95:大好きなお兄様
「なるほど、そうか、そういう事か、『剣帝』ルドルフ!」
<翡翠領>の総司令官である、ロザリア=ジェイドロードは狂乱していた。
「確執のあった<封剣流>の小娘なんかに、生涯かけて編み出した【五行剣】をくれてやるはずだっ」
万が一に備えて、最新鋭兵器にして巨大な魔導航空艦・『冥府の翼』に搭乗していた。
最後の手段として、『魔物の大侵攻』の首魁を目がけて体当たりでも、あるいは格闘戦でもしてやろうと、覚悟を決めていたのだ。
だが、それは全て杞憂に終わった。
「我々は勘違いしていた。
いや、謀られていたんだ。
あの老獪に、まんまと騙くらかされていたっ」
しかし、その顔に張り付いているのは、怒りや憤りといった勝利とほど遠い表情。
「『剣帝流の一番弟子』が、出来損ない!?
魔剣士になれなかった、落ちこぼれだと!
あの『剣帝』ルドルフが、これと見込んだ相手がか!
バカを言うなっ」
座席の肘置きに、激情の拳槌を叩き付ける。
「あれは、秘蔵っ子だ。
<封剣流>にとって、銀髪の忌み子・アゼリアが、そうであるように!
我が<天剣流>にとって、爺様に生き写しの甥っ子が、そうであるように!」
軍帽を床にたたきつけ、グシャグシャと明るい金色の髪をかき回す。
「他を絶する才覚が故に、流出を畏れて存在を秘されていた傑物!
それも、この帝国において最強流派たる『剣帝流』が、だ!
『剣帝』本人が、おいそれと表に出す事ができぬと判断し、今まで隠秘せざるを得なかったっ!?
── そうだと考えれば、当代最強と呼ぶに相応しいだろうよ!」
ハァハァ……ッと、息を切らせて、額の汗を拭う。
魔導航空艦の指揮官席に座っていただけなのに、まるで全力疾走したような状態。
女傑ロザリアの胸中にはそれ程の激情が、嵐とばかりに吹き荒れていた。
部下が恐る恐ると差し出す金属コップを受け取り、冷水をいっきに飲み干す。
そして、少し落ち着いた声で、独白を続ける。
「剣帝ルドルフは、発狂せんばかりの心地だったろうよ。
激怒のあまり、天に唾を吐いたかもしれん。
あるいは、運命を呪い、神々に恨み言を叫び、荒れ狂っただろよ。
あるいは狂喜のあまり、笑い死ぬところだったかもしれんな、フフフッ
自分が生涯かけて届かなかった境地に、簡単に至る傑物を見付けたのだから、狂乱も当然だ」
笑い声さえ漏らすロザリアは、同類相哀れむ、そういう顔だった。
「オリジナルの魔導術式で、ナマクラを利刃に変える、だと?
もはや、天才・鬼才・神々の寵児、そんな言葉すら生温いな。
異常と理不尽の体現者か。
『斬撃の魔導』という前代未聞、それが行き着く先は『竜殺の撃剣』とはなっ」
クックックッ、と喉を鳴らす。
すると、再び声に熱がこもってきた。
「古代魔導師すら到達できたか解らぬ、魔導の最秘奥!
それをサラリと創り上げ、凡人が使えるように<魔導具>にまで落とし込む!
そんな埒外のバケモノを弟子に迎えるなら、それはそうだろう!
なあ『剣帝』よ、『恨み骨髄の<封剣流>なんぞだが、一応教えを受けた恩もある手前、まあ【五行剣】くらいならくれてやろう』というくらいに、気が大きくなるよなあ!?」
不意に、激昂する女司令官の目から、光る物がこぼれ落ちた。
「── くそぉっ
あと20年、いや15年でいい!
なぜお前は、もう少し早く生まれてくれなかった!
わたしは憎い!
神童の二人が!
甥のマァリオが!
あの規格外のすぐそばで、直に薫陶を受けさえする、アゼリア=ミラーが!」
それは、堰を切ったかのように流れ続けて、やがて滂沱となる。
「わたしには、切磋琢磨する同世代など、ひとりたりとも居なかったのに!
『帝都に並ぶ者なしの女魔剣士』だぁ!
ふざけるな、そんなのただの孤独じゃないか!
マァリオ、アゼリア、ケーン!
何故、お前たち黄金世代は、そうも恵まれている!
わたしも、歳の近い競争相手さえいれば、目標とすべきライバルがいれば、『剣の極意』にさえ手が届いたのかもしれないのに~~ぃっ!!」
ひとり涙する、かつての孤独な天才魔剣士。
そこに、慌てた声がかけられる。
「ロザリア様!」
「うるさい! 放っておいてくれ!」
激情に荒れる、拒絶の声。
しかし、続いて聞こえてきた部下の報告は、そんな感傷全てを吹き飛ばす物だった。
「しかし、まだあの魔物は!
『魔物の大侵攻』の首魁が、まだ生きています!
いまだに、活動しているんです!」
「………………………………なに?」
ロザリアが涙を拭いて、立ち上がる。
そして渡された道具で、真っ二つに分断された巨大魔物を観察する。
── その頭部が震えて、わずかに持ち上がるのを、望遠鏡のレンズの向こうに確かに見た。
戦いは、まだ終結していなかったのだ。
▲ ▽ ▲ ▽
── 『う、うおおぉぉぉ~……っ』
戦いの趨勢を見守っていた全員から、歓喜の雄叫びがあがる。
それを聞きながら剣帝の一番弟子は、ついに倒れて突っ伏す。
「俺は……おとこ……なん、だよ……っ」
神童カルタは、わずかに聞こえたつぶやきに、万感の声を上げる。
「もちろんっ
もちろん、存じ上げておりますっ
── つまり、男の中の漢!」
一番近くにいた神童カルタと騎士たち約10名は、勝利の熱狂にかられて駆け出した。
倒れた少年剣士に駆け寄り、胴上げでもしそうな勢いだ。
しかし、進路を阻むように巨大な影がユラユラと持ち上がる。
まるで巨木が急に生えてきたような異常な光景に、一同は思わず立ち止まった。
「なんだアレは!」「首魁の首か!」「まだ生きてる!?」「身体が真っ二つになったのに!?」
『魔物の大侵攻』の首魁の、半分に裂かれた首と頭部が、まるで警戒する大蛇の様に持ち上がる!
さらに、損壊した頭の周りに<法輪>が浮かび、『ゴォーン!』という魔物特有の魔法起動音。
「ふせろっ」
誰かの悲鳴じみた指示で、すぐに全員が茂みに跳び込み、地に伏せた。
盾やマントで頭をかばう、防御態勢を取る。
しかし、聞こえてきたのは、バシャバシャと液体を漏らす音。
恐る恐ると頭を上げると、魔物の縦半分になった首を蛇の鎌首のようにもたげて、頭部の断面から粘質な液体を滝のように流していた。
「溶解液の放射!」「いや、まだ準備だ」「あの状態なら、魔物自身もただではすまんぞ!」「一番弟子が危ないっ」
誰かの指摘に全員がハッとなり、倒れ伏す小柄の少年を注視。
確かに魔物は、駆け寄る騎士の一団よりも、『竜殺の秘剣の使い手』を狙っているようだった。
一同、慌てて駆け出すが、すぐに速度が緩んだ。
そして、騎士達の背中から次々と魔法陣が消えていく。
── 身体強化魔法の、効果時間切れ。
「クソっ」「こんな時に!」「勝ったと思って、油断したっ」
騎士が慌てて腕輪型<魔導具>に触れようとすると、制止の声が掛かった。
「もはや猶予がない!
身体強化魔法より、魔法攻撃を!
── つまりは、支援攻撃!」
そう言い残して1人飛び出したのは、冒険者じみた半鎧の巨漢。
<轟剣流>の神童カルタ。
若き英雄の勇ましい背中に、騎士達は素直に従った。
「一斉法撃、準備!
総員、放て!」
機巧発動の『カン!』という音が10ほど重なった。
一点集中した下級・衝撃波魔法【撃衝角】は、威力も射程も増大。
100m程先まで届き、まるで見えない巨人の拳の様に、魔物の巨大な横っ面を殴り飛ばす。
── 間一髪だった!
溶解液を噴き出す瞬間、首魁の半分頭が方向を大きく逸れた。
森の木々が溶かされるだけで済む。
首魁は、まるで人間のように頭を軽く振って体勢を立て直す。
今度は、蛇のように長い首をもちあげて、しならせた。
やがて、頭を振り回して勢いをつけ始めた。
「体当たり!?」「いや、頭突きだっ」「もう一度、一斉法撃!」「いや、間に合わん」「おのれっ」「そうまでして仇敵を殺したいかっ」
いまさら駆け出しても間に合わない騎士達は、口々に叫ぶだけ。
── その直後、『カン!』と魔法の機巧発動音!
剣帝の一番弟子を救出するため駆け寄っていた、神童カルタの巨体が、急加速した。
重い装備に100m/30秒の鈍足だった巨体が、一気に短距離走選手じみた俊足に変わる。
さらに巨漢は、救助から迎撃に方針を変更。
特級魔法で強化された身体能力を振り絞り、大木じみた魔物に向かって一直線。
「我が<轟剣流>が防御だけと思うな!
── これぞ、妙技・轟磊!」
まるで投石機から放たれた岩弾のような、ジャンプタックル。
その剛力無双の体当たりは、大木のような巨大魔物の大きく怯ませる。
「まだだぁ!
── つまりは、追撃!」
逆手握りの宝剣<竜骸武装>が、内蔵<魔導具>を『カン!』と機巧発動。
本来なら飛び道具か、敵魔法を相殺する盾として利用される【撃衝角】。
それを、空中攻撃のための『推進力』として利用する ──
── 瞬間3回転半の4連斬!
神童カルタの<長剣>が、『魔物の大侵攻』の首魁の頭部をズタズタに切り裂いた。
その足下に、カカン!と何かが跳ねる。
青灰色の魔物肉に覆われた『人間の腕くらいの枝状物体』に気付く者は、まだ誰もいなかった。
▲ ▽ ▲ ▽
魔物が狂ったように身を震わせ、グネグネと踊るように暴れる。
大蛇がのたうち回るような首魁の巨大頭部。
とても手のつけられないような暴れっぷりだ。
「なんだ、これは……っ」
神童カルタは、取りあえず大きく飛び退る。
「攻め時か、いや、様子を伺うべきか?
── つまりは、困惑」
「まるで、治療後に麻酔が切れた時みたいですね……」
神童カルタの疑問の声に応えたのは、ようやく駆け寄ってきた騎士たちの小隊長。
「なるほど……
言われて見れば、確かに激痛に悶えているようでも、ある。
だが、これでは手が出せぬ。
── つまりは、静観」
カルタがジリジリ後退を続け、倒れている剣帝の一番弟子の元にたどり着くかどうか、という所で魔物の動きが少し鈍った。
「来るか……!?」
「総員、一斉法撃での迎撃準備!」
── 『おう!』
野太い返事と、規律正しく整列する鉄靴の音が響いた。
神童カルタは、目線は魔物に固定したまま、申し訳なさそうに告げる。
「すまんな、騎士の方々。
せっかくの勝ち戦だというのに。
最後の最後に、こんな不運に付き合わせて。
── つまりは、貧乏くじ」
「……先ほど。
身体強化魔法が切れた時、恐怖で足が竦みました。
重装甲を着込んでおいても『未強化』で魔物に立ち向かうなんて、正気の沙汰ではない。
久しぶりにそんな恐怖を思い出しました。
だが、それを常とする小さな勇士が居て、さらには竜すら斬るような絶技を編み出した。
英雄ですよ」
「ああ、我らが英雄だ。
── つまりは、憧憬」
神童と騎士の小隊長は、同じタイミングで、チラリと後ろに視線を向けた。
「そういう訳だ、すまん。
みんな、『人類守護の剣』を生かすため、ともに死んでくれ」
しんみりした声に、快活な笑い声が応える。
「気にすんな、タイチョー」「戦場で死ぬのは、大人の役目だぜ」「ああ、こんなガキにはまだ早い」「子どもを見殺しにするなんて、寝覚めが悪いからな」「神経質な面してるからな、きっと祟られるぜ!」「お~、コワっ」「実体のないユーレイより、魔物の方がよっぽどマシだな?」「ハハハッ、ちがいねえっ」「タイチョー、オレらアンタに着いて行くって決めてんだっ」
絶体絶命の窮地も、死の恐怖も、軽く笑い飛ばす。
まさに、勇猛果敢の騎士達だった。
「……すまんな、みんな」
騎士の小隊長は、震える声。
神童カルタは剣を構えたままで、少し目を細めて小声で祈った。
「……<黒炉領>で散った戦友達よ。
英霊となり神々と共に見守ってくれているなら、少しだけでいい。
今だけ、力を貸してくれっ
── つまりは、武運招来!」
そして、魔物の頭部が、再度持ち上がる。
病人かケガ人が寝床から身を起こすような緩慢さで。
しかし、明らかな殺意と敵意を秘めた、逃げ出したくなるような迫力で。
神童カルタと騎士たちは、剣や杖を握る手に力を込める。
── まさに、人間・対・魔物の、最終局面!
だが、誰もが失念していた。
誰よりも、『剣帝の一番弟子』の無事を案じる者がいる事を。
その人物が、碧眼を血走らせながらも、魔物の知覚の外に潜み、虎視眈々と好機を狙っていた事を。
弱った魔物が、向かい立つ勇士11人の気迫に怯み、動きを鈍らせた ──
── その瞬間、憤怒の炎のような赤い瞬影が、閃いた!
「リアのお兄様に、何しますのっ!
ブチコロですわよぉ~~~!!」
それは、弩弓の矢のように飛翔し、身体ごとぶつかる刺突。
軟体生物の巨大頭部を、激しく揺らす!
「未完成版の剣帝流奥義『疾駆の飛突』ですわぁ!
か・ら・のぉ! ──」
銀髪をたなびかせる少女。
天が遣わした戦乙女もかくや、という麗美な勇姿。
さらに、『剣帝』後継者の攻撃が続く。
「── 【秘剣・三日月:弐ノ太刀・禍ツ月】ですのぉ!」
追い打ちの魔法剣が、首魁の体内で炸裂!
少女はすぐさま剣を抜いて、巨体から飛び退く。
「お師匠様の『五行剣』で魔物を追い詰め、お兄様の『必殺技』で止めを差す!
これが、わたくしアゼリアの『新生・剣帝流』ですのよぉ~!
── お~ほっほっほっほっほぉ~~~!!」
演劇の悪役のような高笑いをする少女の後ろで、巨体がドスンと倒れた。
まるで、芝居小屋の殺陣じみた光景だ。
ドドドォ~ッ!と傷口から体液が噴き出し、『魔物の大侵攻』の首魁は完全に動かなくなった。
▲ ▽ ▲ ▽
それからのアゼリア=ミラーの動きは、迅速で的確だった。
倒れた兄弟子を抱きかかえると、すぐに【五行剣:火】の能力で飛び去って行った。
「皆様がた、お兄様を守って下さった事、感謝申し上げます。
では、急ぎますので」
そんな一言だけを残して。
「うむ、我が天使から感謝の言葉、これ以上の報酬はない。
── つまりは、感無量!」
神童カルタは満足そうに、ひとつ肯く。
そして、息絶えた首魁に近寄ると、宝剣を振りかざして巨木並に太い首に何度となく振り下ろして、切断した。
そして、天を仰ぎ、大きく息を吸う。
「そして、『我らが英雄』の勇姿も伝えねば!
── 剣帝流が、『魔物の大侵攻』の首魁を討ち取ったぁぁ!」
勝利の絶叫は、すぐに戦場に伝播する。
あちこちで、『剣帝流が、『魔物の大侵攻』の首魁を討ち取ったぞ!』と同じ言葉が木霊の様に叫ばれ、広がっていく。
── 『剣帝流!』
── 『剣帝流!』
── 『剣帝流!』
── 『剣帝流!』
── 『剣帝流!』
やがて、戦場にそんな賞賛の声が響き渡った。
▲ ▽ ▲ ▽
『剣帝』後継者アゼリア=ミラーは、背負う人物に優しく囁きかける。
「お兄様、聞こえますか?」
答えは求めていない。
ただ、彼女は語りかけたかっただけ。
「貴男を讃える、人々の声が」
森の木々を飛び越え、枝から枝に飛び移りながら。
「もはや誰も、貴男を『落ちこぼれ』などと侮ったりしません」
戦場を駆け抜け、横目に歓喜に沸く騎士や冒険者を見ながら。
「わたくし、ロックが兄弟子である事を、本当に誇らしく思いますわ」
城壁を飛び越え、歓迎するように手を振る市民の喝采を見ながら。
「ねえ、リアの、大好きなお兄様?」
そして、<翡翠領>の街中にたどりつき、治療所の係員に預ける。
その際に、彼の汚れた頬を拭いて、チュ……ッと小さく口づけた。
街を、人々を、超巨大魔物から守った小柄な勇者への、ささやかな報酬だった。
!作者注釈!
残りエピローグ2話の予定。
それから、学園&帝都編?