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そんな僕には、ずっと秘かに憧れてる女の子がいる。
営業先の受付のコで、挨拶を交わす程度の関係でしかないけど。
基本彼女がいた僕は、別にそのコとどうこう考えてるワケじゃなくて。
いってみれば、芸能人に憧れる感覚と似てるかな。
「こんにちは!
日野測器の山口です。
3時に石原事務長と約束してるんですが、」
「はい、伺っております。
どうぞこちらへ」
胸のネームプレートには、清松の文字。
名前はなんてゆうんだろう?
きっと見かけ通り可愛らしい名前だろうな。
憧れのそのコ、清松さんは……
清楚で可憐で、ものすごく愛らしくて。
別にそこまで美人ってワケじゃないけど。
特別な空気感を持つ、透明感溢れる女性。
そう、例えれば天使のよう。
「あ、山口さん?」
あ、天使に名前呼ばれた。
心を弾ませて、返事をすると。
「あの、コーヒーにしますか?
それとも、特製コーヒーにしますか?」
なんだその金の斧銀の斧みたいな質問は!
物語じゃ欲張っちゃダメだけど……
ここはやっぱり。
「じゃあ、特製コーヒーで」
要は勧めてくれてるんだよね?
それは行っとかなきゃダメでしょ。
すごく気になるし……
すると清松さんは、天使の笑顔でふふっと笑った。
なにその悩殺的な笑顔わ!
ヤバいでしょ、それは……
「実はその特製コーヒー、石原事務長が趣味で焙煎したものなんです。
ぜひ感想を、話題に取り入れてみて下さい。
商談の足がかりになるかと思います」
「え……
ありがとうございますっ」
うわ、その行動までなんて天使!
どっかの誰かさんとは大違いだ。
なんにしても、今日はついてる。
憧れの天使に名前を呼ばれて、笑顔をもらえて、助け船まで出してもらえたんだから。
あとは商談がうまくいけば、文句なしに……
だけど天使はドジっ子だった。
「っ、ああっ!!」
「ぅわ、あっつ!」
まさかの、何もない所でつまずいて!
僕は上半身にコーヒーを被る。
やっぱり、欲張っちゃダメなんだな……
「ああぁっ、すみませんっっ!
どうしようっ……
すぐに冷たいおしぼりを持って来ます!」
「あ、いえ!
これで大丈夫です」
床に落ちてる、コーヒーと一緒に出されるはずだったおしぼりを拾って。
すぐさまそれで拭き始めると。
「そんなっ……
っっ、すみませんっ……」
天使は涙ぐんだ瞳で、だけどぎゅっと唇を噛んでそれを我慢しながら……
取り出した自分のハンカチで、僕のスーツを拭き始めた。
うわなにこれ、役得!
てゆうか、そんな清松さんが可愛すぎてツボなんだけどっ。
でもその後すぐにやって来た事務長さんは、当然驚いて。
清松さんにお怒りの言葉が向けられたけど、そこは……
「僕は全然大丈夫なので!
それよりこのコーヒー、僕好みのかなりいい香りで……
逆に癒されて、その分仕事に集中出来そうです」
彼女を庇うだけじゃなく、ちゃっかり特製コーヒーのゴマすりにも役立てる。
それから、商談を終えると。
「あのっ、先程は大変失礼致しましたっ。
本当に申し訳ございません……」
真っ先に駆けつけて来た清松さん。
「それでこれ、クリーニング代なんですが……」
「いえ、気にしないで下さい!
むしろ、それで商談もうまく行ったと思うんで。
プラマイゼロって事でっ」
「そんな訳にはっ!
私こそむしろっ、スーツ代を弁償したいくらいなのに……」
このコの場合、受け取ってもらえない方が困るんだろうなぁ。
だけどきっと、そのクリーニング代は多めに入ってたりして……
「わかりました。
じゃあ後日、正式なクリーニング代を請求するんで。
それでいいですか?」
「え、あ……っはい。
じゃあ連絡先を伺っていいですか?
それであの、シミが落ちなかったら、遠慮なく言って下さいねっ?」
と流れで、お互い名刺と携帯番号を交換する事に。
奈々ちゃんかぁ……
至って普通の名前だったけど、それはそれで可愛いし、似合ってる。
帰りの車中、清松さんの名刺を眺めて……
天使とお近づきになれた現状に、1人ニヤける。
だからって、この先どうするつもりもないんだけどさ。
「おっそーい!蓮斗ぉ」
その日帰宅すると、部屋の前で元カノが待っていた。
「え、どしたの?」
「もぉ、今日休みだったからさぁ!
ひさびさ一緒に夜ごはんでも食べようかと思って、買い物行って待ってたんだけどっ」
いやそんな怒られても、キミの予定も状況も知らないからね!?
「ごめん……
けど、連絡くれれば良かったのに」
「そこはサプライズじゃーん、たまにはね」
いや、ある意味いつも驚かされてると思うんだけど……
僕がフリーになると元カノは、こんなふうに家に入り浸る。
「なに買って来たの?」
買い物袋をキッチンまで運びながら、中身を覗く。
「ん~、なんか美味しそうなもん適当に。
それを上手くまとめてなんか作って?」
はいはい、お嬢様……
普通の女の子なら、「買い物行って来たから、なにか作るね?」なのに。
相変わらずキミは、「買い物行って来たから、なんか作って?」だよね。
言っとくけど僕は、シェフでも料理得意でもないからね!?
いや、言えればいんだけど……
「失敗しても大目に見てよ?」
「はあっ!?失敗したら罰ゲーム」
なにその身勝手さ!
あんな天使の後だから、悪魔に見えるよ……
黒い服なんか着てるから余計。
だけど実際は、失敗とまでいかなくても微妙な出来だったとしても。
「ん~、悪くないじゃん。けっこーイケる」ってバクバク食べてくれるし。
それに。
「せっかく買って来たんだから、ビールもっと飲みなぁ?
まっ、誰かさんが遅いせーでぬる目だけど。
とにかく、ヤな事は飲んで忘れなっ?」
元カノなりに、フラれた僕を慰めてくれてるんだって解るから……
あぁ、もう……めんどくさい。