94:竜殺のユーレカ
── ギャギャギャギャギャギャリリリィ~~~ンッ!!
いきなり戦場に響き渡ったのは、耳をつんざく破滅的な異音。
音の方を見上げれば、森の上に突き出る二つの巨魁 ──
── 一方の巨魁は、魔物。
『魔物の大侵攻』の首魁。
このまま進めば、都市城壁をたやすく踏み潰して<翡翠領>の街中へ魔物をなだれ込ませるであろう、超巨体カタツムリの魔物。
── もう一方は巨魁は、魔法。
見上げる程に巨大な、蒼白に輝く魔力の、巨大な刃の集合体!!
巨大魔物を食い殺す、と術者の怒り叫ぶ声が聞こえてくるような、すさまじい殺意の顕現!
「アレが、先ほど天使さんの言っていた……?」
その独り言にかぶせるように、周囲から声がかかった。
「── 神童殿!」「アレが先ほどの話の!?」「アレが、剣帝流の秘剣!?」「なんという凄まじさだ!」
一緒に避難した騎士たちは、声どころか身体も震わせていた。
それを振り返り、カルタは小さく肯く。
人を従える立場として、動揺を悟られないようにしなければ、と緊張しながら。
「あ、ああ……。
── いや、その通りっ」
豪胆なる巨漢の神童としても、内心では冷静では居られない。
そんな事態であれば、当然、一般の騎士達はなおさら。
不安と期待と疑念の顔で、口々にさんざめく。
「あんな物をいち個人が?」「有り得んだろ」「何か、最新鋭の魔導兵器では?」「それにしたって、異常だぞ」「青い魔力光……」「まさか戦略級の攻撃魔法か!?」
── ジャジャジャジャジャジャジャァ~~~……ッ!と、砂利を掻くような音が鳴り始める。
少しして、バラバラバラ……、と周囲に何かが降り始めた。
高所からばらまかれた落下物を拾って、騎士達は騒ぎ始める。
「これ、まさか」「あの首魁の、肉片か……?」「あの巨大魔法で、削りきるつもりなのか!」「いける、いけるぞ!」
体高40mもある巨大カタツムリ型魔物の頭部は縦に両断され、ダランと左右に分かれて垂れ下がる。
真っ当な生物なら、もはや即死の状態。
だが、今回の『魔物の大侵攻』の首魁は、原生的な生命力を持つ虫型魔物。
半端な攻撃では、徒労に終わるだけ。
堅牢な殻を破壊して、その中で守られている重要臓器を全て破壊し尽くさなければ、討伐できない。
<翡翠領>騎士団の上層部は、そう予想していた。
── ガギャギャギャギャギャギャギュワァ~~~……ッ!と、魔物の巨体を刻み続ける回転刃の音が、鈍く低くと、変調する。
背負う巻貝型の甲殻へ、先ほど神童コンビでこじ開けた甲殻の大亀裂を目指して、巨大回転刃は進んでいく。
「ガリガリ鳴り始めたぞ!」「殻を!」「いけるのか!?」「食い破り始めた!」「あの方向!」「ひび割れから食い破るつもりだ!」「よし、いけぇ!」
「…………な、なんと……っ」
『このまま巨大魔物を抹殺する』と ──
── 貝殻を破り、急所へと迫る、青い魔導の巨大刃群。
いったい、どれほどの切れ味を有する、魔導の奥義なのか。
「まさか、本当に……
竜を、斬れるのか……?
── つまりは、疑念」
神童カルタは、つい先ほどのやり取りを、思い返していた。
▲ ▽ ▲ ▽
今から数分前。
神童カルタは、想いを寄せる少女に、こう警告を受けていた。
「お兄様が、『覚醒』されましたわ。
<轟剣流>の神童の方、お逃げあそばせ?」
「ユー……なに?」
「『ユーレカ』です。
それ自体は意味のない声音らしいですわ。
苦心の末に閃きを得た際に漏れる、震える魂の発声」
「すまん、意味がわからんのだが。
つまりは、困惑」
「お兄様が、コレを殺しきる術式を閃いたようですの」
「コレ、とは?」
神童カルタは、いきないで脈絡のない話をする少女に、聞き返す。
するとアゼリアは、自分たちの立つ足下を指差した。
「ですので、コレですわよ。 コ・レっ!」
「ま、まて、首魁だと?
『魔物の大侵攻』の首魁を、か!?」
あまりに簡単に言う少女に、巨漢は顔を引きつらせた。
アゼリア=ミラーは、淡々と、当然のように話を続ける。
「ええ、新たな『秘剣』 ── 新『必殺技』が放たれますわ。
おそらくは、一切の手加減のない殺戮の絶技になるでしょう。
その範囲から逃れていないと、誰であろうと、何者であろうと、等しく死にますわよ?」
神童カルタは、しばらく逡巡。
内容が内容だ。
あまりに突拍子もない。
片思いの女性に嫌われたくないという躊躇いから、おそるおそると尋ねてみる。
「……自分は、直接、確認していない。
だが相棒ルカから、天使さんの兄弟子殿、つまりは剣帝流一番弟子殿が、尋常ならざる修練の主とは聞き及んでいる。
だが、それでも『魔剣士になれなかった剣士』のハズ。
すなわち『魔力不足を理由に、魔剣士になれなかった』のではなかったのか?
── つまりは、矛盾」
神童カルタの指摘は、誰が聞いても当然と肯くもの。
すると、銀髪の美少女は、その麗しい顔を忌々しそうに歪めた。
「フゥ……ッ
世俗はお兄様のスゴさを理解しない者ばかりですわ」
「この巨体に致命傷を与えるには、天使さんの兄弟子殿ではあまりに魔力が少なすぎる。
── つまりは、力量不足」
「── お兄様が、力量、不足……ですか」
アゼリア=ミラーは、失笑。
呆れた冷たい目を向けてくる。
「まあ、貴男ごときが、よくも大口を叩けますわね?
周囲から『神童』と持ち上げられて、増長しましたの?
リアのお兄様に対して、『魔剣士ならざる身』でありながら<終末の竜騎兵>を斬らんと迫る、史上最強の『剣士』に、よくもまあ」
そして何か、明らかに異常な事を、口走った。
神童カルタは、思わず問いただす。
「ま、待たれよ、天使さん。
いま、その方は、今何と?」
「半月ほど前、お兄様は空前絶後を成し遂げましたの。
ついに<終末の竜騎兵>に一撃、手傷を負わせたのですわ
あと数年すれば、その首にも届くでしょう。
であれば、この程度の魔物1匹斬り捨てるのに、何の不思議がありますの?」
「── ィッ! ヒュ……ィ!?」
神童カルタの口から、悲鳴じみた吐息が漏れる。
そんな話、信じられるワケがない。
相手は、あの<終末の竜騎兵>なのだ。
百と数十年前に、<聖霊銀>武装の精鋭を蹂躙した、絶望の化身なのだ。
その後、700の魔剣士が決死戦を挑み、半数近く死傷させられた、桁外れの怪物なのだ。
── それを『未強化』で斬る?
無謀なんて表現すら生温い。
夢見がちな子供の妄想以下の、何かだ。
神童カルタの心に、そんな疑念と混乱が渦巻く。
「い、今の話……
天使さんの兄上・一番弟子殿ではなく、師・剣帝殿の話では……?
── つまりは、確認」
「お師匠様であれば。
すでに<終末の竜騎兵>を、単身で斬り捨ててますわよ?」
「……ぅッ…………ぁッ」
神童カルタは、次々と告げられる想像を絶する事実に、肝が潰れてしまう。
もはや、言葉もない。
天使のように麗しい銀髪少女は、小さく笑って告げる。
「あらためて申し上げます。
『やがて竜を斬る』リアのお兄様が、新『必殺技』を放たれますわ。
すぐにお逃げにあそばせ?」
── 神童カルタは、それからの事をはっきり覚えていない。
現在の状況からすれば、想い人・アゼリア=ミラーの指示に従って首魁の巨体から飛び降り、ついでに周囲の騎士に声をかけて撤退してきたのだろう。
だが、あまりに記憶があやふや。
告げられた内容 ── 剣帝一門の『真実』は、それ程に衝撃的だった。
▲ ▽ ▲ ▽
神童カルタは、どのくらいの時間、そんな記憶を反復していたか。
ガギャギャギャギャギャァ~~~……ッ!と、硬い甲殻を斬り裂くやかましい音が、相変わらずに響き続けている。
「いける!」「倒せる!」「帰れる!」「生きて帰れるぞ俺たち!」「もう終わりだと……、そう思っていたのにっ」「ああぁっ!」「家族に、また会えるのか……っ」
周囲では、決死戦の覚悟で出陣した領主騎士団の精鋭達が、少しばかり気の早い勝利の涙を流していた。
「フゥ……ッ
── 『周囲から神童などと持ち上げられ続けて、増長していた』、か」
神童カルタは、想い人から向けられた失笑の言葉を、ひとり繰り返す。
「自分は、俺は、今までいったい、何をしてきたのだ……っ」
必死に、武の道を突き進んだ。
周囲の期待に応えて、ひらすら鍛えてきた。
だが、いま振り返ってみれば、果たして大した苦労だったろうか。
<轟剣流>という、先人が造り上げた『既定路線』を、生まれ持った能力に飽かせて、何の悩みもなく進んだだけではないか。
急に、己がちっぽけに思えてきた。
「結局、胡座をかいていたのか……」
才能も素質もなく、魔力は一般市民にも劣る。
その人物が歯を食いしばって歩んだ道程は、きっと苦難と困難の極み。
そして今や、竜すら斬らんという、至高の境地に手を伸ばしている。
自然、頭が下がる。
自分も、と思う。
俺も、と強く思った。
「強く、なりたい。
心も体も技も、全て。
『神童』に相応しいくらい。
── つまりは、精進!」
そんな言葉を、独りしみじみと、つぶやく。
不意に、周囲を席巻してた騒音に、変化が生じた。
── ギュギャ・ギャ、ギャギャ……ギャッ、ガガ……ッ、ガッ……… ── と、耳をつんざくような騒音が途切れ始める。
神童カルタは、思索から意識を戻し、首魁の巨体を見上げる。
剣帝流が放った、青い風車のような巨大攻撃魔法は、今にもその動きを止めようとしていた。
▲ ▽ ▲ ▽
剣帝の一番弟子が放った、竜殺の秘剣。
青い風車のような巨大攻撃魔法。
何の不具合があったのか、それは巨魔を殺しきる寸前で、動きを止めてしまった。
「終わった、のか?」「いや、だが、まだ殻の途中だ」「半分残っている」「おい、斬られた頭が動き始めたぞっ」「まだ生きてるのか!?」「では、失敗かっ」「畜生っ、ダメだったのかぁ……」「なにが剣帝流だ」「期待してたのにぃっ」「くっそぉぉっ」「結局こんなもんかよっ」
「終わり……なのか?
── つまりは、失敗?」
神童カルタは、意表を突かれた顔でつぶやく。
── こんな所で終わってほしくない……!
巨漢の胸に、不意にそんな想いが沸き立った。
気がつけば、巨漢は野太い声で力の限り叫んだ。
「剣帝の一番弟子!
その方は、それでも帝国男児か!?」
力なく倒れる寸前で、なんとか震える細腕で自分の身を支える、華奢な少年へ。
致命傷を負った獣のように、四つん這いで震える、戦傷者へ。
「辺境で武に生きる益荒男ではないのか!?
それとも、女々しくうずくまるだけの、腰抜けか!
── つまりは、男か!?」
そんな非難じみた言葉の強さは、神童カルタの期待の強さ。
あと1歩だけ、奮い立って欲しかった。
── 惜しかった。
── 頑張ったのに。
事を為せぬまま、そんな慰めで終わって欲しくはなかった。
だから、非道と解っておきながらも、あえて言葉の鞭を打った。
「── ぁ……ぅ、あぁ……っ」
返応が、あった。
彼は、
いや、男は、
そう、漢が、立ち上がる。
体躯はか細く、肩幅も華奢で頼りなく、身体からあふれ出す魔力光など微々たる物で、そこらの子供の方がずっとマシ。
そんな不利に屈せず、ただ高潔な意志と魂を持って不条理をねじ伏せる、男の中の漢が立ち上がる。
── 『おおぉ……っ』
自然、何人もの口から感嘆の声が漏れた。
両手の指は激しく損傷していて、血まみれ。
顔面は青アザと鼻血と土気色で、ほとんど死人の形相。
全身くまなく汚れていて、小さな傷など数える気にもならない。
武の若い達人がまともな姿勢を取れず、腰の曲がった老人じみた不格好なのだから、その負傷と疲労の程が伺い知れる。
先ほどの絶技の反動か。
あるいは、巨魔の前に立つための代償を支払ったのか。
誰が見ても限界だ。
今すぐにでも治療が必要だ。
しかし、立つ。
戦うために。
力なき者のために。
まさに、漢の在り様だった。
「俺はぁ~~~、男だぁ~~~~~!!」
怨敵を討てるなら、我が身いまこそ砕けよ ──
── そんな鬼気迫る顔で、両手を前にかざすと、何か青い光がクモの細い糸のように煌めいた。
竜殺の巨大魔術が再始動。
ギュラララララララァァァァァ~~~~!!
いっそうの勢いで旋回する巨大な八刃。
ついに首魁の背負う高さ40mの巻貝殻さえも、完全に真っ二つに断ち切った。