235:ヒューマン・プリーザー
<金鉱島>の市街地の中心部。
行政府の建物が立つ中央通りには、冒険者ギルドの他に、工業ギルド、農林ギルド、鉱山ギルドなど、主要産業の事務所が軒を連ねる。
その一角にある商業ギルド。
その本館3階の貴賓室で、怒号が響いた。
「ふざけるなよ、キサマらぁ!」
しばらく怒鳴り声が続く。
やがて、宝石のネックレスや指輪をジャラジャラと付けた、神経質そうな老人が貴賓室のドアを開けた。
その老商人が、カンカンに怒りながら部屋から引っ張り出したのは、若い冒険者と異国容貌の商人だった。
「……チェッ。
エラー品の<神癒薬>や割れた瓶なんて、あんなガラクタ、他に誰が買ってくれるって言うんだよ」
「まぁ……、来週の競売では値が付かないでしょうね……」
「―― うるさい! さっさと出て行け!」
老商人は、聞く耳をもたず、という態度だ。
すると、カチンときた顔の若手冒険者がくってかかる。
「何だよ、その<神癒薬>を見付けたのは俺だぞ!?」
「だから何だ!
実績ひとつない夢物語ばかりの若造に、いくら探索の資金を出してやったのか、もう忘れたのか!」
老商人は、食い下がる冒険者の背中を押して、部屋から追い出した。
そこに、貴賓室前の廊下で待っていた、別の冒険者が声をかける。
「―― そろそろ、良いですか?」
メガネをかけた青年冒険者は、少し呆れた顔をしている。
「ああぁん、なんだ!
お前なんか呼んでもない ――」
老商人が、さらに機嫌を悪くして怒鳴り声を上げると、
「―― すまん。
コイツ、俺の養息なんだ。
ジイさんも、久しぶりだな?」
まるで庇う様に、異様な巨漢が前に出てくる。
200cmを超える偉丈夫で、ヒツジの骸骨を兜にした異装の冒険者。
AA級冒険者戦団『人食いの怪物』の『#1』だった。
すると、悪態だらけだった痩せ細った老商人の態度が一変する。
「―― あぁ!? 偉大なるエンリコ=ダンヒル!
我が村の英雄よ、久しぶりだ! 噂に聞く以上に元気そうじゃないか!!」
老商人は、まるで数年ぶりに会った親戚かのように、熱烈に抱きしめる。
巨漢の冒険者も、親しげに老人の肩を叩いた。
「ジイさん、また随分と痩せちまったな?
顔色も悪いし、働き詰めは良くないぜ」
「うるさい、生意気な若造め。
まったく、誰のせいだと思っておるか!」
老商人は相変わらずの口の悪さだが、その声は嬉しそうに弾んでいる。
老商人は、廊下で待っていた冒険者一行を貴賓室に招き入れると、懐から大事そうにガラスの小瓶を取り出す。
「―― さあ、受け取ってくれ!
本当に長かった、ようやく渡せる!」
老商人は、その小さなガラス瓶を掲げて、自慢げに巨漢の冒険者へ見せつける。
「これがお前たち、ワシの村を救ってくれた冒険者戦団への報酬!
命懸けで戦う冒険者なら誰だって欲しがる、ノドから手が出るほどにな!
まさに千万の金貨に勝る秘宝、どんなケガや病気も癒やすという伝説の秘薬<神癒薬>だ!」
それは、死者すら蘇生させるという、古代魔導文明の万能薬。
ガラスの小瓶の中で、黄金色の水薬がキラキラと輝いた。
▲ ▽ ▲ ▽
「―― ジイさん、すまない」
『人食いの怪物』の#1・エンリコは、小さく首を振る。
そして、差し出される黄金色の薬瓶を片手で押し返し、もう片手で自分の骨兜を外した。
中年男の精悍な顔が、晒される。
「俺は、もう治ったんだ。
もっと早くに連絡すれば良かった、必死に探してくれたアンタには悪いことをしたな」
かつて呪いに苦しんだ巨漢の冒険者は、せっかくの治療法を見付けてくれた知人へ、その努力が空振りに終わった事を謝罪する。
「おお、本当に治っている……。
あの腐った、紫色の、おぞましい悪臭など、どこにもない……!
ああ、噂を聞いた時は、何度も疑ったが、本当に……! ほんとうに……!」
老商人は、懐にしまっていた<神癒薬>の小瓶を応接テーブルの上に置くと、両手を震わせながら巨漢冒険者の顔に触れて確かめる様になで回す。
そして、歓喜の声を上げ、飛び跳ねんばかりの勢いで商業ギルドの貴賓室の中を歩き回る。
「ああっ、ワシは生まれて初めて神に祈るぞ!
それも感謝の祈りだ!
聖教の神がいいか、それとも古代12神がいいか、あるいはそれこそ青ざめた死の神か!?
―― 齢70のこの不信心者が、今まさに心からの感謝を申し上げる!!」
その熱狂っぷりに、周囲は苦笑い。
タイミングを伺っていた戦団の褐色肌の乙女『#5』 ―― エンリコの実娘・リザベル ―― が巨漢の隣に来て尋ねる。
「お父様、この方は?」
「あぁ……、まあ、昔、仲間が世話になった村の人間さ」
すると、老商人がキッと鋭い目をして、振り返る。
「何を言っておる、ちゃんと教えんか!
―― 『この老いぼれこそ、貴様に呪いの運命を押しつけた元凶』だと!」
その言葉に、周囲に動揺が走った。
「ど、どういう、事ですか?
養父さん」
最初に口を開いたのは、戦団の参謀役であるメガネの青年『#2』。
しかし、それに答えたのは老商人自身だ。
「ダマされたのさ、この若造どもは。
この性根の腐った老いぼれを始めとした、ロクデナシの『盗人村』の人間どもに……!」
老商人の自虐じみた言葉に、中年の巨漢は青色の目を吊り上げる。
「―― やめろジイさん、それはアンタでも許さない。
俺たちはダマされて依頼を引き受けたんじゃない!
皆で考えて、選んで、アンタの村を助けると決めたんだ!
それは、死んだ仲間たちの意志を踏みにじる言葉だっ」
「……すまん、すまんかった。
そうだ、お前たちはわざわざ死地に飛び込んでくれたんだ。
この、大うつけ者ぞろいの、底抜けのお人好しどもがっ」
巨漢の強い語調に、老商人はシュンとしてうつむく。
老いた色黒の顔をシワクチャにして、その目尻にはうっすらと涙を浮かべて。
―― この痩せ細った老商人と、戦団の#1との間柄は、騙し騙されたというだけの簡単な関係ではない。
―― 親類縁者のように親しく挨拶を交わしながらも、他人には説明しずらい複雑な背景を抱えているらしい。
そういう事を感じ取って、冒険者の仲間達は口出しを控えた。
巨漢のリーダーは、自分の短髪をガシガシと掻きながら、老商人を慰めるように告げる。
「―― まあ、アンタもすでに知っている様だが。
つい最近、ちょっとした幸運があって俺の『呪い』は解けたんだ」
自分の事はもう心配するな、という口調で続ける。
「だから、その<神癒薬>は好きにしてくれ。
俺にはもう、必要のないものだからな」
「いいや、違う!
これは、お前への、お前たち冒険者戦団『ヒューマン・プリーザー』への報酬だ!
だから、唯一生き残ったエンリコ、お前が受け取らなければならないのだ!」
老商人は激しく首を振って否定する。
そして、黄金色の水薬が入った小瓶を、もう一度両手で差し出した。
▲ ▽ ▲ ▽
かつて、『八方美人』という名の冒険者の戦団があった。
他人の『お願い』にイヤとは言えない、その優柔不断さを自虐した戦団の登録名だった。
冒険者としての実力はいまいちだったが、その善良さから助力する者も多く、また幸運にも恵まれ、何とかB級の冒険者戦団まで昇格した。
そして15年以上前に、1人を残して全滅した。
冒険者の界隈では、代わり映えのないありふれた不幸だ。
しかし、B級の『八方美人』には、少し変わった小話がある。
ただ1人の生き残りが「仲間が犠牲になったが依頼は果たした。異常個体が率いる<羊頭狗>の群れを全滅させた」と、大仰な戦果をのたまったからだ。
<羊頭狗>は1匹でも『脅威力3』なのに、群れになると『脅威力5』に跳ね上がる。
冒険者の魔物退治では最高難易度だ。
A級の冒険者戦団でも難色を示す様な危険な討伐依頼だ。
さらに、異常個体の<羊頭狗>が居るとなれば、B級の冒険者戦団なんて2流連中が敵う相手ではない。
―― 当然の様に疑念を向けられ、鼻で笑われ、一蹴された。
曰く、「アイツは、普通の魔物の群れから逃げてきただけさ。仲間を見捨てた奴に限って『ドラゴンに襲われた』なんて大仰な話をする」
曰く、「いやいや、山で遭難しただけだろう。よくある話さ、自分の失敗で仲間が死んだのを『魔物のせい』にするっていうのは」
曰く、「あるいは食糧が尽きて戦団で殺し合いして、仲間を食ったのかもな。その罪悪感から、ありもしない『幻の敵』をでっち上げてるんだ」
そんな邪推と悪評がささやかれ、たった1人の生き残りは嘲笑われ、忌み嫌われて、孤立する。
『仲間を食った男』。
『仲間殺し』。
『呪われた冒険者』。
それが、ここにいるAA級の冒険者戦団『人食いの怪物』の#1、エンリコ=ダンヒルだ。
▲ ▽ ▲ ▽
老商人は、独白する。
「今でも覚えている、昨日の事の様に思い出せる。
<羊頭狗>の群れと知って、一度は村を出ていたお前たちの荷車が戻ってきて、
『逃げ帰ったみたいで恥ずかしいからだ』だの、
『“辺境の英雄”ってジジイには負けたくない』だの、
『A級に昇格するため箔を付ける』だの、
悪ガキどもが悪戯でも思いついたみたいな顔して、戻って来てくれた事を」
彼らの村を救った、今は亡き英雄たちの話を始める。
「安全で温暖な南方は一大農耕地帯で、帝国の食料庫だ。
大した魔物も出ない、と舐めて特に魔物対策なんてしてなかった。
それがまさか、村の裏山に<羊頭狗>の群れが住み着くなんて……」
過ぎ去った昔の苦難を思い返しながら。
周囲は、黙って聞くしかない。
「一流の冒険者 ―― A級の戦団を呼ぶようなカネなどない。
C級の戦団は、どいつもこいつも真っ青になって逃げ出した」
老商人は、亡き人を思い出し、少し涙ぐむ。
「そんな時に、お前たちB級の『八方美人』がやってきた。
『何組も冒険者戦団が逃げ出した魔物を拝んでやろう』なんて軽口をたたきながら」
老商人は、声を震わせる。
「村人の遺骸を抱えて帰ってきてくれた、勇敢な女子もおった!
『大口叩いて恥ずかしい』とだけ言い残した、寡黙な大男もおった!
『実のバアさんが早くに死んだから、代わりの年寄り孝行だ』と血まみれで笑った、ひょうきんな小男もおった!」
老商人は、村の英雄たちが残した言葉をなぞる。
すると、腕組みして聞いているだけだった、『#1』・エンリコが「ベガ、マイク、チン……」と仲間の名前らしき言葉をつぶやく。
「最後の日にエンリコ ―― お前が仲間を背負って帰ってきて、血まみれの拳を突き上げた光景。
アレを忘れた日は1日たりともない!」
老商人は、思い出した感動で身を震わせる。
「そんな我が村の英雄の大活躍を、隣村の連中も、冒険者も、ギルド職員も、役人たちも誰も信じなかった!」
老商人は、悔しさに下唇を噛みしめる。
「ワシらにはゼニがない!
ワシらは信用されてない!
貧しさを言い訳にして、他人を、他の村を、領主の温情すらも、裏切ってばかりだったからな!
だからワシら『盗人村』の証言など、まともに取り合わん」
老商人は、かつての行いを悔いる。
「我が村のために命をかけてくれたのに、他の誰からも信じられずに鼻で笑われる!
ワシは腹が立って仕方ない!」
老商人は、声を荒げて足を踏みならす。
「『仲間を殺し、その肉を食って生き残った』だと!
『だから呪われた』だと!?
エンリコ、何故お前がそんな風に言われなければならない!
仲間想いで、お人好しで、勇敢な、我が村の英雄の最後の1人が!!」
老商人の決意の声と、懇願の声。
「そんな汚名を払拭する方法を、ワシは考えた。
『冒険者なら誰もが羨むお宝をくれてやる、それしかない』ってな。
―― だから受け取ってくれ、冒険者パーティ『八方美人』の最後の1人・エンリコ=ダンヒルよ!」
「………………」
しかし、ヒツジ頭蓋骨の兜を脱いだ巨漢は、腕を組んで黙って聞いているだけ。
何も、答えなかった。
▲ ▽ ▲ ▽
商業ギルド3階の貴賓室に、少しだけ沈黙が続く。
「………………」
「………………」
老商人と、巨漢の冒険者、どちらともが確固たる意見を持ち、譲らないからだ。
そんな気まずい空気に、室内を見渡すメガネの青年が、ふと仲間の様子に気付いて声をかけた。
「お師匠さま、どうしました?」
「あ、いや……その……。
な、何でもない……。
いや少し、知人に似た人物を見かけてな……」
この鹿ツノ兜の中年男性は、AA級の冒険者戦団『人食いの怪物』の中でも最も思慮深い人物で、『相談役』とでも呼ぶべき知恵者だ。
そんな彼が、何か動揺しているかの様に歯切れの悪い返事をする。
「はぁ……、お知り合い、ですか?」
メガネの青年が、年上の仲間が見ていた窓に近寄る。
大通りでは、まだ若い冒険者が街中を走り回って遊んでいるのだろう。
窓の外から「ギャー、街の中は勘弁してー」とか「イヤー、ブチちゃん止まって~」とかの子どもっぽい騒がしい声が聞こえ、鉄兜をかぶった小柄な人影と牛の様な白い獣毛が大通りを走り去るのが見えた。
「いや、その……気のせい、とは思うが……。
故郷の ――」
冷静沈着な魔法使いの男『#3』が、珍しくはっきりしない口ぶりで、何かを言いかける。
―― 不意に、遠雷のような音が響き渡った。
黒雲なんて何もない青空に響く、ヴゥオンッ!という爆音。
「―― 今のは……?」
「……雷鳴?」
AA級の冒険者戦団は顔を見合わせた。
「いや、違う……っ」
巨漢はすぐに骨兜をかぶり、貴賓室の窓を開けて表通りへと飛び降りた。
メガネの青年・『#2』は慌てて窓に駆け寄り、3階の窓から路上へ呼びかける。
「どうしたんです『#1』!?」
「違う雷鳴じゃない!
俺には解る、あれは『破滅の魔法剣』だ!」
「はぁ!? では紫色の魔力っ!!
そんなの貴方以外にいったい誰がっ!?」
「決まってるだろうがっ、アイツだ!
どうせデカイ魔物と戦っているんだろう、加勢に行くぞ!」
行くぞ、とばかりにヒツジ骸骨をかぶった『#1』・エンリコが手招きする。
「ハァ……、仕方ありませんね」
「まぁ、勇士さま!? 貴方のリザベルが今すぐ参りますっ」
「ちょっと、姫さまっ! 窓から出るのはヤメてよぉっ」
「ウゲッ、あの剣帝流が苦戦するくらいの魔物かよぉ……っ」
「彼の少年も、相変わらず波乱の人生の様だな……」
戦団『人食いの怪物』の残り5人は、すぐに腕輪型<魔導具>で【身体強化】魔法を発動させて、商業ギルドの3階から飛び降りていく。
すると、3階の窓から大声が追ってくる。
「持って行け、冒険者!」
貴賓室から投げ渡された小瓶を、『#1』エンリコが慌てて片手で掴む。
「おい、ジイさん ――」
「―― 危険に備えて立ち向かうのが、冒険者なんだろう!
それとも、その『新しい仲間たち』が死にかけた時、黙って諦めるのか!?
あの日の、あの時みたいに!」
見上げてくる巨漢冒険者の異論を、老商人は怒鳴り声で封じた。
ヒツジ骸骨をかぶった巨漢は、少し迷った後、黄金色の液体が入った小瓶を高く掲げた。
「すまん、ジイさんっ
借りて行く!」
「ああ、返さんでいいぞ!
今やワシの村は岩塩の産地でガッポリだ、カネなんぞ腐る程あるからなぁ!
ガァ~、ハッハッハッハ~~~!」
そんな笑い声を背中で聞きながら、冒険者戦団『人食いの怪物』の6人は、魔物の森へと急いだ。




