78:三つの刃(下)
<翡翠領>領都の上空に、黒い巨影が浮かぶ。
まるで、巨大な魔物が『ここは己の縄張りだ』と主張するかのように。
しかし、それは魔物ではない。
人造物であり、人類の庇護者。
その証拠に、黒い巨影のさらに上に、幻像魔法で女の上半身が、大きく映し出されている。
年の頃は、30代半ばだろうか。
整った容姿に、精悍さと聡明さが同居する、女性指揮官。
幻像が、音魔法で増幅された声で、命令を発する。
── 『航空騎兵隊、展開! 城壁付近の魔物を一掃しろっ』
── 『散開行動後に<破魔杭>準備、降撃行動開始!』
そらに浮かぶ黒い巨影に付き従っていた、黒い点が一斉に散開した。
それは、騎士2人乗りの、軍事用<空飛ぶ駒>だった。
50機ほどの軍事用<空飛ぶ駒>は、まず都市の周りを低空飛行。
魔法攻撃で威嚇をしながら、戦闘中の魔物を追い回し、城壁から引き離していく。
あるいは、自らを囮として、引き連れていく。
次に、城壁から100mほど離れた地点で、周回飛行に切り替える。
そして、空中高くを移動しながら、次々と巨大な杭を投下していく。
空中高くから投げ落とされた巨大な杭は、1/4ほど地面に突き刺さると、上部が割れるように変形して3脚を広げ、転倒しないように杭自身を支える。
それが500~600本ほど、打ち込まれただろうか。
まるで領土を主張するように、侵入防止柵を作っているような光景だ。
── 『<破魔杭>、起動!』
── 『安全装備、解除!』
空中に巨大な幻像を魔法で映し出す、女性指揮官の指示に従い、50機の軍事用<空飛ぶ駒>は、細い鎖を引っ張り上げる。
それは、地面に打ち込まれた<破魔杭>に接続しており、鎖が抜けてしまうと、ガチンッ!と安全装置解除の機巧が鳴った。
約50機の軍事用<空飛ぶ駒>は、すぐさま上空へと退避。
そして15カウントの直後、<破魔杭>が広範囲の攻撃魔法を放出した。
ズドオォォォォン……!という破裂音は、まるで落雷を何本も束ねたような迫力。
空気が歪んで見える程の、強大な衝撃波が放たれた。
<破魔杭>周囲の数十mにある全てが、綺麗に薙ぎ払われた。
魔物の巨体も、遮蔽物となる大木や岩石なども、街道に敷かれた石畳も。
衝撃波の特級魔法を起動した<魔導具>により、その範囲の物全てが吹き飛ばされ、押しのけられる。
砂煙が収まれば、はっきりとその痕跡が解った。
都市城壁から100m程あけて、ドーナッツ状の空白地帯が生まれていた。
これで、一部の巨大な魔物を除き、城壁近くで戦闘していたほとんどの魔物は、軍事用<空飛ぶ駒>に追い出されて、魔導兵器の超広範囲攻撃で一掃されてしまった。
お陰で、今まで戦闘していた騎士や冒険者などは、急に手持ち無沙汰になってしまう。
「うわあぁ……、あれだけの数の魔物を吹っ飛ばしましたよ?」
「す、すさまじい威力ですね……っ」
「ええ、これは噂以上の制圧能力っ
近年、帝都の魔導三院で、魔物対策の航空兵器を開発していると聞いていましたが、これ程とは」
「なるほど、なるほどっ
ここ<翡翠領>の騎士達が、『代行が帰ってくれば助かる』と信頼するだけある。
── つまりは、感嘆!」
特に部外者である『神童コンビ』一行は、<翡翠領>の切り札の威力に、目を丸くする。
▲ ▽ ▲ ▽
しかし、まだ幻像魔法で空に投影される、女性指揮官の指示は終わらない。
いや、ここからが本番なのだ。
── 『旗艦・冥府の翼、微速前進!』
── 『主力法撃の発射態勢、準備!』
ついに<翡翠領>の上空に留まっていた、空飛ぶ巨影が動いた。
大型輸送船を空中に浮かべたような巨影は、どんな魔物より巨大なくらいだ。
その外観形状は巨大なクジラかシャチのよう。
さらに、額から突き出た長い角があり、また6本の船帆にも似た翼をあちこちから生やしている。
何も知らない人間なら、新種の巨大魔物と言われても納得するような、特異な外観だ。
その、巨大クジラか巨大シャチかという、魔導飛行艦が直立するように角度を変える。
つまり、イルカが海から跳び上がるような姿勢に変化した。
その巨大さは、まるで斜めに傾いた見張り塔のようだ。
そして、巨大クジラが大口を開けた。
いや、それは舌と下顎ではなく、大型魔導兵器とその操作台だ。
── 『六翼を対衝撃体勢に固定! 固定牽引を設置!』
6枚の翼が、それぞれ異なる角度で張り出す。
そして、斜め75度に傾いた艦体のあちこちから、巨大銛のような物が射出されて、鎖で地面に艦体をつなぎ止める。
まるで、大嵐の前に船舶を港に固定するような、物々しさだ。
魔物が追い払われた事で手持ち無沙汰になった、騎士や冒険者たちは、『これから何が起こるのか』と興味津々で見守っていた。
そこに軍事用<空飛ぶ駒>が、大慌てで飛んでくる。
「すぐに、あちらに避難して!」
「なるべく城壁の方へ!」
「全員、旗艦より後ろへ移動しろ!」
「さあ、早く移動して!」
「巻き込まれたら死にますよっ」
「人間なんて跡形も残らんぞっ」
魔物を追い回していた航空騎兵隊が、今度は、人間達を追い払い始めた。
その間に、巨大な魔導航空艦・『冥府の翼』の準備は続く。
幻像魔法の女性指揮官が、最後通告とばかりに最大音量で警告を発した。
── 『戦場に立つ、全ての騎士・冒険者に告げる!』
── 『今より、この旗艦・冥府の翼の主力法撃による攻撃を開始する!』
── 『攻撃魔法の余波に巻き込まれないように、必ず防御態勢をとりたまえ!』
── 『繰り返す、全員、必ず防御態勢をとる事! 以上!』
女性指揮官がそう注意勧告をしている間に、旗艦の技師たちはあわただくし魔導兵器の使用準備を続けていた。
「5番牽引良し、艦体の固定完了しましたっ」「魔石転換炉、接続確認。魔力値正常」「第1・第2<刻印廻環>、術式確認、完了」「六翼、角度固定、完了」「第5から第8まで、<刻印廻環>確認完了」「照準器、正常です」「第3・第4<刻印廻環>、完了」「8連環機巧の動作試行、完了しました」「全乗務員、安全帯の装着完了です」
「よし、全手順、完了確認!
── 代行、報告します。
旗艦・『冥府の翼』、主力法撃準備、完了しました」
艦長からの報告に、軍服の次期領主婦人・ロザリア=ジェイドロードは、深く肯く。
幻像魔法の女性指揮官が、艦の内外に告知する。
── 『【主力法撃・三叉矛】っ、術式始動!』
▲ ▽ ▲ ▽
── さて本来、ほとんどの魔物は、身の安全のため、姿を隠して活動する。
野生生物として、当然の本能であり、必要不可欠な防衛手段だ。
深い森の中や、大河の水の中に、その巨体を隠しながら移動して獲物を探し出し、狩猟の一瞬だけ姿を晒す。
並の人間では絶対に敵わない、熊や象のような巨体の魔物すら、そうだ。
それは、この異世界にさらに強大な捕食者がいて、自分たちがまだ弱者の側という、自己認識による物だ。
しかし、稀代の災厄『魔物の大侵攻』では、そんな平常通りにはいかない。
食糧不足で飢えて狂乱した魔物たちは、ガムシャラさから非常識な行動を取っている。
己の身を隠すのを止めて、移動しやすい平地を爆走し、人間を求めてその都市へと殺到している。
人間達が流通のために整備した街道を、魔物の大群が砂煙を上げて駆けてきているのだ。
見晴らしの良い場所を駆け抜けるなんて、本来なら自殺行為に等しい事さえも、厭わない。
いや、そんな余裕すら、もうないのだ。
だから、街道には、高山や深い森に潜んでいた魔物があふれ出していた。
あちこちから移動してきた魔物の群れが、街道で合流して都市に向かって殺到する。
その様子は、まさに大雨の後に濁流で溢れかえる大河のようだ。
人間の兵団など、簡単に呑み込んで無に帰す、恐るべき魔の濁流。
── それを目がけて、魔導航空艦の搭載魔導兵器が、極大の攻撃魔法を撃ち込んだ。
▲ ▽ ▲ ▽
まず最初に、風がうなり始めた。
グォン…………グォン……グォン、グォングォン、グオオォォォン!
水槽の底栓を抜いたら、水が流れ出し、やがて渦巻きができるような、そんな音を何万倍にしたような大音響が、城壁の外に響き始める。
やがて造り出されたのは、大竜巻だった。
極大魔法を吐き出す40~50mは有ろうかという、巨大クジラ型の艦体すら呑み込むような、強大な竜巻。
しかし、それは天に昇る物ではなく、横方向へと伸びる不自然な現象。
砂石をまき散らし、時々緑の枝も巻き上げながら、魔物の群れへと襲いかかる。
巨大台風の暴風圏のような強力な向かい風に、足を止めざるを得ない。
魔物の侵攻は、魔法の強風により足止めを食らう。
だが、都市に向かってくる魔物も、すでに脅威力1~2程度の小物ではない。
熊か象かという巨体は、さすがに風の攻撃魔法で簡単に吹き飛ぶ物ではなかった。
人間くらいの軽くて弱い生物なら吹き飛ぶそれも、大したダメージを与える事は出来ない。
── 故に、【主力法撃・三叉矛】の2番目の刃が、煌めいた。
ザアァァァ……!と、にわか雨のような音がさざめく。
そして、その音は、ゲリラ豪雨のように全ての音を塗りつぶしていく。
風魔法の生み出した大気の渦に、流水が混じり始める。
すぐにそれは爆発的に増水し、あっという間に怒濤の大流水となった。
そして、『竜巻』を『渦巻き』へと、取って代わる。
竜巻に耐えた魔物たちも、渦巻く大海嘯のような攻撃には、ひとたまりも無い。
大津波のような莫大な質量に押し込まれ、押し流されていく。
── 止めとばかりに、【主力法撃・三叉矛】の3番目の刃が、呻りを上げる。
今度は土魔法だ。
ガラガラガラ……ッ!と、轟き渡る騒音は、まるで激しい稲光や雷雨のようだ。
莫大な泥や石が岩が生み出され、横向きに放出される大渦巻きに乗って、吐き出される。
山崩れの土石流に、超スピードの縦回転が加えられたそれは、巨大な回転寸断機も同然だ。
拳大の石から、大きい物では成人男性なみの巨岩まで、無数の岩石が渦巻きの勢いに乗って、襲いかかる。
魔物の装甲が、甲殻が、あるいは外骨格が、鋼鉄並の防御であっても、まるで関係ない。
全てを叩き潰し、すり潰す、悪夢のような横渦巻きが、魔物の群れの先頭から襲いかかる。
その極大の攻撃魔法は、蛇行しながら次々と無数の群れをなめ回す。
数千、数万という巨躯の魔物の大群を、石礫や巨岩の滅多打ちで、ボロ布に変えていく。
第一の刃、風魔法が生む横竜巻で、敵の行動を抑制 ──
第二の刃、水魔法が生む渦巻きが、敵を押し流してまとめる ──
第三の刃、土魔法が生む土石流が、固まった敵を粉砕して撃破 ──
── この連続攻撃魔法こそ、旗艦・『冥府の翼』の主力法撃【三叉矛】だった。
▲ ▽ ▲ ▽
── 全てが収まって、しばらく。
静寂の時間が、数分流れる。
誰も彼もが、息を殺して、そっと周囲を伺う。
そんな、天変地異もかくやというほどの、極大魔法だった。
やがて、竦めていた首を伸ばし、恐る恐ると立ち上がれば、異様な光景が広がっていた。
今までの3~4倍に広がり泥だらけになった街道が、地平まで伸びていた。
無数の魔物の大群が、ほとんど姿を消している。
魔法攻撃で蹴散らされ、土砂の下敷きになっているのだろう。
運良く生き残った個体が居たとしても、あの土石流の暴虐を受けた後だ、無傷のはずもない。
『……ぅ、ぅぅう、うおおおおおおぉぉぉぉ!!!』
やがて、誰からともなく、歓声が沸き起こる。
そして、歓声が膨らんでいく。
城壁の外から、上から、そして中からも。
先ほどの極大魔法【三叉矛】の爆音すら上回る、大歓声だ。
『我ら、人間の勝利だぁぁ!!』
『ばんざーい、ばんざーい!!!』
『斃れた戦友に祈りを!』
『生き残った仲間と共に慶びを!』
『天の恵みの神を始めとする、天に坐す神々に感謝を!』
『そしてぇ! 偉大なる翡翠領主家にぃ!! 末代まで忠誠をぉ!!!』
誰もが、勝利を疑わない ──
── だから、皆、その声になかなか気付かなかった。
── 『……ずまれっ』
── 『ぜ……し……まれっ』
── 『全員、静まれぇぇぇぇ~~~!!』
無数の鎖で、半浮遊状態で固定された旗艦・『冥府の翼』。
その上空に、幻像魔法で映し出された女性指揮官は、青ざめた顔で声を張り上げる!
その異様な様子に、一気に静寂が広がった。
幻像魔法が空中に映し出す、軍服の次期領主婦人・ロザリア=ジェイドロードは、地平の彼方を睨みながら、乾いた賞賛の言葉を告げる。
── 『我が勇ましき騎士よ、有能なる冒険者諸君』
── 『この度の、貴君らの活躍すばらしいものであった』
そして、厳しく冷たい声で指示を下した。
── 『さあ、もうひと働きだっ』
── 『すぐに城壁内に戻り、休息を取りたまえっ』
── 『各部隊の長は、食事を終えたら、領主官邸に集合!』
── 『今すぐに、次の戦闘に備えるぞ!』
彼女が言葉を発する度に、盛り上がった熱気が冷めていく。
戦場には、不気味なほどの沈黙が広がっていく。
意を決した現場指揮官のひとり、老齢の騎士のひとりが、声を張り上げた。
「代行殿!
僭越ながら、おたずね申し上げます。
この蒙昧の身では、お言葉の真意が図りかねます!」
── 『魔物の姿が見える、のだ……っ』
── 『街道の先に小山が動くような……途方もなく巨大な魔物の姿だ……っ』
── 『おそらくアレが、この度の魔物の大侵攻を引き起こした首魁』
── 『行進の最奥にいた首魁には、【三叉矛】がまるで効いていない……っ』
「そ、そんな……っ!」
空気が凍えるようだった。
戦勝の熱気が一気に失せて、絶望の暗雲が立ちこめる。
── 『総員、撤退だ……っ』
── 『まだ「魔物の大侵攻」は終わっていない……!』
── 『すぐに城壁内に戻り、次の戦闘に備えよ!』
── 『この<翡翠領>を踏み潰すような、巨大な魔物がやってくるぞ!!』
戦闘に疲れた騎士や冒険者は、重い足取りで都市へと戻り始める。
もはや、口を開く者は、誰1人として居なかった。