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2人はバディ  作者: ツナグツムグ
3/3

デコとボコ…3

子t

「出るのが遅いわ」

「私からの電話は遅くてもツーコールっでって言っていなかったかしら?」

「引退したからって今までの人間関係を雑にしていいの? そんな人だったなんて悲しいわ」

 通話ボタンを押した瞬間、理不尽に責め立てられジェームスはうんざりしたが、それよりも隣の妻が気になって仕方がない。スマホから漏れる声が聞こえているのかいないのか、アンジュは手酌でシャンパンをグラスに注ぐと一気に飲み干した。視界の端に映る姿に気が気ではない。

「こっちも暇じゃないんでね」

「あら、暇でしょ? 愛しの奥様とバルコニーで冷えたシャンパンでも飲んでいるんじゃないの?」

 どこか確信めいた声に、ジェームスは思わず周囲を見渡した。超小型ドローンの話題をテレビで見たばかりだ。技術革新は喜ばしいことだが、覗きになんて使われたら堪らない。

「うふふ、冗談よ。安心して、カメラなんて仕込んでないから。そもそも住んでいる場所すら知らないし」

 心中穏やかではないジェームスの動揺を見越したように、今一番聞きたくない話をピンポイントで放つ、元雇用主はそんな人物だ。カメラを使うくらい訳のない……ジェームスは用心深く暗闇に瞳を細めてみても風になびく葉音しか聞こえない。こうやって元雇用主に調子を崩されてしまうのが、ジェームスは面白くないのだ。これ以上は構っていられない、そう気持ちを切り替えてスッと息を吸う。

「退職した社員になんの用です? 本当に、本当に迷惑です!!」

「あら、つれないのね。もう少しお話をしてくれても良いじゃない。……実はね、一つ仕事を頼まれてほしいの。小遣い稼ぎに位はなると思うわ」

 消化不良を起こしそうな甘い声に、思わず首を横に振った。こんな声、妻に聞こえたらどうするんだ、そうゾッとするジェームスの隣で、アンジュは2杯目のシャンパンを飲み干している。視線が合った瞬間、やさしい眼差しで愛しい妻が笑う。

『一秒でも早く電話を切らねば!!』

「いやいや、もう引退した人間になに言っているんだって。最近は重労働が腰にくる。他の若い奴らに……」

「ダメなのよ。最近とみに規制が厳しくなった上に、若手は危険な仕事を遣りたがらないし、ほらそうすると質に影響が出ちゃう。請け負う仕事は美しく完璧に行いたいの! 知ってるくせに」

『俺がお前の何を知っているっていうんだ』

 思わず突っ込みを入れたくなるが、余計に話が長くなってしまう。済んでまで出かけたまで言葉をようやく飲み込んだ。この元雇用主とは、数十年来の付き合いだ。ジェームスとは相性が悪く、最終的には無理難題を押し付けられてしまう、先行きに不安が過ぎる。

「いやいやいや、退職してから何回目の依頼だ。何だかんだ言って、都合よく使いやがって。危険な仕事ならなおさら。他の奴を……」

 キッパリと言ってやったと耳からスマホを外しかけた時に「ふぅん」、そんな冷めた声が返ってきた。

「今回の報酬は……」

「え?」

 手ごたえのある反応を感じたのだろう。元雇用主は、ここぞとばかりに「そうよ、大奮発なの」と言い放った。一瞬流れた沈黙の合間に、アンジュがスッと腰を上げて部屋に戻っていく。

「あら? もしかして奥様に愛想尽かされちゃったかしら」

 絶望に身を引き裂かれそうなジェームスに辛辣な言葉を投げて「冗談よ、それで? 受けてくれるんでしょう?」と笑う。喉から手が出そうな程の報酬を切り札に持っていたのだ。ギリリと歯軋りを落として、声を絞り出す。

「……分かった」

 通話を切ってジェームスは、ソファに深く腰を埋める。愛しい妻は明日の朝は送り出してはくれない、今からそれを寂しく思いながら、炭酸が抜けて不味くなったシャンパンを一口で飲み干した。



 超高層ビル屋上の容赦ない強風に少なくなった髪を煽られながら、人類の叡智を詰め込んだセーフティロープに視線を落とす。背中、腰、そして脚の付け根、僅か3本のロープで、宙吊りになって窓の清掃とは何とも心許ない。太った身体に食い込む感触が煩わしく、何故仕事を受けてしまったのか…いや、そもそも何故あの電話を…そう昨日の自分を呪いながらヘリに手をかけて、空中に身を乗り出した。

 今回請け負った仕事は、この巨大ビルの外窓300枚に渡る。北側の窓が課せられたノルマで、これを2日間で終わらせなければならない。

「昔やったことがあるから幾分マシだが……」

 これほどの高さだ。確かに人を選ぶ仕事だろう。しかし定年退職した今、昔ほどの体力もなければ身軽な身体でもない。ノルマをこせるだろうかと不安がよぎる。しかも危険を伴う上に孤独な作業だ。人の姿が見えれば未だモチベーションも保てるというのに、外は勿論のこと、室内もマジックミラー張りで見えない。とはいえ、覗き見の趣味もないので、黙々と左から右へ、上から下へ、そして斜めへとブラシを動かすだけだ。腕の肉が邪魔して作業スピードは然程速くはないが、雨ざらしで水垢と汚染物質が凝り固まった窓もサッと撫でるだけで驚く程に綺麗になる。

「ほぉ、最近の掃除道具は性能がいいんだな…っって! 今時手作業で窓を拭かなければならんのか!? ロボットとかさぁ、あるだろ、今時は!!」

 ひたすらに孤独な作業に没頭していると止めどもなく口から感情が溢れてくる。こんな場所では誰にも迷惑を掛けないのだから、妻と通話をしながら作業がしたい…次があれば絶対に、そんな気持ちを強くした。

『あら喜び勇んでお出掛けになったのはどなた?』

 ふとそんな声が聞こえた気がして、ハッと周囲を見渡した。何なら仕事を投げ出してでも帰りたいのに、帰ったら帰ったで労いなど期待が出来ない状況に気持ちが萎む。

『俺が聞きたいのは妻の声であって、決してこの機械音じゃねぇんだよ』

 先程から視界の端に、否応がなしに映り込む超小型のドローンが煩わしくてこの上ない。こんな究極の場所で、命綱であるロープの周辺を付かず離れず飛び回るもんだから気になって仕方がない。このハイテク機器は、屋上で準備を進める時から監視を続けている。ビルの管理会社から「こんなご時世なので監視してますよ」と当然のようにドローンを放った。

『これも時代かとも思ったが、いやいや目障り過ぎる』

 しかしこいつが優秀で、ビル風に身体が揺さぶられる環境下においても安定した動きには感心してしまう。隠居して田舎で暮らす身からすれば、世の中の動きにはとんと疎くなるのを少し寂しくも感じたのも事実だ。

『凄いねぇ、小説の世界が現実になってるんだからさぁ。おっさんはもう、技術革新に付いていけないよ。というかさぁ、こんなハイテクな装置を導入しているんだったら、それこそお掃除ロボットをだな…』

 そうして数え切れない程のボヤキと溜息を深く深く吐くのだった。

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