2-1 ふたりの出会い
初めてのお家デートから遡ること、半年前――
――六月。
まだ梅雨空の残る、蒸し暑い日。
体育祭の実行委員となった俺は、初めての委員会議に参加した。
体育祭実行委員は、各学年の各クラスから一名ずつ選出される。放課後の教室に集まったのは、ほとんどが知らない顔ぶれだった。
しかし、その中に見知った顔が一人。それは……
「――よっ、ヨシツネ。空手部の主将になったんだって? なーんか見る度に逞しくなってんなぁ」
笑いながら手を振る軟派な男。
中学時代からの腐れ縁、平泉薙沙だ。
チャラチャラした金髪に、チャラチャラしたピアス。
着崩した制服同様、締まりのないヘラヘラ顔。
その陽気な雰囲気と整った容姿から、女子人気はダントツ。学年イチのモテ男である。
現に今も、一年生の女子たちが「ナギサ先輩だ、かっこいい!」「実行委員になってよかったぁ!」などと色めき立っている。
そんな腐れ縁モテ男を、俺はジトッと睨み付ける。
「その呼び方やめろって言ってるだろ。俺は吉武恒久だ」
「略してヨシツネじゃん。何がいけないの?」
「お前が『ヨシツネ、ヨシツネ』言うからそっちが名前だと思われてるんだよ。高校でもその呼び名が浸透して迷惑だ」
「仕方ないなぁ。じゃあ名前で呼んであげるよ……恒久」
「……やっぱり気持ち悪いから呼ぶな」
「えぇーん、どうすればいいのー?」
気色悪い猫撫で声で擦り寄ってくる薙沙。
その顔面を掴み、ぐぐっと引き離していると……
「――あの」
教室に響く、凛とした声。
雑談していた実行委員たちが、一斉にその主に注目する。
小柄な女子生徒だった。
亜麻色の艶やかなショートボブと、まつ毛の長い大きな瞳が印象的な美少女。
しかし、ピシッと上げた手とキリリと引き締まった眉が、真面目で近寄り難い雰囲気を醸し出していた。
制服のリボンの色からして、一年生。
そんな、この場で一番の後輩に当たる女子生徒が、教室中を見回し、
「体育祭に向けた会議、そろそろ始めませんか? 先輩方、どなたか仕切ってください」
と、実に堂々とした口調で、上級生に指図した。
その有無を言わさぬ雰囲気に、三年の先輩たちは面食らいながらも「だ、第一回の会議を始めます」と司会を始める。
「うわぁ。あのコ、気ぃ強そ〜」
隣で、薙沙がコソッと耳打ちする。
他の生徒たちも、怪訝な表情でその女子生徒を見つめていた。
しかし、俺は……
(……………………まじか。めちゃくちゃタイプだ)
と……
薙沙たちとは別の理由で、目を逸らせずにいた。
――女子生徒の名は、大橋伍月。
後に最愛の彼女となる後輩との出会いだった。
* * * *
体育祭に向けた話し合いの結果、俺は用具の準備をする係に決まった。
玉入れの玉やカゴ、障害物競走のハードルやネット、リレーのバトンといった備品を管理する仕事だ。
この用具係に割り振られた生徒がもう二人。
腐れ縁モテ男・薙沙と、勝気な後輩女子・伍月だ。
女子たちは皆、薙沙と同じ係になりたかったらしく、くじ引きで決まったこの割り振りに不満タラタラな様子だった。
が、当の薙沙は安堵していた。その気のない相手からぐいぐい好意を向けられるのは、それはそれで居心地が悪いらしい。
「――その点、伍月ちゃんは安心できるわー。だって君、僕のことキライでしょ?」
「はい。嫌いです」
別の日の放課後。
係の仕事で体育倉庫に向かう途中、薙沙の言葉に伍月がスパッと答えた。
実行委員の集まりで既に何度か共に過ごしているが、伍月はモテ男である薙沙にまったく興味がないようだった。
それどころか、こういう軟派な雰囲気の男に嫌悪感すら抱いている様子……というか、たった今「嫌い」だとハッキリ明言されたところだ。
「うぅ……好意を向けられないのはラクだけどさぁ。ここまで嫌われるのも傷付くよ〜ヨシツネ〜」
と、何故か俺の腕にしがみついてくる薙沙。
それをぐいっと引き剥がしながら、俺は答える。
「そういう面倒な絡み方をするから嫌われるんだ。『自分のことが嫌いか?』なんて、先輩から聞かれたら気まずいだろ?」
伍月をフォローしたセリフのつもりだった。
しかし伍月は、こちらをくるっと振り向き、
「いえ、気まずくはありません。私、嫌いなものは嫌いとハッキリ言えるので」
と、相変わらず愛想の欠片もない態度で言い切った。
それに、薙沙は「え〜ん」と気色悪い泣き真似をするが……
俺は、再び前を向いた伍月の後ろ髪をじっと見つめ、
(……………………好きだ)
と、すっかり高まり切った彼女への好意を、静かに再認識していた。
伍月は、相手が先輩だろうがモテ男の薙沙だろうが、物怖じせずに思ったことを言える性格だった。
良く言えば、真面目で硬派。悪く言えば、キツイ女。
そんな伍月の潔い性格に、俺は……ガッツリ惚れてしまっていた。
――薙沙のくだらない話を聞きながら、俺たちは校庭の隅にある体育倉庫に辿り着いた。
七月上旬。梅雨の名残りのせいか、その日は午後から曇天が広がっていた。もうしばらくしたら夕立に見舞われそうな天気だ。
今日の仕事は、倉庫内にある用具の個数と劣化状況の点検。
三人で分担し、リストに書き記していく。必要なものは学校に申請し、買い足してもらうのだ。
薙沙は相変わらずぺちゃくちゃと喋り続け、ペンより口を動かしている。
対する伍月は、一言も発さないまま黙々と用具の確認をしていた。物言いはキツイが、他人にも自分にも厳しい真面目な性格のようである。
俺は薙沙を無視しながら、伍月の側に寄る。
そして、
「重いものは一人で無理せず、俺に任せろ。怪我したら大変だ」
そう言いながら、彼女の目の前にあるボール入れのカゴを退かした。
それに伍月は、驚いたように俺を見上げ、
「あ……ありがとう、ございます」
と、珍しく口籠もりながら、礼を述べた。
その照れたような表情に、俺の心臓がグッと掴まれる。
可愛い。こんなカオが見られるのなら、いくらでも手伝ってやりたくなる。
愛おしさのあまり、そのまま伍月を見つめていると……
「……な、なに見ているんですか。サボっていないで、さっさと仕事に戻ってください」
そう窘めながら、顔をサッと背けられてしまった。
――用具の点検を終え、俺たちは体育倉庫から出た。
定期考査前だから、今日は全ての部活動が休みだ。
もう倉庫を使わないため、点検が終わったら鍵を締めるようにと体育教諭に言われていたのだが……
「てへっ。先生から鍵預かってくるの忘れちゃった」
薙沙が、舌を出しながら言う。
このチャラ男は、肝心の鍵を預かる仕事を自ら請け負っておきながら忘れていたらしい。
「じゃあ取ってきて鍵かけておいてください、平泉先輩」
俺が言う前に、伍月が迷いなくそう命じた。俺は胸の内で密かに拍手を送る。
案の定、薙沙は身体をクネクネさせながらゴネる。
「え〜、みんなで行こうよぉ」
「私、帰ってテスト勉強したいので。それでは」
モテ男の懇願を完全に拒絶し、伍月はスタスタと歩き始めた。
その背中を追うように、俺も歩き始める。
「じゃ、俺も帰るから。鍵、ちゃんと締めろよ」
「ぶーっ。ヨシツネのけちー」
「その呼び方やめろ」
そう言い捨て、俺は薙沙に背を向けた。
背筋をピンと伸ばし、早歩きで校門を目指す伍月。
その少し後ろを、俺は歩く。
すると、俺の足音に気付いたのか、伍月が振り返り、
「……あの。ついて来ないでもらえます?」
「いや、俺も帰るから。校門に向かうなら同じ方へ行くしかないだろ?」
「でも先輩、自転車通学ですよね? 駐輪場はあっちですよ?」
……ちっ。少しでも一緒にいようと校門まで見送るつもりが、バレてしまったか。
なんて、内心舌打ちした後……ふと、俺は疑問に思う。
「あれ……なんで俺がチャリ通だってこと、知ってるんだ?」
一緒に登下校をしたことはないから、伍月は俺の通学手段を知らないはずだ。
不思議に思っていると、彼女は何故か頬を赤らめ、
「とっ……登校中、自転車で通りかかる先輩を見たことがあるだけです! 本当に、たまたま!!」
と、見たこともない狼狽えっぷりで、慌てて弁明した。
その珍しい反応をじっと見つめながら、俺はさらに聞き返す。
「ほう。しかし、俺は通学中に大橋とすれ違った覚えがないな」
「ど、どうしてそう言い切れるんですか?! 登校時間なんて生徒がいっぱいいるわけですから、私に気付かないのは当たり前で……!」
「いや、気付くよ。大橋がいたら、絶対」
「ふぇっ……?!」
ぼっ、と顔を紅潮させる伍月。
何がトリガーになったのかはわからないが、ここまで取り乱す彼女は初めて見た。真っ赤になった顔も実に可愛い。
その表情を目に焼き付けたくて、無言のまま見つめ続けていると、
「うぅ……そ、そんなに見ないでください! 通報しますよ?!」
「何故そうなる」
ツッコむ俺を無視して、スカートのポケットに手を入れる伍月。どうやらスマホを取り出すつもりらしい。
しかし、
「……あ、あれっ?」
その口から、すぐに素っ頓狂な声が上がった。
そのまま、しばらくリュックの中を漁るが、
「……ない」
「……え?」
「……スマホ……体育倉庫に置いてきちゃいました」
伍月は弱り果てた表情で、泣きそうに言った。