208:最後の赤魔(下)
薄暗い、広大な屋内の円形広場に、また重い沈黙がおりた
まるで、故人たちへ黙祷するような空白の時間だ。
やがて、数千年前に滅んだ文明の生き証人・飛竜の太母は、話の続きを始めた。
『ここしばらく世話係も彼女も来ないがどうしたんだろう、と思いながら食っちゃ寝の生活をしていたら、その内に食料がつきてしまった。
いつも清潔だった飲み水や水浴び場も、薄汚れて緑になってしまった。
いよいよ我慢できずに檻を壊して抜け出したのは、異変からどのくらい後だったか。
1ヶ月?、1ヶ月半?、いやもっとかもしれない。
その頃には街中には人間は誰も居なくなっていて、彼らが魔導具で遠ざけていた、人食いの魔物が闊歩する様になっていた』
「そんな」
竜が語るのは、古代魔導文明の最後だ。
世界の終わりが間近に迫る時に、かつて起こった滅びの話を聞かせていた。
『せめて彼女か彼女の家族だけでも、と探し回ったけど、見つからない。
夜を明るくしていた程のきらびやかな魔導の照明は全て消えさって、人の作った建物なんかも壊れていて、どこがどこか解らなくなってしまっていた。
何よりも、真っ暗で、静かで、知り合いが誰も居ない世界に、自分だけ残された事が怖ろしかった。
結局、彼女と昔遊びにいった離れ小島にたどり着き、どうして良いか解らないで居たときに、連れ合いにあったのさ。
彼も私と似た様な事情で、身を寄せ合って暮らしている内に、やがて番になった。
初めての子が出来たのは、それから20年、いや30年後くらいか?
飛竜がこんなに長生きで、こんなにゆっくりとしか増えない生き物だなんて、自分たちすら知らなかったからね』
「…………」
『知らない事だらけだった。
ようやく産卵を終えた後に、連れ合いに誘われて、久しぶりに浅瀬の海に潜った。
食事は彼が毎日毎日、巣へ運んでくれていたけど、やっぱり魚は新鮮な方が美味しかった。
出産後の疲れた身体で、アレコレつまみ食いをして満腹になり、飛ぶのがやっとの状態。
なんとか巣に帰ったら、たった一つの大事な卵が割られてしまっていた。
そうさ、私の最初の子は孵る事すらないままに、食われて死んでしまったぁ……っ』
「……うっ」
『……それは、小さな魔物のせいだったみたいだね。
わたしたち飛竜の成体からしたら、鼻息で追い払えるくらいの、脆弱な魔物。
まさかそんな連中に、初子を食い殺されるなんて……。
私があんまり悲しみ嘆いたせいか、彼は変わってしまった。
竜以外は全て見下し、憎む様になってしまった。』
「……あぁ……っ」
『父親がそうだから、後に生まれた子ども達も、そんな態度を受け継いでしまった。
どこかで止めるべきだったんだろうけど。
私のために怒ってくれる連れ合いには、言い出せなかった。
父として子どもを守るために必死だと解っていたから、いよいよ、ね』
「……それは……」
『本当に、言うべき、だったんだ。
もっと早くに。
他の種族を憎むのはやめてくれ、って。
死んだあの子もきっと、父の悲しい姿に泣いている、って。
その分だけ後の子たちを愛して慈しみながら穏やかに暮らそう、って。
連れ合いが、彼が、大海魔なんて絶対に敵わない相手に向かって行って、死ぬ前に……!』
「飛竜の太母……」
『私はもう、これ以上、家族を失いたくなかった。
だから彼が死んですぐに、彼の嫌がっていた、古代魔導文明の遺跡を巣にする事にした。
そう、ここさ。あんた達人間が、飛竜の聖域だの、神秘の迷い森って呼んでいる一帯。
彼との子ども達は健やかに育ち、やがて外に出て連れ合いを見付けて、ここに子を産みに帰ってくるようになった。
わたしは卵の見張り番をしながら、若い母親にお小言を言って煙たがれたり、チビたちをあやす係。
森の霧の結界は侵入者を遠ざけるけど、全く入ってこない訳じゃないからね?』
「そう、だね。
我々人間も、なんとか入って来れたから」
『フン……。
今だから言うけど、メグって赤髪の養母が霧の中を抜けて来た時、悪いがお迎えかと思ったよ。
ついに、飛竜の長い長い寿命が尽きて、彼女が、私の飼い主が死後の世界に招きにきてくれたのかと思った。
また、彼女のキャラキャラと明るい声をそばに、良い匂いに包まれて、安心して眠れる時が来たのかと……』
「……飛竜の太母。
貴女は本当に、その彼女を愛していたのだな」
『ああ、ああ! もちろんさ!
―― 彼は。
私の亡くなった連れ合いは、やがて飼い主達の事を悪く言う様になって、時に険悪にもなったけど。
私はずっと思っていた。
あんな日が、ずっと続いていてくれれば良かったのに、って』
「…………そうか」
『約束通り、彼女と、彼女の産んだ子たちと、一緒に旅に出て。
そんな、楽しい思い出ばかりで良かったのに。
そしてやがて、彼女の血を受け継いだ孫か、もっと先の子孫かの傍で、懐かしい匂いに包まれて眠りに落ちる様に。
穏やかに、一生を終えたかった……』
「…………うん」
この巨大な生命は、かつて栄えた魔導文明に隷属されていたはず。
しかし、その牙の生えた口からは、非難や恨み言はひとつも出て来ない。
むしろ、失った故郷を懐かしむ様な、切ない言葉ばかりがつむがれた。
▲ ▽ ▲ ▽
飛竜の太母は、むしろ現在の有様を嘆き悲しむ。
『私と彼の血を継いだ子達が、人間と共に外を調べに行って、誰もまともに戻ってこない。
死体で戻る事が、まだ良い方なんて。
こんな、ひどい世界、こんな未来なんて、何も望んじゃいなかった。
ああ、世界は本当に滅んでしまっているんだね』
「魔族は…… ――
―― いや、『魔王』は、そして『凶后』は、いったい何をした……?
『何か危険な、古代の<魔導具>を使おうとしている』
そう『剣神』様は言っていた、何か情報を得ていたようだが……」
『古代の魔導師たちが作った、兵器か何か、か……。
だからきっと、この遺跡の中は無事で済んだんだろうね。
同じ古代魔導で作られた、頑丈な地下施設だから』
「ああ、おそらく」
『ここの外は、おそらく、人間は当然、もはや魔物や竜すら生きていけない死の世界に成り果ててしまっているんだろうね。
きっと、あの砂嵐のような、異常な景色の向こう側は』
「そして、ここも、もう長くは保たない。
いくら古代の魔導師達が、特殊な実験をするために特別に強固に作った施設とはいえ……」
『…………』
「…………」
誰の声もない時間が、しばらく過ぎる。
そして、竜と人間の老いた女2者は、若者が去ってしまった事を今さらながらに実感する。
やがて、沈黙に耐えかねたように、竜がまた口を開いた。
『生きる事は、つらいねえ、苦しいね。
悲しい事ばかり、起きなくていい事ばかりが起きて、良い事なんて滅多と無い』
キシキシ……ッと飛竜の太母の寝床が軋む音を上げる。
彼女は、長い首を伸ばして持ち上げた。
『だからきっと『誇り』がいるんだろうね。
涙をこらえながら羽を広げて空を打って、前へ前へと飛ぶために。
亡き彼は最後にきっと、子ども達にそれを教えてくれたんだ。
きっと、無為に死んだ訳じゃない。
だからあの子達は、恐れながらも人間達を守り、あの砂嵐の外へめがけて飛んで行けたんだろうね』
老いた竜は、空を自由に羽ばたいた日を思い返す様に、真っ暗な室内で天井を見上げる。
「そうか……誇り……」
老いた人間も、つられるように暗闇の天井を見上げる。
もう地下に籠もって、7年は経つ。
竜も人も、いつか見た『本物の星空』に思いを馳せる。
おそらくは、もう二度と見る事のない、暗闇を照らす星々に。
「―― もう『極星』は、落ちた。
『一等星』『二等星』も、一つとして残っていない。
世界は闇に閉ざされたけど、彼ら彼女らが命がけで稼いでくれた時間のお陰で、なんとか命が繋がった。
そして、最後の希望が、流れ星のように彼方へ……」
『なんだい、お呪い?
それともナゾ解きかい、だったら付き合うよ』
「―― ……っ!?」
人間の女性が小さな照明をひとつだけ点けて、何かを探し始めた。
やがて、布製の袋をひっくり返して、机の上にバサバサと紙切れを広げて、一枚を探し当てた。
随分と古びて薄汚れた紙面に、複雑な文字が並ぶ。
『なんだい、その紙切れは』
「ナゾよ、ナゾ解き!
まだ解いてない、最後のナゾ。
今なら、今の私なら解けるかも!」
白髪まじりの年配の女性研究者が、まるで年頃の娘の様に目を輝かせる。
「私の父が死ぬ前に残した『古代魔導の資料』よ。
これを解くまで死ねないわ、私!」
『―― ふぅ~ん、どれ。
宮廷魔導師の父親の形見かい?
だったら、私も手伝ってやろう』
「ありがとう、飛竜の太母!」
『いいさ、このまま何もせず、ただ死ぬのを待つのも苦痛だ。
こっちも、いい暇つぶしになるよ。
―― そら、例の幻像装置を点けておくれ、人間の文字は小さすぎて読めないからね』
薄暗い室内に、活気の有る声が響き始める。
竜と人が、議論を交わし合う。
時に仲良く、時に喧嘩もしながら。
老いた2者が、知恵を絞り合って、共に答えを探し続ける。
果たして『魔導三院のある女性研究者』は、亡父の残した『メッセージ』に辿り着けたのか。
それは、もはや誰も知るものが居ない。
―― 既に世界は上書きされた。
だから『この未来の選択肢』は、痕跡ひとつ残さず消え去ったのだから。
▲ ▽ ▲ ▽
―― ルン、起きなさい。
―― いつまで寝てるの、ルン!
―― そうやって、いつまでもグズグズしないのっ
―― ルーン=ルベル! 時間よ、起きなさい!!
そんな懐かしい声が、耳元で響いた気がした。
「―― ……マ、ママッ!?」
赤髪の少女は、寝ぼけたような声を張り上げる。
そして、すぐに慌てふためく。
風を切る音。
肌を切る様な冷たい風圧。
真っ暗で薄ら白い世界。
それが一瞬で途絶え、バッと視界が開けた。
「す、すごい……!?」
暗闇の中に、無数の明かりが見えた。
夜景だ。
それも、雲ほどの高さからの夜景。
「すごいよ、センセイ! 『飛竜の太母』!
まるで地上に星の海が降りたみたい!
この光は、この灯のひとつひとつが、全て人が生きている証拠なんだ!
こんなに沢山!
まだ人間が生きているんだ!」
赤髪の少女ルーンは、思わず涙を流す。
流れ落ちる涙滴は、ほおを伝い、後方へと飛ばされていく。
少女が、両手を広げて高所から落下しているから。
「―― これが過去の世界!?
帝歴292年!!
魔族侵攻の10年前、平和だった<帝都>!!」
少女は、急に表情を引き締め、周囲を見渡す。
「さっき雲を抜けた? そろそろ高度2,000m?
じゃあ、あと30秒くらいか!
―― いくわよ、ルーン!」
自分の顔を挟む様に両手でビンタする。
「飛翔魔法の自力詠唱を20秒以内に成功させて、無事着地!
当然できるわよね?
だって私、メグ=ルベルの自慢の養女なんだもん!」
そう気合いを入れてから、右の手の平に魔力を集中。
―― しばらくして、無事『チリン!』と起動音を鳴らす。
「ハロー、過去の世界!
32年と8日の未来からはるばる救いにやってきてあげたわよぉ!!」
遙か未来から舞い降りる少女は、会心の魔法の出来に、そんな喝采の声を上げた。




