234:土竜の坎為水
その話が終わると、商人の格好した『11番』は困惑の声をあげた。
「―― 何を、言ってるんですか……?」
その商人姿の暗部構成員は、目の前に居る金髪ワシ鼻の男 ―― 『心臓の12番』の目印がついた伝令鳥の誘導されて、警戒しながら魔物の森までやって来た。
そして『昨日の異変』について詳細を求めたら、そんな荒唐無稽な『バカ話』を聞かされたのだ。
彼、神王国の『金貨の11番』が困惑するのも当然だろう。
「何を、とは?」
声は、木の上から返ってきた。
商人姿の男は、樹上の相手を見上げて会話を続ける。
「つまり、こうだと言う訳ですか?
疾駆型の特級魔剣士を超える、第1形態『竜拳手』による奇襲でも殺し損ねる程の強敵が居た、と?」
「ああ、そうだ」
返答は、あっさりとした声色。
商人姿の男は、一度肩をすくめて、次の質問をする。
「しかも、剛力型の特級魔剣士を片手で殴り殺せる、第2形態『竜騎士』でも決着がつかなかった、と?」
「ああ、そうだ」
またも、あっさりとした返答。
商人姿の男は、目眩をこらえる様に一度目を閉じて、質問を続ける。
「だから、禁じ手である第3形態『竜騎兵』を起動させる ―― つまり、休眠状態の『地竜心臓』を賦活せざるを得なかった、と?」
「ああ、そうだ ――
―― プッ……」
樹上の相手は、また肯く。
そして、新しい瓶詰め水薬のガラス栓を口で抜き、雑に吐き捨てた。
商人姿の男は、会話の相手が3本目の特製<回復薬>を飲み終わるのを待ってから、次の問いを告げる。
「その第3形態『竜騎兵』ですら、殺されかけた?」
「だから、そうだ、と言っている」
「………………」
商人姿の男は、質問相手の鋭い返答の声に気圧されて、一度口を閉ざす。
しかし、内心では呆れ果てていたし、苛立ってもいた。
―― (この『心臓の12番』と真っ向から殺し合い、死の間際まで追い詰める?)
―― (さらに、あの巨大魔物に変化する禁じ手『竜騎兵』まで使って、戦った?)
―― (魔剣士の精鋭部隊100人でも『一方的に皆殺し』出来そうなあの竜騎兵と『戦闘になり得た』、だと……?)
―― (しかも、見た事も聞いた事も無い、異常な破壊力の魔法まで使う?)
そんな疑問を頭の中で反復すれば、商人姿の現場指揮も、うっすらと感づく。
―― (さすがに真面に取り合う気にならんぞ、この報告内容は)
―― (つまり、そういう事か……?)
そもそも、今回の任務は例外的。
この商人姿の男は、神王国の暗部において外国潜入部門である『金貨』の所属だ。
そして、数ヶ月前に戦闘任務の切札『金貨の12番』が帝国の防諜に暗殺された、という経緯がある。
それにより、神王国内部に入り込む他国スパイへの対策部門(つまり防諜部門の『心臓』)から戦闘任務の切札『心臓の12番』が、臨時的に駆り出される事になった。
つまり、今回の『未完成の神癒薬を確保する任務』とは、落札競争という正規手段に失敗した場合は、切札『12番』というの超戦力で強奪しても達成しなければならない最優先の重要任務という事になる。
これら全ては、国家の上層部が決定した方針だ。
現場指揮の『11番』ごときが口を挟める事ではない。
荒事の切札として様々な特権が認められる『12番』であっても、逆らう事はできない。
だからと言って、不満がない訳ではない、という事なのだろう。
―― (それで、こんな『作り話』か……?)
つまり、『未確認の敵と交戦で負傷』と嘘の理由で任務を放棄 ――
―― 商人姿の男は、他部門『心臓』からの応援人員『心臓の12番』が語った『昨日の出来事』とやらを、そうだと判断した。
―― (『自身が敗北しかけた』なんて、改造性能に疑問を持たれる程の偽報告をしてまで?)
―― (この身勝手男めっ、どれほど帝国に居たくないんだっ!?)
かつて、この男が訓練生であった頃に同期の成績優秀者 ―― 昨年に暗殺された『金貨の12番』 ―― と因縁があったというのは、有名な話だ。
そのライバルへの対抗意識から、帝国関係の任務を忌避している事も、何度も噂に聞いていた。
『かつて自分が惨敗した相手に今さら比べられたくない、というせせこましい自尊心だ』
そう、影で笑う者も少なくはなかった。
▲ ▽ ▲ ▽
そういう商人姿の男の微妙な表情を、見て取ったのだろう。
金髪ワシ鼻の男は、口元を歪める。
「まるで、信じていない顔だな……?」
帝国民からすれば目立つ異国風貌の『心臓の12番』は、両脚をプラプラと揺らしてから、木の枝から飛び降りてくる。
現場指揮が持ってきた特殊な<回復薬>を4本飲み終えて、ようやく両脚が生えそろったのだ。
「ハァ、そんな話、信じれる訳がないでしょう……。
任務をボイコットするにしても、もっとマシな作り話をしてください」
「……なに?」
「睨んでもムダですよ」
商人姿の少し肥満気味な男は、正に歴戦の商人の様に、相手の暴力を匂わせる態度を、鼻で笑う。
「魔剣士を極めれば、単身で竜種の幼体と渡り合える ――
―― そんなおとぎ話が現実になるなら、神王国は古代魔導文明の資料を基にして、人体改造なんかに手を出していませんよっ」
「では、この俺様の両脚の欠損は、何だ……?」
いまだに全裸の金髪ワシ鼻の男は、先ほど生えたばかりの自分の両脚を軽く叩きながら、静かな声で、しかし鋭い目つきで、問いかけてくる。
商人姿の男は、切札『12番』の中でも最も恐ろしい人外の威圧に、冷や汗を流しながらも、反骨心で言い当てにいく。
「な、何か……、そ、そう!
何かの、戦闘の試行でしょう!
森の魔物相手に戦闘訓練でもして、思わぬ大物か大群に苦戦したのでしょう!?
だから、例の切り札の『竜息吹』!
昨日の昼にあった爆発音騒動は、それでしょ ――」
「―― ふ、ふざけるなぁ~~!!」
商人姿の男が、思いついた推測をまくし立てると、金髪ワシ鼻の男は激昂。
自分の体重より重いであろう現場指揮を、片手一本で吊し上げて、怒声を上げる。
「だったら!
アレはなんだ!!」
「カ……ァ、ぁ……、アレ?」
訳が解らないという顔の商人姿の男。
「見ろ! アレだ!!」
異国風貌の男『心臓の12番』は、片手で持ち上げる商人の首を、『その方向』へと向ける。
「見ろ、アレを!!
この俺様を殺しかけた、彼奴の攻撃を!!」
「ハァ……ッ!? ハぁッ!! ひぃあァ~!!?」
商人姿の男は、喉を絞め上げられながらも、苦しそうに悲鳴をあげる。
宙に吊し上げられているのバタバタと足を前後するのは、暗部構成員の訓練の賜物だろう。
地形が大きく変わるという、明らかに巨大魔物の仕業であろう破壊の痕跡を見て、『今すぐ避難しなければ危険だ』と咄嗟に身体が動いたのだ。
「ギリギリだった、ギリギリ地下に逃げ込めた!
この俺様が! まるで土竜の様に!」
金髪ワシ鼻の男は、商人姿の同胞を吊し上げたのとは反対の手で、すぐそばの大木を殴りつける。
ドォン!と梢が震えて木の葉が散り、殴打された木の幹は深くえぐれる。
まさに超人を超えた、超・怪力。
「この俺が! 『地竜』であるこの俺様が! まるで土竜みたいに土の中に隠れて!?
ふざけるなよ! なんて無様さだ!!」
しかし、その赤茶色の竜鱗に覆われた人外の手は、思い返す恐怖で細かく震えていた。
「しかし! でなければァ~~~!
―― 見ろォッ! アレをォ~~~~ッ!
彼奴は森を斬り裂き、山を割ったぞ!!」
異国風貌の男が喚く通りの景色が、商人姿の男の視線の先に在った。
▲ ▽ ▲ ▽
森がえぐれ、山が割れていた。
大木を切り倒して通した街道の様に真っ直ぐに森林の緑色が欠け、その向こうでは小高い山が一つ縦に裂けていて、その間から青空が見えている。
自然現象ではないだろう。
しかし、人為では決してない。
商人姿の暗部構成員はパニック状態から回復して、ようやく意味のある声を出す。
「ハァァ! う、雲龍か!?」
巨大魔物を超えた超・巨大魔物 ―― つまり、襲いかかってくれば大都市でも滅ぶ『脅威力8』とか『脅威力9』の魔物 ―― であれば、こういった『天災級』の魔法攻撃をしてくるかもしれない。
「雲龍でも墜ちてきたのかっ!?」
金髪ワシ鼻の男に吊り上げられて顔面を酸欠の赤にしていた商人姿の男は、完全に青ざめた。
小山とはいえ、高さ100m以上ある地形であり、土石の塊だ。
それが、まるで巨大な何者かに真っ二つにされかけた。
そういう、景色がある。
そしてそれが『つい先日の事』である証として、小山に蓄えられた地下水が溢れかえり、縦に50mは有る『斬り口』から今も滝として流れ落ちているのが遠目にも解る。
「ヒィ~~!! 冗談じゃない! ウアワアァ~~~!!」
商人姿の男は、いっそう激しく暴れ始める。
今にも『破壊を為した存在』が襲いかかってくるのではないか ――
―― そういう恐怖が沸いてきたのだろう。
またも半狂乱になって、吊されて浮いた両足をバタ狂わせる。
―― それ以上の半狂乱になっているのは、『破壊を為した存在』と対峙した異国風貌の男『心臓の12番』だ。
竜種の能力を移植された絶対強者は、商人姿の同胞を片手で吊し上げていながらも、その目は虚ろ。
彼は、過去の情景にとらわれたままで、周囲を何も見てもいなかった。
「―― 何故だ!
いったい何故この俺様が、アレをただの人間などと見誤った!?
アレは同類に違いない!
この俺様と同じ、巨大魔物の臓器を移植され、人外の能力を得たに違いない!」
彼は、敵を誤認した。
「きっと帝国は、あの逃げだした『実験体』どもを捕らえて腑分けにして、神王国の人体改造の術理を解き明かしたのだ!
それの『成功例』が、あの<封剣流>銀髪忌み子にくっついて回るバケモノ兄貴だ!
きっと、『魔物の大侵攻の首魁』の心臓か何か、埋め込まれているに違いない!!
で、なければァ! あんな死体同然の状態で口をきく訳がないだろォ!!?」
彼は、畏怖により脅威を誇張した。
「道理で平然と、腹に穴を開けても向かってくる!
道理で平然と、自分の足を切り捨てる!!
あのバケモノめ! 魔剣士だと! 剣帝流だと!
全て嘘八百だ! だましやがったなチクショーめぇ!」
彼は、自己正当化のための理屈づけをした。
「やはり、昨日は1日中、土の中に隠れておいて正解だった!
やはり、地下30mまで潜り、地下水をすすりながら夜まで隠れておいて正解だったんだ!!
彼奴は、俺が地下に潜った事を気付かず、殺したと思い込んで油断した!
俺を消し飛ばしたと思い込み、捜索を止めたに違いない!」
彼は、妄執に取り付かれた。
「俺は、この俺様は、臆病ではない!
豪胆を気取っていたら、殺されていた!
すぐに地上に出ようものなら、彼奴が待ち構えて居たに違いない!
―― そう賢明な判断だ、賢明な判断だったんだっ!!」
彼は、恐怖を植え付けられた。
―― そして、その恐怖は伝播する。
神王国最強の一角が殺され、残る3人の内のもう1人も窮地に追い込まれた。
その事実が、存在しない妄想の影を生み出し、怪談の様に根も葉もなく広がっていく。
「―― そ、そんな! 聞いてない! 聞いてないぞ、わたしも!!
そんな帝国にも『獣化兵』が居るなんて!
それも『竜騎兵』級のバケモノだなんてっ!?」
異国風貌の男は、バタバタとあまりに暴れ続ける商人姿を、面倒そうに投げ捨てる。
「鬱陶しい低能の虫め、いつまで暴れてやがるっ」
「―― 痛ァ……!
だ、だって、そんなバケモノが居るなんて……っ!
わたしは、この現場指揮が何も聞かされていないなんて……っ」
投げ落とされて腰を打った商人姿の男は、息も絶え絶えのまま嘆き始めた。
出世して楽を覚えて、さらに贅沢に慣れて肥満気味になった、その暗部の現場指揮は、たるんだ身体を恐怖に震わせる。
「そんな命の危険がある任務だなんて!
ただ<神癒薬>を奪えば良い、簡単な任務と聞いたのに!?
安全な場所で指示だけすれば良いはずだろぉ、わたしは『11番』なんだぞ!
そのために、せっかく現場指揮官まで登りつめたのにぃ!?」
「知るか、バカどもが!!
大事なのは、この俺様の命だ!
神王国の切札である、『心臓の12番』様の命だ!
貴様ら『11番』だの『10番以下』だの、虫けらの低能な畜生どもが何匹死のうが、知った事か!」
異国風貌の男は、八つ当たり気味に肥満気味の商人姿を蹴飛ばす。
「ギャァ ――……ッ」
脂肪で丸くなった男は、遊戯球の様に跳ばされて大木の幹にぶつかった。
そして意識を失って倒れ、白目と鼻血の顔面を晒す。
「クソッ、<封剣流>の銀髪の忌み子だぁ?
竜牙兵の実験体候補だぁ?
―― そんなの知るか! ……ペッ」
異国風貌の男は、倒れた商人姿の同胞へ唾まで吐き捨てた。
「この俺様が知った事か!
貴様ら、虫けらが勝手に行ってこい!
どぉ~せ、あのバケモノ兄貴に皆殺しにされるだけだ!」
そして、気絶した同胞の荷物から着替えを取り出して乱暴に着替えながらも、いまだに怒りが収まらないとばかりに喚き散らす。
「俺は知らん!
何故そんなバカげた、何の得にもならん事に、首を突っ込まねばならない!」
神王国の最強戦力のひとつ『心臓の12番』は、背を向けて足早に歩き始める。
あるいは、小山を割いた巨大な『剣創』から目をそらし、逃げ去る様に。
「……冗談じゃ無い! ……冗談じゃないぞ!」
ブツブツ、ブツブツと、独り言を繰り返しながら。
もはや、こんな帝国には居られない、とばかりに。
▲ ▽ ▲ ▽
この日を境に神王国の切札『心臓の12番』は、二度と神王国の外へ出る事がなくなる。
例え、番札の上役である『13番』や『14番』の命令であっても、平然と無視する様になる。
あるいは、神王国の王室の勅令が下され、厳罰が言い渡されても動かない。
しかし、実際に処刑する事は難しい。
なにしろ、並みの魔剣士では10人がかりでも手に負えない、最強戦力なのだ。
そして、人体改造で強大な能力を得た『数少ない成功例』という貴重な存在である。
そういった事情から、神王国の上層部は苦々しく思いながらも、その『身勝手』を黙認するしかない。
「冗談じゃない……! 冗談じゃないぞ……!
地獄の苦しみの『人体改造』を耐えきったのに、せっかく『不死身の肉体』を手に入れたのに、何故この俺様が死ななければならない……!
ふざけるな、ふざけるなよ……!」
時折、狂った様に独り言を言う姿も見受けられた。
彼の心には、深い深い心理的外傷が刻み込まれたのだ。
▲ ▽ ▲ ▽
これを以て、理外の強者は完全に排除された。
もはや剣帝流後継者・アゼリア=ミラーを害し得る者は、存在しない。
彼女を悪夢の未来へと導く要因は、完全に断たれた。
敵の生命を絶てなくても、その戦意は根こそぎ断ち斬った。
岩石の名を持つ、無才の剣士が ――
自己の基本である斬撃の魔導【序の一段目:断ち】を磨き上げて、ひたすら積み重ねて、やがて天地を裂く程の極意に至った、史上最強の『未強化』の剣士が ――
―― 美事、木花の名を持つ少女を、非道の運命から救い上げた。
勝利とは、敵を下す事ではない。
勝利とは、自分の目的を達する事である。
すなわち、落ちこぼれの一番弟子ロックは、最強の敵から勝利をもぎ取った。
生死をかけた激闘の果てに。
最愛の妹弟子の安全という、目的を達したのだ。
その命にかえて。
―― 古書『葉隠』には、こうある。
武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり、と。
///////!作者注釈!///////
タイトルの読みは、「土竜の坎為水」。
この『坎為水』は、224話のタイトル「沢水困」と共に、易占術でいう大凶にあたる『四大難卦』のひとつだそうです。




