5-1 進級カウントダウン
「………………」
――四月。
俺は無事、三年生に進級した。
が、内心穏やかではなかった。
その理由は三つ。
「もー。ヨシツネってば、そんな不機嫌そうな顔してぇ。ダメだよ? ただでさえ身体デカくて顔も怖いんだから。ほら、すまーいる」
……一つ目。
三年に進級し、この腐れ縁チャラ男・薙沙と同じクラスになってしまったこと。
午後の授業が終わり、まもなく帰りのホームルームという時間。
俺の口角に指を当て、無理やり笑わせようとしてくる薙沙の顔面を、俺は手のひらでガシッと掴んだ。
「……触るな」
「だから怖いってばぁ。そんなんじゃ新しいクラスでお友達できないよ?」
「お前よりは友達できる自信がある」
「やめてー顔じゃなくて心が痛いー。モテの弊害で友達いないの気にしてるんだからー」
笑いながら涙目になる薙沙をパッと離し、俺は顔を背けた。
薙沙は自分の頬をさすりながら、なおも続ける。
「ピリピリしてるなぁ。このクラスの何がそんなに気に入らないワケ?」
「まず、お前」
「……なぁんか、伍月ちゃんのツンツン辛辣ムーブ移ってない? 僕、本気で泣くよ?」
「それと……この教室の立地」
そう。二つ目の理由は……
「なんで、よりにもよって一階なんだ。これじゃあ……北校舎二階の伍月の教室が監視できないだろ!!」
「うわー、相変わらず重すぎて怖ー」
棒読みで言う薙沙を無視し、俺は頭を抱える。
この高校の校舎は、渡り廊下で繋がれたH型の造りをしている。
去年度までは二年生の俺が南校舎二階、一年生の伍月が北校舎二階に教室があり、休み時間になれば窓の向こうに伍月のクラスが見えた。
なのに、今年度は……
「校舎も違ければフロアも違う……遠い……伍月が遠すぎて気が狂いそうだ……!」
「せんせー、吉武くんが重症ですー。保健室に行った方がいいかもしれませーん」
薙沙が何やら言っているが、俺の耳には届かない。
新学年になって二週間。ただでさえ学年違いで接点が少ないのに、伍月を観測できる環境まで失われ、俺の伍月不足はもはや限界に達しそうだった。
「そんな思い詰めることなくない? 放課後になれば一緒に帰れるんでしょ? まったく、彼女持ちの贅沢な悩みだなぁ」
唇を尖らせ、不満げに言う薙沙。
そのイラつく顔面を……俺はもう一度、ガッと掴む。
「てめーは俺を怒らせた……」
「はぁ?! なんで?! いつも一緒に帰ってるのは事実じゃん!!」
……それこそが、俺の心が晴れない理由の三つ目なのだ。
その時、俺のスマホにメッセージが入った。
薙沙を離し、急いで確認する。
先ほど送ったメッセージに対する、伍月からの返信だった。
『今日は部活休みだから、一緒に帰ろう』
五分前、俺はそう送ったのだが……
伍月の返信は、たった一言。
『イヤです』
「………………うぅ」
「ちょ、ヨシツネ?! なに泣いてんの?!」
……泣きたくもなる。
だって、ここ最近、伍月が一緒に帰ってくれないのだ。
……いや、放課後だけじゃない。
休み時間に購買で見かけたり、廊下で鉢合わせたりした時も、あからさまに俺を避け、目すら合わせてくれない。
「あー、伍月ちゃんに拒否られたのね……でも、こんなん通常運転じゃん。どーせいつもみたいに照れてるだけでしょ?」
俺のスマホ画面を眺めながら、軽い口調で薙沙が言う。
わかっていない。こいつは本当にわかっていない。
伍月とはもう九ヶ月も付き合っているのだ。あいつの『照れによる拒絶』と『本気の拒絶』の違いくらい、すぐにわかる。
要するに、ここ最近の俺に対する拒絶は……
どうやら、本気らしいのだ。
「何故……どうして俺を避けるんだ……もしかして、学校で見かける度に盗撮していたのがバレた? それとも、歌のテストの時に音楽室へ忍び込んで歌声を録音したのがバレた? あるいは、伍月に告ろうとしていた男子に裏で圧をかけてたことが露見した……?」
「いやー。まさか真面目な空手部主将がこんな犯罪者予備軍だとは、誰も思わないだろうねぇ」
「わからない……俺はこんなにも伍月を愛しているのに……一秒でも長く一緒にいたいのに……何故、何故……」
うわ言を漏らしながら、俺は頭を抱える。
すると、前に座る薙沙が、何かをひらめいたように、
「あー……僕、わかっちゃったかも」
と、気まずそうに呟いた。
俺はバッと顔を上げ、薙沙を見る。目に力が入っていたのだろう、薙沙は「こわ」と言ってから、苦笑いをして、
「やっぱ……ヨシツネがキスしてくれないから、愛想尽かしちゃったんじゃね?」
……などと、心当たりしかない予想を言い放った。
図星をグサリと突かれた胸を押さえ、俺は考える。
確かに、"密室モード"になる度にキスをねだる伍月を、俺はのらりくらりと躱してきた。
密室で唇同士のキスなどしようものなら、色々と歯止めが効かなくなりそうだから。
しかし……伍月を大事にするためのその我慢が、かえって伍月を傷付けていたのか?
(でも、唇以外には結構キスしてきたし、愛情表現はしつこいくらいにしている自負がある……本当にそれだけが原因なのか?)
……確かめるしかない。
伍月とちゃんと向き合って、俺を避けている理由を聞き出すのだ。
そのためには……
――バンッ。
と、俺は机を叩き、
「……薙沙」
「な、なに?」
「……飲みたがっていた期間限定・桜ペラペチーノおごってやるから、伍月を捕まえるのに協力しろ」
命じるように、そう言った。
こいつの手を借りるのは不本意極まりないが……もはや手段を選んでいられる状況ではなかった。
俺の言葉に、薙沙はぽかんとした後……
突然、「あははっ」と笑い出した。
「な……何がおかしい」
「いや……ヨシツネって伍月ちゃんと付き合ってから、ほんと変わったなぁと思って」
意図するところがわからず、俺は眉を顰める。
薙沙は、何故か嬉しそうに笑い、
「中学の頃は、なんかずっと張り詰めてたじゃん。誰にも弱みを見せないようにしていたっていうか、周りをみんな敵だと思っているっていうか……それが、今では彼女の言動一つに一喜一憂して、僕にまで頼るようになってくれてさ。嬉しいワケよ、親友としては」
なんて、頬杖をつきながら言った。
偉そうな物言いにムカっ腹が立つが……薙沙の言うことは、概ね間違ってはいなかった。
小学校時代、家庭や人間関係で色々あり、他人に弱みを握られてはいけないと強く思い込むようになった。
空手を習い始めたのも、誰にもナメられない強さを身に付けるためだ。
だから、中学ではまともな友人ができなかった。薙沙のような、俺の警戒をモノともしない能天気バカを除いて。
そんな過去の自分を思い出し、俺は……
「……似ているんだよ。伍月と、昔の俺は」
そう、独り言のように答える。
「伍月はばあちゃんの教育方針のせいで、軟弱な本心を悟られぬよう常に気を張っている……凛と筋の通った言動はしたたかで美しいが、強い自分でいることに囚われるあまり、他人に甘えることができない。わかるんだ、俺もそうだったから」
「ヨシツネ……」
「だからこそ、伍月に惹かれた。本当は強くないのに、強く見せようと頑張っている姿がいじらしくて……気が付いたら、目が離せなくなっていた」
……そして。
俺は、顔を上げ、
「お前の言う通りだよ。俺は変わった。いや、変わらなきゃならなかった。だって……惚れた女の虚勢を破るのに、自分が虚勢張ったまんまじゃダメだろ?」
そう、自嘲するように笑った。
その言葉に、薙沙は目を丸くしてから……
ニヤリと、いつものムカつく笑みを浮かべて、
「……んじゃ、今回も頑張って伍月ちゃんの虚勢を破らなきゃね」
「虚勢?」
「そ。今の話聞いてわかった。伍月ちゃん、きっと何か思い詰めて強がってるんだよ。だからヨシツネを避けてる」
伍月が、何かを思い詰めている……?
そう考えるだけで、居ても立っても居られなくなる。
ちょうどその時、帰りのホームルームの開始を告げるチャイムが鳴った。担任が教室に入って来る。
ホームルームが終わったら、行動開始だ。
何としてでも……伍月を捕まえなくては。
俺は固く決意し、薙沙と頷き合った。