212:スノーウインド(上)
どこの冒険者ギルドにも、『偵察妖精』はいる。
あるいは『フェアリー部隊』とも呼ばれる、直属の調査チームだ。
―― その可愛らしい名前を聞けば、若い女性ばかりの隊と思うだろう。
しかし実際は、ほとんどがむさ苦しい男ばかり。
調査チームの詰め所は、歴戦の冒険者に負けず劣らずの厳ついヒゲ面や坊主頭が汗を流し、身体を鍛えていた。
そもそも『妖精』という名の由来は、森で姿をくらまかす事からだ。
「失礼します。
リーダーはこちらに?」
そんな男所帯の詰め所に、珍しく女性が入室する。
冒険者ギルドの事務員ではなく、妖精の記章をつけた隊員のひとり。
若く小柄だが、口元は凜と結ばれている。
彼女であれば、『偵察妖精』と名乗っても似合いそうな容姿だ。
「ジェシーか。
なんだ、報告書に不備でもあったか?」
「いえ、ギルド長がお呼びです。
今度の大規模討伐の派遣協力についての調査の件で……」
「またか……ハァッ」
女性隊員が『リーダー』と声をかけた相手は、中背の男。
片刃斧形の重りをゆっくりと、型訓練をするように振り回していた。
その男性上司は、素振り鍛錬のトレーニング器具を床に下ろすと、タオルで汗を拭きながら部屋から出る。
「お隣の<硫黄領>側だって、今回の魔物の生息域調査はすでに何度もやってるんだろ?」
「ええ、もちろん」
呼びに来た女性隊員も一緒に、ギルド長の部屋に向かう。
「他所の『偵察妖精』がしゃしゃり出たら、いらぬ揉め事になるだけだぞ。
あの出っ歯オヤジ、何をそんなに鼻息を荒くしてるんだか……?」
「<翡翠領>の冒険者ギルド支部。
他から『魔物の大侵攻を退けた猛者揃い』と、随分と持ち上げられてるみたいですよ」
「はあ……?」
妙な事を聞いた、という顔で『偵察妖精』のリーダーは振り返る。
若い女性隊員は、グイッと男の背中を片手で押し、立ち止まった上司を進ませる。
「あるいは『帝国内で第三位の冒険者ギルド』とか『トップ層は副都・聖都のAA級に匹敵する』とか、色々と勇ましい話になっているそうです」
「おいおい……。
変に気負えば、蹴っつまづくぞ……?」
「仕方ありませんよ。
『現世の地獄に最も近い』と忌み嫌われた我が<翡翠領>の冒険者ギルドが、こんなに注目され期待されるなんて今までなかった事ですから。
ギルド長や上役だけでなく、普通の事務員たちも随分と浮かれています」
「……チッ、いやな空気だな。
森の中で<風切陸鮫>にかっさらわれるのは、こういう時だぞっ」
中背の男性上司は、舌打ちしてギロリと鋭く目を細める。
彼の前を歩いていた女性隊員は、急に声量を落とした。
「……まあ<風切陸鮫>なら ――」
さらに歩調を遅くして横に並び、リーダーだけにギリギリ聞こえる声量で伝える。
「―― むしろ、『群れを丸ごと』蹴散らすでしょうね……」
「ハァ……?」
「……その方のせいで、ギルド長は落ち着かないようですが……」
「……何?
いったい、何の話だ……?」
つられて男上司も、声量を落とす。
すると女性隊員は、『その人物』の肩書きだけを告げる。
「……今回の件、『流派交流道場の名誉館長さま』のご同行が決まったようです……」
「……流派交流道場?、つまり『興武館』……っ
―― では『剣帝』様がっ!?」
つまり冒険者ギルドの精鋭に同行するのは、最高位の魔剣士。
腕前においても、実績においても、地位においても、雲の上。
あまりの偉大さに、近年では本名どころか名誉称号すら『軽々しく口にする事が恐れ多い』とされる人物。
それは、当代最強。
それは、生きた伝説。
それは、偉人にして聖人。
―― 最強流派・剣帝流の創始者にして現当主、『剣帝』ルドルフ=ノヴモート。
その人物こそは、帝国の頂点・皇帝にさえ匹敵する絶対的な権威だった。
▲ ▽ ▲ ▽
―― 『偵察妖精』は、よく冒険者の恨みを買う。
例えば、3~4年前のあの日もそうだった。
不意に、男の叫びが森に響く。
―― 『ちくしょう!』
遠くから響く大声の直後に、ドガン!と衝突音。
そして、グシャン!と金属鎧のへしゃげる音。
場所は<翡翠領>から最寄りの魔物の森の中だ。
偵察任務の最中に聞こえてきた声や音は、おそらく魔物との戦闘のもの。
慌てて音の方に向かえば、冒険者が丸呑みにされかけていた。
まるで大蛇のような巨大な頭が、ゴクンッと呑み込む。
魔物の長首は、人間の形状に膨らんでいる。
「くっそぉ!
返せ! 妹を返せよぉ!!」
きっと兄弟なのだろう。
大盾を持った重装甲の冒険者が、叫びながら何度も斬りつける。
残り4人の仲間もそれに続く。
冒険者5人がかりで囲んで、滅多斬り ――
―― しかし、大型魔物の回転攻撃で、簡単になぎ払われた。
「あっ」「ぐわっ」「ぎゃぁ!」「ひぃっ」「チクショー!」
その際に、大槌のように振り回された尻尾が特徴的だ。
重装甲騎士が持つ円塔盾のように幅広で太い。
「あれは……、もっと山際に生息する魔物だろう?
なぜこんな平地まで……」
ついつい魔物の種類を分析してしまうのは、調査チームの職業病だ。
そうこうしている内に、脅威力4の大型魔物は、物置小屋くらいの巨体と特徴的な極太尻尾を揺らしながら去って行く。
調査チームの男が呆然としていると、思いがけず怒声が飛んできた。
「テメー! 指くわえて見てたんなら、手伝え!」
「他人が命がけで戦っているのを、高みの見物かよ!」
なんとか身を起こした冒険者たちだ。
仲間が魔物に食われて、気が立っているのだろう。
「………………」
調査チームの男は、無言。
彼は『治療に必要なら、<回復薬>くらい譲ってもいい』、とも思っていたのだが。
「お前のせいで妹がぁあ!」
「この腰抜け妖精ヤロウが!」
「ぶっ殺すぞ!!」
仲間を食い殺された冒険者の八つ当たりは、あまりの剣幕だ。
結局、彼は黙って立ち去るしかなかった。
▲ ▽ ▲ ▽
「クク……ッ。
ハッ、そいつは災難だったな?」
調査チームの男が、今回の調査の拠点に戻ってトラブルの報告をすると、年配の班員から軽く笑い飛ばされてしまう。
「災難どころでは無い。
手当が必要かと近寄ったのに、まるで俺が悪いかの様に言われて……っ」
「まあ、よくある話さ。
口を出しても、手を出しても、怒鳴られ。
じゃあ見ているだけなら、今度は罵られる。
俺たちは、妖精どころか、不幸を連れてきた悪霊あつかいだよ」
「チッ、冒険者どもめ……っ」
そんな愚痴を言いながら、手早く『働き蜂』を分解して黒い塊を取り出す。
この握り拳くらいの<魔導具>が『働き蜂』と呼ばれる理由は、作動している時の様子からだ。
起動させると15分ほどかけて、『ブンブン』とまさに蜂のような羽音で飛び回り、10機ほどの群れで螺旋を描きながら周辺探査を行う。
つまり、これは地図作成機なのだ。
内部の黒い樹脂の塊 ―― 記録媒体を羽根ペン(文字通り羽根の生えた筆記用具)に移し替えると、特殊な感知装置で測定した周辺地形を地図紙面の上に記載し始める。
ぱっと見た目は、まるで透明人間が10人くらいでガリガリと高速で地図を描いている様な、おとぎ話じみた作業風景だ。
「……1ヶ月前の調査から、あまり地形に変化がないようですねー」
「それは本当か?
さっき見た冒険者パーティの1人を丸呑みにした魔物、あれはこの地域の種類ではなかったぞ」
「あとは小型魔物の生息状況を調べないと、なんとも言えないですねー」
「遠目だったからはっきりしないが、中型の上位から大型に近い体格。
そんな魔物が居着いたなら、はっきりと地形に出てもいいはずだろ?」
拠点で資料を整理している書記官の言葉に、疑問を投げかける。
中型以上の魔物の活動は、地形の変化として現れる。
小型魔物は、成人男性と同程度以下の体格。
中型魔物は、行商人が使う大型輸送の貨物車くらいまでの体格。
大型魔物は、それ以上の分類で、農村の倉庫や民家よりも巨大な体格。
つまり、そんな大人の人間でも『ひと呑み』という巨体が巣作りや縄張り争いを始めれば、急に小山が出来たり、小池が出来たり、川の流れが変わったりなんて、日常茶飯事だ。
しかも『魔物』は、『魔法を使う人食いの怪物』の総称なのだから。
「魔物の特徴を聞く限りー……、おそらく<座構蜥蜴>ですかねー?」
「そういう名前なのか、あの長首の竜は」
「竜ではなく、分類は大型のトカゲ。
まだカメやヘビの方が近いくらいですよー。
例えば、同じく山間部に生息する<岩壁虎眼>のように…… ――」
「―― なあ、書記官さんよ。
そんな学者サマの講義なんて、今はどうでもいいんだよ」
調査チームの男は、文官の空気の読めない知識自慢にうんざりという顔。
年配の班員も横から口を挟んできた。
「ああ、問題は『もっと山際に生息しているはずの大型魔物』が、こんな平地に来た事だぜ?」
「まだ地形変化が少ない、というならこの辺りに来たばかりか……」
調査チーム2人が顔を見合わせていると、書記官も首をひねる。
「今は魔物の移動が起こる様な、そんな季節でもないんですけどねー」
「知ってるさ、そのくらい」
「ああ、俺たちだってな」
魔物の生息域の変化、というのはそんなに珍しい事ではない。
季節の変化で移動するのは、魔物も野生動物もそう変わらない。
―― 問題は、生息域の変化に連動して起こる、魔物同士の縄張り争い。
それが最終的に、行商人や農村の被害に結びつく。
そういう領地内の状況変化を常に監視して、冒険者に討伐依頼を出すための現地調査を重ねるのが、この『偵察妖精』という隠形技術の達人集団だ。
▲ ▽ ▲ ▽
引き続き、拠点テントの中で『偵察妖精』の男3人の声が響く。
年配の班員が、地図を眺めながら腕組み、うなる。
「うぅ~ん……。
巣作りや、縄張り争いも、まだ起こっていない。
つまり ――」
「―― 新しいエサ場、縄張りを求めて放浪している最中、という事か?」
調査チームの男が、言葉を引き継ぐ。
彼は少し考え込んで、また文官へ質問する。
「書記官、あれは『危険』な魔物なのか?」
「正直、あまり情報がないですねー。
この辺りの冒険者ギルドでは、<座構蜥蜴>の討伐依頼が出る事もレアケースでしょう」
学者の男は肩をすくめて、頼りない返事。
そして、地図製作の作業に戻る。
そんな書記官を尻目に、調査員2人で意見をかわしあう。
「となると、積極的に人里を襲う様な類いではないのか……」
「でも、冒険者パーティの1人を丸呑みにしていたみたいだが?」
「ヘビ型魔物やトカゲ型魔物も、『とりあえず』で口に入れる事が多い、と聞くぜ。
食べれないとか不味いと解ると、後で吐き出す、とか」
「冗談じゃないな、味見でかじられるなんて」
「まあ、陸鮫の魔物ほど見境なく食いつく訳ではないが」
年配の班員の言葉に、もう1人は顔をしかめた。
「陸鮫の魔物か……。
この異変が<ラピス山地>の関係だと、面倒だな」
「若いの、なんでも<ラピス山地>に結びつけるのは良くないぞ?」
帝国でも屈指の危険地帯<ラピス山地>。
それは、『危険な魔物が多数生息している』という事だけではない。
その先には<アルビオン大山脈>へとつながり、地元の者は決して近寄らない禁足地があるからだ。
―― 紫色の雪が降り積もる<ヴィオーラ巨大樹林>。
―― 現世の地獄『巨人の箱庭』。
―― 巨大魔物<終末の竜騎兵>どもの棲み処。
ここ<翡翠領>に生まれ育った者たちには、口に出す事さえ恐ろしい、禁忌の場所。
世界の終わりの日『雪禍の旦』に、滅びの先兵<終末の竜騎兵>が解き放たれ、人類は滅亡する ――
―― 幼い頃から、ずっとそう聞かされてきたのだから。
「……わかっては、いるさ」
「終末は明日かもしれんし、100年後かもしれん。
あるいは、向こう千年は来ないかもしれん。
誰にもわからんし、わかったところで、誰にも、どうにもできん」
「……わかっては、いるさ」
調査チームの男は、同じ言葉を繰り返す。
年配の班員は、しかめっ面の若者の肩を、ポンッと優しく叩く。
「気負うな、とは言わんよ。
俺も、気持ちはよくわかる。
まあ、新しく所帯をもったばかりなら……。
人の親になったばかりなら、誰だってな……」
―― 子には、明るい未来を残してやりたいもんさ、な?
年配の班員は、声なき声でそう告げた。
▲ ▽ ▲ ▽
そして、その日。
冒険者ギルド<翡翠領>支部の『偵察妖精』は、森で妖精に会った。
それは彼らの隊の記章の絵柄『雪と風の妖精』を思わせる、『銀髪の乙女』の姿をしていた。




