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静原静と佐伯冴の日常

探さないでください。

作者: 藤谷とう




 (さえ)さんへ


 修子(しゅうこ)さんから逃げるため、しばらく姿を消します。

 帰ってこられるかわかりません。あの暴君に鼻を壊されないか、僕は不安で不安でたまりません。これを書いている今も手が震えてます。


 冴さんには大変お世話になりました。

 本当にありがとう。

 今日の夜ご飯は枝豆ご飯がいいです。



 探さないで下さい。

 


                 (しずか)より。





 佐伯冴(さえきさえ)はその書き置きを手に、顔をしかめた。

 額で分けたボブの髪が揺れる。


 彼女が朝一番に事務所に来てみると、部屋は物をひっくり返したように散らかっていて、革張りの一人掛けには置き手紙がおいてあった。


 二人はここを事務所と呼んでいるが、ここはほぼ静原静(しずはらしずか)という男の家だ。

 部屋の中心のあるソファのセットと、やたら重厚な面構えのデスクと椅子と書棚があるくらいで、そもそもここに相談者が来ること自体あまりない。


 冴は仕方なさそうに、静の緑色のソファにある枝豆柄の毛布を畳む。

 枝豆を模した抱き枕も取りあえず整えて彼のねぐらを綺麗にすると、散らかったものを元の位置に戻していった。不思議なことに、静はこうして毎日散らかしているが、ゴミは一つもない。ただ、部屋を歩いて回った痕跡がわかるような散らかり方をしているだけだ。どうやら、何かを探していたらしい。

 いつもはソファで寝ている静を叩き起こして自分でさせるが、冴が散らかった部屋を放っておけなかった。



「よお、静いるかー」



 がちゃっと勢いよく開いたドアから顔を出したのは、真っ黒のサングラスに、短髪を撫でつけた、派手な赤いシャツをスラックスにねじ込んだ男だった。首元の金色のチェーンネックレスが揺れる。


敦賀(つるが)くん」

「あれ、冴だけ?」

「そうなの」

「あいつ散らかして行ったな」


 言いながら、敦賀朗(つるがろう)は足下のファイルを拾った。


「何探してたんだあいつ」

「さあ」

「見つかったからいねーの?」

「さあ」

「なんだそれ」


 慣れた朗は、ファイルを書棚にしまう。場所もあっているので、正直、片づけは静の耳を引っ張ってするよりも、何も言わずに手伝ってくれるチンピラっぽい朗の方が役に立つ。冴は淡々と片づけ終えると、来客用のグレーのソファに座った朗に手紙を見せた。


「……はあ?」


 読み終わった朗が片眉を上げる。

 サングラスをしたままでもわかるが表情も「なんだこれ」そのものだ。


「この芯のないふにゃふにゃした文字は静くんでしょ?」

「だな。なに、お前たち新しい遊びでもしてるん?」

「違うわ。来たらあったの。私のソファに」

「冴の?」


 朗は驚いたように、まじまじと手紙を見つめた。

 冴の聖域であるソファには何人たりとも絶対に触れてはいけないということを知っているからだ。


「……ふうん、中身のないあいつらしい手紙が、なんか重要なメッセージに見えてきたな」


 中身がない。

 朗の静に対する評価に、冴は笑う。

 

 静原静という男は、三十三歳のくせに大学生のような顔をしていて、肌もつるつるしている。髭は生えないらしいし、ふわっふわの猫っ毛の寝癖だらけの髪も、なんだか無造作ヘアっぽく見える、とにかく無害そうで無垢そうな、それでいて面倒な大人だった。一緒にいるようになって長いが、今も昔も、冴は静が九つも年上だとは思えない。この書き置きもしかり。


「敦賀くんはこの手紙どう思う?」


 聞けば、朗はサングラスをぐいっと頭の上に上げて手紙を律儀にもう一度読んでくれた。

 こんな格好をしていても綺麗で澄んだ目だ。

 そして顔が整っている。


「この手紙なあー。これ、修子さんから逃げるって書いてるけど、なに、占いのバイトのこと?」

「うん。たぶん。昨日ね、明日はどこぞの大臣が極秘で占いに来るから静くんがご指名されたの」

「……それ、逃げられたと思う?」

「静くん変なところですばしっこいから……でも、修子さんそれ知ってるから無理だと思う」

「じゃ、これ書いた後に捕まったんだな?」

「たぶんね。で、夕飯の催促してるってことは、夜には帰ってくるのよね」

「だな」

「じゃあ、しばらく姿を消すって……?」

「あいつのなかじゃ数時間なんだろ」

「確かに。でも問題なのはここなの」


 革張りのソファから身を乗り出して、朗のおいた手紙の最後を指さす。



 ――探さないでください。



「あー」


 朗もうんざりしたように唸る。


「これ、探してって言ってるの? わざとらしく行間あけてるけど。どう? 長年の親友としては」

「別に親友じゃない」

「静くん泣くわよ」

「泣かせとけ」


 ふん、と鼻で笑う朗に、冴は置き手紙を手にとってそれを自分の顔に近づけた。

 紙の香りをかいで、それから苦笑する。


「静くんだったら()()()()()()()()で、書いた人の感情がわかるのに」

「冴、たぶん静の感情がわかったら、逆になんもわかんねえぞ」

「言えてる」

「あいつ無邪気だからな、悪い意味で」

「ふふ」

「もう一回見せて。手紙」


 朗がひらっと手を出す。

 その無骨(ぶこつ)な手に手紙を渡そうとして、意図せず手に触れてしまった。


「あ」


 冴が声を漏らす。

 やってしまった。一度目を閉じて、それからゆっくり目を開ければ、朗の隣には小さな男の子が座っていた。五歳くらいの彼は、ぶらぶらと足を揺らしている。

 間違いなく、朗の子供の頃の姿だ。


「……あー、ごめん?」


 朗が謝り、隣を見る。

 もちろん本人には見えていないので、視線はふわっと子供を通り過ぎていた。

 

 静原静が「手書きの文字から本人の感情をにおいとして感じる」という特殊な体質なら、佐伯冴は「触れた相手の子供の頃の姿が現れる」という奇妙な体質があった。朗も知っているし、修子も知っているし、もちろん静も知っているし、事務所の入っているバーのマスターも知っている。


「ううん、こっちこそごめんなさい」


 ぶらぶらと足を揺らす男の子は、綺麗な表情で『静が心配だなー』と呟く。

 聞こえないふりで、冴は取りあえず現実の朗と会話をすることにした。


「静くんが修子さんに捕まってるとして、探しに行かなきゃダメなのかしら」

「いや、これ、探さないでくださいって書いてみたかっただけじゃねえ?」

『静は大丈夫かな……』

「探さないでいいだろ」

『静、いつも誰かのために頑張ってるから、困ってるなら助けてあげたい』

「ほっとけば夕飯までに帰ってくるって。放っとけ」

『ねえ、迎えに行こうよ、冴』


 朗の言っていることと、朗子供バージョンが言っていることが乖離しているが、冴は知っている。子供の言葉が、本人の隠したい本心だ言うことを。


「敦賀くん」

「気にするな」

「いや、それは無理があるわ」


 朗はどう見ても心配なのだ。幼稚園から一緒に育ってきた親友が意味不明な置き手紙を残しているのだから。

 どうでもいいという格好をしていても、そうではない。

 それが冴に筒抜けであることを観念したのか、朗は腕を組んだ。


「静の面倒なところはな……これで探さなかったら拗ねるところだ」

「そうね」

「かと言って探しにいくと、まだ遊びたかったの何だの文句を言う」

「……そうね」

「さらにいうと、ただ探してくださいって書いてみたかったという線もあるだろ。つーか、その線が濃い」

「敦賀くん」

「……めんどくせえから迎え行くか」

「そうしましょう」


 でも、と立ち上がりそうになったのを止めて、冴は朗を見た。


「修子さんの仕事を邪魔して怒らせる方が面倒じゃないかしら」

「言えてる」


 一度真顔になった朗がソファにどっかりと座ると、朗の子供バージョンは消えていた。つまり迎えに行かないことに納得したのだ。





「ひどいよーー!! 冴さんひどーい!!」 


「うわっ」





 事務所にこだまする癇癪に、朗はぎょっとしてキッチンを隠す衝立(ついたて)の向こうを見た。冴も声の方向を見て、訳の分からないどっかの秘境のお面をくっつけた怪しげな衝立を見る。


 そこに、枝豆柄のシャツを着て、衝立をぎゅうっと握ってこちらをブスッと見ている家主兼雇い主がいた。



「……静くんいたの?」

「いましたー。ずーっといましたー」

「逆に何でだよ」

「だって、朗も来たし、二人で楽しそうに片づけてるし?」

「おまえが片づけろや」

「二人で僕を探して修子さんの魔の手から救い出してくれると思ってどきどきしながら待ってたのに」

「お前、そういうところだぞ」

「静くん、子供じゃないんだから」

 

 わあわあと大人げなく騒ぐ枝豆を愛してやまない三十三歳の静を、冴は呆れたように見た。ついでに手紙を見せる。


「これはなんなの?」

「……裏切り者」

「静くん」

「冴さんは僕の冴さんなのに」

「私は私のものです」

「お前うざい絡み方すんなよ、めんどくさい」


 朗が言えば、くっと悔しそうな顔で静は衝立から出てきた。

 自分専用の寝床である緑色のソファに座って、枝豆のクッションを抱く。


「修子さんに諦めてもらうために置いてたんだよ。今日の人、すっごく字が臭そうだから」

「クリーンな政治家じゃねえの」

「いいや、字を見なくてもわかる。修子さんの占いを頼りにくるなんて、クリーンな訳ない。だから置き手紙して隠れたのに……。冴さんが来たからびっくりさせようとしてじっと待ってたら朗まで来るし。なのに、ふたりとも僕を助けに行こうともしなかったよね?」

「静くん、探さないでくださいって書いてあったわよね?」

「だって書いてみたかったんだよ」

「ほらな」


 朗が胡散臭い者を見るような目で静を見る。

 静はそのままずるずるとソファに横になった。


「そんなこと言って~、僕のこと心配してたくせに~」


 うふふ、と笑う。

 冴も朗もつい黙ったが、こんなことを静以外の三十代がしたら心から呆れて軽蔑さえするのに、どうしてか静ならば許せる。こう見えて、この男はそういう素振りをするだけで、中身は意外とシビアで残酷なところがある。誰もがしたくない決断や役割を、割りとあっさり率先してやってのけるのだ。

 静が馬鹿みたいに子供のように振る舞うのは甘えられる相手だけだということを知っているから、許してしまう。少々癪だが、希少生物に懐かれている快感は得難いものらしい。

 けれど、ふと冴は気づいてしまった。


「ねえ、静くん」

「はあい」

「置き手紙してからずっと隠れてたのよね?」

「そうだよ」

「来たの? 修子さん」

「え?」


 へらへら笑った顔のまま、静がフリーズする。

 その時だった。

 

 コンコン。


 事務所のドアがノックされる。

 三人で、その音の方を黙って見た。


 コンコンコンコンコンコンコンコン。


「うわあ、修子さんだあ!!」

「お前……声でけえよ」

「隠れる気が一切無いわね」

「冴さん、助けて」

「いやよ。私修子さんにお世話になってるんだもの」

「ろ、朗」

「嫌だね。修子さんには恩があるし」

「そんなあ」


 冴がさっと黒い手袋をはめる。

 それに気づいた静はびくんと体を起こしたが、朗が静の肩を掴む方が早かった。

 じめじめと泣きそうになる静を、二人して両腕をとって立ち上がらせる。引きずって、ドアの前に立たせた。


「仕方ねえから、時間見計らって助けに行ってやるよ」

「静くん、枝豆ご飯作っておくから」


 二人はなま暖かく見守り、この事務所のビルの最上階で占いをしている美しきボスへと友人を献上する。


 最後の叫び声は「もう二度と書き置きなんか残さない」だった。

 


「おー。残すな残すな。あんな意味不明の手紙なんぞいらんわ」

「確かにね」

「お疲れ、冴」

「敦賀くんも。今日は非番なの?」

「そう。だから買い物つき合うぞ」

「助かるわ。ついでに食べていって。何食べたい?」


 冴と朗が和やかに話す間も「イヤだイヤだ」と駄々をこねる静の声が聞こえていたが、これが日常なので二人は気にもしなかった。

 お互いに労り合う眼差しで、どうしてか世話を焼いてしまう困った男を考えて笑う。



「鍋。鍋食べたい」

「いいわね。そうしましょう」













 




 

お読みいただき、ありがとうございます。

春の推理2024参加の為に書いてみました。

これ、推理か?と悩みながらではありますが書いちゃったので載せます。

勢いで載せます。


くだらない話も好きなので、くだらなかったら嬉しいです!

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[良い点] 会話文でのやりとりが賑やかで、登場人物の仲の良さが伝わってきます!
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