99:短編1/紫の雪の中で(上)
100話記念の短編
「見ろ、マリアンヌ!
これが本物の<竜骸武装>だぁ!」
赤い鼻をした中年男の商人が、小太りの身体を愉快そうに揺らす。
笑いが止まらない、そんな破顔だ。
「刃に込められた、恐ろしいまでの魔力!
これを持って歩くだけで、中型魔物など近寄ってもきまいっ」
彼の前には、3振りの宝剣。
「<竜骸武装>とは、本来は竜種を素材とした武器防具の事。
つまりこの3振りは、数少ない本物の<竜骸武装>と言える訳だ!」
煌びやかな柄や鞘も、磨き上げられた剣身も、とてつもなく金がかかっていると素人目でも解る。
「すごいぞ!
こんな物を帝室に献上すれば、高位貴族の身分だって夢じゃない!
── いやむしろ、持ち込むなら、副都だろうか!
プライドの高い公爵殿下であれば、帝室の宝物殿にもあるか解らないこの最高の宝剣に、どれほどの対価を払う事か!」
赤い鼻の商人は、その顔面から首までも紅潮に染めて、両手をわななかせる。
「わたしのような、片田舎の港町の貧乏乾物屋の息子が!
いやしくも皇帝の血を引く公爵家子女を妻として迎える!?
平民から成り上がり名門貴族となった立身出世譚が、千年先まで語り継がれるのだ!
── ああ、わたしが青年の日に思い描いた未来が、まさにこの手のつかめるまでに!?」
興奮の絶頂という父に、娘はクスクスと笑う。
「── もう、父さんったら、おかしいっ
そんな欲なんて、かけらも残ってないくせに。
この前だって、聖教の男僧侶の方に頼まれて、儲けのない商売をしてたじゃない?」
「ハハハ、そうだったな」
赤い鼻の商人は、憑き物が落ちたかのように、スッと平常の顔に戻る。
そして優しい顔で、机の上に並べた宝剣3本を見つめながら、万感の思いをつぶやく。
「── この財を尽くした、最高の宝剣。
あの方々は、喜んで下さるだろうか……?」
父と娘は、思いを馳せた。
2年前の、あの日に。
▲ ▽ ▲ ▽
「て、天にまします ──」
「── バ、バカ……っ」
父は、神頼みを始めた娘の口を、慌ててふさぐ。
声量をギリギリまで抑えて、叱る。
「……神なんて……助けてくれる訳が……ないっ」
息を殺して、大木の向こうをうかがう。
相変わらず、ゲラゲラと粗暴な男達の笑い声が響いていた。
「商人さ~ん! 早くでてこいよっ」
「ダンナぁ~、こんな山奥に逃げ込んでもムダですぜっ?」
「そうだぜ、いい加減、あきらめちまえよぉっ」
「美人の嫁さんと、かわいい息子さんが待ってますよぉ~」
「ただし天国でなぁ~、ヒャ~ハッハッハ!」
口から漏れる白い息さえも、相手に見つからないか心配なのに。
祈りの声なんて、出して良い訳がない。
「クソ! 雪が深くなってきやがった!」
「……なあ、本当に奥まで行くのか?」
「そろそろ『地獄の怪物』が出てくるんじゃないのか……?」
「そもそも、なんでココ、雪の色がムラサキなんだよ……気持ちワリィ……っ」
賊は、疲れてきたのか足取りが鈍っている。
「……俺、冒険者になる時、バアちゃんから言われた。『巨人の箱庭』に入るなって」
「俺だって行きたくねえよ! でも、手ぶらで帰ったら、俺らがあの女に殺されるぞ!」
「なんでダンナは、アネさんを切っちまったかね? 今まで通り愛人で置いておけばよかったのに……」
「なあ、適当な生首か、人間の骨でも拾って帰ろうぜ。 火炎魔法で焼けた、って言えばゴマカセないか?」
追っ手たちは、身の凍るような冷気と山奥への恐怖心で、やる気を失っている。
「……もう少しで……助かる……だから……ガマンだ……」
腕の中の幼い我が子に、そう言い聞かせる。
しかし、事態は急変した。
「── うわぁぁっ!」「ギャアアア~~~!!」
いきなりの断末魔。
澄んだ紫水晶のような雪の上に、赤黒い色がぶちまけられる。
「ひぃっ なんだ、虫型魔物!?」
「なんか、デカくないかっ 普通、人間の子どもくらいの大きさだろ!」
「なんで虫型魔物が、馬か牛なみにデカいんだよ! こんなの見た事ねーぞ!」
「お、おい! 攻撃魔法ぉ! 早くぅっ!」
「ま、待ってくれ、手がかじかんで!」
11人から9人に減った賊は、慌てて戦闘態勢に入る。
ギャリン! ギャリン!と、金属を削るような異音が響く。
「まだかよ! 盾がもたねえっ」
「よし、いいぞ! 離れろ!」
『カン!』と木材を打ち合わせたような、<魔導具>の起動音。
ゴオォォォォ……ッ!と、灼熱の白い炎が広範囲に広がった。
目をやくような火炎魔法は10秒ほどで消えた。
氷点下の気温の中で、小春日和の突風が吹き抜けた。
火炎魔法の範囲は、紫色の積雪がジュウジュウ……ッと焼けた音を立てている。
上級の攻撃魔法は、民家4~5件くらい燃やし尽くせるような、広範囲と高威力。
虫型くらいの弱い魔物なら、一撃で群れを壊滅できる。
その、はずだった。
だが ──
「── お……おい、おいおいっ おいおいおい! アレくらって動けるのかよ!?」
「火炎の上級魔法だぞ!? ガラスも溶かす灼熱だぞ!」
「まさか不良品か!? せっかく大金はたいた軍用<中導杖>だっていうのに!」
「おい、バカ! 呆けている場合じゃない! もう1回だっ」
「お、おうっ すぐに ── ギャァァッ!!」
<魔導具>の持ち主が、背後から降ってきた新手に頭をかじられる。
魔物の挟み撃ちだ。
もはや、追っ手の一団は逃げる事もできない。
「クソ! クソ! クソ! なんでこんな事にぃ!」
「いやだぁ~、死にたくねえ! 死にたくねえ! 死にたくねえ!」
「バアちゃんの言う事きいときゃよかったぁ~~っ」
「ちくしょー、母ちゃん! 母ちゃん、たすけてぇ~~!」
賊たちを蹂躙する虫型魔物たち。
その姿を端的に言えば、白色と紫色のまだら模様のカマキリだろうか。
戦闘の音を聞きつけたのか。
あるいは、流血の匂いに惹かれたのか。
最初3匹だった魔物が、5匹に増え、10匹に増え……
今では、追っ手たちの数倍の頭数になっていた。
▲ ▽ ▲ ▽
「俺だけでも! 俺だけでも! この『地獄』から、生きて帰ってみせるっ!」
賊の集団で、一番の腕利きなのだろう。
魔物のジャンプ攻撃を巧みに回避しつづける、中年の魔剣士。
身体強化の魔法陣を背負い、紫の雪粉を巻き上げ、疾風と駆け抜ける。
退路の先には、カマキリ魔物が1匹。
中年魔剣士は、勢いを上げ、剣を構えて突撃。
「そこをどけぇっ、下賤の魔物め!
俺はこんなザコどもとは違う、特級の魔剣士だ!
未来の<帝国4剣号>だぞ!
我が、疾風の剣をぉぉ ──」
ザッシュン!という風切り音が、全てを断ち切った。
カマキリ魔物は、両腕の大カマを上段に曲げて構えた警戒の態勢から、目にもとまらぬ刈り取り。
『自称・未来の帝国4剣号』の首は明後日に飛んでいき、首無し死体は血を噴き出しながら、ドタバタと転げていく。
そして、魔物が肉を食み骨をかみ砕く、グチャグチャ、ゴリゴリという音しかしなくなった。
「── これが……
これが『現世の地獄』……
これが『巨人の箱庭』っ
生きて帰った者のない、禁足地ぃ……っ!」
「お父さん……どうなったの?」
「死んだ……悪い奴は、みんな死んでしまったよ……」
成人男性より上背の魔物達が『さっきまで人間だった物』をぶら下げている。
人の部位と解る物を、魔物が奪い合いをする光景なんて、幼い子供に見せられない。
父は子の手を引き、そっと立ち去ろうと腰を上げる。
そして、……ギ……ギギ……ッと、歯ぎしりのような音に足を止めた。
音の方を見れば、いつの間にか取り囲んでいたカマキリ姿の大きな魔物。
エサの奪い合いにあぶれた連中が、大木の裏に隠れた父子に気付いて寄ってきた。
「お、お父さんっ」
「あ、あぁ……っ
ちくしょう、ちくしょうっ ちくしょうっ」
我が子が抱きついてくるが、父には抱き返す事しかできない。
父は、涙を流して顔を伏せる。
この惨事の元凶たちへの悪態を、怒りのままに吐き捨てた。
「……ハハハ、ざまーみろっ、裏切り者どもめ!
わたしの妻と子どもを殺した報いだ!
わたしの財産をかすめ取ろうなんて、薄汚い事を考えるからだ!」
そして、すぐに虚しくなる。
「……わたしの人生は、まるで無意味か。
来年には、取引相手の誰からも忘れられている事だろう。
なにが、帝都の大商人だ。
なにが、日の出の勢いの成り上がりだ……」
「お父さんっ こわいっ こわいようっ」
「ああ……怖いな。
でも、最後まで父さんが一緒だ……
今まで寂しい思いをさせて、すまんな……
悪い父さんだった、父親失格だ。
だけど、これからは、家族みんなで一緒だからな」
「うぅ……うぇええ~……いやだぁ、いやだよぉっ」
「そうだよな……死にたくないよな……すまんなぁ。
ああ、何でこんな事に巻き込んでしまったのだろう。
お前は、娘は、マリアンヌは何も悪くないというのに……
── せめて、この子だけでもっ」
▲ ▽ ▲ ▽
── アーメ=ユージュ、トゥテチテェ、ケンジャー
『天にまします偉大なる聖兄よ、どうか我らか弱き人の子に、御慈悲を与え給え』
そんな意味を持つと伝わる、神の国の祈りの言葉。
父が聖句をくちずさんだのは、果たして何年、いや何十年ぶりだろうか。
父の幼少期に、病気の祖母がベッドで日課のように唱えていた、聖教の祈り。
800年前に天上世界から降り立った神女、<聖女>が唱えていたとされる、癒やしの神言。
若き日の父は、病の治らぬ祖母を尻目に、いつしか小馬鹿にしていた、聖教の信仰。
「天にまします……偉大なる聖兄よ……──」
父を真似るように聖句をつぶやく子。
その背中を撫でながら、父は天を仰ぐ。
「ああ、神々に代わり我らを見守る、見えざる聖水霊クラムボンよ!
どうかこの祈りを、天上世界にお届けください……っ」
父は、帝都で成功した強欲な商人だった。
聡明で優秀な田舎の青年は、いつの間にか汚れきっていた。
真心とか誠心なんて言葉を、鼻で笑うようになって久しい。
他者のために真剣に祈った事など、いままでの人生で果たして何度あったか。
紫色の積雪にしゃがみこみ、抱き合ってブツブツとつぶやく、父と子 ──
── そんな生きる気迫を失った獲物へ、魔物の大カマが迫る。
ちょうど、その時。
親が子を思う、赤心の祈りが天に届いたのだろうか。
「── なんか、こっちで聞こえたんだけどなぁ……」
「そうですの?
やはり気のせいではなくて、お兄様」
ザクザクと紫色の雪を踏み鳴らし、黒髪と銀髪の子ども2人がやってきた。