6-1 あなただけの弁慶ガール
「――伍月。これからは女も強くあらねばならぬ時代よ。常に凛と、背筋を伸ばしていなさい。舐められたら終わりだからね」
それが、おばあちゃんの口癖だった。
うちは歴史ある弓道の道場で、おばあちゃんが師範。
お父さんがそうだったように、私も幼い頃からおばあちゃんの指導を受け、弓道の技術だけでなく、武の道に生きる者の心得を徹底的に叩き込まれた。
おばあちゃんは、早くに夫――つまり、私のおじいちゃんに当たる人を亡くしていた。
そこから女手一つで道場を切り盛りしていたから、余計に「女を理由に舐められたくない」という意識が強かったんだと思う。
初めての孫娘である私に、おばあちゃんは自分の全てを注ぎ込もうとしていた。
おばあちゃんに躾けられて、よかったこともたくさんある。
礼儀作法とか、善悪とか、自尊心とか、生きる上で必要なことをたくさん学ばせてもらった。
けれど、「舐められるな」「強くあれ」と散々刷り込まれた私の振る舞いは……
周りから見れば、「気が強くて空気の読めない子」でしかなかった。
私は、イエスもノーもはっきりと言う子供になってしまった。
当然、周りからは煙たがられる。友達なんてできるはずもない。
それで良かった。
軟弱で薄っぺらい人間付き合いなんていらない。
私はみんなと違って、強くて気高いのだから。
……なんて、嘘。
本当は誰よりも臆病で寂しがり屋なのに、それを隠し、偽っていただけ。
でも、言えなかった。
おばあちゃんに怒られるのが怖いから。
いつしか私は、お仕置きで閉じ込められる蔵の中でしか泣けない――密室でしか本心を曝け出せない人間になっていた。
――そんなおばあちゃんは、私が中学一年の時に亡くなった。
でも、私の"密室弁慶"体質は変わらなかった。
そのまま友達ができることなく、中学を卒業。
高校では変わりたいと思いながら、第一志望校に入学した。
しかし……
「見てみて、あの先輩カッコよくない?」
「二年の平泉薙沙センパイだって。ビジュ良ーっ」
「でもバスケ部には所属していないらしいよ? 一年生を集めるために助っ人で来ているだけみたい」
……部活見学に訪れた同級生の会話に、私は早くもウンザリしていた。
見るからにチャラそーな金髪の先輩がシュートを決め、集まった一年女子にヒラヒラと手を振っている。湧き上がる黄色い声援。私は、密かにため息をつく。
(こういうくだらない話に同調しなきゃできない友達なら……いなくてもいいかも)
なんて、友達作りに早くも心が折れそうになりながら、私は弓道場の見学へと向かった。
その途中、空手部の道場を通りかかった時。
ふと、一人の生徒に、視線が留まった。
――バシッ……!
気合いを吐きながら、高い蹴りを叩き込む男子生徒。
食らった試合相手が、後退しながらよろめく。
鋭い目付きの、背の高い男子だった。
一八〇センチは優に超えるであろう長身。がっちりした肩幅に、広い背中。大柄なのに動きは素早く、とても軽やかだ。
試合中のため、殺気立った雰囲気を醸し出しているけれど……よく見ると精悍で整った顔立ちをしていた。
しばらく釘付けになっていると、試合が終わり、両者が礼をした。
勝利した例の男子に、監督らしき先生が歩み寄る。
「流石だな、吉武。次の試合も頼んだぞ」
「っす」
「三年が引退したら、主将はお前に任せる。これから入ってくる一年の面倒もしっかり見てやってくれ」
「っす」
監督の期待満点の声かけに、汗を拭いながら短く答えるその人。
吉武先輩……二年生か。
強いのに謙虚で、かっこいいな。
(私は、さっきの金髪の人よりこういう人に憧れるんだけど……わかってくれる友達は少ないんだろうな)
なんて、またため息をついて。
私はそのまま、弓道場へと向かった。
――それから。
私は吉武先輩を校内で見かける度、目で追うようになった。
先輩は、いつも冷静で無表情。
口数も少なく、お世辞にも愛想が良いとは言えない。
硬派で真面目な、落ち着いた人という印象だった。
気になるけれど、もちろん声をかけたりはしない。
孤独で退屈な高校生活において、たまに見かけると「あ」ってなる、心の中の密かな推し。
先輩は、そんな存在だった。
当然、接点なんて皆無のまま、二ヶ月が過ぎ――
――六月。
それは突然、訪れた。
体育祭の実行委員を任され、初めての会議に向かうと……
そこに、吉武先輩がいたのだ。
……女子に大人気な、あの平泉先輩と一緒に。
「――よっ、ヨシツネ。空手部の主将になったんだって? なーんか見る度に逞しくなってんなぁ」
平泉先輩が吉武先輩に話しかけるのが聞こえる。
まさか、あの二人が知り合いだったなんて……意外だ。タイプが真逆すぎるのに。
(にしても……吉武恒久だから、ヨシツネかぁ……私もそう呼んでみたいな)
そんなことを考えながら、初めて間近で見る先輩に少しドキドキしていると……
「ねぇ……これって、いつ始まるのかな?」
「私、今日習い事があって、早く帰らないといけないんだよね……」
近くの席に座る一年生の女子が、困ったように囁くのが聞こえた。
確かに、実行委員は全員集まったのに、会議は一向に始まらない。皆、思い思いに雑談しているばかりだ。
……これじゃあ、早く帰りたい人が困ってしまう。
「――あの」
咄嗟に、私は手を上げていた。
思ったより声が響き、その場にいる全員が一斉にこちらを向く。
「……体育祭に向けた会議、そろそろ始めませんか? 先輩方、どなたか仕切ってください」
私としては、いつも通りの振る舞いだった。
けれど、言ってから後悔する。
……そうだ。こういうところが「キツイ」と思われて倦厭されているのに……
よりにもよって、憧れの先輩の前で発揮しちゃうなんて。
しかし、時すでに遅し。
私の言葉に教室の空気は凍り付き、三年生の先輩が気まずそうに司会を始めた。
(うぅ、やっちゃった……吉武先輩にも見られたよね……?)
恐る恐る、吉武先輩の様子をチラ見すると……
先輩は、真っ直ぐな目で、私のことをじっと見つめていた。
(お……思ったよりガン見されてる! なぜ?!)
内心、汗をダラダラと流すけれど……その視線の理由は、わからなかった。
* * * *
その後のくじ引きの結果、私は吉武先輩と同じ、用具を管理する係になった。
……ついでに、平泉先輩も。
(まさか吉武先輩と話ができる機会に恵まれるだなんて……実行委員になって、本当によかった)
胸の内で浮かれながら、私は先輩たちと係の仕事を進めた。
吉武先輩は、遠くから眺めていた限りでは無口で冷たそうな印象だったけれど……
実際に話してみると、平泉先輩にツッコんだり、時々冗談を言ったりする面白い人で……
「――重いものは一人で無理せず、俺に任せろ。怪我したら大変だ」
……こんな風に、困っているとすぐに助けてくれる、優しい人だった。
一緒に過ごせば過ごす程、私はますます吉武先輩に惹かれていった。
なのに、その想いとは裏腹に、私の強がりは留まるどころか悪化した。
何故なら……
恋心は、私が抱いた中で、最も脆くて弱い感情だったから。
……隠さなきゃ。
毅然とした態度で、弱い心を隠さなきゃ。
弱みを見せたら……負けだから。
そんな脅迫めいた思い込みに囚われ、先輩の前では特に素直になれなかった。
――でも、あの日……
七月の、夕立が降りそうな放課後。
体育倉庫に、吉武先輩と二人で閉じ込められた時。
「…………すき」
突如として訪れた密室状態に、私は抑えていた本音が溢れてしまい……
「私、ヨシツネ先輩のことが…………ずっと、好きでした」
いきなり、告白してしまった。
……馬鹿だ。
散々辛辣な態度を取ってきたクセに、今さら「好き」だなんて。こんな都合の良い告白、受け入れてもらえるはずがない。
(せっかく同じ係になれたのに……これで、すべて台無しだ)
自分の馬鹿さ加減に、涙が込み上げ……
先輩の前から走り去ろうとした、その時。
「――待て」
先輩に、腕を掴まれた。
驚きながら、振り返ると……
「――好きだ。付き合ってくれ」」
緊張した面持ちで、吉武先輩が、そう言った。
これは……夢?
それとも、私の願望が生んだ幻?
そんな、信じられない展開を経て――
私は、ヨシツネ先輩と付き合うことになった。
* * * *
付き合ってからの先輩は、それはもうギャップの嵐だった。
無口で無愛想……ではなく、真顔でアホな発言ばかりする変人で。
真面目で硬派……でもなく、むっつりスケベな変態で。
無関心で冷たい人……どころか、誰よりも愛情深くて嫉妬深い、重すぎる人で。
でも、そんなギャップを知る度に――
私はますます、先輩のことが大好きになっていった。
「――大橋さんって、もっと怖い人かと思ってた」
二年生も終わりに近付いた、ある時。
席替えで近くの席になった女子に、こう言われた。
「他人に厳しそうだなぁって勝手に思っていたけど……話してみると全然そんなことない。むしろ、めちゃくちゃ話しやすくて安心しちゃった。もっと早くに声かければよかったぁ」
その言葉に、私は驚く。
そんなことを言われるのは、初めてだった。
いつも知らず知らずの内に相手を傷付けて、嫌われるのが常だったから。
もしかして、私……少しずつ変われている?
そこまで意識していないつもりだったけど……何が原因だろう?
なんて考えてみるけれど、理由は明白だった。
……馬鹿みたいに優しくて、しつこいくらいに気遣ってくれる、恋人のせい。
ヨシツネ先輩が、強がりな私も弱虫な私も、すべて受け止めてくれたから……
密室と、その外との境界が、曖昧になってきているのだ。
(……先輩のお陰で、ついに友達ができたよ)
先ほどの女子と交換した連絡先を眺め、胸の内で呟く。
……ほんと、先輩がいてくれたから、孤独な毎日が驚くほど楽しくなった。
お家デートも、ハンバーガー屋さんでのテスト勉強も、バレンタインやホワイトデーの思い出も、掃除用具入れに連れ込まれたことも……
みんなみんな、眩しいくらいにキラキラした思い出だ。
けど……
そんな日々は、もうすぐ終わる。
ヨシツネ先輩が、卒業しちゃうから。
「………………」
でも、もう泣かないと決めた。
別れに向かっているんじゃない。もっと楽しい、二人の未来に向けて、私たちは進んでいるだけ。
だから……
最高の笑顔で、先輩を送り出してあげたい。
そのためには――
「――あれ? 伍月ちゃんじゃん。どうしたの? こんなところで」
放課後。
私は、平泉先輩が一人でいるのを見計らい、彼の前に現れた。
不思議そうに私を見つめる彼に、私はすっと息を吸って……
「――平泉先輩。期間限定の桜ペラペチーノ奢るので、私に協力してください」
用意していたセリフを、高らかに突き付けた。