77:三つの刃(上)
!作者注釈!
前76話が未完成(後半部が未掲載だった)で更新していたため、後日、再度アップし直してます。
一応、念のためサクッと目を通しておいてください。
魔剣士とは、魔物を討つ超人。
鍛え上げられた屈強な肉体を、さらに魔法で強化する事で、雑兵の10倍もの戦果を上げる。
だからといって、並の兵士10人の仕事全てを、魔剣士1人でこなせる訳ではない。
いくら肉体を鍛え上げても、さらに魔法で強化しても、かならず限界はある。
<翡翠領>で連日繰り返される、魔物との戦闘。
すでに、騎士達の疲労はピークに達していた。
今もまた、眼下で隊列を乱す者が、ひとり。
盾兵が1人だけ、フラフラと横隊から飛び出てしまっている。
── 『おい新入り! 出過ぎだ、戻れっ』
小隊の仲間の慌てた忠告は、間に合わなかった。
鞭の様にしなった魔物の長首に、胴体を噛み付かれ、持ち上げられる。
── 『う、うわぁ……っ た、助けてくれっ』
バタバタと暴れる新兵を、長首の魔物が振り回わした。
何度も地面や樹木に叩き付けられ、すぐに動かなくなった。
魔物は獲物を片足で押さえて、その硬い殻をかみ砕こうと、咥え直す。
メキメキ……ッ、と金属鎧が軋む音を立てる。
慌てた仲間が駆け寄るが、転身した魔物の尻尾ではね飛ばされる。
── 城壁の上で見守っていた年配の指揮官は、その先の光景から目をそらした。
しかし、耳に届く断末魔は、どうしようもない。
「また一つ。
若い命が、喪われてしまったか……っ」
「若手の騎士だけの問題ではありませんよ。
熟練の騎士達も、後方支援の魔導師達も、もう限界が近いです」
いつの間にか、事務の責任者が近くにやってきていた。
平服とメガネの男が、指揮官に書類を手渡してきた。
「ここ2・3日の死傷者のほとんどは、過労による注意散漫がほとんどです。
後方支援の従軍魔導師達も、魔力切れで起き上がれない者が少なくありません」
「チィッ、束の間の平和に胡座をかいて、人員削減なんてするからだっ」
特に今は、次期領主代行が近隣の村々に巡回に出るため、兵力の1/3近くを連れ出ている。
ただでさえ余裕のない兵力が、本当にギリギリの人数に落ち込んでいる。
そのため、都市に残った騎士達は、誰も彼もがフル活動という状況だった。
毎日が働きづめで、命の危機にひりつく戦いの連続。
そんな想定外 ── つまり異常で過酷な状態が、いつまでも保つ訳がない。
例え魔剣士が、超人的な能力の戦士だとしても。
「それで、今度は何の報告だ?」
「そろそろ<回復薬>の備蓄量が底をつきそうです。
冒険者や行商人から徴用として、強制的に買い上げていますが、それでも重傷者の治療でせいいっぱいの状況です」
「クソっ、欲ったれな貴族共が!
軍事予算をケチるから、だからこんな事態になるっ」
年配の指揮官も、いまさら怒鳴っても仕方ないとは、解っている。
しかし、それでも怒りを叫ばずに居られなかった。
▲ ▽ ▲ ▽
防衛部隊のほつれは、限界に達していた。
ぬかるみで滑り、泥水を浴びる者。
何度も小石に足を取られ、隊列を乱す者。
後退の合図に気付かず、魔物の突進で吹き飛ばされる者。
「歯を食いしばれっ
あの訓練の日々を思い出せ!
我々が負ければ、無力な市民が魔物に食われるのだぞ!」
現場指揮官が、あちこちで枯れた喉からしゃがれ声を張り上げているが、それでも動きは芳しくない。
特に若い騎士ほど、疲労が顕著だ。
体力的には、老年の騎士より優れているはずだが、戦闘経験の少なさが響いている。
度重なる戦闘。
夜も街を囲んで響く遠吠え。
頼りになる同僚や仲間の、思いがけない戦死。
時折、夜行性の飛行型魔物が、夜営巡回の騎士を攫っていく。
連日の緊迫で眠りが浅くなり、あるいは悪夢にうなされ飛び起き、心身が疲弊していた ──
── そして、それは神童と呼ばれる卓抜の魔剣士としても、例外ではない。
「クソがっ」
神童ルカは、そうつぶやいた ──
── 少なくとも、本人はそのつもりだ。
加速された視界で、魔物の爪が迫る。
久しぶりに相対する、狼型魔物<樹上爪狼>。
しかも、森ではより強力な魔物が縄張りを誇示しているのか、珍しく樹上ではなく土の上を駆け回っている。
手強いといえど、脅威力2の魔物 ──
── 最近相手する事が多い脅威力3~5の魔物に比べて、まだ与しやすい。
敵が、不利な状況なら、いよいよだ。
(我ながら、情けないこっちゃ!)
そんな油断が、致命的なミスを生んだ。
剣帝流から譲り受けた『利刃の魔法剣』。
その効果時間の管理に失敗した。
うっかり敵を深追いしてしまい、魔法剣をかけ直すタイミングを失してしまった。
便利な<魔導具>に頼りきりになって、慢心していた事もあった。
ブォオン!と、風がうねる音すら、ゆっくりと聞こえる。
切断し損ねた狼型魔物の前足が、非常識な程に長く伸びた。
ナイフが4本並んだような、鋭い獣爪が迫る。
まさに、名の通り『長腕の凶爪』!
脅威力2という比較的難易度が低いとはいえ、やはり『人食いの怪物』である。
油断禁物、と今さらながらに、教訓じみた言葉を噛みしめる。
── さて、生命の危機から、加速された視界ではあるが、己の動きもまた鈍い。
この首をかっ切ろうとする『長腕の凶爪』を、いかに捌くか!?
危機的状況でも、落ち着きを失わないのは、流石は西方の英雄・神童ルカという所だろう。
そんな細面の青年の意識が、ドン!という不意の衝撃と共に、飛ばされた。
「痛てて、一体なんや……っ!?」
硬い土の上に投げ出され、身をよじる。
そして、自分の上に覆い被さるような、人影に気付いた。
「おい、お前……っ」
細面の青年が、自分の胸に突っ伏す、女の上体を起こす。
「ルカ様……よかった……」
青ざめた唇で微笑む、ベルタだった。
▲ ▽ ▲ ▽
「── ぅ……ぁ……」
女性騎士に庇われ、負傷のないはずの青年が、呻く。
まるで、傷口が酷く痛み、身じろぎすらできないような吐息で。
「姉上! ルカ!?」
「ルカ従兄、ベルタさん、大丈夫ですか!?」
心配して駆け寄ってくる仲間の声にも、反応がない。
女性を抱きかかえた体勢のまま、呆然とする青衣の神童。
そこに、狼型魔物が、追撃の爪を振りかざす。
── ブゥン! と風を唸らせ、再度、振り下ろされる凶爪。
「ルカ様っ」
「従兄殿っ」
叔父と従弟の絶叫にも、反応がない。
あわや2人とも落命、という瞬間 ──
── シュルルル……ッと、何かが割り込んだ。
バイィィンッ!、とマヌケな音が、脅威力2の魔物の爪を弾き飛ばす。
それと同時に、抱き合うような男女2人は城壁の方へ引きずられ、魔物と離される。
「……さすがに2人同時は、重いのであ~る。
弦を操る指が千切れそうであ~る。
魔剣士なのだから、自分の脚で動いて欲しいものであ~る」
城壁の上で、コートの男が、バサリと両手を広げる。
鉄弦を自在に操る異才の楽士、リュートだった。
「……それはまた、えろう迷惑かけたなっ」
腰に巻き付いた鉄弦に地面をひきづられ、よやく正気を取り戻した西方の英雄。
ぎこちなく笑いながら、軽妙な声で応えた。
「このような緊急時に、返礼など不要。
それよりも、そちらのケガのご婦人が心配であ~る。
拙が今より退路を作るので、すぐに連れて行きたまへ」
ビンビンビン……ッ、と鉄弦が編み物の様に組み合わさり、即席の坂道が作られていく。
まるで鉄弦で編み上げた吊り橋のようだ。
それは、城壁を越えて市街地へと続く、最短路だった。
「そうやけど……」
神童ルカは、少し迷う。
自分を部隊長としている、特務部隊は確かに勇猛だ。
だからといって、彼ら<魄剣流>門弟が、疲労していない訳でもない。
そもそも、特務部隊とは聞こえはいいが、騎士になれていない道場生から見所のある連中を選抜しただけ。
人手不足を補うための、臨時の予備編成に過ぎない。
若い彼らは、神童ルカという『御旗』 ──
── ここ<翡翠領>でも噂に聞こえた『西方の英雄』が指揮しているという事で、高い士気を保っている。
だからこそ、今ここで自分が前線から離れる事で、張り詰めた緊張の糸が切れやしないだろうか。
そんな不安が頭をよぎる。
だからこそ、決断に踏み切れない。
また、雪の様に積み重なった疲労が、頭の働きを鈍くしている事もあった。
かくして、変幻自在の戦闘を旨とする技巧派の剣士が、いつもの即決即断が出来ないでいる。
── 己の腕の中には、傷ついた大事な仲間。
今し方、応急処置として<回復薬>を、それも支給品のなけなしの最後の1本を、飲ませはした。
しかし、青ざめた顔色は、一向に回復しない。
それどころか傷口も完全に塞がってないようで、ジワジワと女を抱きかかえている手が、血に染まっていく。
すぐにでも傷口の治療が必要なのは、明白だ。
── もう一方で、厄介な魔物の群れという懸念。
狼型魔物<樹上爪狼>は、木登りが得意なだけに石造りの城壁も、簡単に登ってしまう。
しかも、この魔物たちは、まさに飢えた狼といった様子。
10日前後は獲物にありつけていないようで、痩せ細った体躯と、飢餓感でギラギラした目をしている。
ここを突破されたら、あっという間に城壁の中に入り込み、無力な市民が何人食い殺されてしまうか。
「ワイは、一体、どうしたら……」
神童ルカは、途方にくれてしまう。
そこに思いがけない声がかかった。
▲ ▽ ▲ ▽
「いけよ、神童っ」
同時に、『轟』と唸る重い斬撃が、飢えた狼型魔物の側面から叩き込まれた。
ギャン!と、飢えた魔物が崩れ落ちる。
城壁の外では、重装甲の騎士や、軽装甲の冒険者が、あちこちで魔物と向き合っている。
そこに、さらに道場着に練習用の防具を身につけた、十数人の一団が合流した。
練習用防具には、流派の象徴『黒白の斜め縞模様』。
つまりは、<轟剣流>の証。
「ここは俺たち、ユニチェリー道場が引き受けるっ」
長髪の青年に、ボウズ頭の青年、体格の良い赤毛の少年、四角い顎の巨漢、細身の少年……──
── どれも、見覚えのある顔ぶれだった。
「何しに来よった、お前らっ!?」
「前にも言ったよな、『俺らみたいな分派の不出来だって、一致団結して15~16人で当たれば、本家の神童くらいの働き』は出来るって!
今こそ、それを証明する時だっ」
「アホか、お前ら……っ」
思わず、神童ルカは呆れかえる。
しかし、ボウズ頭の青年が、やけっぱちな笑いを浮かべた。
「アホで結構!
俺らみたいな才能のない魔剣士は、このくらいの荒行でもやっとかないと、ひと皮剥けねえんだ!」
「テメーら、わかってんな!
今まで俺らをバカにしてた連中を見返す機会だ!
後輩どもビビるんじゃねえ、この『剣帝流の指輪』さえあれば脅威力2なんてワケねえんだ!」
長髪の青年が、後輩達に発破をかけると、怒号のような気合いの声が返ってくる。
「うぉおおお」「やってやるっ」「皆、気合いを入れろ!」「今こそ汚名をそそぐっ」「帝都のお嬢さんに、胸を張って武勲を報告するぞ!」「ありよりの、ありありだ!」「我らユニチェリー道場生、ここにあり!」
付き従うのは、誰も彼も、腕輪の数が少ない魔剣士ばかり。
── 彼らは、有名道場によくいる『不良』道場生だった。
つまり、能力が「不可・可・良・優」の順の、「良」にも「優」にも手が届かない連中。
<双環許し>や<巴環許し>といった、中堅止まりばかり。
つまり、<四環許し>や<五環許し>のような、『上位の魔剣士』に成れなかった者ばかり。
そして、血の滲む努力で騎士に這い上がる気概もなく、かといって冒険者の道を選ぶだけの割り切りもできないでいる。
何事も中途半端で、せっかくの才覚を腐らせ、そのくせプライドばかりが高い、有名道場の門弟というだけで肩で風きって街中を練り歩いている様な、愚劣共だ。
── そんな『不良道場生』が、生まれ故郷を守るために、一世一代の奮起をしている!
神童ルカは ── 13で<五環許し>を得た本家道場の天才は ── 思わず口元を緩ませる。
「おい、ボンクラども!
これは借りや、必ず返すっ
── だから、それまで死ぬんやないでっ」
そう言い残して、鉄弦で作られた吊り橋へと向かう。
魔物と対するユニチェリー門弟の、その野太い気合いの声に、背中を押される気持ちで。
「なんや、クソ……っ
アイツら、存外ええヤツらやないかいっ
頼むから死んでくれるなよ、ワイもすぐ戻るさかいっ」
神童ルカは、魔剣士の強化された脚力で、鋼鉄の弦で出来た坂道を素早く駆け抜けた。
とはいっても、重傷のケガ人を抱えているので、全速力は出せない。
疾風のような神速の脚さばきを抑えて、揺れの少ない緩やかな動きを心がける。
それでも、ウゥ……ッ!と、抱き上げた女性騎士は、痛みに身じろぎする。
「ベルタ、もうちょっとや! もうちょっとの辛抱や!」
「ルカ様……、いいです。
わたし、貴男の足手まといには……ゥッ……なりたくないっ」
「何言っとんじゃ、ボケッ
お前ケガ人やなかったら、しばき倒しとるぞ!」
高さ30mの城壁を股越す坂道を駆け上がる。
それから同じ距離を下り走って、城壁外から1分と経たずに市街地に駆け込む。
「この『西方の英雄』・神童ルカ様が仲間見捨てるような、薄情だと思ったか!
そんな性根の腐った男に、<聖女>様が聖紋衣を下賜されるワケないやろ!?」
「そうですね……っ
わたしの好きな男性は、強くて、優しくて、絶対あきらめない……っ」
「せやろうが!
ワイは強い、最強の魔剣士や!
せやないと『<聖都>の剣』なんて務まらん!
ルカ=シャーウッドは、<裏・御三家>が<魄剣流>が誇る、若き天才やぞ!」
男は、走りながらも必死に言葉をつむぎ、絶えず語りかける。
重傷を負った女の意識を、少しでもつなぎ留めるるように。
「さっきだって、お前さんに庇ってもらわんでもな!
ワイ自身で、何とかピンチを切り抜けとったわっ」
英雄の目に不釣り合いだと、涙が滲みそうになるのを堪えながら。
肩書きに名折れだと、自分の無力を噛みしめながら。
「それが、なんでや!
なんでわざわざ、ワイをかばったっ!」
「何で、でしょうね……フフ。
思わず……身体が動いてた。
多分……好きな男性の傷つく姿が……クッ……見たくなかったから?」
対照的に、青ざめた顔の女は、穏やかに答える。
「だからって、なんで背中で受けた!?
真っ正面なら、まだ傷が浅かったやろが!」
彼ら『神童コンビ』やその従者達は、冒険者に準拠した装備をしている。
防具は、俗に『軽甲』や『半鎧』と呼ばれる物で、背後の装甲が薄いのが特徴だ。
騎士の防具 ── 俗に『重甲』『全鎧』と呼ばれる物 ── は、貫頭衣のような着方をする物で、全方向に装甲が敷き詰められていて防御が厚い分、重量がかさばる。
時に、己の身を肉の盾として、命がけで都市を守る存在なのだから、重鈍なまでの分厚い鎧は必要不可欠な物だ。
だが、方々に赴いて魔物退治を請け負う冒険者の、その防具は真逆の製造方針。
思わぬ難敵から逃走し、いつでも脱ぎ捨てて身軽になるための、『捨てられる防具』だ。
だから、装甲は必要最低限の軽量で、着脱が容易にするため背後はベルトや紐ばかりで、装甲は少ない。
「── やですよ。
好きな男性には……ゥアッ……傷だらけの顔なんて、見せれない。
……い、いつでもキレイな、ベルタを、見て欲しいから……っ」
その言葉を最後に、女騎士は意識を混濁させる。
いまだ呼吸はしている、だが顔色はすでに死人のようだ。
「── おい、ベルタ! しっかりせい!
もうちょっとで、治療所につくんやっ
意識をしっかりもてっ
こんな所で死ぬな!!」
男は、抱きかかえる女を、思わず揺らしそうになりながら、力強く呼びかける。
そして、ああ!と天を仰ぐ!
「── 『三人目』ぇぇっ!!
あの時、お前が言うた通りになったぞ!
この国を揺るがすような大事件が、また起きたぞ!!
今回も、どっかで見とるんやろ! 早よ出てこんかい!!」
泣きわめくように叫びながら、ガムシャラに脚を動かし、野外治療所の白テントを目指して駆け抜ける。
急ぐ、急ぐ、急ぐ。
この手に抱く、大切な女の命が、こぼれ落ちないように。
「もう、ワイは嫌なんやっ
周りの連中が、ワイらだけ残して、死ぬんはっ!
守るって決めた連中を、見殺しにするんはっ!!」
天才、英雄、神童……諸々の称号で呼ばれた青年の目から、不条理を嘆く涙がひと筋。
「頼む、誰か……だれかぁ……っ
癒やしの神女、<起源の聖女>様ぁ……っ
慈悲深き天の恵みの神よ、お願いやから……っ
もう、これ以上ぉっ、ワイから仲間を奪わんでくれぇ……っ」
まるで、その祈りに応えるかのように ──
── ザザァ……ッと、にわか雨のような羽ばたきを立てて、一斉に鳥が飛び立った。
異様な存在に驚き、逃げ出すように。
かくして、巨大な黒影が、<翡翠領>の上に差し掛かった。
── 『我が誇るべき騎士達よ! 愛すべき市民達よ!』
── 『皆、今まで、よく耐えた!』
── 『<翡翠領>次期領主代行ロザリア=ジェイドロード、今ここに帰還せり!!』
── 『あとの事は、我々に任せたまえ!』
誰もが待ち望んでいた、希望の光。
次期領主代行が率いる、騎士団の別働隊が、今帰還した。