43:同門の死闘
遺跡を探し回ると、夕飯のたき火の煙の元が、すぐに解った。
石造りがほどんと崩れておらず、雨風をしのげそうな建物。
古代文明の威容が残る棟の中に入ると、食事と寝床の用意がしてある。
都合のいい事に、一人だった。
「どうしてデース、お姉ちゃん」
ワタシ、エル=スペンサーは最期通告のつもりで、そう問いかけた。
「やっぱり追っ手はアンタか!」
激しい剣幕の『姉』は、ワタシと同じような容姿。
つまり、小麦色の肌と栗色の髪で、豊満というよりもしなやかな体型。
とは言っても、血のつながりがある訳ではない。
工作員の同僚 ── つまり帝国の騎士団第四方面隊の監査部のメンバーの中では、捨て子、みなし子、孤児院出身など珍しくはない。
幼少期の訓練課程で、宿舎の同室に割り当てられた者同士が『姉妹』と呼ばれ、同じ任務につく事が多い。
「ババアのヤツ、どうやっても裏切り者を始末しておきたいらしいわね!」
『姉』がそう吐き捨てる。
たしかに、幼少期から密接な『姉妹』であれば、お互いのクセや性格まで熟知している。
追っ手を寄越すには、これ以上ない人選だろう。
『姉』は、村娘らしい素朴なエプロンスカートに似つかわしくない厳つい刃物・山刀を向けてくる。
山道を切り開くナタ代わりで、また魔物に対する護身用なのだろう。
対人戦ではその重量が、取り回しの難になる。
ワタシは、その刃物の間合いギリギリまで歩み寄り、説得の言葉をかける。
「お姉ちゃん、今からでも戻りまショー。
神王国の工作員を調べるためだって言ったら、きっとお師匠サマ許してくれマース」
「ハンッ、冗談じゃない!
いつまであのババアのご機嫌を取りながら生きていかなきゃならないのよ!
そんな人生、人形と一緒じゃないっ」
「そんな事ありません、エル達は帝国を守るために ──」
「そんな話、もうウンザリなのよ!」
「お姉ちゃん……」
第四方面隊では潜入工作について、女子供が担当する事が多い。
か弱い見た目の方が潜入先の警戒を解きやすい、というのが大きな理由だ。
さらに女であれば色仕掛けで、権限のある相手に取り入りやすいという利点もある。
発育が遅く『子供』任務ばかりのワタシでは、窺い知れない気苦労があったのだろう。
あるいは『標的と親密になる内に、逆に取り込まれてしまう者が居る』とも聞く。
今の『姉』は、そういう状況に陥ってしまったのだろうか?
「最期に、ちゃんと聞かせてほしいデース。
── 『ケイ姉さん』、どうしてデース?」
ワタシは、訓練時代の呼び名をあえて使い、彼女の情に訴えかける。
すると、それが功を奏したのか、『姉』は少し声のトーンを変えた。
「どうして、ですって。
決まっているわ、『ワタシが』生き延びるためよ」
「祖国と組織を、裏切って?
どこまでも追われるなんて、解ってるはずデース」
束の間の自由の代償は、追っ手や暗殺に怯える、精神をすり減らす日々だ。
そんな事は『妹』に言われずとも解っているはずなのに、どうして?
「ハハンッ、良い事を教えてあげる。
この帝国が『東の覇王』とか大きな顔をしていられるのも、今の内だけよ。
神王国はね、既にとんでもない兵器を完成させているのっ
騎士団の調査室? 帝室の密偵? 魔剣士の<御三家>? <帝国八流派>?
そんな物、すべて踏み潰されて跡形もなくなる、木っ端微塵よ!」
「……それが、ここ数年の神王国の暗躍の理由デースか?
あちこちに工作員を送り込んでいるのは、戦争の準備なのデースね」
そして、『姉』が裏切った理由なのか?
「そうよ!
でもね今さら嗅ぎつけても、もう手遅れよ!
神王国の計画は最終段階に入っているの。
数年後には、南の藩王国も、北の連邦も、無くなっているわ。
アートルム大砂丘があるからって、この帝国だって無事じゃすまない。
いいえ北大陸だけじゃない、南大陸だって全て神王国の支配下に入るのよ」
「……神王国が、それほどの兵器を……?」
『姉』は、『秘密兵器』を知って、祖国を見限ったのか。
だとすれば『あの男』 ── 10年掛かりで商会に入り込んでいた番頭 ── の正体は、やはり神王国の工作員。
いや、何事も慎重な『姉』が、情報だけで飛びつくとは思えない。
もしや、『実物』を見せられた?
マズい、この辺りには ──
── つまり帝国と北の連邦の国境近くには、すでに『秘密兵器』が配備されている!?
ワタシが、『姉』からもたらされた情報から推測を組み上げ、冷たい汗を背中に浮かべる。
『姉』は、そんなワタシの様子を見透かしたのか、どこか哀れむような表情。
「後世の歴史では、神王国こそが古代魔導文明の後継者って記されるでしょうね。
── でも、妹弟子がどうしてもって頭を下げて頼むなら、ワタシが『あの人』にお願いしてあげてもいいわよ?
教官達に『殺戮人形』って呼ばれてた妹弟子の技、神王国なら高く買ってくれそうだし」
もし、ここに居る追っ手が、ワタシ以外の誰かなら。
『姉』の提案に、魅力的だと迎合したかもしれない。
沈みかけた船からネズミたちが逃げ出したとして、責められるはずもない。
自由も名誉も捨ててまで祖国に貢献を求められながら、それでも省みられる事の少ない、汚れ仕事なら余計にだ。
だが、ワタシには『姉』の提案を受け入れられないだけの、十分な理由がある。
だから、沈黙で否定を告げる。
「………………」
「まぁ、ババアの操り人形に言っても、仕方ないか。
せいぜい姉弟子の代わりに、親孝行と師匠介護でもしといて?」
ワタシは別に、師匠の操り人形ではない。
師匠の命令に黙々と従う姿が、周りの者にそう見られていたのは知っている。
ワタシはただ『唯一の肉親』を、『実の祖母』を一人にする訳にはいかない。
ただそれだけの、シンプルな事情があっただけだ。
同室で育った『姉妹』たちも、もちろん監査部の人間も、他に誰も知らない。
祖母と実孫だけの秘密。
「……お姉ちゃんの気持ちは、わかったデース」
もはや、幼い頃から慕った『姉』はいない。
ただ『組織の裏切り者』を処断するだけ。
そうワタシは観念して、上着の内に隠したナイフを抜き、構える。
濡れた刃には、致死性の毒。
そして、首に巻いたスカーフを外し、マスクとして巻き直す。
── 精神が切り替わる。
大人に愛される、勝ち気な言動の割にどこか気弱な少女は、眠りにつく。
その代わりに、暗殺任務の切り札『殺戮人形』が、目を覚ました。
▲ ▽ ▲ ▽
ワタシと裏切り者は、静かに対峙を続ける。
お互いに、刃を構えたままで、動かない。
いや、動けない。
同門同士で、お互いの手の内はわかりきっている。
そうなると、戦いはどちらかというと、精神戦の部類になる。
── しばらく経って、ふと『姉』が声を上げた。
「どうして……?」
どこか慌てた様子で、エプロンスカートから何かの<魔導具>を取り出し、何度も操作する。
「何よ、どうして来ないのよ!
こんな肝心な時にっ」
何事もこまめな『姉』の事だ。
追っ手に対する、必勝の秘策があったに違いない。
それが空振りに終わったのなら ──
「── お姉ちゃん、お別れデース……」
素早く距離を詰める。
「チィ……ッ」
『姉』は、いや裏切り者は、詰められただけの距離を離そうと、素早く後退。
迂闊に武器を振ってこないのは、女の細手には重い山刀が、隙の多い武器だとわかっているから。
お互い向かい合ったまま、一方が前進し、一方が後退する。
あるいは左右に回り込み、目まぐるしく位置が入れ替わる。
端で見ている者があれば、社交界でのダンスの練習かと思っただろう。
だが、そんな拮抗も長く続かない。
後退し続ける分、逃げる方が不利だ。
そして、ただの工作員と、要人暗殺専門の『殺戮人形』 ──
── その性能差が明らかになる。
「クッ、このぉ……っ」
姉の呼吸が乱れた。
それから勝負は、急転直下。
ダンスが激しくなり、渦巻きのような円舞の2人が、近づき離れ、再び近づき ──
── そして決着が付いた。
裏稼業に相応しい、静かな死闘。
ついに、刃と刃が打ち合わさる事もなく、一方が倒れた。
脾臓に一撃。
さらには、致死性の毒。
声も上げる事も苦しいであろう相手が、倒れたままで首だけ上げて、声を絞り出す。
「まったく、アンタも……
少しは、自分の頭で考えるように、なりなさいよ……
でないと……ゲフッゲフッ……いつまでも人形よ、ワタシ達……」
まるで、亡くなる姉が、残す妹に遺言するように。
優しく微笑んで、息を引き取った。
「はぁ……」
絶命を確認し、スカーフのマスクを外す。
途端に、精神が緩む。
少しだけ、番頭の事にも頭を巡らす。
あの番頭を説得すると、最期まで息巻いていた行商人。
彼も歴戦の商人、現場たたき上げで会頭まで上り詰めた人物だ。
つまり、時に交渉の場でヤクザ者に刃物を突きつけられたり、山賊や海賊に殺されるかかる事が日常の人間。
護身術の一つくらい、心得があるだろう。
そもそも商人とは、馬の生目を抜くような、くせ者ぞろい。
相手が神王国の工作員だとしても、簡単に殺される事はないはずだ。
それよりも今は、仲間の死を悼みたい。
例え、自分の手で殺めたとしても。
「姉弟子ちゃん、どうして……」
── ケイ姉さん。
アナタ自身はそう言っていたが、決して『人形』なんかではなかった。
兵士達が、時には生命をかけて、砦や街を死守するように。
我々も、光のあたらない場所で、身命をかけていただけ。
家族を守るために死地に向かう者と同じように、尊い役目を負っていた。
そして、少なくとも、自分の意志でそれを完遂してきたはずだ。
影から、この巨大な帝国を守っている。
その小さな誇りを胸にして。
その最期が、裏切りだとしても。
アナタが果たした、今までの任務が無になる訳ではない。
「お姉ちゃん……っ」
── だからせめて、ワタシだけは涙を流そう。
不名誉な裏切り者ではなく。
かつての仲間を弔うために。
そして、同行者に知らせるために、大きな悲鳴を上げる。
「イヤァァァ、お姉ちゃ~~ん!」
嘘にまみれて生きるのはワタシ達、工作員の宿命。
しかし、『姉妹』を失い、こぼれる涙だけは本物だった。
!作者注釈!
2022/11/29 聖王国 → 神王国に変更。(聖都と紛らわしいため)
簡単なまとめ
一生スパイなんて、生きていくのがしんどいです。
でも今は、理解のある彼君がいて幸せです!




