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Glare

作者: 九郎カケル

 

『次は終点、――駅。お出口は右側です』

 機械的に繰り返されるアナウンスで意識が浮上した。目を瞑っていただけのつもりが、いつの間にか眠っていたらしい。電車は徐々にスピードを落とし、ゆるやかに走っている。

「それでさー、担任がマジになっちゃって!」

「はあ? ダルすぎ!」

 どこからか聞こえてくる女子高校生たちの声が耳障りだと思えば、右耳のイヤホンが肩に引っ掛かっていた。こいつはサイズが合わないのか、油断するとすぐに外れてしまう。雑な手つきで左耳からも抜き取り、コードを軽く縛った。どうせバスに乗り換えたらまた聴くのだけれど、周りの音が聞こえないまま歩くというのは、どうも怖くてできない。イヤホンを鞄のポケットに入れたところで、電車は完全に停止した。

『この電車は車庫に入ります。お忘れ物のないようご注意ください』

 今日のアナウンスは鼻声だな、なんて思いながらホームに降りると、じめっとした空気がお出迎え。車内の冷房になじんでいた身体が、皮膚から徐々に温められていく。夜の地下鉄といえども、残暑は私たちを逃がしてはくれない。

 時刻は八時三十五分。家に着くのは九時を過ぎてしまうだろう。……まあ、予定通りではあるけれど。

 去年まで、夜遅くになって帰ることは決して不自然ではなかった。でもそれはテストや模試対策のため、学校で居残り勉強することが多かったからで。大学生になってからは日暮れ前に帰ることがほとんど。夜遊びすることもない、健全な日々。だからこんな時間に帰るというのは、なんだか不良娘になってしまった気分だ。バス停へと向かう足取りが自然と早くなる。

 改札を出て、階段を上がる途中。視線を上げると、先ほどのやかましい女子高校生二人組が視界に入った。ふわり、となびくスカートの中が見えそうな気がして思わず自分の足先へと目線を落とす。ああ、もう、イライラする。

 地上はすでに夜だった。日没後の、駅のターミナル。久々に見たその風景を見て――胸が締め付けられた。半年と少し前までは、何の特別感もなかった。この眺めは生活の一部だった。それなのに。浮かんでしまった、この「懐かしい」という気持ち。

 それは、私にとって高校時代が、すでに遠い思い出なのだと、心のどこかでは思っていた証拠。だけど、ノスタルジーに浸るのはしょうがないのかもしれない。今日は、高校のクラス会だったから。

 特に親しかった友達は欠席だったけれど、そこそこ仲の良かった子たちもいる。だから、高校生の頃に戻ったような気持ちで行った。おそらく、それがダメだったんだろうけど。


 久しぶりー! 卒業式以来? ……ってか、唯ちゃんって大学生になってもホント変わってないね! なんか安心したー。安定の唯ちゃんって感じで。


 真っ赤な唇から発せられた言葉。アイラインとマスカラで強調された二つの目は、まじまじと私を見ていて。全身からは熱が引いていくのに、頬がカッと熱くなった感覚は今でも鮮明に思い出せる。

 私の私服は、あの芋臭かった制服と変わらないんだ。安定の男っ気のなさで安心したんだ。

 短気な私だけど、咄嗟に浮かんだ言葉は呑み込めた。いやはや、みんなオシャレすぎてまぶしいよー。だったか。そんなことを言った気がする。

 その言葉に深い意味はないのはわかっていた。そもそも、彼女とはそこまで親しくもない仲だった。スカートの下に短パンを履かないタイプの人。言葉の裏を勝手に勘繰るのは、私の悪い癖。それでも、その言葉は私の心をじわじわと侵食した。

 震える手を握り込んで、必死に笑顔を取り繕った。でも、すぐにそんな必要はなくなった。一人、隅っこの座席で気まずさすら感じず、黙々とご飯を食べながら、みんなを観察した。

 髪の色が違う。目の輝きが違う。声色が違う。肌の艶が違う。この子は誰。あの子は誰。こんな風に笑う子だったっけ。こんなことを言う子だったっけ。

ここにいるのは、かつてのクラスメイトとは別人。 こんなふうにオシャレな服で、メイクをしていて、すっごく煌びやかな人たちなんか、知らない。

 詰まりかけていた喉から、吐息を漏らした。

 私だけが、あの制服を着て、あの教室に一人取り残されているのだ。


 バスの中は蒸し暑い。節約のためギリギリまでエアコンがかからないからだ。

 がらんとした一番後ろの席に腰を下ろすと、意図せず大きなため息が漏れた。慌てて、口元を手で覆う。疲れたのは、みんなの劇的なビフォーアフターのせいだけではない。貸し切りでもないお店で、ぎゃあぎゃあと騒ぐ彼女たちが、不愉快で仕方なかった。

 ……大所帯でワイワイすることに慣れておいた方がいいのかも。一応サークルには入ってるけど、ほぼ幽霊で参加もしてないし。そんな心配よりもまず服選び? いつも直感で気に入ったものを買うから駄目なのかな。ファッション雑誌を買って勉強するべきか。それから、メイクは……。私のやり方じゃ、ナチュラルメイクって呼べるほどでもないんだろうな。してることに気づいてもらえないんじゃ、意味がない。

 考えれば考えるほど、じわじわと目頭が熱くなって、鼻の奥がツンとした。乾燥した唇をかみしめる。

 私は何も知らない。流行りの色、柄、コーデ、メイク。トレンドとは無縁の生活を送ってきた。……知ろうとしなかったんだから、知らなくて当然だ。

 バスの運転手がエンジンをかけた。頭上から冷たい突風が落ちてくる。これで少し頭も冷えるんじゃないかな。そんなことを考えながらスマホを取り出すと、メッセージアプリの通知がたくさん来ていた。クラス会のグループ名が表示され、今日はありがとう! といった言葉だの、今日撮った写真だのが送られてきている。

 ――何もかも面倒だ。

 グループを退会しようかとも思ったが、この雰囲気の中で抜けるのはさすがに非常識か。代わりにトーク履歴を削除すると、なんとなくすっきりした。しかし通知はまたすぐに増えた。しばらくは、いたちごっこだろう。

『えー、間もなく発車いたします。扉が閉まりますので、ご注意ください』

 運転手のアナウンスが終わるとブザーが鳴り、扉が閉まる。バスは、ゆっくりと走り出した。

 駅のロータリーを出たところで、母へ「バス乗った」と送信。既読はすぐについた。「了解」というメッセージを確認したのち、耳にイヤホンをねじ込む。適当なプレイリストを選択すると、涙を誘うバラードが再生された。夏の夜、感傷的な気分のBGMにはぴったりだ。そろそろ寒くなったので、冷房の風向きを変える。頭が冷えた気はしないけれど。

 変わりたいと、もどかしい気持ちを抱えている自分がいる。このままでいいじゃん、とのんびり構えている自分がいる。

 わからない。私は、どう在るべきなのか。

 頭を窓に預け、流れていく景色を見つめる。

 街灯に信号機、車のライト。パチンコ屋の電飾看板や、居酒屋の提灯。夜は光にあふれている。

 目を眩ませながら、まぶたに目を滲ませながら、それでも私は人工的な光を目に焼き続けた。



数年前、大学の部誌に掲載させていただいたものを一部加筆修正しました。


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