90:名誉と恥辱
<翡翠領>の城壁外。
数日前に、魔導兵器による極大魔法の余波で荒野になった場所に、若い男女の明るい声が響く。
── 『お兄様ぁ~~!』
── 『おお、リアちゃん、こっちこっちぃ!』
そこだけ場面を切り取って見れば、さわやかな日常の1コマ。
息を弾ませ、嬉しそうに駆け寄る少女。
手を振って、小走りで出迎える少年。
あるいは、微笑ましい青春の1ページ。
仲の良い兄妹なのか。
または、『兄』と『妹』と呼び合う程に、近縁の恋人同士なのか。
そこだけ ── 人物の周りだけ画面を切り取って見れば、そうも見えなくもない。
── どうにか、ぎりぎり、かろうじて、見方によっては ──
お互い軽装で駆け寄りながら、次々と魔物を斬り捨てていなければ。
さきほどアゼリアに助けられたばかりの下士官は、少女と少年の群を抜く活躍を見て、深々とため息。
「はぁ……あんな腕前が、もう1人いるのか……?
冗談だろ……」
どちらも、軽装甲で、見慣れぬ顔立ち。
で、あれば『都市の非常時で引っ張り出された冒険者』という事で、間違いはないだろう。
── しかし、A級冒険者の中でも選り抜きの『AAA』というのは、あれほどの腕前なのか。
── 副都の冒険者ギルド所属か、あるいは<聖都>の冒険者ギルド所属なのかは知らないが、どれほどの猛者揃いなのか。
── 帝都の魔剣士名門道場でも、あんな若い達人が、いったい何人いる事か。
遠くで見守るだけしかできない下士官は、そんな益体のない事さえ考えてしまう。
「たしか、A級冒険者に約束した報償は、金貨2枚だったか……
あれほどの働きなら、特別手当でもつけてやらないと、文句を言われかねないな」
彼女と彼の周りでは、その流血の匂いに惹かれて、散らばっていた飛行型魔物が集まっている。
だが若い2人は、魔物に追われている事など、まるでお構いなし。
むしろ、ジョギング程度の走速というテレテレと鈍足で、魔物を引き離すどころか、大量に引き連れてさえいる。
見ているだけで『今にも魔物集団に追いつかれて、牙や爪で八つ裂きになるのでは?』と、少し心配になる程なのだが。
少女にも、少年にも、呆れるほど緊張感がない。
どこか『足りない』のではないのだろうか、と疑いたくなる程だ。
「無論、強かな冒険者どもの事だ。
何か、方策を用意しているのだろうが……」
下士官が遠くでそんな事を言っている内に、少女と少年が合流を果たす。
── 『よぉし、リアちゃんジャ~ンプ!』
── 『はぁ~いっ、ですのぉ!』
小走りで駆け寄ってきた銀髪少女を、黒髪の少年が靴底をすくい上げるようにして、空高く放り上げた。
当然、その隙だらけな少年の背中に、引き連れていた魔物が殺到する。
いや、それだけではない。
空中に放り投げられた少女にも、飛行型の魔物が集まっていく。
「── 危ないっ!」
立ち尽くす下士官の、その視線の先に気付いた部下が、切迫の叫びを上げた。
「フン……。 今さら何を」
だが、下士官本人は、白い目で一瞥するだけ。
そして、静かに結果を見守る。
かすかに、遠方から『チリン!』と魔法の自力発動音が聞こえた。
その直後、少女と少年の声が、重なる。
── 『【秘剣・三日月:参ノ太刀・水面月】!』
血飛沫が、まるで波紋のように広がった。
空中と地上で、二重の血の波紋。
バタバタと魔物が倒れ、ドサドサと空中から落下する。
「── なんですか、今のはっ」
「……バ、バカなっ」
部下は悲鳴、下士官は呆然。
まるで、見えない巨人が剣を振り回して、半径数十mを薙ぎはらったかのような、異常な光景。
「……じ、自分自身を起点として、広範囲の特級攻撃魔法を発動した!?
いや、違う! それは有り得ん!
どんな魔導の達人でも、そんなの無傷ではすまないっ
だったら、何が、いったい……っ
特殊な効果の、何か特別な魔導兵器でも、あの場所に仕掛けていたのか……?」
下士官は目を丸くして、驚き・感嘆・疑念の表情を繰り返す、ひとり百面相を始めた。
▲ ▽ ▲ ▽
冒険者らしき風体の少年少女は、現実とは思えない『離れ業』を為した。
遠方から観察していた下士官は、戦闘指揮の常として、つい分析を始めてしまう。
そんな風に、ひたすらに頭を捻っていると、脇から思いがけない声が聞こえてきた。
「うわぁ~……、相変わらず、一撃だよ」
「ボウズもお嬢ちゃんも、ホント半端ねえッスね?」
「まったく、味方となればこれ程頼もしい相手もいないな」
「いつもながら冗談みたいな強さ、さすがは『剣帝流』だねぇ」
「── なんだと!?」
下士官が弾かれたように振り向く。
苦笑いしながら遠方を眺めていたのは、部下の中でも厳つい男騎士ばかりが数人。
「お、お前たち……っ
アレを知っているのか!?」
驚愕に目を見開いたままの上司。
対して、部下達は『いつもの事』とばかりに口々に暢気な返事。
「ほら、『剣帝』様の弟子2人ですよ」
「兄弟子がロックで、妹弟子がアゼリア。副隊長は知らなかったッスか?」
「その辺の冒険者でも、顔を見知っていると思うが……」
「よく冒険者ギルドに出入りしてるらしいしぃ?」
下士官は、部下達の言葉に息を呑む。
「『剣帝流』だとっ
つまり『剣帝の弟子』ぃっ!?
師である『剣帝』本人のみならず、その弟子すら、あんな凄腕なのか……っ」
下士官の、疑いの残る目で振り返り、口元を引きつらせる。
そして、ハッと何か気付いた。
遠方の少年少女と、部下達の顔と、視線を往復させた。
「── おい、待てっ
お前たち『弟子2人』と言ったか?
今さっき、『ボウズもお嬢ちゃんも』と言ったな!
男児の弟子、『剣帝の一番弟子』の方は、魔剣士失格の落ちこぼれじゃなかったのかっ!?」
すると、部下達は顔を見合わせて、次々と口を開く。
「それ、『剣帝流としては失格』って意味なんじゃないんですか?」
「あー、ありそう。最強流派だから、基準も『雲の上』って事ッスかねー?」
「ワシも、あのボウズに手も足も出なかったからな……あれで身体強化魔法を使えないのだから」
「いわゆる『魔剣士より強い剣士』 ── まさに『理不尽が服着て歩いてる』って感じだからねぇ。アッハッハッ」
「── はあぁ~~~っ!?」
下士官は、部下の言葉を聞いて、素っ頓狂な叫び声。
事態が飲み込めないと、遠方の少年少女と、部下の方と、何度も何度も顔を向ける。
まるで犬が濡れた毛から水気を払うように、激しく頭を振る。
そして見開いていた両目を、飛び出んばかりに、目尻が裂けんばかりに、さらに目玉を剥いた。
「フ……ハッ、ハハハッ……」
そして、遠方で寄り添う少年少女の人影をじっと見つめれば、その内1人に『身体強化魔法の魔法陣が背中にない』という、異常な状況を確認できた。
下士官は、声を震わせて天を仰ぐ。
「魔剣士失格の落ちこぼれが、『魔剣士より強い』だと!?
ふざけるな、あの少年は『身体強化魔法を使えない』だと!?
だったら、今もまた、完全な『未強化』で、あれだけの魔物を討ち取っていたあ~~ァ……ッ!?」
下士官は、今度は勢いよく頭を下げて、顔を伏せる。
軍人として短く切りそろえた金髪のボブカットを、振り乱すように。
「── だったらぁ、それ以下の我々は、いったい何だっ!?
魔剣士失格の弟子にすら、足下にも及ばない、出来の悪い魔剣士かぁっ!?
そんなアタシ達が、果たして『領主騎士団』と呼べるのか!?」
下士官は、絶叫のあまり、ゼーゼーと呼吸を乱す。
目眩の様によろめき、魔物の死骸に片手をついた。
── 先ほど、銀髪の少女が事も無く倒した、超強敵の魔物の死骸に。
── 自分たちが劣勢を強いられていた、脅威力4の超強敵の死骸に。
「『領主騎士団』のクセに……っ
冒険者など『はみだし者』と嘲笑っているクセにぃ……っ
アタシ達は、『脅威力6を超える巨大魔物』に対抗する都市の守護者なのにぃ……!
たったっ、たったの『脅威力4ごとき』にすら、手こずっているぅ~~ぅっ!?」
下士官は、鉄兜を脱いで小脇に抱えると、自分のマントで顔の汗をひとぬぐい。
「屈辱……っ、屈辱ぅ!
こんなの、ひどい屈辱じゃないか……っ」
いや、ぬぐったのは汗だけではなかったかもしれない。
だが、あえて誰も、指摘はしなかった。
▲ ▽ ▲ ▽
部下達はしばらく上司の様子を伺っていると、様子が急変する。
「── ……ハッ
……ハハハ……ッ
あの少女が激情を隠さなかった理由は、コレかっ
ア~ハッハッハッハァッ、真意が解れば、まさに傑作じゃないか……っ!」
下士官は、吹っ切れたように乾いた笑いを上げた。
「……な、何の話です?」
最初から隣に居た部下が、驚きながら問いかける。
下士官はひとしきり笑って、呼吸を整えた。
振り向いた顔は、完全に目が据わっている。
「今日の明朝、あの<竜骸武装>を献上した商人の娘の事だ。
代行 ── ロザリア様に対して、まるで喰い殺さんばかりの視線を向けるという、無礼極まりない態度をしていた。
あそこに居た誰もが『この礼儀知らずが、非常時に宝剣を献上という、特別な事情がなければ不敬罪でしょっぴいているぞ!』と、内心は憤っていたんだっ」
下士官は、ハハ……ッと、笑う。
仕事帰りの酒場で泥酔してクダを巻いているかのように、目つきも声色も危なっかしい。
「── だが、今、理解した。
いや、理解、させられた……!
あれは、我々の『無能さ』と『惰弱さ』に心底怒り、憤っていたんだっ!!」
「はぁ……?」
急に、負の感情を爆発させた上司に、部下達は困惑の表情。
しかし、下士官は構わず続ける。
まるで酔っ払いが、部下に繰り言の説教でもするように、聞き手の様子などおかまいなしで。
「── 『なんだ貴様ら騎士の、その体たらくは!?』と!
彼女の『命の恩人』のひとりである、剣帝流の一番弟子を、『才能無しの落ちこぼれ』、『魔剣士になれなかった出来損ない』、そう嘲笑っているくせにっ
その彼より、比べ物にならない程に腕前が劣るくせに!
魔剣士になれなかった身で『巨人の箱庭』の魔物に挑む少年に、気概すら劣るくせに!
── そう失笑され、『処置なし』と見下されていた訳だ!!
これを傑作と呼ばず、なんと言う!? なあ、お前達っ」
「じゃ、『巨人の箱庭』……? その魔物に挑む、気概ぃ!?」
「副隊長、それはいったい何の話ッスかぁ!?」
「ま、まさか、あのボウズが現世の地獄に!」
「もしや、あの<竜骸武装>とはっ!」
今日の決死戦の直前に、士気向上のため出陣式典が行われた。
その目玉は、『帝国西方の神童コンビ』に1本ずつ授けられた、<竜骸武装>2本の授与式。
世界の終わり『雪禍の旦』に人類を滅ぼすと言われる、<終末の竜騎兵> ──
── その死骸から造り出されたという、おそらく当代最強の宝剣。
いきなり降って湧いたような希望に、下級騎士も冒険者も一般市民も、大いに盛り上がった。
その真相が、明かされる。
騒ぎを聞きつけ、他の小隊も集まってきた。
最初から居た周囲の部下達は、一斉にツバを飲み込んで、言葉を待つ。
下士官は、ぐるりと部下に囲まれている事も構わす、髪をかき乱しながら吐き捨てるように告げた。
「── あの<竜骸武装>3本は、なあ。
剣帝と、その弟子たちが、『巨人の箱庭』で<終末の竜騎兵>を人知れず討ち倒してきた。
その証、だという事だっ」
精神的ショックのあまり、口外厳禁の極秘事項すら口にした。
── 当然の様に、周囲はパニックに陥る。
ここ<翡翠領>は、遙か昔から『世界の終末の日』に怯えて暮らしていた土地。
滅びの先兵である<終末の竜騎兵>の名など、半ば禁句扱いだ。
街中でその名を叫ぶだけで、衛兵に連行されるくらいだ。
「バカな!」「<終末の竜騎兵>っ」「本当ですか」「剣帝流は一体なにをっ」「『未強化』で現世の地獄に!?」「正気か!」「何故生きていられる!?」「討ち倒す!?」「可能なのかっ」「出来る訳ないだろうっ」「ハハ、曾祖父の仇、討ってくださったのか!」「いままで何百という騎士が犠牲になった相手だぞっ」「ありえないっ」「さすがは剣帝様っ」「でたらめだぁ!」
悲鳴と疑念と歓声が、一気に響いた。
にわかに騒然とする。
だが下士官は、そんな周囲の様子には構わない。
情緒不安定に表情を激変させ、目を潤ませて怒り狂った。
まだ城壁外での戦闘中だというのに、脱いだ鉄兜を地面に、力の限り叩き付ける。
「── クソォォ~~~~ォッ!
我々が『処置なし』だとぉ~~っ
我々、<翡翠領>の守衛騎士団が、手の施しようのない、始末におけない愚者だと!?」
ヒヒヒィッ、と引きつった声でやけっぱちに笑い、頭を抱えて絶叫を始めた。
「── ああぁ~、そうだよぉ~っ!
まったくもって、その通りだよ、商人の娘、マリアンヌよ!!
その証をこうも見せられれば、もはや何ひとつ言い訳も出来やしないぃ~っ!
そうだよ、そうでしょう、全くその通りですよぉ~~っ!」
さらに、下士官は、露わになった金髪のボブカットを振り回す。
涙すら流しながら、地団駄を踏む。
「アレを! 彼を! その腕前を!
あの、剣を志すなら、誰もが尊ぶべき使い手を!
その技量ひとつ見抜けず、『魔剣士失格』と笑い、『落ちこぼれ』と蔑む程に、愚劣で恥知らずなら!
我々のような『魔剣士もどきのクズ集団』は、己の怠惰と無能を恥じて、今すぐにでも自刃して死ぬべきでしょうねぇ~っ!」
まるで、『年甲斐もなく癇癪を起こした良家のお嬢様』といった様子だ。
「── ああぁっ、アタシ自身よ!
自分が、かつて『落ちこぼれ』と笑った者の、人間の限界に迫らんとする、あの清く気高き魂の練武を見ろ!!
エリート気取りのお前は、今まで、いったい、どれほどの修練を積んできた!?
己の限界まで突き詰めた事が、何度ある!
その壁を打ち破り、さらなる高みを目指した事が、一度でもあったか!
── だったら、才能と素質に恵まれ、それに胡座をかいて他人を見下してきただけの、ただの愚か者じゃないか!?」
激情のあまり、もはや流す涙すら、部下にも隠さない。
「……ああっ、なるほど『ロック』かっ!?
あの方は、『岩塊』という偽名だと!
生まれも、名も、全て捨てて、ただ己を一塊の『岩塊』として、ただひたすらに磨き上げん ── その様な高貴なる決意の表れなのですかぁ~ァッ!!
── ああぁっ、アタシ自身よ!
例えるなら、河原の岩塊を研ぎ続けて石包丁に整え、それを名剣・利刃に迫る程に磨き上げた、あの珠玉の剣士の生き様を見ろお~ォッ!!」
涙を流す下士官は、悲嘆に暮れるような大声を上げ出す。
「アッハッハッ!
<天剣流>が女傑ロザリア様に憧れ、東北の地に来て腕を磨く事、5年!
まさかこんな辺境に、我が生涯の師と仰ぐべき方が、いらっしゃるなんて!!
もはや、年下だの、子供だの、他流派だの、もはや関係ない!
人脈を利用し、財貨を山と積み上げ、伏して頼み込んでも、教導を受けるべき相手だろう!
例え、その足下にすがりつく醜態を晒して、恥も外聞もかなぐり捨て、女色を使い身命を捧げてでも、教導を請うべき相手だろう!?
そんな武門の至宝を、噂だけで勝手に判断し、勝手に見下してきただと!?
── アタシ、こんなの、恥ずかしくて生きていられないっ」
下士官は、途方もない失態を犯したとばかりに、ついに泣き崩れてしまう。
部下たちは、やや遠巻きでヒソヒソと声を潜めて話し合う。
先ほどの<竜骸武装>の一件でパニックになっていた者たちも、今は落ち着いている。
というよりも、上司の狂態が凄まじ過ぎて、全員が冷や水を浴びせられたような気分だ。
「うわぁ……、副隊長、ぶっこわれた?」
「プライド高いもんな、この女性」
「名門貴族の出自だろ、噂じゃ、確か」
「こんな調子じゃ、もう戦闘指揮とかムリだろ……」
「このお姫様、治療所に連れて行った方がいいんじゃないか?」
狂乱する女上司を前に、扱いに困る部下達。
そして、そんな騒動から少し離れて、生暖かい目をしている屈強な体格の騎士たち。
「ハッハッハッ、なんだか懐かしい光景だな、これ」
「ホント、2カ月前の自分たちみたいッスね?」
「……同志として、先達として、無様とは言うまい」
「あの日、我々を励まして下さったユニチェリー師範には、こう見えていたのかねぇ」
一同、思い出に花を咲かせるように、笑い合う。
「『道場破り』からもう2カ月か、必死に鍛え直したからなぁ……」
「なんつーか、まあ気にするなって感じッスね。明日がある、っていうか」
「ワシも、未熟を思い知ったからな、己の殻を破るための苦しみよな」
「今では分派も、『秘伝魔術の<魔導具>』を貰うくらいには『剣帝流』に認めてもらっているしぃ?」
上司の醜態を前に、どこか懐かしむような顔をしている、<轟剣流>分派の道場生一同だった。