207:最後の赤魔(上)
2年前の別れの日。
赤髪の少女は、出発の直前にこう告げられた。
「―― いいかい、ルーン。
過去世界に行ったら『剣神』様を頼りなさい」
赤髪の少女は、パチクリと目をまばたかせて振り返る。
「え、センセイ?
どうしたの、急に」
相手は、白髪まじりの年配の女性研究者。
「……いや、よく昔の記憶を整理してみたんだ。
当時、<帝都>に居て、最も影響力のあった人物は、ってね」
「でも、『極星・剣神』 ――
―― 帝国どころか世界最強の魔剣士なんでしょ。
そんな有名すぎる大英雄だと、接触するの難しくないの?」
「彼はまだ、その頃は士官学校か、その上の上級士官学校か、どちらかに居たはずだ。
―― 『まだ学生の魔剣士が<黒炉領>の魔物の大侵攻で活躍した』とか。
そんな噂話を聞いたのを、昨日の夜に思い出したんだ」
「んん~……
同じ<帝都>の大英雄なら、天剣マァリオとか封剣リノ&カミロとか。
まだそっちの方が、接触しやすいんじゃない?」
赤髪の少女・ルーンは、疑問の声。
彼女がセンセイと呼ぶ年配の女性研究者は、新しい提案を力説する。
「いや、むしろ『剣神』様に接近する機会は、この時にしかないだろう。
この時の彼は、まだただの学生。
魔剣士の名門流派だとしても、一般人とそう扱いが違わないはずなんだ」
「なるほどね……。
だから、過去ならまだ接触のチャンスがあるって事ね?
有名になる前に会って、味方に引き込めって事ね。
―― OK、任せて!
歴史の知識をフル活用して、ミステリアスな予言者になってやるんだから!」
赤髪の少女・ルーンは、了解したとグッと親指を立てる。
そして、何か思いついたように、質問をする。
「あ、それじゃあ!
カイラ様にも、お近づきになれたりしちゃうかなぁ!?」
「『二等星』の『平穏のカイラ』か……。
なるほど、君は彼女のファンだったなぁ」
▲ ▽ ▲ ▽
―― 公女カイラは対魔族国家連合の英雄『二等星』の中でも、特に人気のある女傑だ。
彼女は、都市が魔族軍に包囲された時、自ら人質を申し出た事がある。
魔族たちは降伏を受け入れて、城門から出てきたか弱い令嬢と女中たち数人を捕らえた。
しかし、その降伏も人質も、全ては女傑カイラの策略にすぎなかった。
敵将の目の前に連れて行かれると、特級魔剣士という才色兼備の公爵家の姫カイラは、数人のお付き女中と共にスカートの中に隠してた短剣で襲いかかったのだ。
結果、見事に敵将の首級をあげて、敵陣営のテントを飛び出た。
その勇姿に市民は、城壁の上で飛び跳ね、喝采を上げる。
逆に恐慌に陥ったのが、魔族に従っていた敵兵達。
―― 騙し討ちにあった。
―― 敵軍は無数の兵を隠して、反撃の機会をうかがっていたのだ。
―― 逆に自分たちが皆殺しにされるのだ。
戦況の混乱で、そんな勘違いをして、蜘蛛の子のように散り散りに撤退した。
その間に、市民と生き残りの兵士達は、滅びかけた都市からの脱出を成功させる。
文武共に優れた公女殿下は、そのために市民へ『自分の行動を城壁の上から見守ってほしい』と伝えていたのだ。
人質として城門を出る前に行った演説、『公爵家の一員として必ず、帝国の民に平穏の未来を約束します』という一節が、そのまま彼女の渾名となった。
つまり、『平穏の守護者カイラ』。
やがて、『平穏のカイラ』と呼ばれる様になった。
▲ ▽ ▲ ▽
黒髪に白髪がまじる女性研究者は、少し考えた後、首を振って否定する。
「でも彼女は、公爵家の令嬢だからね。
立場と肩書きが大きすぎる。
まだ学生の身分だろうけど、身辺警護は厳しいだろうし、近づく事も難しいだろう」
「はぁ……。
そうなんだぁ、あ~ぁ……」
赤髪の少女ルーンは、ため息。
そして中空を睨んだ。
彼女の視線の先には、『偽りの空』と『偽りの太陽』。
視線を下げて左右を見れば、白く頑丈な素材不明の壁が大きな円を描く、ここは建物の中のホールだ。
屋内の円形広場の壁には、所々に開放的な窓があり、その向こうには『偽りの景色』すら映っている。
草原をゆったりと歩く、動物たちの大群。
海面からしぶきを上げて飛び上がる、強大な生物。
茜色の雲の合間を自在に飛び回って遊ぶ、空の王者達。
そして緑豊かな庭園で談笑する、不思議な格好の人々。
それらは幻像魔法で記録された、遙か古代の光景だという。
幻像を名残惜しそうに、いつまでも見ていそうなルーンの注意を、白衣の年配女性がゴホン!という咳払いで引き戻す。
「―― ああ、『剣神』様の話の続きだが。
その名声が世界中に轟いたのは、<帝国4剣号>統一トーナメントである『剣神杯』で優勝した時だ。
もちろん、優れた魔剣士だから武門や士官学校では有名だったかもしれない。
だが、私のような専門外の人間や一般人には、まだ名前は知れ渡ってなかった」
「へぇ~。
そう言われてみれば、『剣神』様って魔族討伐以前の話って、ほとんど無いわよね。
―― ところでセンセイ、今の<帝国4剣号>って何?」
「昔、あったのさ、そういう魔剣士の称号が。
剣王、剣聖、剣……、けん……ん~、あと二つは何だったかな?」
「まあともかく、その<帝国4剣号>って物が無くなって、代わりに『剣神杯』が出来たワケね?」
「ああ、その通りだ。
帝国最強に留まらず、世界最強の魔剣士を決めよう ―― そんな謳い文句だった。
武門の関係者は結構反対していたらしいね。
なんでも、称号の名称に問題があるとか、そんな話だったかな?」
「あ、ワタシ、それ記録書で読んだ。
なんでも『剣神』が古代12神に関係する名前だから『不敬だ』とかそんな話で反対された、ってヤツだ。
でも、それも『神王国が不穏な動きをしていたから、剣神が挑発するためにあえてその異名を名乗った』って書いてあったわ」
少女の説明を聞いて、大分と白い髪が混じってきた壮年女性は、柔らかく微笑む。
「『極星』に『一等星』、『二等星』。
ちゃんと大英雄たちの名前や経歴は覚えているみたいだね」
「そりゃもう、小さい頃からずっと聞かされて育ったしねー。
最近はワタシが、小さい子に話してあげる番になったし」
赤髪少女ルーンは、少し照れくさそうに答える。
すると、第三の声が混じる。
洞窟の中から響く様な、不思議な反響のある声。
『おや、偉いね。
勉強の合間に、ちゃんとおチビちゃん達の面倒も見てたのかい』
少女が目線を向けると、異様な声の主は、巨大な首をもたげて黄金色の目をむけてくる。
「当たり前じゃない、飛竜の太母。
おジイちゃん達も畑仕事で忙しいんだから、若者がガンバらなきゃ!」
『おやおや、そうかい。
ではガンバリ屋の良い子に、この飛竜の始祖が祝福をしてあげよう。
こっちにおいで』
「うん、お願い!」
少女は長い赤髪を尻尾の様に揺らし、飛びつく様に巨大な顔に抱きつく。
それは、老いた白い巨竜。
人間などひと噛みでバラバラにできる巨体が、優しく頬ずりをしてから、長鼻の先をゆっくりと近づける。
大きな牙の合間からチロリと出た赤い舌先が、少女の額をなでた。
「ありがとう、飛竜の太母!」
『こちらこそ、小さな勇士。
世界を救う英雄の助力になれて嬉しいよ。
貴女の誇りである赤い髪が、遠く過去の世界で、逞しく羽ばたく事を祈っておくわ』
「ワタシも! 飛竜の太母とセンセイの幸運を祈ってる!!」
老齢で巨大な白い雌竜と、それに比べたら格段に小さな人間の少女が、お辞儀を交わし合う。
別れの儀式だった。
▲ ▽ ▲ ▽
老いた白竜は、それだけで疲れてしまったのか、持ち上げていた長い首を床に下ろす。
そして、彼女にとっては小さな、しかし周りの人間にとっては突風のような、鼻息をひとつ。
『何をむくれているのさ、宮廷魔導師。
この子の教師なら、困難に向かう生徒に祝福のひとつでもしてあげなさい』
「あ……、え……っ
その……、いいのか、な……。
そんな、わたしが……?」
「センセイも、お願い」
困惑する壮年女性に、ルーンは両手を広げて近づく。
すると壮年の女教師は、目を潤ませて目蓋を閉じ、少女を強く抱きしめた。
「行ってらっしゃい。
私の初めてにして、唯一の生徒っ」
「行ってくるね、ワタシの恩師。
そして、2番目の育ての親!
ワガママで意固地できかん坊で生意気な娘でゴメンね! 愛してる!」
女教師は、腕の中の少女の言葉に、ついに涙を決壊させる。
小さな嗚咽をあげながら、心情を吐露する。
「君を……君を!
あんな苦しくて絶望しかない、終末戦争なんか味わわせたくはない!
人類が容赦なく滅ぼされ!
竜の助力を借りても、どうにもならなかった!
あの『砂嵐』の様な滅亡に立ち会わせたくない!
出来たら、この私が代わってやりたい!」
「ダメだよ、これだけはワタシの役目だもん。
あの時代に生まれてないワタシだから、時間を遡っても、きっと支障がでない。
―― そうでしょ、センセイ?」
少女がそう言って身を離す。
壮年の女性は、もう一度、赤髪少女ルーンを優しく抱きしめて、ほおにキスをする。
『時を超える』という前代未聞の試練に立ち向かう生徒への、精一杯の祝福だった。
「ああ、解ってる。
行っておいで、私たちの、人類最後の希望の娘」
「センセイ、飛竜の太母。
ララとベルの双子の相手、お願いね。
『イヤだ、お姉ちゃん行かないで』って泣き疲れて寝ちゃったから、きっと起きたらまた大騒ぎすると思うし」
そして少女は、『偽りの空』と『偽りの景色』が映る円形広場の端に置かれた、鳥かごのような装置に入っていく。
残された大人の女性2人 ―― 人間の宮廷魔術師と、飛竜の太母は明るい声をかける。
「ああ、任せなさい。
私だって、泣くダダっ子の相手は慣れたもんだよ。
君という悪い生徒のお陰でね?」
『気分屋のおチビ達の事だ。
また、この私の身体を上り下りして遊んでいれば、その内ご機嫌になるさね』
―― ついに、3者の別れの時。
「<四彩の姓>の『赤魔』一族、最後の娘。
ルーン=ルベル、14歳、行って参ります!」
少女は、気取った敬礼をして。
一瞬で姿を消した。
▲ ▽ ▲ ▽
少女がいなくなってしばらく。
広大な屋内の円形広場は、一気に暗くなる。
雰囲気だけの話ではない。
明るく広場を照らしていた照明や、映像が全て消されてしまったのだ。
彼女たちに残された時間は短いとはいえ、エネルギーは大切に使わないといけない。
そんな薄暗くなったドーム状の室内。
残ったのは、2者だけ。
年老いた竜の母と、壮年女性研究者の、しんみりとした声だけが響く。
『なんとか、期日までに送り出せたね』
「ああ、飛竜の太母。
貴女のお陰です。
ところで…… ――」
『―― なんだい、宮廷魔導師。
言いにくそうに、口ごもって』
「どうして貴女たち、神秘の森の飛竜は、我々人間を助けてくれたんだ?
確か、記録上では、南方大陸・三等領地の開拓の際に、我々帝国が ――」
『今さら、過ぎた事を!
いちいち掘り返すんじゃないよ、宮廷魔導師っ』
「ご、ごめんなさい……っ」
まるで、教師に叱られた生徒のように、白衣の女性研究者はうつむく。
そんな、老いたとはいえ、自分より遙かに年下の生命に、雌竜は小さく謝罪する。
『フゥ……、すまない。
怒鳴る事じゃなかったね。
たしかに同胞が殺された事に、遺恨はある。
残された血族の子達に、なんで人間なんかを、と恨み言を言われた事もある』
「では、どうして……?」
『似てたのさ、あの娘の養母が』
「養母? ルーンの?
メグ=ルベルの事ですか?」
『ああ、そんな名前だったか。
私のかつての飼い主に、よく似ていた』
「か、飼い主!?」
薄暗い室内に、驚きの声とガタンと椅子を蹴る音が響いた。
『何を驚く事がある、宮廷魔導師。
古代文明の研究は専門分野だろ?
なら知ってるはずだ、古代魔導文明は飛竜すら飼い慣らした事を』
「それは……、でも……、本当に?」
『ここに生きた証がいるだろ?
もっとも、もう耄碌して空を羽ばたくどころか、地を這う事すら精一杯だがね』
「そんな、事が……本当に……?
古代魔導文明……いったい、どれほどの……」
『話を続けるよ、宮廷魔導師?』
竜の老母は、考え込む話し相手に、呆れ混じりの声。
そして、昔を懐かしむ様に金色の目を細めた。
『<四彩の姓>は古代魔導の血を、最も濃く継いでいる。
きっと本当の事なんだろうね。
あの子の養母、メグといったかい、その人間には彼女の面影があった。
あるいは、匂い、魂の質、そういう物が似ている気がした』
「な、なるほど……」
『彼女はキャラキャラと明るく笑う女の子だったよ。
私がまだ幼くて、病やケガで苦しんだ時は、いっしょに寝てなぐさめてくれた。
とても優しくて、いい匂いのする子だった』
「…………」
『あいにく私が大きく育ちすぎたから、彼女が大人になる頃には一緒に住めなくなった。
それでも、月に何度かは会いに来てくれた。
そして彼女を背に乗せて、一緒に出かけたもんさ。海の向こうの離れ小島を巡って変わった果物を探したり、山の頂の雪を見に行ったり、人の居ない荒野にまで飛んで夜空の星を数えたり。
どれも大切な思い出だ。
今でもキラキラと輝いている』
「幸せ、だったんだな……」
『ああ、そうだね。
そして、幸せは長くは続かないもんさ、本当にね。
あれは、彼女が子どもを何人か産んだ頃か。
やがてはその子達も背に乗せて遊びに行こう。
そんな話をしている内に、いつの間にか古代魔導文明は滅んでしまったんだから』
「どうして?」
『さあ、どうしてなんだろうね。何が原因だったのか。
あまりに急で、あまりに静かな滅びだった。
常に小春日和の巨大な檻の中で、のんびり暮らしていて、食事や身の回りの一切を任せっぱなしだった。
そんな、私たち飼われ飛竜には、なんとも知り得ない話さ』
「…………」
巨大な飛竜の声には、親しい人々の死を悼む、悲しい響きがあった。
―― そして、壮年の女性研究者は、黙って話の続きを待つ。




