002 役者の矜持
テレビ局を出た秀一が、タクシー乗り場に向かっていた。
その時だった。
「あの……俳優の五味秀一さん、ですよね」
背後から女の声がした。
役者は誰もが主人公や英雄、そういうものに憧れる。だが、あんなものは誰でも出来る。それに演じていても面白くない。
演じるなら薄汚れた憎まれ役。物語のスパイスであり毒。主役より高いレベルの演技が求められるし、何より楽しい。そう思う彼は一貫して、悪役を演じ続けてきた。
おかげで自分にファンなんていない。収録で話した通り、「二度とテレビで見たくない」そう言われることの方が多かった。そしてそのことを彼自身、誇りに思ってきた。
そんな俺に女が声をかけて来た。
何の用だ?
大垣敏明にクレームでもつけに来たのか?
そう思いながら振り返り、秀一は衝撃を受けた。
無垢。
その言葉以外に浮かばない、そんな女が自分を見つめていた。
歳は20代前半、自分と同じぐらいだろうか。その視線は熱く、憧れに満ちていた。
「ええ、確かに五味秀一ですが……どういったご用件でしょうか」
「突然お声掛けしてごめんなさい。私、その……五味さんのファンでして……」
おいおい嘘だろ。こんな無垢で美しい女が、俺のファンだと?
なんだ、これも局のやつらの差し金なのか?
「あの、これってひょっとして、ドッキリの企画とかですか?」
「え? あ、いえ……ふふっ、違います。私はただの一般人です」
彼女の微笑みに動揺した。そして思った。
――なんてこった。こんなところで、最高の出会いがあるなんて。
「実は僕、仕事終わりでして……これから飲みに行こうと思ってたんです。よければご一緒しませんか? 話はそこでゆっくり」
秀一の誘いに女は頬を染め、小さくうなずいた。
「嬉しいです……是非、ご一緒させてください」
「……」
目を開けると、見知らぬ天井が見えた。
いつの間にか眠っていたようだった。それもいつもとは違う、怪しい眠りだった。
「目覚めたかい?」
声に反応し、体を起こそうとした。しかし動くことが出来なかった。
「ああすまない。不便だと思うけど、辛抱してもらえるかな」
部屋の電気がつく。
そこに立っていたのは五味秀一。そして女は……ベッドに拘束されていた。
「……どういうことですか」
状況を把握しようとする女を見つめながら、秀一が手に持つバタフライナイフを器用に回転させる。
「飲みながら話していたこと、覚えてる?」
「ええ」
「僕の役者としてのストイックな姿勢に憧れてる、そう言ったよね」
「……確かに言いました」
「そんな僕のお手伝い、出来るものならしてみたいって」
「……それとこの状況、どう結びつくんですか」
「これから君に、その手伝いを頼みたいんだ。役者、五味秀一の」
「……」
「僕の次の仕事。女性ばかりを狙った連続暴行殺人事件の犯人役なんだ。まさに鬼畜、僕にぴったりの役柄だと思わないかい?
テレビの収録でも話したんだけど、僕はね、経験に勝るものはないと思ってる。役者である以上、与えられた役に応じて経験を積むべきなんだ。馬鹿な親父には、それが分からないんだけどね」
嫌悪に満ちた表情でそう吐き捨てる。
「だからあいつのは、そこそこいい演技止まりなんだ。リアリティの欠片もない、ただの三文芝居だ」
「それで? この状況の説明は」
「だから言ったろ? 僕の役はサイコパスの殺人鬼。今からそれを経験したいんだ」
「……私を犯して殺す、そういうことですか」
「いや、逆だ。脚本によると、彼は殺してから犯している」
脚本を見返し、一人うなずく。
「あなた……狂ってる」
「賞賛の言葉として受け取るよ。僕は君という犠牲を踏み台に、最高の役を演じるのだから」
「連続ってことは、私以外にも殺すのですか」
「いいや、君で最後だ」
「……」
「彼が殺すのは5人。君で5人目だ」
「ということは……これまでに4人、殺したんですか」
「そうなるね」
「あなた……やっぱり狂ってる。仮にあなたの哲学を認めたとしても、5人も殺す必要がある? 殺人の経験なら、1人で十分じゃない」
「それは素人の意見だね。いいかい? 1人と5人ではまるで違うんだ。4人を手にかけた上での殺人、それは1人の犠牲では表現出来ない。現に僕は1人目の時と2人目の時で、全く感覚が違っていた。そして4人目の時には、相手に対する憐憫の気持ちもなくなっていた。むしろ快楽が勝っていた。これは4人の犠牲があったからこそ、感じられたものなんだ。
そして君で5人目……楽しみだよ。君の役は田舎から出て来たばかりの、世間知らずな無垢な少女。正にイメージ通りだ。どんな感覚になるのか、今から楽しみだよ」
そう言って、再びバタフライナイフを回転させる。
「僕の準備は出来ている。役になりきっているし、思考もサイコパスそのものだ。だけど……どうして君はそんなに平然としているんだい? 今から自分がされること、理解してる?」
秀一の言葉に、女は薄ら笑いを浮かべた。
「何をしたところで助からない。ならどうして、あなたの願う反応をしなくちゃいけないのよ」
「これから自分がどうなるのか、まだ理解してないようだね。でも……そうか、リアリティを感じてないのか。なら見せてあげよう。君の運命を」
そう言って、秀一がドレッサーの扉を開けた。
「……!」
中にはホルマリン漬けの瓶に納められた、4人の女の生首が並べられていた。
「君ももうすぐ、この仲間になるんだ」
秀一が唇を歪める。
「少しは恐怖したかい? まだ僕が望む反応には程遠いけど……まあでも仕方ないか。君は役者じゃない、素人だからね。
脚本によるとこのナイフで、君の喉を真一文字に切り裂くとある。それから傷口にキスをして、溢れる血を口に含んで……なるほど、狂気の笑みか……そしてまだ絶命に至らない君を眺めながら衣服を剥がし、抑えきれない欲望を突き立てる。君は死の恐怖と苦痛、そして犯される屈辱の中で絶命するそうだ。分かったかい? くれぐれも、すぐに死なないようにしてくれよ」
「地獄に堕ちろ……この、サイコパス!」
「ははははっ! そうだ! 僕はサイコパスだ! いいぞその反応、もっと僕を憎め! 屈辱に満ちた視線を注ぎ込め!」
その時だった。
奥の部屋で窓ガラスの割れる音がした。
「……なんだ?」
秀一が手を止め扉に視線を移す。その瞬間、扉が荒々しく開けられた。
「なっ……」
数人の男が部屋になだれ込み、あっと言う間に秀一は取り押さえられた。
「な、なんだお前ら! 離せ、離せ!」
拘束を解かれた女が秀一の前に立ち、脚本を手に溜息をつく。
「……こんな時まで台詞通りだなんて……あなた、本当に狂ってるわね」
「お前……何者だ」
「連続失踪事件の担当刑事。五味秀一、我々はあなたをずっとマークしてました」
「刑事だと……ふざけるな! それは6人目のシーンだろ!」
「……そのプロ根性、ここまでくるとすごいのかもね。全く共感出来ないけど。
五味秀一。あなたには4人の誘拐、暴行殺人、死体損壊。そして私に対する誘拐監禁、殺人未遂の容疑があります。これだけの罪、司法でどう裁かれるのか。今から覚悟しておいた方がいいわよ」
「ふざけるな! 逮捕されたら撮影に行けないじゃないか! 犠牲が無駄になるじゃないか!」
「……これ以上あなたと話していると、こっちまでおかしくなりそうだわ。連行して」
「待て! 話はまだ終わってないぞ! 監督を呼んでくれ! 今なら最高の演技が出来る、そう伝えてくれ!
……そうだ保釈、保釈金を用意させろ! そうすれば撮影に行ける! おい聞いてるか、この役を演じさせろ! 彼女たちの犠牲を無駄にするな!」
連行されながら、秀一は叫び続けた。
女刑事は大きな溜息をつき、
「この撮影はもう……クランクアップよ」
そうつぶやいた。
「五味秀一、これから刑の執行を行います」
午前9時。刑務官が扉を開け、秀一にそう告げた。
あれから7年が経っていた。
世間を震撼させた連続婦女監禁暴行殺人事件。被告席に立った秀一に下された判決は、誰もが予想した通りのものだった。
死刑が確定して1年。
早すぎるその時に、秀一は狼狽した。
「ままま、待ってくれ! 待ってくれ! 俺にはまだやることが」
冷たい汗で上着が背中にへばり付いていた。見る見るうちに唇が色を失い、口の中が乾き呂律がまわらなくなってきた。
刑務官が中に入り、秀一を両側から抱えて立たせる。恐怖で腰が抜けている秀一は、自分の脚で立つことも出来なかった。
そんな彼を引きずるように、刑務官が執行室へと連行していく。冷たい汗が髪を伝い、止めどなく落ちていく。
刑が確定してから。毎日この瞬間を想像し、恐怖していた。
9時に刑務官の足音がすると、生きた心地がしなかった。別の部屋が開けられ、泣き叫ぶ声に耳を塞いだこともあった。
そして今、ついにその時が来たのだ。
「頼む! 頼むから待ってくれ! 監督だ、監督を呼んでくれ! 今なら最高の、最高の死刑囚の役が出来る! こんな恐怖、記録に残さないなんて世界の損失だ! やらせてくれ! 人生最高の演技をさせてくれ!」
執行室の扉が近付いてくる。
瞳が恐怖で見開く中。
秀一が叫んだ。
「演技を……演技をさせてくれ!」
いでっち51号さんの企画「劇団になろうフェス」自由参加枠でのエントリーです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。