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己の無力と届かぬ手【前編】

成人して以降、アイゼルが受ける皇太子教育は大きく様変わりしていた。


それまでの政治学や軍略、実務的な訓練とは違い、

『皇族にのみ継承される"特別な知識”』を学ぶ時間が増えたのだった。

その講義を行うのは、必ず皇帝本人。

他の誰にも任せられない、皇家の核心とも言える内容だからだ。


そのため、講義の間はノクスでさえ部屋には入れない。

いつも扉の外で待機し、終わるまで"門番”として静かに控えていた。


だが——その日は違った。


講義の時刻をとうに過ぎても、皇帝が現れなかった。


アイゼルは手元の資料を閉じ、わずかに眉を寄せる。

あの皇帝が、時間を誤ることはない。

もし公務で遅れる場合は、必ず侍従が伝えに来ていた。

成人してからの一年間、それは一度として破られたことがなかった。


だからこそ、この沈黙が不自然に重く響いていた。


何も告げられずに時間が過ぎていくなど——

皇帝としても、父としても、あり得ないことだ。


部屋の外に控えるノクスも気になったのか、扉の向こうからそっと声をかけてきた。


「……陛下、まだ来ませんね」


返事はしなかった。

代わりにアイゼルは静かに立ち上がる。

胸奥をひっかくような予感が、気味が悪いほど疼いていたからだ。


静かに扉を開け、前を向いたまま、ノクスに短く告げる。


「——何かあったのかもしれん。行くぞ」


今の時間なら、執務室にいるはずだ。

普段は静謐なはずの廊下が、その日だけは妙に冷たく感じられた。






ーーーーーーーーーーーーーーー






執務室の扉を開けると、室内は静まり返っていた。


いつもなら、机に向かう姿が見える。

だが、そこには誰の気配もない。


アイゼルはもう一度部屋を見回し、扉を閉めた。

廊下を戻り、皇帝が立ち寄りそうな部屋を順に確かめていく。

小会議室、書庫、皇族専用の控え室——どこにも彼の姿はない。


途中、廊下で見かけた使用人にも声をかけた。


「陛下を見なかったか?」

「いえ……本日はお見かけしておりません」


その答えが、妙に遠く聞こえた。

胸の奥で、言葉にできないざわつきが膨らんでいく。


(何かがおかしい)


時計の針だけが、無意味に時間を刻んでいるような感覚。

足を進めるたびに、嫌な予感が濃くなる。


ふと、廊下の分岐点で足が止まった。


曲がり角の先——

「決して近づくな」と言い聞かされていた部屋がある。

皇帝自らそう命じた場所。

城の中でただ一つ、理由も告げられなかった区画。


知らず、息が詰まる。


しばらくその場に立ち尽くしていた。

時間だけが静かに、無情に流れていく。


その沈黙を破ったのは、背後からのひと声だった。


「……殿下?」


ノクスの呼びかけに、はっと意識が戻る。

アイゼルは答えず、ただ一歩——

禁じられた先へと足を踏み出した。






ーーーーーーーーーーーーーーー






廊下の最奥へ辿り着くと、そこだけ空気が沈んでいるのを感じた。

長年遠ざけられてきた扉——重々しい鉄の装飾が施されたその扉は、僅かに開いていた。


内側から、低い軋みとともに音が漏れてくる。


何か硬いものが叩きつけられる、乾いた衝撃音。

続いて、耳に覚えのある声が響いた。


「命令を果たせぬなら、存在する価値はない」


——父上の声だ。


怒鳴り声ではない。

感情すら捨てたような、氷の底に沈んだ声音。

瞬間、背筋に冷たいものが走った。


「任務の失敗は、死と同義だ」


その一言に、身体の奥で何かが反射的に動く。

気づけば、扉に手をかけていた。


本能が止めた。

だが理性が勝った。

息子としてではなく——皇太子として、確かめるべきだと。


深く吸い、細く吐く。

乱れそうになる呼吸を押し込め、表情を整える。


そして、静かに扉を押し開いた。


平然を装い、皇家の後継としての足取りで。

どれほど胸がざわめいていても、それを外に漏らすことだけは許さなかった。


部屋に立ち入った瞬間、空気が変わった。

王城のどの部屋とも違う、冷たく閉ざされた空気。


まず目に映ったのは、皇帝である父の姿。

続いてその周囲を囲む、黒いローブの男たち。

王宮の侍従とも護衛とも違う。

顔の半分を覆い、儀礼とは無縁の“沈黙”だけを纏った者たちが、まるで影のように父を取り巻いていた。


その足元に——

一人の少女が、膝をついていた。


見た目だけで言えば、十を少し過ぎた程度。

幼さの残る細い肩は震えてもいない。

ただ、項垂れるように俯き、静かにそこに置かれていた。


(こんな、子ども相手に何を……)


自分の中で浮かんだ言葉を、アイゼルは即座に押し潰した。

感情は不要だ。

必要なのは、状況の把握と判断だけ。


一歩踏み出し、出来る限り平坦な声で口を開く。


「……何をなさっているのですか、父上」


穏やかでも、責めでもない。

皇太子としての問いかけ。


その裏で、胸の奥だけが静かにざわついた。



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