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6-2 あなただけの弁慶ガール



 そして――

 ヨシツネ先輩の卒業式の日が、ついに訪れた。



 式を終え、三年生の先輩たちが教室や廊下で写真を撮り合う中……

 私は一人、校庭の隅にある体育倉庫の中にいた。

 私とヨシツネ先輩が付き合うことになった、思い出の場所だ。


(平泉先輩……ちゃんと連れて来てくれるかな)


 数日前、私はズタバの限定ドリンクで平泉先輩を買収した。

 今日、この場所に、ヨシツネ先輩を連れて来てもらうために。


「――だから、こんな場所になんの用が……」

「いいからいいからぁ」


 そんな、聞き覚えのある声が外から聞こえてくる。

 来た。先輩たちだ。

 私は身だしなみを整え、倉庫の外に目を向ける。


 案の定、ヨシツネ先輩がこちらを覗いた。

 ばちっと出会う、私たちの視線。先輩は、私を見るなり驚いたように目を見開いた。


「さ、伍月? なんでこんなところに……」


 言いながら、先輩が近付いて来る。

 すると、その後ろで……


 ――ガラガラガラ、ガチャン!


 鉄製の引き戸が閉まり、鍵のかかる音がした。

「は?!」と声を上げるヨシツネ先輩に、私は、


「……私が頼んだんです。平泉先輩に、密室を作って欲しい、って」


 ……そう。

 だから、わざわざ体育教官室から鍵をくすねてもらった。

 すべては、この密室を作るために。


「どうして、こんなことを……?」

「……だって」


 だって、最後だから。

 先輩と、ここに来られるのも。


「最後に、この場所で……思い出を作りたかったんです」


 私の言葉に、戸惑う先輩。

 その姿を、私はあらためて見つめる。


 先輩のブレザーには、卒業生の証である赤い花が付いていた。

 部活を引退してから、少しだけ伸びた黒い髪。サラサラな短髪を、今はワックスでびしっとセットしている。


 ……やっぱり、先輩はかっこいい。

 大好きな制服姿も、今日で見納めかぁ。

 そう考えると……やっぱり、寂しいな。


 そんなことを考えていると、先輩はまじまじと私を見つめ、


「伍月……その、髪のやつ……」


 と、私の髪型――去年のホワイトデーに先輩からもらった手作りシュシュで結ったポニーテールを指差した。

 気付いてもらえたことが嬉しくて、私は思わず笑みを浮かべる。


「はい、先輩がくれたシュシュですよ。早く結びたくて、頑張って髪伸ばしたんですから……もっと近くで見てください」


 普段の私なら、恥ずかしくて絶対に言えないセリフ。

 でも、今なら言える。

 先輩と二人きりの、この密室(くうかん)でなら。


 先輩は私に近付き、手を伸ばすと、


「……うん、やっぱり似合うな。可愛い」


 私の髪を撫でながら、そう言ってくれた。

 その大きな手の感触と、優しくて低い声に、胸がきゅんとしてしまい……


 ――ぎゅ……っ。


 ……と、私は先輩の胸に飛び込み、抱き付いた。


「先輩……ご卒業、おめでとうございます」

「……ありがとう」

「……楽しかったですね、毎日」

「あぁ……伍月がいたから、毎朝学校に行くのが待ち遠しかった」

「放課後、教室に残ってお喋りしたり、部活帰りに買い食いしたり……いろいろしましたね」

「あとは、伍月の音楽の授業を盗み聴きしたり、体育の授業を覗き見したり……楽しかったけど、それももうできなくなるな」

「……綺麗な思い出と変態エピソードを同列で語らないでもらえます?」


 思わずツッコむ私。まったく、先輩は最後まで先輩だ。

 先輩は「冗談だ」と笑ってから、体育倉庫を見回す。


「この場所も、なんだか懐かしく感じるな。体育祭実行委員の集まりで、伍月に一目惚れして……一緒に過ごす程に好きになって。俺から好きになったのに、伍月から告白されるなんて思わなくて……本当に驚いた」


 ……そして。

 先輩はもう一度、私を抱き締めて、


「……ありがとう。伍月がいてくれたから、俺の高校生活は最高だった。物理的な距離は少し離れるが……心はいつでもゼロ距離で張り付いているから、これからもよろしくな」

「なんか、いい感じのセリフなのにさっきからちょっとキモいの何なんですか?」

「照れ隠しだ。そういうお前こそ、"密室モード"なはずなのにやけにツンツンしているな?」

「……照れ隠しですよ」


 そう言って、先輩の胸に顔をうずめる。

 大好きな匂いと温もりに包まれて……やっぱり離れたくないなって、また思ってしまう。


 でも……

 そんな感傷に浸るために、先輩を呼び出したわけじゃない。


「……先輩。私……ずっと言っていなかったことがあるんです」


 突然切り出す私に、先輩が「え……?」と聞き返す。

 私は、ゆっくりと顔を上げ……

 にこっと、笑みを浮かべて、


「――先に好きになったのは、私の方……先輩が私を見つけるより先に、私は先輩のことを、見つけていたんですよ」


 ずっと言わずにいた真実を、打ち明けた。

 先輩は、予想通りのぽかんとした顔で私を見下ろし……一言。


「…………嘘だ」

「嘘じゃありません」

「え…………いつから?」

「入学してすぐの、部活見学の時。道場で先輩が練習しているのを見かけて……かっこいいなって、思ったんです」

「なっ……」


 珍しく顔を赤くする先輩。

 私は胸の奥がむずむずするのを感じながら、さらに追撃する。


「それから、学校で見かける度に目で追うようになって……空手部での活躍とか、自転車通学なこととかも密かに知ってました。だから、実行委員で同じ係になれた時は、本当に嬉しかった」


 ……そして。

 私は手を伸ばし、先輩の頬を、そっと撫でる。



「……全部、私からなんですよ。好きになったのも、告白したのも。だから……だからね?」



 ……ずっと、してくれるのを待っていた。

 密室になる度、先輩からしてもらえるように、仕向けようとしていた。

 けれど……


 

「先輩、卒業しちゃうし、もう待てないから――私から、することにしました」



 ……そう。

 ここに呼び出した、本当の目的。それは――


 ここで、先輩に、キスをするため。



「な……何を……?」


 戸惑う先輩に、私はくすりと笑う。

 

 ……わかってる。

 先輩は私のことが宇宙一好きで、傷付けたくなくて、手を出せないってわかっているから……


 その遠慮を、私が――正面から、突き破ってあげる。



 私は、先輩の両頬に手を添える。

 そして、そのまま顔を引き寄せて……


 目を閉じ、唇を重ね…………………………




 ………………ようとしたところで。




「――伍月ちゃん! 先生が倉庫の鍵なくなってることに気付いた! 早く出ないと、見つかって怒られるかも……!!」

 


 ……そんなことを叫びながら。

 平泉先輩が、倉庫のドアを、思いっきり開けた。


「あ…………」


 途端に解ける、"密室モード"。

 こんな場面を見られた恥ずかしさと、自分からキスを迫ったみっともなさが一気に押し寄せてきて、今すぐにでも消えてしまいたくなる。


「あ、ごめ……もしかして、また邪魔しちゃった?」


 気まずそうに苦笑する平泉先輩。

 それに、ヨシツネ先輩は……


「いや、その……なんというか……」


 なんて、ごにょごにょ言いながら離れようとするので、



「…………ッ」



 咄嗟に、私は先輩の顔をぐいっと引き寄せ――



 ――ちゅう……っ。


 

 ……と、その唇に、キスをした。



 ……もう、やけくそだった。

 こんなはずじゃなかったのに……うぅ、恥ずかしくて堪らない。


 でも、ようやく触れられた先輩の唇は……

 温かくて、柔らかくて、泣いちゃいそうなくらいに、心地良かった。



「…………」


 唇を離し、止めていた息を吸う。

 先輩は、見たこともないくらいに真っ赤な顔で、わなわなと震え、


「な、なんで……"密室モード"は解けたはずなのに……!」


 と、心底驚いた様子で、私に尋ねた。

 その顔に、私は羞恥心以上の満足感を覚え……にやりと笑う。



「いつまでも"密室弁慶"だと思ったら大間違いです。先輩がいれば、どこだって――ありのままの私でいられるんですから」



 だって、先輩自身が、"密室"みたいな存在だから。


 私を閉じ込めて離さない……でも、どんな私も受け入れてくれる、安全地帯。

 だから、あなたの前ではもう……本当の自分を、隠す必要もない。


「ふっふっふ……どうですか、先輩? ファーストキスを後輩彼女に奪われた気分は?」


 なんて、茶化すように言ってしまうあたり、私もまだまだ素直にはなり切れないのだけれど。


 腰に手を当て、勝ち誇った笑みを浮かべる私に……

 先輩は、赤面から一変。顔にユラリと影を落としながら、私に近付くと……


 ――ちゅうぅぅぅ……っ。


 ……と、熱烈なキスを、唇に落とした。

 

 思いがけない反撃に、私は「んむっ?!」と声を上げ、身体を硬直させる。

 横で、平泉先輩が「わお」と他人事のように感嘆するのが聞こえる。


 押し付けられた唇の感触と、ふわりと香る先輩の匂いに、ぐるぐる目を回していると……

 やがて、息継ぎをするように解放され、かと思えば、そのまま大きな両手で頬を包まれ、


「お前は……俺がここまで必死に我慢してきたのに……」

「あ、あは……せんぱい、怒ってます?」

「あぁ…………次は舌を入れる。覚悟しとけよ」


 なんて、低い声で囁くものだから……

 私の胸はもう、キュンキュンに押し潰されそうになる。


 しかし、ときめいたのも束の間。

 先輩は、バッと顔を上げ、


「……そうと決まれば、婚姻届を提出しに行こう」

「へっ?!」

「いや、出生届……命名書も必要か? その前に、式場と新居を決めて……」

「ちょ、先輩、落ち着いて……!」


 ……と、そこで。

 ヨシツネ先輩は、鼻からツゥ――と血を流し……


 そのままバタンと、倒れ込んだ。


「ぎゃーっ! 先輩が死んだーー!!」

「性行為に準ずるコトしたから! えっちすぎて気絶したんだ!!」


 なんて、平泉先輩と大騒ぎしながら――

 私とヨシツネ先輩の高校生活は、バタバタと幕を閉じた。



 

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