生まれ変わりお嬢様 ~私、伯爵令嬢に仕える侍女にございます~
私はアンネ。
伯爵家のご長女、サフィラお嬢様につかえている。
サフィラお嬢様はお美しく、聡明で、万能な方だ。
穂波を思わせる見事な金の髪。
空の蒼を落とし込んだ瞳は、興味深いことがあればきらめく宝石。
白魚の手と、薄紅貝のような可愛らしい爪。
王都の高名な画家でもお嬢様の美しさを写しとるのは困難を極めるだろう。
そしてお嬢様は、豊穣の女神のような見た目を裏切らぬ、お優しい心と発想力の持ち主であり、華奢な体からは思いもよらない運動能力の持ち主でもあられる。
私は、お嬢様にお仕えしていることを誇りに思っている。
ある春の朝、お嬢様はすでにベッドに半身を起こされていた。勤勉なお嬢様の朝がお早いことは、決して珍しいことではない。
しかし、最近嗜まれていた読書をするでもなく、以前のように鍛錬をしておられるわけでもないのは珍しい。
お嬢様はぼんやりと天井を見つめていたかと思えば、うつむいて口をおさえた。何言かをつぶやいているようだが、私には聞こえない距離だ。
お嬢様、と声を掛けるとこちらを向かれた。ひどく慌てている様子だ。
「お、おはよう」
「おはようございます、サフィラお嬢様」
「サフィラ? あっ、はい! サフィラです!」
「ええ、サフィラお嬢様。……夢見が悪くていらしたのですか?」
「いえ、いや、おかまいなくぅ……」
身支度を手伝おうとすれば抵抗されるなど一騒ぎあったものの、お嬢様は朝食を召し上がられるころには落ち着いてくださった。
数日経つころには、すっかり以前のようなお嬢様に戻っていた。私を含めた使用人たちは安心した。万能のお嬢様に気を遣われるのは、こちらが緊張してしまう。
お優しいお嬢様は珍しい菓子などを手作りし、私たち使用人にも分け与えてくださった。
ご家族と会話を楽しまれ、読書や鍛錬も再開された。
やはり、お嬢様は努力家で素晴らしい方でいらっしゃる。
教師にあれこれと質問し、自ら書架に立ち入って歴史書を紐解く姿には使用人としても人間としても頭が下がるばかりだ。
「私はもう学園ニ年生になる春休み……じゃあ、二学期までにあのイベントが……フラグどうなってんのよ!」
書架で頭をかきむしっている令嬢らしからぬ姿を拝見したときは、そっと見なかったふりをした。
ある日、お嬢様に二人きりで話したいことがある、と呼び出された。
わざわざ厚手のカーテンを閉めて、鍵をかけるよう私に命じ、人の気配がないことを自分でも確認される。鬼気迫った表情で私に向きなおったお嬢様は、重々しく口を開いた。
「――私、実は生まれ変わっていたの」
随分前から準備していただろう言葉に、私も用意していた言葉を返す。
「さようでございますか」
返答に不意をつかれたらしいお嬢様は、目を丸くしていた。
「お嬢様が生まれ変わられたのであれば、私もお嬢様に対して生まれ変わった気持ちで仕えたく存じます。今まで以上に、お役立てくださいませ」
深々とお辞儀をする。
さすがに、不敬だっただろうか。でも、私の本当の気持ちだ。
「アンネは、サフィラ様の侍女にございます。お許しいただけるのであれば、お嬢様にどこまでも、いつまでも着いていきたく存じます」
「アンネ……」
お嬢様の声は、震えていた。
しばらく経ってから顔を上げるようにと言われる。目を腫らしたサフィラお嬢様が、私に近づいた。
「ありがとう、アンネ。とても、とても嬉しい」
言い切る前に、お嬢様の碧眼から滴がこぼれ落ちていく。カーテンの隙間から入った日が、バラ色の頬を照らしていた。
やはり、お嬢様は美しい。
お嬢様が次に話すころには、私から差し出したレースのハンカチはすっかり濡れてしまっていた。しかし、お嬢様は開け放ったカーテンの傍で明るく微笑んでいる。
私には、それがとても嬉しかった。
「じゃあアンネ! 今から言うものを準備してほしいの!」
「仰せのままに」
頭を下げながら、私は微笑んだ。
◇◇◇
私は許しを得てお嬢様の部屋を退室し、自分の部屋に戻った。
やっと肩の力を抜くことができる。ベッドに腰掛けて、考えを巡らせた。
お嬢様に頼まれたものの準備は、そんなに時間がかからないだろう。
だから逆に、時間をかける必要がある。あまりに手際が良すぎては、お嬢様に怪しまれてしまう。
せっかく信頼を勝ち得て、大事な秘密を打ち明けていただいたのだ。それを台無しにしないようにしたい。
まったく、今度は何が起こると言うのだろう。
――百年に一度の厄災のドラゴンも
――起これば国を揺るがしただろう大飢饉も
――封印されていた大悪魔も
――隣国との戦争の火種も、それを企んだ悪臣たちも
みんなみんな、昨年のうちに貴女が解決してしまったというのに。
何度も、私のような、つまらない平民の人生を繰り返してもこんなことは起きはしないだろう。
最初こそ学園にご入学されたばかりのお嬢様に突然「生まれ変わった」と言われて驚いていた。そして人が変わったお嬢様を中心に国を揺るがす大事件が勃発し、お嬢様ご自身がさしたる被害を出さず鮮やかに解決される。
しかも、事が終わった後にはご自分の手柄を吹聴されぬばかりか、何も変わらぬ淑女の日常にすんなりと戻られる。
二度、三度と「生まれ変わったお嬢様」の事件が立て続けに起こり、あっという間に一年が経った。
五度目の今となっては、私や私以外の使用人はもちろん、ご家族も数ヶ月に一度の「生まれ変わったお嬢様期」がすっかり楽しみになっている。
さしあたっての問題は、王子を含め身分の高い殿方がお嬢様に夢中なことだ。お嬢様が動くと知ったら、我先にと味方に名乗りあげるだろう。そんなことになっては、ここまで見守っていた努力が台無しだ。
さっそく旦那様にはこっそりと伝えて、根回しをしていただかないと。
おそらく、今回も素っ頓狂な、今まで前例のない、どんな結果になるのか予想がつかない、道中は何をやらされているのか人生に疑問を抱くような出来事だろう。
忙しく楽しい毎日への期待に、私はこっそり微笑んだ。