225:ゆめ、うつつ
―― (これは、いったい誰の視点だ?)
戦場の風景が広がる。
戦闘の轟音や悲鳴が、あちこちから響く。
血の匂いか、鉄のぶつかり合う火花か、キナ臭い匂いが鼻につく。
おそらく、明晰夢だ。
意識が明瞭なままで見る夢。
だから、『まず』こう思った。
―― (コレは一体、『誰の夢』だ?)
とても自分自身の夢とは思えない。
そういう強烈な違和感。
違和感の元は、『視点の高さ』だ。
少なくとも、俺・ロックが日頃見るような視界ではない。
さらに言えば、前世ニッポンの頃を思い返しても、覚えがない。
前世の俺は、こんなに視点が高く ―― つまり、上背ではなかった。
視界が明らかに高いのは、背丈が抜群に高い証拠。
おそらく身長は180後半、いや190cmに近い。
だから、日頃みる夢とは違って、違和感がひどい。
―― (なんなんだ、これは……)
―― (今の俺は、『誰かの夢』を覗き見している、のか……?)
どうしても、そうとしか思えない。
例えば、他人の家で、よその家庭のホームビデオを見させられるような。
そういう、どこか居心地が悪く、物事を脇から眺めているような、他人事な感覚がつきまとう。
―― さて、視界が動き始める。
視界の主は、何か『おぞましい肉の塊』に近づいていく。
その異形のシルエットを大雑把に例えれば、海辺の生物『イソギンチャク』だろうか。
10本近く生えた触手の1本1本が、しかし5両編成の電車くらいある、『巨大イソギンチャク』だ。
しかし、その巨大生物らしき物は、あちこちが穴だらけで、ボロボロ。
時々、ビクン……!と動くのも、発作の様な力の無い様子。
もう既に、死に絶えているようだ。
さらにその『巨大な死骸』に近づけば、その表面の様子が明らかになり、さらなる異様さが解った。
トカゲ、カメ、オオカミ、クマ、ゾウ、カバ、トラ、その他諸々の生物を粘土細工のようにこねくり回してつぎはぎに造形した、『異形のイソギンチャク』だ。
それが見張り塔みたいな、石積み建物から『生えて』いるのは、『海辺の生物を植木鉢で飼育している』様にも見える。
どこかひょうきんというか、可笑しささえも感じる。
―― 『うわああああ!?』
―― 『こんな、こんな事って ―― !?』
不意に、くぐもった悲鳴が聞こえてきた。
その『巨大・異形のイソギンチャク』の根元にある石積み建物の、鉄扉の向こうからだ。
悲鳴は、男性の声だ。
どこかの男が錯乱していて、部屋の中でバタバタと暴れている様な、そんな騒動の声と音だ。
すると視界の主は、鉄扉の前でピタリと止まる。
まるで、中から開かれるのを待っているかのように、じっと待ち続ける。
―― 『ボクだよ、ボク! 解らないかい!?』
―― 『ああ、クソォ! クソォッ、クソォ、……くそぉ、ぉぉ……っ!』
―― 『こんなの ―― あんまりだぁ!』
―― 『フ、ハ……ハハッ、ちくしょう……ちくしょう、魔族めぇっ!』
―― 『許さない……お前達は、絶対に許さない……』
荒い吐息と、捨て鉢のような震える声。
ズルズルと力なく足を引きずる様な音が近づき、ようやく鉄扉が開かれる。
出てきたのは、20代後半か30代の男。
返り血に濡れた白銀の鎧姿の、金髪の美丈夫だ。
「 ―― ■■■様っ!? いつ、こちらにお戻りに!」
「すまない、遅くなった。
南方大陸から戻る途中に嵐が……、<飛び石諸島>で足止めを。
おかげで、完全に合戦に出遅れてしまったようだな」
「お気になさらず。
いくら貴方様が『人類最強』と呼ばれても、全て頼り切りでは……。
我々『一等星』も、立場がありませんよ」
「そうか……。
なら、謝罪より祝勝の言葉を。
さすがは『一等星』が筆頭・天剣マァリオだ。
『百魔塞』の攻略、御目出度う!」
夢の中で見る青年は『マァリオ』と、俺の知人少年と同じ名で呼ばれる。
言われてみれば、整った顔立ちや明るい金髪が、よく似ていた。
しかし、まとう雰囲気はまるで別人。
表情は疲れ切って悲壮感に満ちていて、同年代の女子にキャーキャー言われそうな王子様的キラキラ感などどこにもなく、くすみ切ってしまっている。
「あり、……がとう、ございま、す……っ」
そのマァリオ青年は、泣きそうな顔と声で、なんとか返礼を告げる。
「あまり、嬉しそうではないな?」
「ごめんなさい……っ
友達が、犠牲になってしまい……っ」
「そうか、辛い、勝利だったな」
高い視線の主は、マァリオ青年の兜甲を脱がせて、金髪の頭をポンポンと軽く叩く。
まるで弟にでもする様に、撫でる様に。
▲ ▽ ▲ ▽
「―― ところで、『それ』は?」
高い視線の主は、マァリオ青年の頭に兜甲を戻してから、そう尋ねた。
「『友達』、です。
ずっと、行方が解らず、ずっと探していた……
大切な、『友達』です……っ」
そして、視線が下へ向けられる。
視線の主が相対する青年の魔剣士が、白銀の手甲で大事そうに抱える『生首』。
マァリオ青年は、辛そうに言葉を絞り出す。
「せめて、人間の部分が残っていた、キレイな部位だけでも……」
「そうか、それは ――」
「―― ■■■様。
今が大変な時期とは、解っています。
だけど、どうか、<帝都>への帰還を認めて下さい」
「……葬儀、か」
「ええ、最後は、せめて最期だけは人間らしく……っ
散々に踏みにじられた『彼女』に、せめて尊厳ある死を……!
だから、どうか!!」
そう、その『生首』は、女性の長い髪をしていた。
「わかった。
司令部は、こちらで説得する」
「ありがとうございます!
―― さあ、<帝都>へ帰ろう? キミの故郷へ……」
マァリオ青年はひざまずき、腰の革鞄からタオルを1枚取り出して、女性の生首を包み始める。
老いた母か、あるいは祖母か、をいたわる様な手つきで。
生首の女性の眉間には、シワが深く刻まれている。
髪は、老いて白く、バサバサで艶もない。
まるで、身も心も疲れ果てた人物が、ようやく眠りについたような、苦悶が残る死に顔だ。
「そして、久しぶりに昔の話をしよう。
最期に、夜通し語り合おう」
女性の生首を、いたわる様に、ねぎらう様に、タオルで包んで抱え直す。
そしてマァリオ青年は、両手で抱き上げた『彼女』へ優しく語りかける。
「ボクとケーン君と『アゼリア君』と、幼なじみ3人で。
懐かしい、子どもの頃の思い出を ――」
(―― アゼ、リ……ア?)
俺が、『生首が誰なのか』を認識した瞬間。
ヒドい頭痛 ──
(これは、未来、なのか……?)
―― 何かが壊れたような衝撃 ──
(これが、アゼリアの未来……!?)
―― 全てを焼き尽くさねば収まらない程の怒り ――
(こんなのが、あの娘の運命とでも、いうのか……よぉ!!)
―― ブッッ、チィ……ンッッ!!! と、タガが弾け飛ぶ。
(── ふざけた不条理どもめ! 一切合切踏み潰してくれる!!)
コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス! コロス!
▲ ▽ ▲ ▽
―― 『何が剣帝流ダ! 何が“死神”ダっ』
異国の男は、高速で駆け抜けながら、そう吐き捨てていた。
その左の小脇には、グッタリと昏倒した銀髪の少女を抱えている。
―― 『超級の魔剣士ぃ~? 闇に精通する魔法戦士ぃ~?』
―― 『全部が、下らん噂ダっ!! 根も葉もない!』
異国の男は、不満と憤りの声を上げる。
魔物の森だというのに、気にした様子も無い無造作な態度だ。
その怒りのせいか、超人の脚力でする疾駆の、その蹴り足が跳ね上げる土砂が、一層ハデになった。
―― 『フン! アレが “レイを仕留めた帝都の刺客” ダ!?』
―― 『妹も守れない、あの低能兄貴がぁ!? ふざけるなよっ』
まるで火を吹く様な、激情の鼻息。
八つ当たりとばかりに、障害物へ自らぶつかりに行く。
しかし、その竜鱗手甲の右手を振り回せば、細い木の枝や幹くらいは、簡単に砕けて散った。
人間離れした、恐るべき剛力だ。
―― 『あんな腑抜けたガキが、あのレイを!?』
―― 『この俺サマが打ち倒すはずだった、あのレイを!!』
異国の男の駆ける速さは、早馬以上。
しかも、森林という足場の悪い場所を、難なく駆ける抜ける。
時に、人間の背丈の3倍はある岩崖すら一呼吸で駆け上がり、飛び越えていく。
―― 『あの低能どもメ! いい加減な報告ばかりダ!』
―― 『どうせレイの奴の事ダ!』
―― 『今頃は “金貨の11番” の職務を放置して、<帝都>の道場で “拳術ごっこ” してるんダ!』
人間離れした速力と、野獣の身のこなし。
剛力にしても速力にしても、常人では無い。
しかし、男の背中には『魔法陣がない』 ―― つまり『魔剣士ではない』。
つまり、常識を越えた、何かしら『異常な存在』だった。
(―― では、その攻撃力は? その戦闘力の『底』はどこだ?)
力量を問う。
腕を尋ねる。
そのために、魔導の術式を組み、行使する ――
―― 莫大に、絶大に、超大に、無辺の如く。
▲ ▽ ▲ ▽
―― 異国の男は、途端にブレーキ。
ザザザザァ~……と、落ち葉の上を滑りながら、なんとか寸前で立ち止まる。
―― 『何、ダァ……?』
遠目から見れば、白いモヤ。
しかし、近づいて見れば、正体が明らか。
―― 『氷壁……、急に? これは魔法カ?』
―― 『先回りして妨害カ? 仲間が潜んでいたカ?』
そう、垂直に立つ氷の壁が、異国の男の進路を阻んでいた。
それも、石壁の様に分厚く、巨大で、周辺ぐるりと囲い込む障壁だ。
―― 『カァッ!』
異国の男は、竜鱗の手甲を構えて、右手を手刀にした刺突。
鉄製の模造剣を貫通し、人間の胴体に大穴をあける、必殺の刺突だ。
しかし、ガツン……!と、氷壁の表面を削っただけ。
―― 『この感触、特級の防御魔法ダナ?』
―― 『たしか【氷壁要塞】……、だが範囲と規模が異常ダ』
―― 『端が見えない、一体どこまで続いているカ……?』
異国の男は、顎に手を当てて、しばらく黙考。
急にしゃがみ込むと、一瞬で上空10mまで飛び上がる。
『人間離れ』どころか、魔剣士をも越えた脚力だ。
ジャンプ12mの頂点で、また手刀の刺突がガツン……!と、氷壁の表面を削る。
―― 『高さも、4倍以上……、デタラメに巨大ダ』
―― 『<四彩>、それも青魔の戦略級魔法使いが、隠れて居るカ……?』
12mの高さから難なく着地した男は、進路を妨害する巨大な氷の絶壁を観察し、歩き回る。
しばらく氷壁を調べる様に触れていたが、何か感づいて手を離した。
―― 『チ……ッ、もう爪に霜が浮いた』
―― 『恐ろしい程の冷気ダ……』
男は、ため息とともに肩をすくめる。
打つ手が無いと困惑する、隙だらけの背中。
その背中へ目がけて、上級の土と炎の複合魔法【赤熔擲槍】が迫る。
―― 『フン……ッ、こんな誘いにかかるとは、低能な魔法使いメ!』
魔法が着弾した瞬間、男の姿がかき消える。
高熱で溶解したガラスが、超低温の氷壁にぶつかり、水蒸気の白い煙が広がった。
その白い煙幕を、ボッ……!と突き破る、高速の人影!!
▲ ▽ ▲ ▽
金髪でワシ鼻の男が、放たれた矢のように飛んでくる。
約0.3kmの彼方から。
助走距離も含めれば、約0.5kmを一瞬で侵略する。
人類の最高水準である『特級魔剣士』をはるかに越えた、デタラメな身体能力だ。
「―― ジャァ……ッ!」
あの技だった。
身体ごと飛んでくる貫き手だった。
さっきと同じ、あの竜鱗の手甲でする突手だった。
ズ・パ・パ・パ・パ・パ・パ……ッと、破壊音が連続して、紙一重で止まる。
「バリア13枚抜かれた、か……っ。
一応、念のため15枚、2mm鉄板なみの【張り】重ねたんだがな」
「このガキ!
ありえん、何故生きているカ!?」
異国の男は、残り2枚の【張り】越しに『この俺』の顔を見て、唖然とする。
「勝手に死んだ事にしてんじゃねーぞ!!」
俺・ロックは、『チ・チ・チ・チ・チ・チリン!』と6重の自力詠唱。
中級の防御魔法【圧水盾】で生み出す1個2mの水の盾6枚で、グルリと敵を囲み込む。
高水圧の盾を利用した、敵の拘束だ。
【張り】と【圧水盾】で挟んだ敵に向けて、鞘入りの<小剣>を向ける。
「死ね、クソ野郎が! ――」「―― 舐めるナぁっ」
俺の気合いと、『チリン!』という必殺技発動、そして敵の絶叫が重なる。
残り2枚の【張り】ごと敵をブチ抜く【秘剣・三日月:弐ノ太刀・禍ツ月】。
しかし俺の『ドリル三日月』が炸裂する前に、敵の異国男は【張り】を蹴って反転した。
「カァァッ!」
そしてヤツは、自分を囲んで抑え込む防御魔法を、ガムシャラに殴りつけたのだろう。
ボォンッ!と【圧水盾】6枚が破裂して、水魔法の大盾が飛沫と散る。
(脅威力5の魔法攻撃すら防ぐ『中級の防御魔法』を、6枚同時かよ……っ)
「チッ、デタラメな剛力だなっ」
俺が悪態をつくと、周囲にバラバラ……ッと小雨のように散水が落ちた。
敵は、水の爆発を目くらましに、森の木々に隠れた。
だが、魔力センサー魔法【序の四段目:風鈴眼】は、その位置を把握している。
「即席の魔法でどうにかするのは、無理か……。
やっぱり、接近戦で意表を突くしかない」
俺は、木製の鞘から<小剣>の模造剣を引き抜く。
その両手を広げたくらいの事で、今はまだ不慣れな『氷の義足』な左足が、少しバランスを崩して足下がフラついた。
「―― おっと……。
愛剣、もうちょっとだけ保ってくれよ……」
その剣身の途中が半円形にえぐれて欠損し、半ば『鈎型』みたいな形になった模造剣だ。
即席改造の氷結魔法を、自力詠唱。
その欠損を、魔法の氷でふさぎ、補強する。
(なんとか模造剣で防御できて、ど真ん中直撃を避けられたから、即死せずに済んだんだろうな……っ)
少なくとも、腹のど真ん中を貫られて背骨までへし折られていたら、既に死んでいたハズだ。
こんな悪あがきをする余地も、なかったハズだ。
そう思い至ると、異世界転生して16年間のこの人生で、半分以上の年月を連れ添った愛剣に、ひとしおの愛着がわく。
「愛剣、お互いボロボロだな……。
ま、アゼリアのためだ、気合いでガンバるしかねーかっ」
そして、俺の脇腹の欠損も、同じ状況だ。
即席改造の氷結魔法で、傷口を丸ごと凍らせて塞ぎ、緊急的な止血処理と固定具代わりにしている。
当然、立っているのがやっと、というボロボロの状態。
(まあ、不幸中の幸い。
『魔力』だけは、有り余っているからな……っ)
しかし、この無能で無力で矮小で死にかけた身体には、魔力だけは莫大に満ちていた。
―― そう、命の燃え尽きる前の、今この時だけは。




