側近が慌てて駆け込んできた。
「殿下! 報告がございます。五年前、“王都建設費”の責任者に任じられていたのは――宰相閣下です!」
広間が凍りついた。
「宰相……!」
殿下が低く呟いた。
「やはり、あの男か」
宰相――王国の政務を束ねる最高権力者。
王の信任厚く、誰も逆らえぬ存在。
その名がここで浮かび上がるとは。
「殿下……宰相が黒幕……?」
「断定はまだ早い。しかし証拠は揃いつつある」
わたしは帳簿を強く抱きしめた。
宰相が関わっているなら、わたしの戦いはただの“離婚審理”などではなくなる。
――国家そのものを揺るがす戦いへ。
「エリス」殿下がわたしに近づく。
その瞳は鋭さの奥に、迷いと決意を同時に宿していた。
「君は勇敢だ。だが、この先は命を賭けることになる」
「……覚悟はできています」
「なぜそこまで」
「わたしは記録で戦うと決めたから。
もし記録が改ざんされ、真実が消されるのを見過ごすなら――わたしが生きてきた意味がなくなります」
殿下の瞳が深く揺れた。
次の瞬間、彼の手がわたしの肩に触れる。
「ならば、共に戦おう。君一人にはしない」
胸が熱くなる。
法廷で、帳簿を盾に孤独に立っていたあの日とは違う。
今は殿下がいる。共に歩む誰かがいる。
その時、殿下が耳元で低く囁いた。
「……エリス。君の誠実さは、この国を変える力になる」
鼓動が早まった。
冷たい帳簿の重みと、殿下の温かな声。
その対比が、胸を強く打った。
だが同時に、心に影が差す。
――宰相を敵に回すことは、すなわち王国全体を敵に回すこと。
もし負ければ、わたしも、殿下も、ただでは済まない。
それでも。
「必ず、暴いてみせます。黒幕を」
わたしの声は震えていなかった。
殿下は微かに笑んだ。
「よし。君の覚悟、受け取った」
鐘が鳴った。
その音は、陰謀の鎖が確かに解かれ始めていることを告げていた。