【幕間】何がいいんだろうな?
※誤解を招くような場面がありますが、BL要素はありません。当人たちに恋愛的な意図は一切ありません。(ただのノクスの受難です)
側近になってから半年ほど経った頃。
アイゼルとノクスは、執務室で黙々と仕事をこなしていた。
ふと、アイゼルが書類を見つめたまま難しい顔をする。
「どうしました?そんな悩むような案件ありましたっけ」
普段はほとんど表情を変えず、淡々と処理している彼にしては珍しい。
ノクスが問いかけると、アイゼルは小さく首を振った。
「いや、この件は問題ない。ただ、気になっていることがあってな」
「気になること?」
「……ちょっと来い」
不思議に思いつつ、ノクスは席を立って近寄る。
そばに立つと、無言でじっと見つめられ、妙に居心地が悪かった。
「……何ですか」
問いかけた瞬間、アイゼルはノクスの胸ぐらをつかんで引き寄せる。
抵抗する間もなく頬に唇が触れ、ノクスは一瞬固まった。
しかしすぐに正気を取り戻すと、咄嗟に後ずさる。
「っ!!!??!?!?!?な、なな、何しやがる!?」
敬語も吹き飛び、動揺を露わにして怒鳴る。
しかし対するアイゼルは涼しい顔で首を傾げた。
「いや。この間、侍女たちがやたらとキスの話で盛り上がっていたのだが……何がそんなに楽しいのか理解できなくてな」
「……で?」
恐る恐る問い返すノクスに、アイゼルはため息混じりに答えた。
「経験したらわかるかと思ったが、全くわからなかった。何がそんなにいいんだ?」
「聞くな!そして俺で試すな!あんたとしたがる女なんか山ほどいるだろ!?」
地位も美貌も、才能すらも兼ね備えたアイゼルなら、拒否する女性などほとんどいないはずだ。
だがその言葉に、アイゼルは眉をひそめる。
「は?女にしたら責任を取る羽目になる。そんなのはごめんだ」
「誰があんたに責任問えるんだよ……」
何を馬鹿なことを……と言わんばかりの言葉に、ノクスは頭を抱えた。
この男に責任を問える女なんて存在しない。
むしろ一回でも「選んでもらえた」と喜ぶ方が普通だろうに。
「グダグダうるさい奴だな。口にしなかっただけマシだと思え」
「当たり前だ!」
ノクスの叫びと同時に、扉の方から何かが割れる音が響く。
二人が視線を向けると、侍女がカップを落とし慌てて床を片付けていた。
「も、も、申し訳ございません!」
「おい、怪我するぞ。素手で触るな」
アイゼルが指を鳴らすと破片が宙に浮き、トレーの上へ戻る。
空のカップだったらしく、床は濡れていなかった。
「ありがとうございます。その……お茶をお持ちしたのですが、お返事がなかったので……」
「ああ、すまない」
「……ちょっと待て。あんた、いつから見てた……?」
平然と対応するアイゼルと違い、ノクスは青ざめて問いかける。
すると侍女は軽く目を逸らし、顔を赤らめた。
「あの、私、誰にも言いませんので!カップを取り替えてまいります!」
「待て待て待て!誤解だからな!?」
慌てて執務室を飛び出していく侍女に、必死で弁解するノクス。
だが、もう姿は見えない。
アイゼルはというと、何事もなかったように書類へ視線を戻していた。
あまりの温度差に、ノクスは項垂れながら呟く。
「絶対誤解されただろ……最悪だ……」
動揺の末にカップを落としたのだとすれば、やり取りの半分も聞いていなかったのだろう。
目で見たものの衝撃が強すぎて——
完全に、誤解していた。
「そんなに気にすることではないだろう」
「気にしねぇ方がおかしいと思いますよ。……一応聞きますが、あんたにそういう趣味はないですよね?」
「馬鹿にしているのか?」
くだらないことを聞くなという態度に、ため息すら出ない。
突っ込む気も失せた。
実際、アイゼルにそちらの趣味はない。
ただ、親しく接する人間がいなかったせいで距離感がバグっているのだろう。
ノクスからすればいい迷惑でしかない。
それにしても、この自分勝手な態度。
僅かな苛立ちとともに、思わず口が動いていた。
「……俺様クソ皇太子」
直後、「しまった」と振り返る。
かなり小声だったが、僅かに目を瞬かせるアイゼルの様子に――聞こえていたと悟る。
「えっと、今のは……」
流石に不敬がすぎる。
まずいと思った矢先、アイゼルは楽しげに目を細めて言った。
「ほう?貴様は私をそのように思っていたのだな」
「……」
即座に否定すべきなのに、言葉が出ない。
完全に肯定と受け取られただろう。
動揺を滲ませるノクスを眺めながら、アイゼルは続けた。
「なかなか面白いな。では、貴様の前ではそれを一人称にしてみるか」
「……は?」
何を言っているのかわからない。
だが、その反応すら楽しんでいることに、ノクスはまだ気づいていなかった。
「"俺様”……悪くない響きだな。公で使わなければ問題あるまい」
「いや……どんな発想だよ……」
思わず素で突っ込むノクスをよそに、アイゼルは口元をわずかに緩めて告げる。
「さて、証明してみせろ。俺様の側近にふさわしい働きをな」
「いや、マジで採用すんのか……本当に……?」
余計なことを言った後悔と呆れが入り交じる。
だが、こうなったアイゼルを止められないことは、もう悟っていた。
アイゼルが「俺様」という一人称を使うようになったキッカケでした。




