209:運命のライバル
少し時間を遡る。
武闘大会本戦の前夜。
<封剣流>本家道場の応接間で、ソファに腰掛けて向き合う2人。
「―― 剣帝流と『道場間決闘』だと?
ハァ……ッ、下らない事を言うな」
ため息を吐いたのは、老いた父・当主ベニート。
「下らない、はないでしょう父上!
この本家道場の中で、他流派の人間に好き放題に暴れられてっ。
いったい何人、怪我人が出た話ですか!
<帝都>の安全をあずかる武門の一角として、このまま黙っていられますか!?」
向かい合って唾を飛ばす勢いの中年男性は、長男パトリック。
彼は、つい先程、南方大陸から帰郷したばかり。
第1皇太子が帝国三等領地<新都>総督府長官の赴任を終えた事で、一行の『先触れ』として帰路の安全確認を行いながら、ひと足先に<帝都>まで戻ってきたばかりだった。
―― 数年ぶりに顔をあわせたばかりの<封剣流>直系ミラー家の親子2人が、言い争う内容は『先日の騒動』について。
つまり、ロックが本家道場内で暴れ回り、何人も叩きのめした事について、事後対応の方針で揉めていた。
「ではリック。
仮に『剣帝流と試合う』として、『剣帝』ルドルフやアゼリアを相手に勝算があるのか。
お前が口火を切るのならば、せめてどちらかの相手をしてもらうぞ?」
「……なぜアゼリアまで、俺が相手をしなければならないのですか。
それに一応、姪は我が<封剣流>の人間でしょう?」
40代の息子パトリックは、流派の第二席次の腕前にして、次期当主候補の最有力。
そんな彼であっても、<御三家>黄金世代の紅一点・アゼリアと闘うのかと問われれば、少し鼻白んだ。
「ほう、意外だ。
お前はアゼリアをいまだ<封剣流>だと認識していたのか?
どうせ『愚妹の子を自流派から追い出せて清々した』と考えているだろう ――
―― そんな風に、お前の内心を予想していたが。
お前の子2人が後継者に選ばれる頃なら、本来ならアゼリアが対抗馬だったはずだからな」
「……チッ」
息子は老父に、姪っ子との良好と言いがたい間柄を指摘され、舌打ち。
アゼリアが『剣帝流』後継者に収まって最も喜んだのは、この不仲の叔父・パトリックだ。
目障りな姪っ子が他流派の当主になるなら、息子達の後継者レースで最大の障害は消え去ったも同然だからだ。
例え『剣帝』が、時の皇帝に寵愛を受けた魔剣士の頂点としても、それは長い歴史の一時の栄華だろう。
そもそも、この帝国の約300年の歴史で、魔剣士の最強<帝国4剣号>の称号保持者が新規の流派を立ち上げて盛況した事は数多あるが、長く続いている流派はほとんど無い。
泡の様に膨れあがり、泡の様に消えるだけ。
帝国最古参<封剣流>直系のパトリックは、そんな武門の歴史に詳しいだけに、『新進気鋭の剣帝流も今だけの事で、やがては時の流れに消え去る小流派』と見なしていた。
彼からすれば、例えば『政敵が僻地へ左遷されて二度と戻ってこない』ような、ほくそ笑みたくなる様な状況だった。
―― だからこそ、そんなポッと出の、すぐに消え去るような『剣帝流』などという小流派に、千年の歴史を持つ偉大なる自流派の看板が傷つけられた事が許せないでいる。
「………………っ」
「そうふて腐れるな、息子よ」
そんなカッカッと火を吹かんばかりの長男の怒気に、老いた父は微苦笑。
「……本当にお前は、己に似たなあ。
しかも良くない所ばかり、そっくりだ」
「はあ……っ」
「お前を見ていると、己が謀略で剣帝のヤツを、この道場から追い出した頃を思い出す」
「……は?」
パトリックは、いきなり衝撃的な言葉が飛んできて、目を白黒させる。
「―― ん?
なんだ、今さら驚く事か。
お前が生まれる前の事とはいえ、薄々は察していたのだろう?」
「いや、それは……、そのっ」
当主ベニートは悪戯の成功した顔でニンマリと笑うが、息子は平静ではいられない。
何せ、当代の皇帝陛下に最も寵愛を受けた人物を、あろう事か『陥れた』という告白だ。
これが余人の耳に入ろう物なら醜聞、という心配が先に立つ。
長男は、冷や汗を流しながら、キョロキョロと落ち着き無い。
老父は、クックックッと喉を震わせる。
「まあ気にするな、大した事ではない」
「いや、大した事でしょう! 父上!
こんな大事を言われて、気にするなと言われましても……っ」
「だから、気にする必要などない。
少なくとも相手は、ルドルフの奴めは、すでに気にも留めてはおらん。
やり返そうと思えば、あやつが『剣帝』などと大仰な剣号を賜った10年前のあの式典で、皇帝陛下に泣きつき、己を当主の座から引きずり下ろしているさ」
「……そ、それは……、そうでしょうが……っ」
「―― で、お前は言うのか?
この父が謀略で追放した、あの『剣帝』に対して。
『お前の弟子の不始末をつけろ』と?
声高らかに『我ら封剣流に一切の非は無い』と?
宮廷の役人に『決闘の認可』をもらいに、どの面を下げてノコノコと?
己と奴との因縁など、軍部の古株なら文官でも噂に聞いているのに?
恥知らずにも、その己の長男であるパトリック、お前がか?」
「………………」
意地の悪い顔で、言葉詰めにする老父。
顔を赤くして火を吹かんばかりの勢いだった長男が、一気に萎れてしまう。
▲ ▽ ▲ ▽
「しかし、それでも……っ
このまま部外者にいいようにされ、そのままでよろしいのですか……!」
長男は、まだ不満が残る様子。
座った太ももの上で、握り拳をグッと握りしめている。
老父は、そんな息子に『落ち着け』と言うように、お茶を注いでカップを差し出す。
「……ロックという小僧、アレはもはや部外者ではない。
アゼリアの婿だ」
「―― はぁ~~っ!?
アゼリアに婿ぉッ!
あの猛獣女に、婿ぉ~~!?」
よほど思いがけない事だったのだろう。
息子リックは、対面の席に座る父ベニートの方へ、思わず身を乗り出してくる。
「ケダモノ女はひどいな、お前の妹が産んだ子だぞ?」
「いや、しかし……っ
その男、果たして正気なのですかっ?
あの『ヨダレを垂らして唸りを上げながら噛みついてくる』ような姪に婿入りとはっ」
「……そういえば、お前は『今のアゼリア』の様子を知らんかぁ」
老父は、腕組みして半笑い。
そして、気を取り直して話を続ける。
「あと5年10年すれば、あの2人の間に子も出来るだろう。
ならばもはや、孫娘の相手も己の孫の1人よ。
遠縁親族の跳ねっ返りが、ちょいとじゃれついてきただけだ。
この己を負かした事とて…… ――」
「―― ちょ、ちょっと待ってください!
今なんと!?
はぁ、『父上を負かした』!?」
長男パトリックは、驚きの連続についに立ち上がる。
「なんだ、まだその話を聞いてなかったのか?
己も久しぶりにひりつく闘いで良い鍛錬になった。
ルドルフの所の小倅は、噂以上になかなかの腕前だったぞ?」
「なかなか、ではないでしょう!
父上が、負けた!?
<封剣流>当主ベニートが!!?」
「うるさい、話をさえぎるな。
いいから座れ」
「そんな……『帝都の宝剣』ベニートが……?」
父の言われたとおり椅子に腰を下ろした長男だが、呆然と口を開けたままで、目はどこか虚ろ。
「いいから話を聞かんか、バカ息子が。
ともあれ、小倅はアゼリアの婿で、やがて生まれる我がひ孫の父だ。
そんな身内の若手が、己のような年配から、ついに一本を取る。
賞賛する事はあっても、非難する筋合いもあるまい」
「……負けた……本当に……元『剣聖』が……3期12年君臨した……あの父上が……っ」
パトリックの視線は、いまだに虚空をさまよっている。
よほどその話が信じられないらしい。
「ハァ……、こやつはまったく」
当主ベニートは、息子の顔の前で、パン!と両手を打ち合わせる。
そんな『気付け』で、息子の意識を引き戻して、話を続ける。
「己はな、機をみてルドルフの奴に『詫びてやらねばならない』と思っていたくらいよ。
やり返す様な気持ちなど、起きようもない」
「それは……さっきの、謀略の話ですか?」
「違う。
『謀略』も『騙し討ち』も、引っかかる方が悪い。
武門だからといって、イノシシの様に突進して良い訳がない。
主君を狙う暗殺者どもに、『卑怯は止めろ』とか『正々堂々と闘え』とか、頼み込むか?
魔剣士の本業が魔物退治だからと、人間が相手なら主君を守れずとも良いか?
そんな道理は、ひとつたりともない。
正道、邪道、外道に詭道、全てに通じ対応できてこそ『武』というものだ」
老いた父は小さく笑い、こう付け加えた。
「そういう意味では、真っ直ぐにしか進めぬアゼリアにとって、あの婿は良い補佐よ」
▲ ▽ ▲ ▽
<封剣流>当主ベニートの独白が続く。
本家道場の応接間で対面に座る、長男パトリックは黙って聞き続ける。
「ルドルフに詫びるといのは、そうではない。
その横に己が並び立たなかった事への、詫びだ」
「今こそ正直に告白するが、己はあの日 ――
―― あやつが『剣帝』という特別な剣号に叙される日、怯えていた。
きっと、報復をされるのだろう、と。
己なら報復するから、きっと報復されるに違いないと。
そう思い込んでいた」
「しかし、あやつは式典の直前に己の元へと尋ねてきて、わざわざ頭を下げた。
邪推するなよ、『式典を邪魔してくれるな』とか『妨害は止めろ』とか、そういう類いの頼みではない。
単に、自身の不出来を詫びたのだ。
『流派の直系である貴殿に、礼を失する態度ばかりだった』と。
『自分は新参門下生でありながら、あまりに横柄。嫌われ追い出されて当然と、今では反省している』と。
『正論を振りかざせば他人は従うはずだ、と思い上がっていた』と。
―― つまりルドルフは、苦境の中で腕前だけでなく、精神も磨いていた」
「対して己は、いつまでも我の強い若造のままの性根で、いっさい成長してなかった。
あやつにも非があった、己にも非があった。
お互いに歩み寄ろうとしなかった。
そして、その事を、己だけがいつまでも認める事ができず、『あやつが悪い、あやつが悪い』と喚き散らしていた。
周囲も良い迷惑というものだ」
「己はな、『剣帝』の式典が終わってずっと考えていた。
昔の事、噂に聞いた奴の闘いの事、己の今日までの事、様々な事を。
そして、己が居る道場に、わざわざ歳も近く才能も伍するルドルフが来た事の意味について。
当時の様に『次期当主候補の己の存在を霞ませる、目障りで厄介な新参者』ではなく、もっと深い意味を」
「そんなある日に、おかしな夢を見た。
若い頃の、まだ青年だったルドルフが『行こう行こう』と己の手を引っ張り、
―― 『いまだ辺境では魔物に苦しむ人々がいる』
―― 『だから魔剣士名門として助けに行こう』
そう言い張る夢だ」
「それに己は『そう簡単な話ではないぞ』と呆れながら言い聞かせる。
貴族や領主や地方騎士の体面の問題。
また、魔物退治は冒険者の食い扶持、仕事を奪えば恨まれもする。
中央と地方の軋轢もある。
何より人を動かすには、相応に理由と金銭がいる。
だいたい、帝都と皇帝陛下を守る<封剣流>が余所事にかまけている内に大事が起こったら笑い話にもならん。
そういう<御三家>なら誰でも承知している事を、きかん坊の子どもに言い聞かせる様になだめ続ける。
―― そんな夢だった」
「己は夢から覚めた翌日、あるいは、と思った。
あの夢の中の己と奴こそが、あるべき姿だったのではないか。
神々はそういう意図で2人を配されたのではないか、と思い至ったのだ」
「我ら2人は、歳の近い好敵手として日々競い合う。
正義心と辺境生まれの同情から、魔物の被害と聞けば飛び出して行くあの直情バカを、名門直系に生まれ育ち弁えのある己が手綱を握る。
そして、あるいは魔物の大侵攻のような到底看過できない大災害があれば、次期当主として陣頭指揮を執り、奴と共に前線を駆けて魔剣士としての本懐を果たす。
『封剣流には2本の剣がある』と評されただろう。
それこそが、神々が望まれた未来の形だったのではないか」
「見てみよ、あの『当代一の英雄』と呼ばれた剣帝の『無残な有様』を。
あやつの隣に並び立つべき己が、くだらん保身に走って道場を追い出してしまったせいだ。
あのバカ者は腕も才も足らん連中ばかりを集めて、みんな揃ってイノシシのように突っ込んだ挙げ句、ものの見事に死に絶えたではないか。
そのせいで、あやつはいよいよ自身を追い込み、仲間もなく、ただひとりで魔物退治をして回る羽目になった」
「―― それら全て、言ってしまえば『己の不徳の致すところ』だ」
「あやつが<封剣流>本家の門を叩いた時に、己はあの剣才を恐れて、排除する事しか考えなかった。
後継者候補としての自分の立場を危うくするとまで、思い込んだ。
愚かだ、あまりにも」
「そう、己が愚かだったが故に、本来あるべきだった運命を歪めてしまった。
その結果、不要な不幸を生み、余計な遠回りを強いた。
ルドルフに詫びねばならん、というのはそういう事だ」
「しかし神々は、万が一に備えて、次善の道も配されていた。
それがアゼリアと、ロックという小僧だ。
もしもルドルフが今も我が<封剣流>の門弟だったなら、『己とお前の孫同士、歳が近ければ許嫁にでもするか?』という話くらい持ち上がっていた頃だろう。
あの2人は『その代替え』という事さ」
▲ ▽ ▲ ▽
<封剣流>当主ベニートは、こう言って話をしめくくる。
「<封剣流>当主ベニートと、『剣帝流』当主ルドルフが闘う。
それは単に、同じ時代で肩を並べる達人同士が『どちらが上位か?』と剣に問うだけで良い。
せっかく剣帝と真っ向勝負するため10年かけて整えている最中というのに、『弟子の不始末』だの『流派の確執』だの、下らん雑味を混ぜられてたまるかよっ」
運命が用意した我が好敵手と、今さら下らない体面争いなど、武人のプライドが許さない ――
―― 要するに、そう言った話だった。
そして、こうも付け加えた。
「リック。
お前も後学のために、明日からの武闘大会の『学生枠トーナメント』を見ておけ。
『今のアゼリア』こそ、まさに我が<封剣流>千年の結晶よ」
「はあ……?」
―― もはや野生児を越えて、ノラ犬か何かとしか思えない、姪が……?
長男パトリックは、そう思いはしたが、当主の命令であるので大人しく従った。




