84:献命口上
── <魄剣流>の切り札、【破刃の魔法剣:緋撥ち】。
それが、首魁の分厚い殻に、大きな傷跡を刻み込んだ。
「ハ……ハハッ」
その予想以上の破壊力に、細面の神童・ルカは破顔した。
「……ククッ」
それに触発されたように、巨漢の神童・カルタも喉を震わせる。
細目の青年は、回転しながら落下してきた宝剣を、片手で受け止める。
そして、ついに笑いを堪えきれず、小さく噴き出した。
「── ブフゥッ!
おいおい、なんや、これ……っ!
【破刃の魔法剣:緋撥ち】を使こうたのに、ヒビも入っとらん!
いや、それどころか、刃こぼれ一つもしとらんぞ!
アッハッハッ! なんつぅー宝剣や、これ!!」
ルカは顔を押さえて、相好を崩す。
勝利の光が見えた事で、腹の内側から歓喜がわき上がってきて抑えきれない様子だ。
「ワッハッハッ!
なんだルカ、こんな奥の手を隠していたのか!?
── つまりは、唖然失笑!」
いつの間にか横に来ていたカルタが、バチンッ!と背中に平手打ち。
しかし、今のルカにとって痛みすら笑いの種だ。
「── あ、痛ッ!
おう相棒、ありがとさん、お陰で夢やないとハッキリしたでぇ!」
「良し! 俺も負けてはいられぬ!
我が<轟剣流>は、【身体強化・剛力型】の極み!
<帝国八流派>一の剛の撃剣で、此奴の殻をこじ開ける!
── つまりは、粉骨砕身!」
巨漢の神童は、自分自身のほおを両手で叩いて気合いを入れると、<長剣>の宝剣を振り回す。
「なんや、充分いけるやないか!
大金星や! 大金星やで、ワイら!」
細面の神童も、相棒に負けじと<正剣>で斬りつける。
ひび割れの周りを渾身の撃剣で斬りつけ、首魁の殻の破損を拡大する2人の攻撃は、まるで土木工事めいた光景だ。
しかし、相手は魔物だ。
『魔法を使う人食いの怪物』だ。
いくら虫型とはいえ、知能は高い。
身体を激しく震わせ、殻の上を食い破りつつある外敵を振り払おうとする。
「おお、凄まじい揺れやっ
相手さんも必死、ってこっちゃなっ」
「だが、時化た海の漁船に比べれば、なんという事もない!
港生まれを舐めるな!
── つまりは、勇往邁進!」
神童カルタは、さらに張り切り、分厚い殻をたたき壊していく。
「なんやっ
これなら、『3人目』か、男前の嬢ちゃんか、どっちかに『ワイらの敵討ち』を託すなんて要らんこと考えんでも ──」
歓喜の声を上げていた、ルカが横殴りに吹き飛ばされる。
小型陸鮫だ。
ボス個体なのか、際だって大きく2m近い灰色の巨体。
それが空を泳ぐように死角から迫り、勝利の予感に浮き足立った瞬間を捕らえたのだ。
「ルカぁ~~!?」
咄嗟に伸ばされた、巨漢の相棒の救出の手も、わずかに届かなかった。
「くぅっ なんたる失態か! 盾である俺が相棒を守りきれぬとはっ
── つまりは、痛恨!」
激しい横揺れに身をかがめた巨漢は、呻きながら足下代わりである巨大殻を殴りつける。
▲▽▲▽
「痛てて……ハァッ、格好悪いわぁ……っ」
神童ルカは、荒れ果てた森の中で、かすれ気味の声を上げる。
負傷を庇うように脇腹を押さえ、さらに息も乱れている。
痛みを堪えるような緩慢さで、木の葉を払いのけながら、なんとか立ち上がる。
そして、胴の防具にかぶりついたままの、頭だけになった小型陸鮫を眺めて嘆息。
「勝った、と、思って、油断したわ……」
小型陸鮫の顎を外して、投げ捨てる。
神童ルカは、流石は<魄剣流>が誇る若き達人。
魔物に死角から襲われ、空中に攫われている最中に、宝剣で断頭して殺しきっていた。
さらには、40mの高さからの落下を、樹木の枝をクッション代わりにして何とかしのいだのだ。
その咄嗟の判断力と行動力は、もはや『離れ業』といっていい。
「さて、休んどるヒマは、ないか……っ」
空を見上げれば、攻撃魔法の光が瞬いている。
森の向こうを見れば、首魁の巨体は相変わらずに健在。
彼は、足を引きずりながらも森の樹木に歩み寄り、宝剣を閃かせる。
すると次々と樹木が音を立てて倒れていく。
航空騎兵団の<空飛ぶ駒>に見付けてもらうため。
そして、その際に<空飛ぶ駒>の着地場所を確保するため。
森の大木を切り倒して、空き地を切り開いているのだ。
だが、不幸は重なる。
ズルン……ズルン……と、何か引きずるような音が近づき、徐々に大きくなってくる。
「チィ……ッ、弱り目に祟り目かいな……っ
まったく神さんも困ったもんや。
ワイが『お祈り』やら『神頼み』を好かんから言うて、こないなイジワルせんといてや?」
聖教認定の英雄たる青年は、ふて腐れ少年のような顔で、不信心な事をぼやく。
負傷と激痛で逃げる事できない彼の前に、ベキベキと無数の木の枝をへし折り、魔物が姿を現した。
2階建ての屋敷が歩くような、見上げる程の巨体。
「……脅威力5?
……いや、6か、これ? ハハ……ッ」
乾いた声と共に、顔が引きつった。
その間に、2階屋ほどの体躯の魔物は、投げ捨てられた小型陸鮫の頭部へと、首を伸ばしてクチバシでくわえる。
まるでニワトリが芥子でもつつくような動作だ。
ひと抱えほどの魔物の頭が、芥子粒かと思えるような巨体。
「そうか……陸鮫の血の匂いで……」
人を丸呑みできそうな巨大クチバシの持ち主は、背中に『緑が茂る丘』を背負った鳥のような魔物。
本来は水棲の魔物なのか、前後4足のカギ爪の間には水かきがある。
「なんや、ホンマ……
叔父貴に言われた通り、今朝ぐらいは、ちゃんと神さんに祈っとけばよかったわ……っ」
ルカは足音を忍ばせ、痛む身体をおして、そっと逃げだそうとする。
しかし、日頃は地面を滑るような流麗な歩法を操る自慢の脚が、まだ落下の衝撃でまともに動かない。
わずかな段差で躓きそうになる程だ。
その音に、魔物が首を上げ ──
── その途端に、さらに大きな音が響いてきた。
ガシャンガシャンと、鉄製食器を叩き鳴らすような、騒がしい音が近づいてくる。
「居たぞ! あそこだ!」
「全員、抜剣! 突撃準備!」
「神童を守れ!!」
10人ばかりの騎士たちだ。
魔物の注意を引くように、盾と剣をぶつけて音を鳴らしながら、駆け寄ってくる。
魔物も、手負いの者より、新手の集団の方が手強いと感じたらしい。
ルカに向けられていた重圧が、ふっと失せた。
「た、助かった……?」
負傷した神童は、思わず座り込んでしまった。
▲ ▽ ▲ ▽
大木のように太い魔物の鳥首を囲むように、重装甲の騎士が5~6人展開する。
その間に、2人の身軽な格好の者が、ルカの両脇を抱えた。
「捕まってください」
「走って脱出しますっ」
どちらも若い女性の声。
「なんや、別嬪さんに挟まれるなんて、ずいぶんな役得やなぁ」
神童ルカは、照れ隠しに軽口をたたく。
しかし、帰ってきたのは、悲壮さすらも漂う、思い詰めた声。
「所詮、<双環許し>の予備隊です」「何分も保ちませんっ」
すぐに、女性騎士2人は青年を抱えて駆け出す。
身体強化魔法にまるで慣れていない、今にも転倒しそうな、危うい足取りで。
「おい、待て……っ
なんやて? 今、お前ら何て言うたっ」
「しゃべらないで!」「舌を噛みますよっ」
しかし、両脇の女性騎士2人は答えない。
代わりに、遠ざかりゆく重装甲の騎士の言葉が耳に届いた。
「貴様らも、今まで己の無能を恥じただろう! 己の無力を悔やんだだろう!
故郷の窮地になんの助けにもなれない ── そんな、魔剣士として至らぬ自身を、憎みさえしただろう!
喜べ、今こそ我らの修練が報われる!!
今から立ち向かう魔物は、<湖浮島鵜>。
正騎士の隊でも、手に余る相手!
まさに、騎士として死ぬに相応しい、脅威力6!」
下士官がそう告げると、魔物の前に残った騎士達は、揃って声を張り上げ始めた。
── 『天に御座す神々よ、我らが武勇を照覧あれ!』
── 『例え、死屍は無残に散ろうとも』
── 『血と魄は母なる大地へと還り』
── 『魂は気高くして、天へと登らん!』
── 『願わくば、残されし者たちに、幸多からん事を!!』
死の覚悟が込められた、朗々たる台詞。
神童ルカは、血相を変えて声を荒げる。
「── 『献命口上』やとぉ!?
貴様ら、ここで死ぬ気かぁ!?」
かつて、魔剣士が生まれる前の時代に、死兵と化して故郷を守った勇猛なる一団がいた。
粗末な武装で命がけで戦い、武器が尽きてはその身を食料として誘導し、人々が避難するまでの時間稼ぎを行った。
その死をも怖れぬ気高い武勇と共に、現在も伝わるのが、その口上。
いわゆる『背水の陣』ですらない。
『己の死をもって任務を完遂する』という、自爆攻撃にすら等しい、狂気の業。
「クソっ 離せっ はなさんかっ
ワイやったら、あんな魔物くらい、叩き斬れる!
この<竜骸武装>なら、脅威力6の魔物なんぞ、なんぼのもんじゃ!」
「暴れないでください!」
「私達みたいな未熟者に抑えられている人が、何言ってんのっ」
負傷して運ばれるだけの青年は、無力さに奥歯を噛みしめる。
「神童ルカ殿!!」
背後から届く、絶叫。
運ばれる神童ルカが首だけで振り返れば、剣を真っ直ぐに上げた下士官の姿。
「どうか、お頼みする!
我らの故郷を、どうか我らの故郷<翡翠領>を!!」
血を吐くような、末期の言葉だった。
覚悟を決めた戦士の遺言だった。
下士官は、その剣を魔物へと向けて、部下に指示を飛ばす。
「── 全員、突撃ぃ~!!」
── 『うぉおおおおおっ』
死を覚悟した予備隊の、怒号が上がる。
対する魔物は、ウルル!クルル!と喉を鳴らして警戒しながら、後方に飛び退る。
そして、大口を開けて、舌先に<法輪>を宿す。
魔物が用いる原始的な攻撃魔法、【吐息攻撃】だ。
ただ、巨体だけあって、その魔力量は尋常ではない。
A級冒険者でも裸足で逃げ出しかねない程、莫大な魔力光が収束する。
「止めろ! 止めてくれ! 頼むからっ」
神童ルカは、両脇から抱えられながら、まるで子供のように暴れた。
「もう、イヤなんやっ
ワイが弱いから、人が死ぬのはっ」
みっともなく泣き言を叫ぶ男を、女騎士2人は黙って連れて行く。
「ワイを助けるために、仲間が死ぬのを見るのはっ」
細面の青年の顔には、深い後悔が刻まれていた。
「頼むから、もうワイのためなんかに、死なんでくれ!!」
かつて、戦友を見殺しにした、己の無力を悔いて恥じる、そんな後悔が。
「── 頼む……っ! 頼むから……っ どうか、神さまぁ……っ」
いざという時に、神に祈った所で、何にもならない。
そんな事は、イヤという程に知っている。
そんなムダな事をした所で、戦友達は誰も助からなかったのだから。
それでも。
今もまた、祈らずにいられない。
どうか、奇跡よ、起こってくれ ── と。
若き英雄と呼ばれた青年の、血を吐くような願い。
まるで、それに応えるかのように。
「── 渇ぅ!!」
怒号が、剣と共に降ってきた。
そして、魔物の放った火炎放射の【吐息攻撃】を斬り裂き、勢い余って魔物の鳥胸に血をしぶかせる。
有り得ないほどに、鋭い剣の一撃だった。
剣術と魔術を研鑽する魔剣士だからこそ、それが常人には不可能な『神業』だと理解できた。
その『神業』の老剣士が ── いや、魔剣士であれば誰もが『老師』と敬い礼を尽くすべき絶技の持ち主が ── 王の如き威厳のある声を響かせる。
「全ての魔剣士よ!
この『剣帝』ルドルフ=ノヴモートが、皇帝陛下の名代として命ず! ──」
その迫力と剣の冴えに、神童や予備隊の騎士のみならず、魔物すら一瞬動きを止める程だ。
「── 何人たりとも、安易に命を捨てる事は許さぬ!
例え泥水をすすっても、例え恥辱にまみれても、しぶとく生き延びよ!
魔剣士1人1人が、無力な民100人の命を背負うと知れ!」
── 剣帝流、推参!
帝国最強の魔剣士一門が、<翡翠領>の絶体絶命の窮地に駆けつけた。
!作者注釈!
2022/10/11 序盤に少し説明を追加