83:破刃の魔法剣
時刻は、すでに昼下がり。
『魔物の大侵攻』の首魁を迎え撃つ作戦自体は、明朝すぐに決まっていたが、その準備に5~6時間がかかっていた。
戦闘準備と ──
── そして、最悪の事態に備える、逃走準備。
安息の故郷を捨てて、数十万の非戦闘員を引き連れて、魔物のひしめく城壁外で一夜を明かすための準備を整えるには、それだけの時間が必要だった。
「ついに始まりましたね。
この都市の命運をかけた、最後の戦いが……」
<翡翠領>領都を守る市街城壁の上で、双子の兄が感慨深くつぶやいた。
彼が眺める先では、黒白2色の軍用<空飛ぶ駒>が飛び交っている。
魔法の色とりどりの光が炸裂し、騎乗武器である5m級の長柄武器が振るわれ、騎士の怒号と魔物の叫声が威圧し合う。
一方は、守るべき都市のため、決死の覚悟で巨体に挑む被捕食者。
一方は、獲物の巣塚を目前にして、飢餓の狂気で暴れ狂う捕食者。
── 人間・対・魔物という、種の生存をかけた戦い。
その勝敗の鍵を握るのは、軍用<空飛ぶ駒>の最前にいる青年2人。
帝国西方が誇る、<裏・御三家>の若き英雄2人。
しかし、神童コンビの姿は、もう遠すぎて、その姿は肉眼では、はっきり見えない。
だが今頃、約2km先を飛翔する航空騎兵部隊の特別機に同乗し、『魔物の大侵攻の首魁』の隙をうかがっているはずだった。
少し震える兄の言葉に、斜め後ろに立つ妹が肯いた。
「ええ……。
でも、ルカ従兄がこんな立場になるなんて。
少し前までは、想像もしていませんでした……」
神童ルカの従弟妹である双子兄妹ガイオ・ラシェルには、感慨深いものがある。
幼少の頃は、自分たち分家の子供を引き連れて悪戯をし、いつも大人に怒られていた、あの悪ガキ兄貴が、今や辺境の人々にとって希望の星なのだから。
「そうですね、今や『帝国西方の若き英雄』……
いえ、この戦いの後には『辺境の新しい英雄』なんて呼ばれるかもしれませんね……」
確かに従兄は、<裏・御三家>が<魄剣流>本家の男児として恥ずかしくない程度の才覚があった。
だが、天才・俊英・麒麟児がひしめく本家道場においては、特に注目されている訳でもない。
そんな、ありきたりな1人の男児にすぎなかった。
いや、どちらかと言うと『反骨心の強い悪童』として、大人達から疎まれていたくらいだろう。
その『本家道場では、ありふれた天才のひとり』が『神童』 ── つまり『神々の寵児』とすら呼ばれる契機となったのは、2年前。
<黒炉領>での『魔物の大侵攻』。
そして今、この<翡翠領>で、再び『魔物の大侵攻』に立ち向かうはめになった。
百年に1度あるか無いかと言われる、悪夢の大災厄に2度も立ち向かい、人々を守り抜いたとすれば、それはもう国内において無二の英雄と呼ばれてもおかしくない。
「もっとも……
あくまで『生き残れれば』という前提ですが……」
「兄上、そういうの、今は止めましょう?」
「そうですね……
身内の我々が信じずとして、いったい誰がこんな無謀を信じましょうか」
普段は強気の双子の兄ガイオとて、今日だけは弱音を吐かずにはいられない。
確かに『聖都の剣』として信任厚い『神童コンビ』の手に、最強の武器<竜骸武装>が授けられている。
都市の運命を託される英雄が持つに相応しい、最上級の武装だ。
だが、その相手役も最上級 ── いや悪夢のように最悪だった。
ここ<翡翠領>の北西に位置する<ヴィオーラ巨大樹林> ── 現世の地獄『巨人の箱庭』の魔物もかくや、という程だ。
双子の兄は、小さく頭を振って、淡々とした声で続ける。
「『魔物の大侵攻』の首魁 ──
その巨体は高さ40mで、頭から尻尾まで長さ80m。
背負う殻は、最新鋭の魔導兵器にも耐えるほどに堅硬。
軟体生物のような本体部分は、固まった樹脂のように強靱で、急所を破壊しない限り再生し続ける。
その周囲には、配下である1m以上の小型陸鮫が浮遊して護衛し、首魁には近寄らせず
さらに恐るべきは、障害物を溶かし尽くす溶解液の放射で、射程は優に300m以上。
── まるで、攻城兵器を備えた砦が、歩いて攻めてきているような状況ですね」
そんな2km離れても見て取れる巨体へと、もはや姿がかすんで見えない人間が、今から命がけの闘いを挑むのだ。
いったい誰が『勝負の見通しは明るい』なんて、妄言を吐けるものか。
人々に出来るのは、神々に祈る事だけ。
「あるいは、<四彩の姓>の『青魔』本家の魔導師でも連れてきて、戦略級魔法でも撃ってもらうか……
正直、そのくらいしか対策が思いつかない相手ですからね」
「ルカ従兄ぃ ── いえ、神童コンビの<竜骸武装>2本で、どれほど損傷を与えられるでしょうか……」
双子の妹はそう独白しながら、預けられた3本目の<竜骸武装>をギュッと抱きしめる。
最上級レベルの魔物の死骸で造り出された宝剣は、しかし心許ない大きさだった。
その姿を振り返り、双子の兄の方が『神童ルカの言伝』を、繰り返す。
「── 『ふさわしい持ち手が現れたら渡してくれ』ですか……
しかし、いったい誰に渡せばいいのやら……」
兄ガイオの、ぼやき声。
妹ラシェルは、口の中だけでつぶやく。
「もしかして ── お兄、ちゃん……なの?」
その言葉と共に、『鮮烈な青』が思い返される。
<法輪>を染める青い光 ──
魔導の奥義、戦略級魔法の魔力光、 ──
<四彩の姓>が『青魔』一族の、門外不出の秘伝『死神の加護』 ──
── そんな埒外の術式に、独自で辿り着いたと嘯く、桁外れの努力家。
── そんな『彼』であれば、あるいは……。
そうラシェルは、1カ月前に会っただけの、<小剣>使いの魔剣士失格を思い出す。
しかし、そんな都合のいい妄想を振り払うように、頭を小さく振った。
「魔剣士の私が、魔剣士でない人に、なんて重責を押しつけてるんだか……」
魔剣士とは、優れた才能と素質を持つ者だけが成れる、選ばれし戦士だ。
その優遇には、当然のように厳しい義務がついて回る。
力なき人々の代わりに戦うからこその『優遇』。
それと表裏一体にある、力ある者の『責務』。
だから、優れた者が劣った者へ、厳しい役目を押しつけるなんて、論外だ。
武門の恥、いや人間として卑劣でさえある。
── こんな事では、『魔剣士でないにも関わらず、身内のために危険地帯に住み込む』という誇り高い生き方をしている『あの人』には、顔向けできない……っ!
少女の胸に、そんな小さな意志が灯った。
「わたしも……っ
わたしだって、魔剣士なんだ……っ
力なき人々を守るため、最後の最後まで、魔物と戦うっ」
武門に生まれた少女・ラシェル=シャーウッドは、『自分の出自から逃げない』と、今まさに決意を新たにした。
それを見て、双子の兄は小さく笑う。
「……<轟剣流>分派、道場間決闘、それに剣帝流。
<翡翠領>での、様々な出会いのお陰でしょうかね。
愚妹も、少しはマシになりましたか……」
彼が、ひさしぶりに妹に向ける、優しい笑みだった。
▲ ▽ ▲ ▽
戦場で、何度目かの爆光がまたたく。
青空を埋めるそれは、まるで昼間の花火だ。
『魔物の大侵攻』の首魁が背負う巨大殻に張り付き、主君に近づく脅威に襲いかかる『直臣きどり』。
小型陸鮫は、首魁攻略において最大の障害だった。
そこで航空騎兵部隊が囮となり、少数での散発的な突撃を繰り返し行った。
まんまと疑似餌にかかった小型陸鮫を、首魁から引き剥がしては、魔導師隊が広域魔法攻撃で殲滅する。
そんな地道な作戦が、何度も繰り返された。
その甲斐あって、当初は100近くいた『直臣きどり』が4割を切る ──
── 航空騎兵部隊だけでも充分に抑えきれる魔物の頭数になった!
「今やっ! いくで、相棒!」
「おうっ」
小型陸鮫の魔物を半数近く討ち倒した時、神童2人がついに出陣。
航空騎兵部隊の特別機から飛び降り、首魁が背負う巨大殻の最上部に着地した。
「くらえぇっ」「フン!!」
その落下の勢いを利用するようにしゃがみ込み、<竜骸武装>2本が振り下ろされる。
ジャリィン!と金属板を裂くような音が二つ、ほぼ同時に重なった。
「さすがは、<終末の竜騎兵>の牙!
── つまりは、感嘆!」
「ハッハッハッ! マジか、この切れ味!」
神童コンビの渾身の剣戟は、分厚く堅硬な巨大殻を斬り裂いていた。
宝剣の異常な切れ味に、青年2人は破顔して顔を見合わせる。
そしてすぐに、攻撃を再開した。
「セヤ! トリャ! フン!」
「オリャ! ハァ! くたばれっ」
巨漢の神童カルタが、剣身2mの<長剣>を轟と風をうならせて振り回す。
細目細面の神童ルカが、剣身1.5mの<正剣>を鋭く走らせる。
ルカが刻んだ細かく傷跡は、いわば『切り取り用のミシン目』のような物。
カルタが振るうハンマーじみた豪撃で、そこに大穴を開ける。
精緻な剣と、豪快な剣、お互いの特性を活かした立ち回りだった。
「なんや、ホンマ勝てるような気がしてきたで!!」
「なんと! ルカはここで死ぬ気であったか! それは弱気な!
── つまりは軟弱!」
「ハァ~~ッ!?
なんやお前だって、湿気た顔しとったクセに!」
「俺はただ、『この戦いの武勇を天使さんにいかに伝えるか』。
それに頭を捻っていただけ!
── つまりは、思索!」
「ウソつけ、ボケが!
さっきまで青ビョウタンみたいな顔しとったヤツが!」
そんな軽口を叩くような、精神的余裕すら出てきた。
「いかん! ルカ、飛べ!」
巨漢が、急に背を向けて叫ぶ。
細目の青年は、相方を信じて、言われるままに全力跳躍。
ゴツン……!と、巨漢が相棒をさらに上空へ、殴り飛ばす。
身体ごと大ぶりに振り回す裏拳が、とっさに跳ねた細目の相棒の靴底を押し上げ、空高くへと跳ね上げたのだ。
「── なんや!?」
細目の青年が、空中で眼下に見たのは、すさまじい勢いで飛んでくる小型陸鮫3匹。
神童カルタは、2匹を<長剣>で撫で切りにした。
だが、3匹目には撃剣が間に合わず、胴をかぶりつかれた。
「チィ……ッ、相棒ぉっ!?」
ルカは、空中で歯がみする。
しかし、カルタは自分の胴体にかぶりつく1m強の陸鮫型魔物に、まるで動じる事もない。
さすがは<轟剣流>が誇る、巨漢の神童。
堅牢と剛撃の秘技・『磊響戻破』を修めた英雄。
「カァ……ッ!」
渾身の力で宝剣を突き刺し、そのまま地面である首魁の巨大殻に縫い付けると、予備武装の<短導杖>を起動。
爆雷が弾ける。
後には、焼け焦げた小型陸鮫が1匹。
「お前、ちょっと無茶しすぎやろ!?」
10m近く跳ね上げられて、ようやく着地したルカが、声を張り上げた。
すると、相棒の巨漢は事もなしげに、小さく首を振る。
「いや、所詮は下級魔法の【雷光鞭】。
この程度の魔法攻撃で破損するような<竜骸武装>ではなかろう……」
「いや、ワイはお前の身体の事を言っとるんやけどな……
ってか、常人やと【雷光鞭】を至近距離で巻き添えとか、まっ黒焦げやからな?」
「これでも、<轟剣流>本家! 常人とは身体の鍛え方が違う! フン!!」
「いや、そんな問題か……?」
ポーズを取り、やたらと筋肉を見せつけてくる相棒に、ルカは呆れのため息。
そして、気分を切り替えるように告げる。
「しかし、こないな頑丈な宝剣なら、使わん手はないわな」
ルカはそう言うと、<正剣>の宝剣の剣身 ── 赤い魔力が輝く1.5m程の諸刃を軽く撫でる。
「日頃やったら、絶対もったいのーて使えん、<魄剣流>の秘伝!
この際やから、存分に使わせてもらおうかのぉっ」
そう言うと、すぐに魔術式を編み始め、<法輪>を剣に宿した。
そして相棒カルタから少し離れて、宝剣を斜め下 ── 巨魁の背負う巨大殻の無事な部分へと向ける。
「食らっとけ!!
── 【破刃の魔法剣:緋撥ち】!」
チリン!と魔法の自力発動音が鳴ると同時に ──
── <魄剣流>渾身の刺突が、堅硬な巨大殻を貫いた。
▲ ▽ ▲ ▽
【破刃の魔法剣:緋撥ち】。
<魄剣流>の秘伝にして、切り札の一つ。
その効果を簡単に言い表せば、『発破』だ。
敵の体内で、爆発を発生させる、火の魔法剣。
さらに、その爆発の衝撃により破刃 ── 剣の刃が砕け散り、破片が内部をズタズタに斬り裂く事で、必殺の魔法剣と化す。
いわば現代社会の科学兵器で言えば、体内で手榴弾が破裂するような、極悪さ。
人体など跡形もないほどの破壊力だ。
だからこそ、<魄剣流>が重んじる『対人』のみならず『対魔物』においても、切り札としての性能を発揮する。
だが、そのデメリットも大きい。
文字通りの『破刃』 ── 剣の刃が粉々に砕け散る。
少なくとも戦闘時に得物が1本、まるで使い物にならなくなる。
だが、魔物の脅威力が高いほど高価な剣を使用しなければ、外骨格や甲殻などの防御装甲を突破できない。
例えば、表面で破裂を起こしたとしても、屈強な魔物にとっては『爆竹に驚き、煤けた』程度の被害しか無い。
つまりは、防御装甲を貫くほどの宝剣を用いて、体内で破裂させる事で初めて真の威力を発揮する、高価代償な魔法剣。
言い換えれば『高額な宝剣・利剣を使い捨てにする事でしか、真の威力を発揮し得ない』という、まさに札束を投げ捨てるような金食い虫の秘技なのだ。
死ぬか生きるかの瀬戸際でもないと、使う機会がない魔法剣だった。
また、爆発の圧力は、敵の装甲が強固なほどに逃げ場を失い、体内で荒れ狂う。
つまり、敵の装甲が硬ければ硬いほど、内部破壊を致命的にする。
── では、最新最強の魔導兵器に耐えうるほどの、巨魔の堅殻ではどうか!?
ドオォオオン!と、耳が痛くなる程の破裂音。
── その威力たるや、絶大!
── 期待以上の成果をたたき出す!
分厚い殻が半径3~4mほど吹っ飛び、走った亀裂は10m以上。
全高40mの巨大殻の上部1/3に、大きな傷跡が刻まれた。