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新たなる姓

アルナゼル王国から来た少年を側近にすると宣言したあと、アイゼルは彼を連れて執務室へ戻った。

部屋の中央にあるソファに腰を下ろすと、扉の近くに立ったままの少年に言う。


「いつまでそこにいる。こっちに来い」

「……は、はい」


言われるまま歩み寄り、ソファから少し離れた場所で立ち止まった。

どこかぎこちないのは、まだ混乱しているせいだろう。

アイゼルは足を組み、氷のように澄んだ瞳で彼を見上げた。


「改めて名乗ろう。私はアイゼル・ネイヴェル・グレイシャ。この国の皇太子だ。……貴様の名は?」


問いかけに、少年は息を呑む。

しばらく逡巡した末、かすかな声で答えた。


「ノクス……と、申します」


その返事に、アイゼルは眉をひそめる。


「確か、王弟の子息だと聞いている。ならば姓もあるはずだ」


平民なら姓を持たない者も多い。だが、貴族であれば必ず姓が定められている。

ましてや王族に姓がないなどありえない。

それでも、ノクスは黙したままだった。


皇太子に名を告げぬのは不敬だと理解している。

だが——どうしても、あの名を口にしたくなかった。


あの国の王族だと。あの王弟の息子だと。認めたくはない。

たとえこの場で裁かれようとも。


かすかに震える手元に気づいたアイゼルは、思案げに口元へ指を当てる。

そして視線を戻すと、ふっと口の端を上げた。


「ならば、帝国にふさわしい名を与える。今日から貴様は『ノクス・グラシエル』と名乗れ」

「……は?」


思わず間の抜けた声がこぼれる。

不敬を責められるどころか、新しい姓を与えるなど予想外だった。


「私の側近として公務を担う以上、名乗る場面も署名の機会も多い。その時に姓がなくては格に欠けるからな」

「……そんな理由、ですか……?」


困惑するノクスに、アイゼルは平然と「返事はどうした」と促す。

ノクスは短く息を吐き、片膝をついて頭を垂れた。


「——その名を、お受けします」


“グラシエル”。帝国において氷河を意味する言葉だ。

象徴ともいえる名を背負う重みを感じながらも、不思議と胸が軽い。


……もう、あの名を口にしなくていい。

その事実が、思いのほか大きな安堵をもたらしていた。


ノクスの答えに、アイゼルは満足げに頷く。


「では、ひとつ聞きたいことがある。正直に答えろ」


有無を言わせぬ威圧感に、ノクスは反射的に首を縦に振った。


「貴様の目には……一体何が“見えて”いる?」


肩が震える。気づかれたことなど、一度もなかった。

背中に冷たい汗が伝う。


「……どういう意味でしょうか」

「私を見る目が、他の連中と違っていた」


淡々とした声が続く。


「私の容姿に見惚れる者など珍しくない。だが貴様が目を逸らせなかったのは、それだけではあるまい」


当たり前のように自分の美貌を認める言葉に、心のどこかで引っかかりを覚える。

だが今は気にしている場合ではなかった。


この力を快く受け入れてくれた者もいたが、誰もがそうとは限らない。

むしろ気味悪がられ、嘘つきと決めつけられる可能性の方が高い。


ノクスは逡巡した。

しかし、この男には誤魔化しは通じない——短時間でそう悟っていた。


覚悟を決め、息を整える。

そしてアイゼルの瞳を真っ直ぐに見返した。


「……魔力が、見えています」

「魔力だと?」


疑問で返されたが、声に嘲りはない。純粋な確認の響きだった。

その態度に少しだけ安堵し、ノクスは続ける。


「はい。人や魔物、動物の周りに——魔力の色や量、質が見えます」


前例はなく、色が何を意味するのか正確にはわからない。

ただ一人ひとり違うこと、属性と関わっていることは経験で知っていた。

澄んだ色ほど質が良いということも。


「……あんたの魔力は鋭くて、澄みきっていて、量も桁違いに多い。……だから、目を逸らせませんでした」


正直に告げると、アイゼルの目がわずかに見開かれた。

聞いたことのない話ではある。だが嘘をついているようにも見えない。


「面白い能力だ。予想以上だな」


不敵に微笑むアイゼルを、ノクスは呆然と見上げる。


「だが、口外は控えろ。特異な力は余計な騒ぎを呼ぶ。……私以外に知る者はいるのか?」


アイゼルの問いかけに、ノクスは少し考える。

一人だけ、いる。この目のことを知る者が。

だがそれを教えた場合、彼に何か影響が及ばないだろうか。

懸念がないわけではないが、アイゼル相手には正直に話しておいた方がいいような気がした。


「……アルナゼル王国の、第三王子の従者だけです」


共に仕えていた頃に知られたこと。

彼が言いふらすような人間でないことも、強調して伝える。

実際、その従者——シュゼルは、誰にも言わなかった。

アリウスやセレーナにすら明かしていないのなら、確実だろう。


アイゼルは「ならば問題ない」とだけ言い、それ以上は追及しなかった。


「検証したいことは多いが……それはまた後だ。部屋に案内してやる。今日は休め」

「……え?」


てっきり仕事を言い渡されると思っていたノクスは目を瞬かせる。

そんな彼に、アイゼルは立ち上がり扉へ向かいながら言った。


「国に来たばかりで疲れているだろう。ただし、明日からは死ぬ気で働いてもらう」


その言葉が本気だと直感し、思わず顔が引きつる。

だが同時に、わずかな気遣いを感じ取った。


今日のところは、言葉通り休もう。

そして明日に備えるのだ。


そう決めて、ノクスは深く息をついた。



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