71:弱者の村
月のない夜の<翡翠領>。
兵舎の更衣室で、力のない悪態が響く。
「…………くそぉ……っ」
「おいおい、生きてるのか?
なんか死人みたいな格好になってるぞ、<魄剣流>?」
更衣室のベンチで放心している男に、シャワーを浴びたばかりの同僚が声をかけた。
「うるせえぞ、<玉剣流>……っ」
若い<魄剣流>小隊長は、顔に被せていた濡れタオル外し、力のない声で怒鳴り返す。
「それだけ元気があれば十分だ。
ウチの小隊の新入りなんて、ぶっ倒れそうな顔色だったからな。
ありゃ多分、今夜はうなされるな」
「俺だって、悪夢を見そうな気分だよ……っ
あの、クソ虫どもの忌々しいツラが目に焼き付いてるぅっ」
「なんだ……
お前のところも、部下が食われたのか?」
「いや、ウチはまだだ……っ
中等傷2人が、治療院のベッドでウンウン言ってる。
だが、明日はどうなるか解んねえ……」
「なら、早く帰れ。
明日は早朝、夜明け前に集合だぞ?」
「チ……ッ、解ってるよ!
歳が一つ上だからって、いつまでも先輩面すんな<玉剣流>……っ」
<魄剣流>の小隊長は、悪態をつきながらノロノロと身を起こす。
「あの鬱陶しい『<羊型魔物>の大群』が、ようやく居なくなったらと思ったら。
今度は『虫型魔物の大群』とはな……っ」
「でも、夜に寝れるだけでもマシだろ?
夜行性で、暗闇で城壁を登ってくる<樹上爪狼>を相手するより」
「そりゃ、そうだが……」
「虫型魔物の方は、夜目が利かなくて助かったぜ」
虫型魔物は、夜目が利かないため、夜は寝静まる ──
── だが、『魔力の光』に反応する習性もあった。
一昨日の夜は、その情報共有が徹底されてなかったせいで、夜間照明の魔法が点けられたままになり、一部の兵は夜戦を余儀なくされた。
おかげで昨夜からは、城壁の上では『松明』なんて時代遅れの物が、数百年ぶりに灯されている。
「くそっ 『虫型魔物ごとき』がこんなに厄介だったなんて、聞いてねーぞ」
虫型魔物。
大きくとも犬か人間の子供くらいの大きさで、魔法も身体能力も弱い。
空を飛ぶのと、100近い個体が群れるのが厄介なくらい。
総じてザコの部類だ。
帝国では、『騎士』がわざわざ相手する魔物ではない、『冒険者』の食い扶持稼ぎだ。
<翡翠領>の騎士団には、退治する事も年に数度あるかどうかという程度。
それも、よほどの大群が、街道や街の近くに巣作りした時だけ。
魔剣士にとっては『弱敵の群れ』とはいえ一般人には『十分な脅威』。
街と街を往来する行商人や配達業者に被害を及ばさないように、素早く処理してきた。
広範囲の攻撃魔術で、遠くから一方的に攻撃 ──
弱った敵を、接近戦闘で止めを差していく ──
── そんな、いつもの流れ作業。
「今までの任務じゃ、楽勝の相手だったからな……」
だから、騎士団員の誰もが、数日前の会議の席で失笑していた。
『西方の英雄』とか持ち上げられた若者が、たかだか『虫型魔物の大群』が城壁に押し寄せたくらいの事を、いかにも『脅威だ』と重々しい口調で語るから。
しかし、『攻略側』と『防衛側』が入れ替わると、難易度が激変。
「あの本家の『神童コンビ』が! 何が『虫型魔物の大群』だ!
事実は、もっとはっきりと! 簡潔に! わかりやすく伝えやがれ!」
今度は、人間達が虫型魔物に悲鳴を上げさせられる番となった。
▲ ▽ ▲ ▽
羊魔物が押し寄せて、4日目の朝だったろうか。
急に『あの鬱陶しい羊型魔物の大群』が潮が引くように失せていた。
<身代鞭羊>の子1匹すら見当たらない。
また、やけに静かになっていた。
周囲の森から鳥の声すら、消え失せていた。
雲一つない空のジリジリと照らす陽気が、何か不吉だった。
連中がやってきたのは、その日の昼下がり。
最初は、旋風に巻き上げられた砂埃のようにも見えた。
『虫型魔物の大群』──
── それも『大量の頭数の群れ』ではなく、『多数の群れが合流した、巨大群』となっていた。
異常だ。
異常事態だ。
そして、異常個体の群れだった。
当日は誰も知りうる事では無かったが、『虫型魔物』は飢餓状態になると装甲を硬化させて、体色が変化するらしい。
巣作りの泥加工や、強敵をやり過ごすための擬態など、いくつもの生体機能を制限して、活力をすべて戦闘能力に注ぎ込む ──
── いわば、背水の陣。
そんな死兵の群れが、命知らずに突撃してくる。
── ブンブンと唸る羽音。
── ガチガチと喉笛に迫る牙顎。
── 斬り捨てても斬り捨てても、押し寄せてくる無限の大群。
その脅威の光景が、目に焼き付いて離れない。
「いくら魔法を撃っても撃っても撃っても、まるで減りもしねえっ」
若い<魄剣流>小隊長が、目を血走らせて呻きをあげた。
「もはや、『大群』というより『暴風雨』か『雪崩』という感じだったな」
「まさに『災害』って事かよっ
くそっ、代行も上の連中も、いつまで周辺の村なんかに構ってるんだっ」
「……当初の予定通りなら、あと2日か」
年上の小隊長の言葉に、若く血気盛んな小隊長は暗い表情。
「援軍まで、そんなにか……?
保つのか、今の調子で……
爆雷障壁の戦術級魔法だって、そろそろマズいんじゃないのか?」
「おい、やめろよ、不吉な事を言うの」
「俺ら<魄剣流>は魔法剣を重視する分、お前らより魔導技術に詳しい。
だから解るんだ、都市防御用だとしても戦術級魔法なんてもんは、あんなにポンポン乱発するもんじゃない。
効果が破格な分、機巧にかかる負荷だって大きいんだ。すぐにイカれるぞ」
「…………結局、代行様だけが頼りか」
もはや誰も『魔物の大侵攻』という、世紀の大危機を疑う者はいなかった。
▲ ▽ ▲ ▽
俺、前世はニッポン人、名前はロック!(転生者あいさつ)
「フワァ~~……ようやく朝か……」
朝日が登るのを見て、ちょっとため息。
寝ずの夜警が終わった。
(これでようやく、6日目か?)
荷車で村を巡りを始めて、1週間の予定の、その6日目だ。
そろそろ、ジジイの言い出した『魔物の大侵攻から周囲の村を助けようツアー』も終盤だろう。
ようやく見えてきた終わりに、上機嫌で出発準備。
しかし、なんだか、年配女性のヒステリックな叫び声が聞こえてきた。
「──はぁ! もう『次の村へ向かう』だって!
何を勝手な事言ってんだい!」
なんかBBAが、ムダに荒ぶっとる。
村長か村長夫人か知らんが、ハデな格好したBBAだ。
出発の挨拶をしに行ったウチの剣帝と妹弟子に、ネチネチネチネチ絡んでる。
「そうだそうだ、俺たちを見殺しにするつもりかっ」
「なんて連中だ、感謝して損したぜ」
「俺たちは、魔物の被害者なんだぞ!」
「カネ返せ、バカヤロー」
ハデBBAに追従して、不満の声を上げる村人の集団。
(── フィ~……空笑い)
俺の胸に、虚しさがよぎる。
「お前らなんて、こんな時しか役にたたないんだ」
「ロクでなしの、冒険者くずれが」
「今までの恩を返せ、社会のゴミが」
「人殺ししか能の無いクズの分際で!」
(── ハハハッ……疲れて空笑い)
ちょっとだけ芽生えた『達成感』が萎んで、『徒労感』が滲み出てくる。
これまで6~7カ所、色々な村を回ってきた。
── 自警団が弱いからもっと居てくれと、引き留められる事もあった。
── なんでもっと早くきてくれないんだ、と責められる事もあった。
(まあ、あの村は、仕方ねえよなぁ。
俺らが着いた時点で、ほぼ壊滅のボロボロで、教会に逃げ込んだ生き残りが『子供と老人だけの10人ちょっと』だったし……)
しかし、それに比べてもヒドイな、この村は特に。
昨日の夕方着いた時も、『感謝の言葉』より『罵倒と叱責』だったし。
その時は、自警団が大分やられて、気が滅入ってるのかと気を遣っていたが。
どうも、住民の『性質』が、すごく悪いっぽい。
ケガした自警団の連中も、ムダ飯食らいとか、足蹴にされてたっぽい。
(う~わ~……なんかトラブル臭が……
さっさと出発できるように、村の外に荷車移動させておくかね?)
俺が、街道近くまで<駒>に荷車を引っ張らせると、騒ぎはいよいよエスカレート。
「義援金くらいよこせっ」
「せめて食料くらい置いていけっ」
目が血走ってる青年2人が駆け寄ってきて、俺の荷車を勝手に物色し始める。
数日前の『本村』から着いてきている、女僧侶で魔剣士のルーナさんが悲鳴じみた、非難の声。
「な、なにやってるんですか、貴男たち!
強盗ですよ、それ!」
「うるせー、『本村』のメス坊主が、口出すんじゃねえ!」
「いつもいつも、『周辺の村々のまとめ役』だの『始まりの村』だの、偉そうに言ってるくせに、加勢に来たの女1人だけかよ!」
若い女性以外には、荷車の御者席に俺しか居ないからって、調子のってんなぁ。
こういう時、この体格とか、この女顔とか、マジで損。
俺がもっと上背で、厳ついマッチョだったら、多分こんなにナメられはしてない。
(あ~……、せっかくだから、もうちょっと動かしておこう。
もうちょっと、村の外に、なー)
アホ2人が気付かない程度に、ソロリソロリと。
街道側へ荷車を進めていく。
「止めなさいって言ってるでしょ!
助けに来てもらった相手から、物を盗むなんて、恥ずかしくないんですかっ」
「助けてくれなんて、誰が頼んだよ!」
「頼んでもないのに勝手に、お前らが来ただけじゃないかっ」
「な、なんですってぇ~~!!」
ルーナさん、ブチ切れ。
オレンジの髪を、猫みたいに立てそうな勢い。
「お、暴力か? 暴力ふるうのか!? 魔剣士のくせに!
一般人に手を挙げたらどうなるか、わかってるんだろうな!」
「ほほう~、魔剣士って一般人に手が出せないのか?」
「当たり前だろ、流派から破門だ! その上、すぐにおたずね者だ!」
「そりゃ良い事聞いたぜっ、ヒャッヒャッヒャッ」
クズ2人が大盛り上がり。
「ほらほら、魔剣士の女僧侶さん、俺たちに手を出してみろよっ」
「そんな事できねえよな、破門が怖くてさぁっ」
「くっ あ、貴男たち!
聖教の神がいくら慈悲深いとはいえ、このような人道に外れた行い、許されませんよ」
「なんだ、結局お前、偉そうに説教するだけかぁ?」
「何が聖教の村司祭だ、何の役にも立たねえじゃねえかっ」
ウンザリするほど調子に乗ってる。
食料くらいなら、まだともかく(支援物資を含め多めに持ってきた)。
他人様の手荷物まで勝手に漁るなよ、コイツらガチ泥棒じゃねえか。
「あ~ん、何だこりゃ……、あぁ、あの女ガキの下着か。
チッ、色気もねえし、こんなのカネにもならねえなっ」
「── あっ! 俺、良い事考えたっ
『本村』の女僧侶あわせて、女3人も居るんだっ
俺ら、コイツらがいつまでも助けに来ないから、酷い目に遭ったんだ。
そのお詫びに、女共に『慰労』してもらおうぜ!」
「そりゃ、良い考えだ! どうせジジイとふぬけヤローの2人と一緒じゃ、女共も満足できてねえんだろうから、村の男総出で相手してやろうぜっ?」
「あ、貴男たちぃっ!
どれだけ品性に欠けてるんですか!」
ルーナさん、怒りすぎて、ちょっと目尻に涙すら浮かんでる。
(おいおい、クズ2人、女の人とか泣かすなよ……っ)
俺も見ていて、イラッとするが。
コイツら2人の言動とか、もし身内だったら目も当てられないくらい。
人の良心を信じる女僧侶さんとしては、他人事としてもツラい光景なんだろうな。
▲ ▽ ▲ ▽
俺は、ちょっと笑顔で近寄る。
「あー、そっちのヒゲの男の人?
ちょっと、手ぇ出して?」
「ヒャーハハハッ
なんだ、こっちの女ガキは、随分物分かりが良いじゃねえかっ」
チャリンチャリン小銭を見せると、クズの片方が嬉々として片手を出してくる。
「ロ、ロック君、こんな連中に、お金なんて渡す必要はありませんよ!」
すると、ルーナさんが慌てて止めに来るが、もう遅い。
辺境の村で、ナマクラ剣士と握手!
そのまま、オリジナル魔法【序の二段目:圧し】を発動。
「オラァ!!」
握手した腕へ、愛剣の模造剣で全力一撃。
── ボギボキッ!と、小枝が折れるような軽快な音で、ヒゲの二の腕が複雑骨折。
つまり、変な方向に曲がった腕から、折れた骨が『こんにちわ』。
「── ごぉッ……おぉッ……ぐ、ひぃッ」
ヒゲのクズが、もんどり打って、胸が詰まったみたいな重い呼吸。
人間、急に骨とか折られたら、悲鳴すら上げられないワケで。
これ、豆知識な?
「おい、テメー。
何、その汚え手で、妹弟子の下着とか触ってんだよ?」
言いながら、思いっ切り蹴飛ばす。
【序の二段目:圧し】で身体強化した脚力で、サッカーボールみたに高々と。
(フィ~~……ちょっと気が晴れた。
やっぱり、悪党を殴るとスカッとするな?)
あ、さっき手渡した小銭は、この治療費ね。
遠慮なく取っといて良いよ。
この異世界、このくらいの重傷でも<回復薬>でサクッと治るし。
まあ、でも、肋骨もやったし、どうせ赤字だろうし。
「ヒ、ヒィイ!
この女ガキぃ! 破門だぞぉ! 魔剣士の流派からぁ!
お前ぇ、一生おたずね者だぞぉっ!」
真っ青な顔の、もう一人のクズが、何か言ってくる。
バカじゃね、コイツ?
俺が ── こんな魔力量ザコなこの俺が ── 『魔剣士に見える』のか?
「ざんね~~ん! 俺、ノット魔剣士、ただの一般人!
残念っ、交渉は失敗!」
「う、うわぁあぁあ……っ」
ガンバって『ぜんりょくしっそう』するバカな悪大人を、【序の二段目:推し】を発動して、追い回す。
(── ヒャッヒャッヒャッ、抱腹絶倒ッ)
「おらおら遅えぞ! 早く逃げろ逃げろ逃げろっ」
「ロック君!!」
ちょっと遊んでいると、真面目さんに怒られる。
(やーね、『学級委員長』気質の女の人って、冗談が通じなくて。
── チッ、うっせーよ、反省してま~す!)
仕方ないので、【序の三段目:払い】を発動して、吹っ飛ばし!
村の出入り口の、門の丸太柱に、激突!
途端に『ヒィ…………ッ!?』 とか言って、村人がまとめて黙る。
被害者心情をおもんばかって大人しく『怒りのはけ口』やってた善良な剣帝と妹弟子を囲んで怒鳴ってた、村代表BBAを含む『クズな大人ども』が、一斉にこっちを見た。
── つまり、『バカをバァーンして、ババアの横にババーンで、他はポカーン!』
(ププッ このギャグ傑作じゃね!? みんな使っていいよ!)
徹夜で異常なテンションの俺は、ひとりキャッキャッキャッキャッしてた。
▲ ▽ ▲ ▽
またもBBAが、ムダに荒ぶっとる。
茹でタコみたいに真っ赤な件について。
「なんて事をしてくれたんだい……!?」
俺はヘラヘラ笑いながら、マイペースに反論。
「いや、アイツら盗賊じゃん?」
「ふざけんじゃないよ、この小娘がっ
村の人間を襲ったって、領主の騎士団に通報するからね!
どうなるか、覚えておきな!」
「いや、村の外だったじゃん? 街道じゃん?
帝国の法律じゃあ、街道での盗賊行為は生死不問だし、むしろ俺が報奨金もらう方じゃん?」
「そんな言い逃れが通じるとでも!?」
「BBA、お前がな?
村ぐるみで強盗とか、どっちが騎士団にしょっ引かれるか解ってんのか?」
「誰が信じるもんかい、そんな言い掛かりっ」
「まさかBBA、お前、隠し通せてるつもりか……?
俺たち、昨日の夜警で、その辺りの森をウロウロしてんだぞ?」
「だからなんだい!」
「なんで村の周りの森、荷車の部品があちこち捨ててあるんだろうな?
しかも、どれも、商人の荷車ばかり?」
「い、言い掛かりだよ!」
「あ、どもった」
今の『商人の』って部分は、ハッタリだったんだけな?
そもそも、この異世界の連中って、環境意識とかゼロだし。
ガラクタ森に捨てまくり、<回復薬>工房のヤバイ溶液も川に垂れ流し。
<翡翠領>のドブ川が、ピンク色の刺激臭してたのは、最初見た時ドン引きしたわ、さすがに。
それはともかく。
「ああ、やっぱり。
お前らって、村に寄った商人とか襲ってんのか?
最悪だな、この村、ただの盗賊のアジトじゃん?」
「── ちょっと、村の代表さん、貴女まさか!?」
ルーナさんが割り込みしてくると、BBAは急に態度を変える。
野良犬を追い払うような手つきで、シッシッと追い出しにかかる。
「── うるさいガキどもだねぇっ!
こっちは村の復旧にいそがしいんだ、他所の村でもどこにでも、さっさと行きなっ!」
さっきまで、『勝手に出て行くな』とか言ってたの、オメーだぞ?
そう思うが、身勝手な輩をマトモに相手しても仕方ない。
「はいは~い。
でも、ここに居る『本村』の女僧侶さんとか、社会的信用のある人の証言があるからねー。
その内、騎士団とかが調査に来ると思うよぉ~? バイバ~イ!」
── ユウッ、ウィン!
── ♪てれって~てれててん!
── ふっ すべてのあくとうたちは せいぎのまえに ひざまづくのよ!
そんなワケで、助けた7番目だか8番目だかの村と、ケンカ別れみたいな感じでおさらばした。




