213:スノーウインド(中)
数年前の思い出話が続く ――
魔物の森の中に設置した拠点を出て調査活動を再開し、10分も経ってない頃だろう。
調査チームの男は、何かの気配に気付いた。
「―― なんだ、あれは……?」
「どうした、若いの?」
一度回収した『働き蜂』を、再度バラ捲き終わったのだろう。
年配の班員が近寄ってきた。
―― すると、ザザッ、と森の枝が揺れた。
「今の、銀色の人影……?」
「半鎧っぽく見えたが、冒険者か?」
「……さっきの冒険者の戦団だと、また面倒だな」
さきほど八つ当たりをされて、トラブルになりかけた記憶が思い出された。
しかし、すぐに別の相手とわかる声が聞こえてくる。
成人とは思えない、甲高い声質。
―― 『……こっち、……少ない、……もうっ』
―― 『……さま、リア……、ますの……』
「子どもの声だっ!」
「まさか、魔物に追われているのかっ!?」
調査チームの男は、年上の相棒と顔を見合わせる。
ここは既に魔物の出没する森のど真ん中。
農村の子どもが山菜採りや、薪木拾いに来るには、あまりに人里から離れすぎている。
「―― しかたない。
行くぞ、若いのっ」
「ああ、今からなんとか追いつければいいが……」
冒険者ギルド翡翠領支部の『偵察妖精』隊員2人は、そろって腕輪を操作。
数秒して『カン!』と機巧発動の音が鳴り、【中級・身体強化】魔法で強化された速力で、林の切れ目の明るい場所を目指して駆け出した。
▲ ▽ ▲ ▽
銀髪の幼い娘子が、魔物に追われていた。
何度も後ろを振り返りながら走り、魔物の噛みつきを紙一重で躱す。
ギリギリの命拾いが何度も繰り返される。
見ている側の寿命が縮まりそうな、追いかけっこだ。
「あれは、貴族の娘か……?
しかし、なんでこんな場所に……」
その少女は、ぱっと見て農村の娘とは思えない。
遠目で見ても分かる、整った容姿の少女だ。
こんな状況でもなければ、『森で妖精にあった』とでも勘違いした事だろう。
身なりも良く、上等の服装と護身用の防具を身につけている。
防具は、冒険者の本職が身につけるような本格的な半鎧で、しかも幼い彼女の体型にあわせた特注品。
そうなれば当然、通常の数倍は値が張る高級品で、少女の身元が知れる。
「あるいは、行商人の家族かもしれんな」
「街道の途中で行商隊とはぐれて魔物の森に迷い込んだ、って事か……」
『偵察妖精』隊員2人はそんなやりとりをしながら、木の陰から木の陰へと移動を続ける。
気持ちとしては今すぐに少女の元へと駆けつけたい。
しかし『偵察妖精』は、あくまで魔物の生息域を調べるだけの調査部隊。
魔物への対応は、隠形術で隠れてやり過ごす事で、武器や防具も最低限。
だから、少女を追い回す魔物の正体がわかると、2人とも顔をしかめた。
空中を泳ぐ魚影のような、流線型の体型の飛行型魔物だ。
「魔物は、陸鮫の小型か……?」
「マズいな……、小型とはいえ鮫皮にはほとんど刃物が通らんぞ。
重量鈍器か、剣ならそれこそ<聖霊銀>製くらいじゃないと……」
手持ちの量産品装備では確実に苦戦する魔物だった。
そういう年上の言葉に、調査チームの男は舌打ちし、腰のベルトに差した<短導杖>に触れる。
「チッ……。
目くらまし用の【雪旋風】が効いてくれればいいが……」
2人はそう意見交換しながら、木の陰に隠れて周囲を見渡して、次の木の陰へと高速移動。
ようやく『偵察妖精』隊員2人は、幼い少女まで20mほどの距離まで詰めた。
少女は銀髪を揺らして、明るい場所を目指して一直線に駆けている。
「クソッ、あと少しで林が途切れる……」
「猶予がない、少し遠いが仕掛けるぞっ」
調査チームの男は、年上の相棒と顔を見合わせ、肯き合う。
飛行型の魔物は、障害物の多い林の中を苦手としている。
つまり、少女を追い回している小型の陸鮫は、まだ全速力ではないのだ。
幼い少女は、魔物に追われる恐怖心から、思わず明るい方向へと逃げているのだろう。
だが実は、鬱蒼とした林の中より、日の差す明るく開けた場所の方が何倍も危険なのだ。
「―― 行くぞ!」「『交差逃走』っ」
『偵察妖精』隊員2人は、隠れていた木の幹を蹴って高速ダッシュを開始。
【身体強化】魔法で倍加された身体能力で、まさに超人の疾駆だ。
―― 低空飛行する小型魔物を、両左右から追い抜く!
―― 魔物の目の前で交差するように、幼い少女を救出!
―― そのまま左右バラバラに逃走して、魔物の追跡を振り切る!
それが『交差逃走』。
<翡翠領>の『偵察妖精・雪風隊』で編み出された逃走術だった。
▲ ▽ ▲ ▽
「―― な、何しますの!?」
魔剣士の疾駆で、幼い少女を背中から担ぎ上げた瞬間、気位の高そうな悲鳴が上がる。
そこまでは、調査チームの男が予想した通りだった。
―― そして、異常が始まる。
グルン……ッ!と一瞬で視界が回転した。
青空、暗い林、緑の地面、再び青空 ―― そして背中に衝撃。
腰と背中と後頭部に痛みが走って、ようやく投げ飛ばされたのだと気付いた。
「―― グハ……ッ
今……、いったい……、どうやって……っ!」
調査チームの男が上半身を起こして、疑問の声を上げると、真横に振動を感じる。
「―― っ、ガァ……!」
年配の相棒も同じように投げ飛ばされ、背中から土の地面に叩きつけられていた。
「なんですの、貴男がた!
見知らぬ淑女の身体に急に触れるなんて、失礼ですわよ!!」
一体どういう訳か、助けるはずだった幼い少女に、痴漢のような扱いをされている。
「………………」
「………………」
夢でも見ているのか。
あるいは、それこそ『森の妖精に騙されている』のか。
「せっかくリアが、お兄様のお役に立つためにガンバってますのに!
邪魔しないでくださ ――」
「―― おい! 後ろ!!?」
悲鳴を上げたのは、男2人組のどちらだったか。
少女の後頭部にかぶりつこうとする小型陸鮫。
小型とはいっても魔物 ―― 『魔法を使う人食いの怪物』だ。
大型犬よりも巨大な顎は、幼い少女の頭部など、一瞬で噛み砕くだろう。
「―― もう!!」
それが、一刀両断だった。
―― 幼い少女は、身をかがめると同時に180度反転。
―― 抜剣した<正剣>の切っ先を高く跳ね上げる。
―― 同時に、一歩前進しながら振り下ろす。
その一瞬の一挙動で、少女の雪の様な銀髪を血に染めようとしていた小型陸鮫が、頭から尻尾まで真っ二つ。
「………………」
「………………」
ドサン! ザザァ~~……!! と放り投げられた荷物のように、魔物の屍が横滑りして遠ざかっていく。
地面に伏せた体勢の『偵察妖精』隊員2人は、顔を見合わせ、同じように首を傾ける。
「……あれ、サメだよな?」
「うん……防刃防具の、サメ皮、だよな……?」
そう防刃素材として防具に活用される鮫皮に包まれた、凶悪な150cm程の飛行型魔物が、だ。
なぜ、見るからに『量産品の錬金装備の剣』で真っ二つになるのか。
理不尽すぎて、意味不明すぎて、まったく現実とは思えない。
「もう! もう! もう!
せっかくぅ~、ここまで連れてきましたのにぃ~~~! ――」
その理不尽の主である、雪の妖精のような銀髪少女は、半泣きで喚き散らす。
「どうして簡単に死んでしまいますの、陸鮫さん!?
アナタたち、みんな弱すぎですわよぉ~~~」
「……簡単?」
「……弱すぎ?」
倒れたままの『偵察妖精』隊員2人は、少女のデタラメに理不尽な言動に、呆然とするしかない。
「―― これ、リア静かにせんか……」
老成した低い声が、降ってきた。
ストン……ッと小枝でも落ちたような軽い音で、着地。
長身で白髪の翁だった。
どうやら木の枝の上にでも居たらしく、飛び降りてきたらしい。
銀髪の少女は、その祖父らしき人物にすがりつく。
「うぅ~~、お師匠さまぁ~~……っ
リア、お兄様のお役に立てませんでしたぁ~~……びえぇぇん!」
「あ~、わかったわかった。
ロックは、きっと感謝しておるよ?
だから泣くな……」
その様子は一見、子守に苦労する祖父と、気弱な孫娘のようでもある。
「ほら、ロックの『新技』とやらを見ないでよいのか?」
「うぅ~~、見ましゅ、見たいでしゅ~……」
ぐずる様にしていた少女と、老人が同じ方向を向く。
「……ちょっ……」
「……お、おいおい……っ」
つられて『偵察妖精』隊員2人も同じ方向を見て、思わず立ち上がる。
そして駆け出そうとして ――
「―― ぐっ」
「―― ぁあ!?」
―― 即座に、地面に抑え込まれる。
白髪の老人の右手で、調査チームの男。
左手で、年配の隊員。
いくら調査部隊の非戦闘要員とはいえ、現役の魔剣士が2人とも、片手でねじ伏せられてしまう。
この白髪の老人は、そんな、おそろしい程の技量の達人だった。
「ジイさん何を!」「おい!子どもが死ぬぞ!!?」
『偵察妖精』隊員2人は、片腕を極められ首根っこを押さえつけられる制圧体勢。
しかしそれでも、地面に頬をこすりつけて抜け出そうとする。
「暴れるな、暴れるな。
まあ見ておれ」
「小父様がた、下手に近づくとケガしますのよ?」
冒険者ギルドの調査員2人・老人・幼い娘、居合わせた4人が見守る目の前で、さらなる不条理が ――
―― いや、この異世界の異常が、牙をむいた。
▲ ▽ ▲ ▽
「フゥ~……っ」
小さな吐息は、黒髪の華奢な子どもの物だった。
まだ男児か女児か分かりづらい容姿から、10歳になったばかりくらいか。
―― そこは魔物の森にとって、隙間のような一角。
明るく開けた15~20mくらいの自然の円形広場だ。
巨木が倒れた後の切り株のような痕跡があり、高い樹木がない小規模な草原のようになっている。
それこそ、おとぎ話の森の妖精でも棲んでそうな場所だが、今は最悪の状況になっていた。
小型の陸鮫魔物が2匹。
そして、中型の陸鮫魔物が1匹。
巨大な魚類のような姿でありながら、風を操り空中を泳ぐという理不尽の権化が、幼い子どもを狙っていた。
「あのデカいの、<ラピス山地>の魔物だぞ!
早く助けないとっ!」
「おいジイさん、離せよ!
『弱き者を守る』のは魔剣士の務めだろ!?」
地面に押さえつけられた『偵察妖精』隊員2人は、背後に魔法陣を浮かべる老人へ必死に訴える。
「やれやれ……、なんと説明したら良いものか」
「お兄様は『弱き者』ではありません!
この人たち失礼ですわっ」
銀髪の女児は憤りの声を上げ、鼻息を荒くジタバタと足踏みする。
そんな騒ぎに気を取られた瞬間、ゾワリと空気が変質する。
「何だ!?」「殺気っ!」
叫んだ男2人を含む4人が、15m超の自然の円形広場に視線を戻せば、黒髪の子どもを取り囲むように殺到する3匹の飛行型魔物。
風にさらわれた洗濯物のように空中を漂っていた三つの巨体が、弓矢の勢いで迫る。
「ああ、クソ!」「間に合わんっ」
抑えつけられた『偵察妖精』隊員2人は、苦悩の叫びをあげる。
魔物に狙われた子どもが、くるりと一回転して剣を振る。
「―― 【秘剣・三日月:参ノ太刀・水面月】ッ!」
剣技と言うより、演劇や剣舞といった芸事のような立ち振る舞い。
そもそも、刃部40cm程の<小剣>をどれだけ振り回したところで、空中から襲いかかる飛翔型魔物には、絶望的に短すぎて届かない。
届くはずがない。
だからきっと、幼い身体から鮮血がしたたり、無残に食い散らかされる ――
―― そんな予想図が、まったく裏切られた。
ブシャッ・ブシャッ・ドシャッ!と、血が噴く音が三つ重なる。
全て魔物の血だ。
魔物3匹は、全て空中で真っ二つにされて、そのまま墜落して草地を転がる。
まったく予想が外れた『偵察妖精』隊員2人は、困惑の声を上げる。
「―― は、はぁあ!?」
「な、なんだ、今のは……っ」
剣術攻撃の適正距離である彼我2m以内・『近間』に入るどころか、彼我5m程・『中間』に近づく事もなく、魔物を殺傷する。
『離れ業』 ――
―― 人間離れした技であり、文字通り剣の届かぬ離れた間合いから斬るという常識外の技。
魔剣士の常識を踏みにじり、自負すら粉微塵に粉砕する異常。
明らかに魔剣士ではない『何者か』が、そこに居た。




