231:魔族『八将』
死闘の最中、転生者ロックの脳裏をかすめる記憶があった。
―― あれは、この2回目の人生で10歳になったばかりの頃。
ロック自身が不機嫌に、むくれている記憶だった。
『だから、付いてくるなって』
『なんでダメなんですの、お兄様』
執拗についてくるのは、つい半月前に妹弟子になった銀髪の少女。
『だから、お兄様じゃないって』
『いいえ、お兄様だって言いましたもん』
人形の様に、表情のない整った顔が、何か不快だった。
同じ10歳のはずなのに、つっかつっかえな、滑舌の悪さがいよいよ不愉快だった。
『うるせーな、さわんなって!』
少女が、ちょこんと引っ張った、服の裾。
それを、苛立ちのまま振り払った。
反応は、激烈。
『ビエエ~~ン、ヒン、フエェ~~ン』
まるで、赤子だ。
火の着いたような勢いで、泣きわめく。
外聞もなく座り込んで、口も大開けで、顔を隠す事もない。
『ふん……』
転生者ロックは、意地を張るような鼻息をひとつだけ。
幼い身体に宿ったせいか、子どもの精神年齢に近くなったのだろうか。
少し迷って渋面したが、結局は、苛立たしげな足取りで歩き去る。
―― そして、森林を泳ぐ陸鮫魔物の小型を見て、血相を変えて走って戻ってきた。
『【必殺・跳ね斬り】、トリャー!』
一撃で斬り捨てる。
ギギャ! ギギィ! ギヒャァ!
穴の開いた肺から悲鳴みたいな声を漏らし、バタバタと地面で跳ねる、全長2mほどの人食い魔物。
少年は、魔物へのトドメより先に、座ったままの少女へと振り返った。
『おまえ! ちょっと! お前っ!』
返り血を浴びた少年は、泣きわめくだけの少女に、ズンズンと荒い足取りで近づく。
『自分でなんとかしろよ、おまえ魔剣士なんだろ!!』
それは、コンプレックスの言葉だった。
自分が持たない物を、手の届かない物を、持つ恵まれた者への嫉妬がにじんでいた。
『ウェ~~ン、だってぇ、だっへぇっ
おにぃひゃまに、きらわれたら、わだくぢ……ヒンヒィ~~ンっ』
この世の終わり、とばかりに泣きじゃくる、銀髪の少女。
転生者ロックは、大人だった。
少なくとも前世は、中年まで生きて、人生経験も社会経験もあり、大人の弁えがあった。
そんな記憶が、幼い精神に成熟を呼びかける。
大人になれよ、と前世の自分の知見がささやいてくる。
『―― 仕方ないな……』
そう言って、少年は折れた。
自分の後継者の地位を奪った、新入りに、妹弟子に、一歩だけ歩み寄る。
『ほら、立てよ。
土くらい、自分ではらえ、って……』
ぶっきらぼうに言いながらも、手を引いて立たせ、服の汚れをはたいてやる。
その少年のブスッとした顔に反して、暖かい手。
汚れをはたく、やさしい手つき。
飛んだ返り血を拭き取る、タオルの柔らかさ。
そういった物が、少女を泣き止ませる。
『……ぅ、ぅぅ……、ぁぅ……』
何か言ったら、また怒られるのでは?
何かしたら、また機嫌をそこねるのでは?
そんな伺う表情をする少女に、少年はこう告げる。
『おまぇ ―― ぁ……ぁぁ、うん、キミは。
キミって、剣術、上手いんだろ?』
『う、ぁ、はぃ……?』
『じゃあ、俺に教えてくれよ』
『……う、ゅ?
……わたくしが、剣術を?』
『その、……俺、剣術ヘタで、まだ魔剣士になれてないから、さ……。
―― 師匠も、剣の型が身につかない者は大成しない、ってさ、いつも言ってるし……』
勝ち気な少年がする、照れ隠しのような、仲直りのサイン。
それを理解したのか、少女はパッと顔を紅潮させる。
『教え、る! 教え、ますわ~!』
『そうか……、ありがとう』
『コツは簡単ですわ。
諦めなければいいんですわ。そしたらいつか強くなりますから』
『……ぅう~ん。
これは、想像の10倍くらいスパルタな予感が……』
『何、何ですの、お兄様!?』
『いや、何でもないよ、妹ちゃん……』
『ふ・あぁぁぁ~~! アゼリアが妹! 妹ちゃん! 妹ちゃんですわ~~~!!』
『待て待て! 走るな! 危ないから! ここ魔物の森だから!』
転生者ロックは、見境無く暴走しそうな妹弟子の手を握り、引き留める。
そして、そのまま彼女の手を引き、自宅である山小屋へ向かう。
『あ、では! 代わりに、わたくしに魔法を教えて下さい』
『俺の、魔法って……もしかして必殺技の事?』
『ひ、必殺ですの!? すごいですわね!!』
『いや、そいう意味じゃなく…… ――
―― いや、でも間違って、も、なくは、ないのか……?』
『アゼリアも、必殺技、使いますわぁ~~!』
『はいはい、そのウチに、ね?』
兄弟子・妹弟子となった少年少女は、手をつなぎ、連れたって歩く。
月日が流れると、それは当たり前の事になっていった。
▲ ▽ ▲ ▽
(……そうか。
俺は、あの日あの時、俺たちは、『兄妹』になったのか……)
戦闘中にロックの脳裏に浮かぶ、過去の情景。
それは、気の緩みか。
あるいは、死が近づいた時の記憶の想起 ―― 走馬灯か。
―― 異国の男の戦闘。
確かに、超人・魔剣士を超える『竜人種』は恐るべき強敵だ。
だが同時に、絶大な能力に飽かせてきた相手は、あまりに力任せで未熟さが目立つ。
防御、受け流し、回避、反撃 ――
キン! カ・カ、ドン!
―― 回避、回避、防御、反撃、追撃 ――
ボ・ボン! シャァ……カ・カ!
―― 防御、回避、回避、反撃、回避 ――……。
ギャリン! ゴ・ゴ・ガン! ゴゴン!
「アタれぇ、このぉ!! ――」「―― フゥ……ッ」
ガムシャラな猛牛の突進を、熟練の闘牛士が、ヒラリ・ヒラリといなし続ける様なものだ。
才能と素質の不足から、常に工夫を求められたロックからすれば、あまりに引き出しの少ない相手だ。
(力み ――……いや、体格の変化のせいか?
攻撃が、さらに単調で、動きが鈍い)
『竜人種』の攻撃が遅い訳ではない。
文字通り怪物級の筋力は、恐るべき破壊力と速力で、攻撃を繰り出してくる。
だがそれは、単発なのだ。
全力の攻撃は、その大振りのせいで体勢を崩し、連撃にならない。
変身後の肉体を上手く操作できていないのか、攻撃が乱雑。
今のロックからすれば、あまりに簡単に、剣技が、技巧が、駆け引きが、いくつも成功する容易い相手。
行動の単調さに、あくびが出る心地でさえある。
―― そういう緊張の緩みが、悪魔の様にささやいた。
(……もしかしたら。
異国の男を殺し切れなくても、勝てないと悟らせれば、『引き分け』で終わるんじゃないか?)
ロックの脳裏に、そんな甘い考えが浮かぶ。
過去の情景が、『人の心』を思い出させていた。
転生者ロックは、勝ち目のない戦闘だからこそ、狂気に入り、死兵と化した。
しかし、温かな思い出は、彼を狂気から引き戻してしまう。
ただの年頃の少年に戻してしまう。
(あぁ……、戻りたい……っ)
厳しくも面倒見のいい、お人好しの師匠。
絶世の美少女ながら短所ばかりが目立つ、妹弟子。
こんな命のひとつくらい、くれてやっても構わない。
それ程に、大事な2人。
その2人の間に挟まれた、賑やかで騒がしい日々に、いまさらながら未練がわく。
―― 死を覚悟した。
看取られずに朽ちる事を、応、と答えた。
命を賭けて、肉体を使い捨てにして、魂を削ってまで、勝利を目指した。
膨れ上がって脳裏を占める狂気がしぼみ、弱気の虫が顔を出す。
死の恐怖。
孤独への畏れ。
人恋さびしい。
抑えつけていた箍が外れて、人として当たり前の感情が溢れかえる。
(ひとりで死ぬのは、嫌だ……っ
無意味に死ぬのは、嫌だ……っ
こんな若さで、まだ死にたくない……っ
誰も知らぬ場所で、苦しみながら、ひとり死にたくない……っ)
虚飾が全て剥がれ落ちる。
―― 一番弟子。
―― ヤマト魂。
―― 兄弟子。
―― 転生者。
―― 兄貴分。
―― 剣士。
―― 大人。
―― 武人。
―― 男児。
―― 誇り。
―― 漢。
―― 男。
(せめて、せめて、あの子に……っ
この震える手を握って欲しい……。
死なないでくれと、泣いて悲しんで欲しい……。
貴方は大切な人なのだと、求められる人間だったのだと、無意味で孤独の人生ではなかったのだと……っ
そう、死の間際に惜しんで欲しい……っ)
そこに居たのは、もはや絶世の勇士ではない。
死の恐怖におびえて、洟と涙をたらす小僧だ。
当たり前の、年並みの、普通の少年だった。
▲ ▽ ▲ ▽
ロックの攻めの手番。
敵の驚異的な能力を制限するべく、間合いを侵略し、前後左右と幻惑しながら、攻め続ける ――
―― それが、不意に止まった。
そして、大きく敵から距離を取る。
そんな付け入る隙をくれてやれば、赤茶の異形人は暴走列車のようなデタラメな突進攻撃を再開しかねないのに。
しかし、黒髪の少年は、自身の頭を抱えて喚き続ける。
涙をボロボロとこぼし、激情を抑えきれない様に、ジタバタと手足を振り回し始める。
「―― ふざ、けるな……っ
ふざけるなよ、『俺』ぅ~~!!」
怒号が天を突く。
「今さら甘ったれてんじゃねーぞ、コラァ~~~!」
怒髪天。
「テメー、男になるって決めたんだろうが!
一度、男を為るって決めたんだろうが!
だったら、最期まで貫き通せよ!!!」
発憤。
「うわあああああ、くそがあああああ!
ふざけるなよ、こんちくしょうがあああ!
俺こんなところで死にたくねええのにいいいいい!!!」
そして再度の、発狂 ――
▲ ▽ ▲ ▽
―― それは正に、発狂の有様だった。
対峙する赤茶の異形人からは、そうとしか思えなかった。
彼は、ほんの一瞬前まで『敵を見誤っていた』という後悔で歯ぎしりしていたのだから。
絶え間なく続く、嵐の様な連撃。
恐ろしい剣技は、<聖霊銀>に匹敵する超強度の竜鱗を、1枚1枚と斬り裂き、無敵の防御を崩してくる。
(なにが『妹弟子こそ最優先』だっ!
なにが『兄弟子の方は無視して構わん』だ!
さっき殴り倒した<封剣流>の銀髪の忌み子すら、これに比べれば『子ども騙し』だぞ!?)
なぜ自分は、初撃で即死させなかったのか。
なぜ自分は、奇襲を失敗して、そのまま放置してしまったのか。
人外。
魔人。
悪鬼。
妖魔。
怪異。
邪妖精。
狂戦士。
どんな言葉でも追いつかない。
これ程異常で恐ろしい者を見た事がない。
死の間際で踏みとどまり、瀕死の重傷のまま、こちらを圧倒してくる。
そして、時間が経つほどに、さらに強くなり、さらに巧みになり、どんどん手に負えなくなってくる。
(もはや、あの『禁じ手』しか、ないのか……っ)
人外の身体能力を持つ、この変身後の異国の男(=赤茶の異形人)であっても『自爆攻撃』のような見境ない手段しか、状況を打開する術を思いつかない。
(特級魔剣士10人がかりを手玉に取る!
並みの兵なら100人でも鏖殺できる!
―― この第2形態『竜騎士』ですら、圧倒されるのかぁ!!)
もはや、かつての競争相手の仇敵という話を、否定する気も起きない。
むしろ、『コイツに見つかったのならレイの奴も運がなかったのだな』という納得と諦めすらある。
―― そんな、恐るべき敵の様子が、急変した。
「うわあああああ、くそがあああああ!」
何故か、カチンッと<小剣>を鞘に戻す。
そして、泣きじゃくり、喚き散らかしながら、バタバタと駆け寄ってくる。
「ふざけるなよ、こんちくしょうがあああ!」
「―― ……ナに、カ?」
(あるいは、死が迫って狂ったか!?
いや、魔法で制御していた『氷の義足』の操作を誤ったのか!?)
そもそも黒髪の少年は、既に腹部に大穴という致命傷、さらに両脚を失った上での激闘。
出血多量で、いつ意識が混濁してもおかしくはない。
先程までの練達の歩法など忘れ去ったように、バタバタと素人のような無様さで駆け寄ってくる、黒髪の少年。
さらに、途中でクルリと回転。
背中を向けてこちらに向かってくる、逆走りだ。
「俺こんなところで死にたくねええのにいいいいい!!!」
言葉と行動が、支離滅裂。
奇行としか言いようがない。
だから、異国の男は『出血多量で意識混濁』と決めつけた。
(剣と魔導を極めた絶世の天才だとしても、死に瀕すれば、この有様か……っ)
一瞬、寂寥がよぎる。
特殊な方法で無敵の肉体を得た、自己。
初めて、こんな窮地にまで追い詰められた。
そんな恐るべき強敵が、自滅に近い形で敗北する。
決着というには、あまりにあっけない幕切れ。
(人間は脆いな。
この異形体に比べれば、あまりにも……っ)
優越感、というのはあまりに胸を突く感傷。
だからこそ、その死闘の相手の末期を無様にはしたくはなかった。
(一瞬で絶命させてやろう。
我が競争相手の仇敵よ。
恐るべき帝国最強の剣士よ。
せめてもの情けだ……っ)
―― そんな考えが頭をかすめたからこそ、竜鱗の手刀を弓の様に引き絞る。
赤茶の異形人の、最も得意とする技で止めをさす。
迷い無く。
全力の一撃で。
魂を込める様な、渾身で。
背を向けるという無防備をさらす敵が、『渾身』を待ち構えているとも知らず ――
▲ ▽ ▲ ▽
転生者ロックは、溢れかえった想いを、握りつぶし、押しつぶし、圧殺した。
生来の気弱さであり、希望や願望であり、優しさや良心といった部類の想念。
修羅の戦闘に不要な、柔らかい心根の全て。
その圧殺されて断末魔を上げた善良なる心根は、灼熱の怒りを生み出し、爆発的に燃え上がった。
まるで、こことは異なる世界ニッポンの内燃機関のように。
その想念の爆発力をもって、少年はついに限界の向こう側へと到達する。
―― 剣術Lv80到達!!
おそらくは、順調に修行を続けて、30代で剣術Lv75がせいぜい。
そのまま40歳まで研鑽を続けても、果たして到達し得たかどうかも解らない。
そんな高みに、死の間際の一瞬だけ足を踏み入れる。
<封剣流>当主ベニート=ミラー、師・ルドルフの好敵手にも匹敵する剣の境地。
武力を重んじる帝国でも数人しか居ない、『神業』の使い手の領域。
もはや、『落ちこぼれ一番弟子』はいない。
この戦場に立つのは、帝国魔剣士の頂点『剣帝』が編み出した『神業』の数々を継承する、若手最強の魔剣士だ。
だから、最強は、当たり前の様に『奥義』を繰り出す。
師である『剣帝』ルドルフが、そうするように。
その門下筆頭であるなら、当然とばかりに。
―― 剣帝流の奥義がひとつ、『逆天の回撃』。
攻撃には、かならず死角が生じる。
拳打、蹴撃、撃剣、魔法攻撃、獣の爪・牙…… ―― あるいは、銃撃のような、こことは異なる世界の武器であっても。
素手格闘にせよ武器戦闘にせよ、構えを取った時点で、視界のどこかがふさがる。
そして、攻撃の瞬間には、さらに死角が増えるものだ。
その、敵の攻撃の死角へと潜り込む動きから始まる技巧が、『剣帝流』にはある。
例えば『背中を敵に向ける』ような無防備をさらして敵の攻撃を誘い、回避と同時に繰り出す、必殺の反撃。
『背後から攻撃される』という絶体絶命の危機すらも、一撃必殺の好機に変える。
たったひとりで魔物の群れと戦い続けた、孤高の魔剣士の絶技。
それが、剣帝流奥義『逆天の回撃』。
▲ ▽ ▲ ▽
―― ボゥ……ッ!と、『竜人種』は鋭い呼気で、弓矢のような竜鱗の手突を放つ。
「ジャァ!」
しかし、敵影は煙と消える。
ロックは敵の背後に飛びながら上下逆転、ギュルルゥ……ッと竜巻のように回転し、剣を繰り出す。
ジャキィン!と、異形の後ろ首を強撃する、<小剣>の回転斬。
「―― ガァ……! グ・フゥッ」
竜鱗に守られた急所・首部を斬り裂けば、少量の赤い飛沫が枯れ葉の上に散った。
通常であれば、即死の反撃。
しかし、敵が尋常の相手ではないから、さらに奥義を二つ重ねる。
―― 敵の前方に残る、ロックの姿。
むろん、魔法の幻像だ。
しかし、それが奥義たる由縁は、その魔法の幻像が攻撃力を有している事。
開発途中の超必殺技であり、未完成奥義の『幻影剣舞』。
幻影の動きにあわせて、内部に仕込まれた斬撃の必殺技【三日月】を放つという、いわば『分身攻撃』だ。
―― そして、ロック本体が放つ超必殺技『ゼロ三日月・乱舞』。
敵の背後から、超速の連続斬撃を繰り出す。
剣技・魔導・その複合、三つの奥義が重なる。
始撃の首の次は、右肩。
それと全く同じタイミングで、敵前に残した幻像のロックも、同じ箇所を【三日月】で攻撃。
敵の肉体を斬撃で挟み込む、前後同時攻撃だ。
喉、右肩、左脇、左胸、右腰、反撃しようとする左腕の肘、踏み込もうとした右脚の膝、左腰、防御しようと上げた右腕の手首、左足首……。
ガン! ガ・ガ・ガ・ガ! キ・キ・キン! カ・カ・カ・カ・カ……!
ガン! ガ・ガ・ガ・ガ! キ・キ・キン! カ・カ・カ・カ・カ……!
前後から同時に同箇所に撃ち込まれる、魔剣士ロックの速剣と飛ぶ斬撃【三日月】。
しかし、既に50枚以上の竜鱗を裂き、その下の肉体を斬りつけたとしても、ひとつひとつは浅いかすり傷に過ぎない。
赤茶の異形人の五体を斬り刻むには、敵の全身を覆い尽くす竜鱗の防御が硬すぎた。
致命傷にはほど遠い。
だが、それは問題ではない。
むしろ、想定内だ。
前後から同時に放たれる、濁流のような連撃。
その目的は、敵の動きを一切停止させる事だったから。
「―― これで、終撃ぇ!」
気迫と共に放つのは、下段から跳ね上がる飛昇系の斬撃。
師・『剣帝』の奥義にして最も得意とする技『望星の撃剣』。
前方からは、斬撃の必殺技【秘剣・三日月】による遠隔攻撃。
後方からは、斬鉄の魔法剣【序の一段目:断ち】を魔法付与した<小剣>。
それが、敵の股間から斬り上がり、下腹部で交差する。
最初から狙っていた『要点』を破壊するため。
(本来なら両手で撃つ奥義『望星の撃剣』が、片手では十全に威力を発揮しない ――
―― なら、『魔法の斬撃』を重ねて威力を補えば良いっ!!)
ガキイイィン!と、模造剣と飛び道具の必殺技が一点に集中する。
敵の下腹部だ。
先程の『変身』の際に何かしら操作していた、ベルトのバックル状の金属部品があった位置を。
―― ドクゥンッ!と、何か力強いモノが、震えた。
▲ ▽ ▲ ▽
場所は変わって、帝国西北部の寒村・竜神ジョフーの村。
―― 『ついに、明日ね』
―― 『あの子へのプレゼント、用意してくれてる?』
ひとりの若い父親が、朝食の際に言われた妻の言葉を思いだし、ため息をついていた。
「フゥ……、ついにこの日が来たか」
帝国歴295年の春の月半ば。
明日は、我が子の満6歳の誕生日で、無病息災の祭事を行う日。
そして、なんの因果か『この日』は、男が経験した過去の数多の『繰り返し』において大きな事件が起こり、歴史の分岐点となった。
「こんな『休憩回』でも、気を揉んでしまうとは……。
俺も、仕事中毒だな」
失敗した『分岐』では『剣神』と呼ばれた青年は、書斎で日記帳をパラパラとめくる。
見ているのは過去の出来事を書いた、自身の日記ではない。
それらのページの端に、模様のように書かれた『暗号文』。
様々な経験を持つ『自分』しか解読できない文字で書かれた、未来の予定表だ。
そこに、今月の『予定』も書かれていた。
「『金鉱島事変』……」
今日この日を基準に前後1ヶ月の幅で、大きな事件が起きる。
この帝国のみならず、世界中を騒がす、大きなニュースになる。
帝国南部の離れ小島<金鉱島>の攻略済みダンジョンにおいて、<神癒薬>が発見されるのだ。
隠し部屋に残る手つかずの秘宝という、古い噂話を信じた地元出身の冒険者チームが、10年近い執念の探索の末に『おとぎ話』が現実だった事を証明する。
「未完成の<神癒薬>、か……」
死人さえ蘇る、と言われた古代魔導文明の秘宝<神癒薬>。
それ以上に、研究者や国家機関が注目したのは、同時に発見された数本の『未完成の神癒薬』。
つまり、完成品の<神癒薬>と、未完成の ―― つまりは、何らかの要因で精製が中断されたエラー品<神癒薬>の数本を比較して解析すれば、その製法や材料を究明できる。
研究が進めば、現在流通する<回復薬>や<治療薬>の効能が飛躍的に上昇する。
―― 表では、商業ギルド、冒険者ギルド、貴族、帝室、聖教などが、大金を積み上げる。
―― 裏では、帝国の暗部と、神王国の暗部が、血で血を洗う。
そういう、商戦と暗闘が繰り広げられた。
かつて『剣神』と呼ばれた男は、ページの上に指を滑らせて、次の注意書きに目を向ける。
「『魔族六将を、魔族八将にしてはいけない』……か」
この男以外は誰も読めない文字で書かれた『予定表』を読み、ため息。
過去の数多の『繰り返し』において、重大事件や後々に大きな影響を及ぼす分岐点を書き記した、自分用のメモだ。
彼は『何度も同じ人生を繰り返す』という呪いのような宿命を背負っている。
その特性から生じる対人関係の弊害から、自分自身に心理外傷患者用の治療魔法【回想阻害】の魔法を使用しており、重要事項でも書き残さないと思い出せなくなるのだ。
―― 魔族の中で別格に強い『魔族八将』の中でも、もっとも厄介な2強者。
黒騎士。
地竜の将。
そしてこの2人は、魔族についた人類の裏切り者でもある。
様々な意味で、厄介な2人だ。
<金鉱島>の『神癒薬争奪戦』にどちらも顔を出すのが、絶好の機会だ。
可能なら両方とも。
少なくとも『地竜の将』だけでも、抹殺しておきたい。
第1形態『竜拳手』
第2形態『竜騎士』
第3形態『竜騎兵』
一対一で闘い、最後の切り札である第3形態まで追い込む必要がある。
そして最終形態で使う『桁外れの全力攻撃』。
あの『自然災害そのものの攻撃』を反射させて、完全に抹殺する。
それが最善策だ。
「まだ若い天剣マァリオだと、魔法剣【天星四煌】の起動前に殺される確率が高いからなぁ……
戦闘慣れしていない<四彩>の『青魔』など、論外だし……」
<練星金>を破壊する程の威力の攻撃となれば、限られる。
そして、<天剣流>の奥義にしても、<四彩>の『青魔』の奥義にしても、起動時間の問題がある。
敵もバカではないのだから、異常な魔力の高まりを感づけば、早々に逃げ去ってしまう。
あの天災そのものである『地竜の将』相手に、下手な味方など足手まといにしかならない。
狂乱した仲間の魔法攻撃に巻き込まれて死ぬなんて、バカバカしい。
だから、一対一で闘うのが最善なのだ。
だから、【五行剣:水】なのだ。
その精髄・『推流の髄』に至る必要がある。
「この、なまった今の俺では手に余る相手……。
あの理不尽に出会った時、『弟』はどうするんだろうな……?」
彼は、何故か自分の代わりに、剣帝ルドルフの弟子におさまった実の弟・ロックに、思いを馳せる。
すると、書斎に駆け込んでくる、幼い子ども。
それを追って入ってくる、若く穏やかな母親。
彼は、フッと笑って、日記帳を閉じる。
―― 今の彼の傍には、最愛の女性と、その間に生まれた宝石のような我が子。
そう、この『分岐』には、愛する女性に別れを告げ、故郷を後にして世界のために戦い続けた、勇猛な男性は居ない。
対魔族国家連合の中心的存在であり、人類の救世主とまで崇められた最強の英雄『極星・剣神』は居ない。
彼は、竜神ジョフーの村人であり、ただの父親。
退屈な田舎で、穏やかで平和な生活を送る、ひとりの男が居た。
―― 長い長い、あまりに永い、繰り返しの人生で疲弊した身心を、失敗や裏切りや戦闘の狂気で削れた魂を、愛に満ちた生活で癒やしながら。
///////!作者注釈!///////
2025/10/18 技名変更『幻影乱舞』→『幻影剣舞』




