194:噴煙を上げる
(まさか、帝国の国威発揚である『武闘大会本戦』で命を狙ってくるなんて……)
僕・マァリオは、予想外の窮地に陥っていた。
彼ら、帝国の旧・暗部の構成員が、僕ら『帝室の密偵』(つまり帝室親衛隊調査班)を激しく敵視している事は聞かされていた。
なにせ、彼らの唯一の生業を奪った形なのだから。
我々『帝室の密偵』はまだ20年も経たないような、歴史の浅い組織。
だからこそ、当時まだ現役だった『旧・暗部の構成員』も多く生き残っている。
(しかし、まさかこんな直接的な手段に出てくるなんて……)
それも、帝室関係者・有力貴族・同盟国の貴賓といった、多くの要人が見守る、こんな表舞台で仕掛けてくるなんて。
(いや、むしろ……だからこそなのか……?)
―― あんな日の浅い若造連中より、我々の方が優っている。
そう見せつけたいのかもしれない。
自分たちを無慈悲に捨て去った、元の飼い主たちに。
「まずい……ッ!
魔法毒の類いか……身体が、動かない……いぃッ」
僕・マァリオも、さすがに死を覚悟した。
暗部の連中が手を回し、こうやって姿を現しているなら、関係者は全て抱き込まれいる。
もはや、どこからも助けは無い。
僕はただ、なぶり殺しにされるだけ。
―― そんな予想が覆る。
あらゆる意味で常識外が、乱入してくる。
―― 救援は、魔剣士すら圧倒する『未強化』の剣士。
今もまた、理解不能なほどに高い技巧をもって暗殺者を天高く投げ飛ばし、『高所落下』または『墜落』としか言い様のない形で叩きのめしていた。
かの『剣帝』様の一番弟子、ロック君。
好敵手の兄弟子であり、『存在するはずのない強者』。
彼は、ある意味、僕・マァリオの所属の先輩・『月下凄麗』の同類だ。
―― この世界を書籍に例えるなら、『誤植』のような存在。
―― 急に降って湧いた、まったく脈略のない、意味不明で理不尽な、『異常』。
そんな彼の、久しぶりに見る女性のような小柄な背中が、今は何よりも頼もしい。
▲ ▽ ▲ ▽
「ロック君……」
(君は、いつも運命の交差点で現れるんだね)
僕、マァリオ=スカイソードは、そう思わずにはいられなかった。
―― 例えば、<翡翠領>の1年前の春の日。
真実を告白すれば、僕は最初から『あの依頼』にアゼリア君を巻き込むつもりだった。
つまり、僕と伯仲する実力の<御三家>黄金世代がもう1人居て、『なんとかなるか』という程に切迫した一件だったんだ。
あの時に語った『ギルドの極秘調査』という説明なんて、まったくの嘘だ。
あれは『帝室親衛隊の調査班』の任務だった。
そもそも、本当に『ギルドの極秘調査』であれば、冒険者ギルド直属の調査要員・妖精部隊が動くのだから。
―― 例えば、<帝都>の数ヶ月前の冬の夜。
僕・マァリオと先輩・『月下凄麗』という2人の特級戦力を主軸とした、ある作戦の準備が進められていた。
皇帝陛下のお膝元であるここ<帝都>に入り込んだ、かの『黄金色の悪夢』金貨の12番を排除するためだ。
帝室から『密偵』へ下された、最優先任務だったと聞いている。
成功率は6割を切る。
万全の策と罠を張り巡らせ、対象を死地に誘い込み、僕ら帝室親衛隊調査班の2人の特級戦力が命がけで戦った上で、『6割』だ。
例え、運良く生き残ったとしても、五体無事では済まなかっただろう。
「―― さて、どうするんだ?」
そんな、幾度となく僕の運命を好転させた、命の恩人も同然の同世代男子が聞いてくる。
「もちろん。
この『魔物退治の試練』を突破して、トーナメント決勝に進むさ」
「またコイツ、やたらとドデカイ魔物だぜ。
マァリオ、お前イけるのか?」
「もちろん」
「魔法的な毒くらってヘロヘロなのに?」
「もちろん」
「つまり、俺は手伝わなくていいんだな?」
「もちろん!」
僕は、一層の気迫で答える。
すると、彼ロック君は、ヘッと小さく笑った。
「意地っ張り」
「まあ、ね!」
ロック君やアゼリア君に肩を並べるためには、こんな所で弱音なんて吐いていられないからね。
「じゃあ、お邪魔虫どもは俺が引き受けよう。
この魔物、相当に土魔法の装甲が硬いらしいぜ。
気張れよ天才児?」
そう告げると、彼は踵を返して、競技舞台の外へと去って行く。
ロック君は、すれ違い様に、トン……ッ!と背中を軽く触れていった。
「ああ、見ててよ。
この1年で上達した、この僕を……ッ」
軽く裏拳で叩かれた、背中の中心がジンジンと熱い。
彼のどこまでも真っ直ぐな、まるで真夏の太陽のような正義心の火が、僕の背中に燃え移ったような気さえする。
「フ……ッ
不意打ちの吹き矢で毒を受け ――
装備は試合用剣と式典装甲 ――
副武装の<短導杖>は安全な下級魔法で魔物に通じない ――
しかも、相手は脅威力4以上の未知の魔物、か…… ――」
自分の状況を再確認し、指折り数えれば、思わず笑えてくる。
「―― ああっ、まさに最高の場面じゃないか……!?
さあ僕自身よ、絶体絶命からの大逆転と征こう!
最強の好敵手たちに『負けてないぞ!』と魅せてやろう!!」
震える声で、奮い立つ。
数分前には萎えかけていた戦意が、今は炎のように燃えさかる。
毒に青ざめ、氷のように冷え切り、死の恐怖に震えていた、さっきまでの自分自身がウソみたいだ。
「<天剣流>第5席次・マァリオ=スカイソード、いざ参る!」
試合用<正剣>の剣身に映る僕の顔は、不敵に笑っていた。
▲ ▽ ▲ ▽
その『異常な者』が、立ち尽くす黒装束の方を振り返り、
「おい、ザコ暗殺者ども。
ちょっと俺と一緒に、こっちに来い」
そう言った直後に、ガシャァ……ン!と鳴った。
競技舞台を囲む鉄網に数本の線が走り、その高圧電流の檻の一面が四角く切り抜かれたのだ。
成人男子が1人通れるくらいの『出入り口』が作り出される。
『………………』
今いったい何をした? ――
―― と、問い質したくなるのを必死に抑える。
少なくとも、剣術ではないだろう。
腰に差した<小剣>を接触させれば、電流が伝って感電するはずだ。
となれば、何か攻撃魔法の類いか?
黒装束3人で視線を交わし、そんな予測を立てる。
「おい、早く出て来いよ。
士官学校生徒さんの邪魔になるだろ?」
『…………』
言われて、改めて『暗殺対象』マァリオ=スカイソードの方を振り返る。
キィンッ、ゴォン!と、剣の2連撃を魔物の巨体へ叩き込んでいた。
<天剣流>を代表する2連斬、『鎌風鉞雷』。
切傷風のような鋭い切り上げの、走行剣。
その走力を跳躍に転換し、追い打ちの落下斬。
つまり、速剣と剛剣という異なる質の撃剣が、ひとつの技として繰り出される。
まさに、魔剣士<御三家>の『杖剣型』!
恐るべき技巧の剣技。
黒装束3人も剣士の端くれ、100年に1人という天才の腕前に、思わず目を奪われる。
―― すると、乱入者は焦れたように声を荒げる。
「おい、早く!」
『…………』
黒装束3人は、迷った挙げ句しぶしぶ従う ――
―― そう見せかけて、一気呵成に必殺の策を組み上げる。
『【浮遊】!』
先行の1人が、飛翔魔法より操作が簡易な浮遊魔法で高くジャンプして襲いかかる。
「チ……ッ」
魔法を併用した高機動攻撃は予想外だったのだろう、小柄な人物は後退しつつ、腰の<小剣>に手を伸ばす。
その瞬間、先行の1人目を囮にして自力詠唱の時間を稼いだ、中級攻撃魔法が『チリン!』と発動音を鳴らす。
『【大奔流】!』
荒れた海の大波を思わせる、大水量が押し寄せる。
「水の中級魔法か!」
その通り、対魔物用の軍用魔法だ。
『未強化』などひとたまりもない範囲と威力。
しかし相手は腕利き、しかも実戦の魔法使用に長ける『接近戦闘型の魔法使い』という異常者。
あるいは、ここまで予想はしていたのかもしれない。
憎々しい事に、その女顔は眉ひとつ動かず、焦る様子もない。
「だったら……っ」
乱入者は、迷いなく的確に、そして機敏に動く。
大水流のわずかな隙間、つまり高波と高波の間にある水量の少ない所から、強引に突破する気だろう。
しかし、乱入者がいくら魔法戦闘の熟練とはいえ、
『―― 【水変曲:凍獄氷囚】ッ』
流石に、この『水魔法を凍結させる特殊魔法』は予想外だろう!
3人目の黒装束が発動した秘術的魔法が、押し寄せる大波を瞬間的に激変させた。
2~3m程の水の柱が10も20も林立して、それが凍り付く。
まるで、ツララを逆さにして乱雑に並べたような、氷の牢獄。
そこに、『先行の1人目』が『チリン!』と再度の魔法自力詠唱。
『【烈火円】ッ!』
人間の頭の3倍はあるだろう、炎の球体。
大玉カボチャ程の魔法を、両手で抱え上げて投げつけるような動作で、空中から叩き込む。
こちらもまた、対魔物用の軍用魔法。
それも虫型魔物を5体10体はまとめて焼き殺す、とびっきりの攻撃魔法。
今さら下級の防御魔法の発動なんか ―― 機巧発動は当然として、宮廷魔導師のような達人の高速自力詠唱でさえ ―― 間に合うはずもない。
いかに『月下凄麗』に比肩する実戦魔法の達人といえど、所詮は『未強化』の凡人。
氷の牢獄【凍獄氷囚】により身動きを封じられた状態では、為す術はないのだ。
▲ ▽ ▲ ▽
浮遊魔法で10m近く飛び上がった黒装束が、太陽の似姿のような大火球を掲げて、死を告げる。
『悪夢のような使い手よ!
貴様ひとり、ひと足先に地獄に行って待ってい ――』
―― ボオォン!と声を遮る破裂音。
【烈火円】が、黒装束の手元で破裂した!?
自力詠唱を失敗し、制御不能になったのか!
いや、しかし……何か一瞬、火炎の大玉が真っ二つに割れたようにも見えたが……?
【浮遊】で空中浮遊していた『先行の1人目』が、砂地の地面に叩き落とされ、ゴロゴロと転がってくる。
『……不意打ちで1人討られたからと、焦りすぎだ』
黒装束が助け起こす。
厚手の防刃繊維が衝撃と高熱を防いだのか、『先行の1人目』は無事のようだ。
『―― “噴煙”だ。
“噴煙”を上げろ……ッ』
彼は、黒頭巾の上から頭を抑え、切羽詰まった声を漏らす。
『は……?』『どうした、いきなり……』
黒装束2人は、突拍子のない発言に困惑する。
しかし彼は構わず、掌印を決まった順番で組み始める。
記憶を想起する特殊な暗記術だ。
『切り札』の自力詠唱のため、極限の集中状態に入ったのだ。
―― すると、少し離れた場所で『チリン!』と自力発動の音。
ドシャン!ガシャン!ガランッガラァー……ン!と、耳をつんざくような破壊音が続く。
『!?』『なんだっ』『クッ……』
黒装束3人が一斉に音の方に振り返れば、そこにあったはずの氷の牢獄が崩壊していた。
腰の高さで、木の切り株のような痕跡だけ残し、逆さツララのような氷の柱が倒れて砕け散っていた。
「つまらんマネをするな。
この程度の魔法で、俺に勝てるワケないだろ」
乱入者は、武器で自分の肩を叩くような、無造作な体勢。
しかし、何よりもの問題は、その鞘から抜き放たれた『武器』の種類だ。
『ナ、模造剣……だとっ!?』
『まさか、あんな物で氷を切ったのか?
氷の硬度は、鉄に等しいんだぞ……!』
『……何か、特殊な魔法剣のようだ。
気をつけろっ』
先ほど『先行の1人目』が、『噴煙』と切り札の符丁を口走った理由が、ようやく理解できた。
この乱入者は、こんな外見をしながら ――
―― 真に、帝都最強の暗殺者『月下凄麗』と同格の、『人外』なのだ。
「剣術で来い。
なんなら、3人同時でもいいぞ?」
麗しい少女のような面貌。
魔導三院の赤い式典服に包まれた小柄な肢体。
何より、一切の脅威を感じないほどの脆弱な魔力量。
そんな姿形をした『死神の化身』が、無慈悲に手招きをしていた。
▲ ▽ ▲ ▽
背中に12の燭台を背負う、そんな異形の魔法陣。
これが、『噴煙』という符丁で呼ばれる、黒装束の切り札。
『―― 【アイトネの山火】……ッ』
魔法の自力発動音が『チリン!』と、3回鳴る。
黒装束の1人が、闘技場メイン会場の砂地に、ズダン!と<中剣>を突き刺した。
そして、火魔法の至近距離暴発で焼け焦げた面覆を震わせる、裂帛の気合い。
『往くぞ!』
裏稼業の人間が、大声を上げる。
当然、それは幻惑行動だ。
剣を地面に突き刺したまま、ジッと睨み付けるだけで動かない。
その1人を囮として残し、他2人が行動する手はずだ。
黒装束2人は、特殊な【特級・身体強化】魔法で倍増された速力で左右に分かれ、闘技場メイン会場の外郭へ向かう。
競技舞台と観客席を分断する、高さ5m程の石壁だ。
石壁に量産品<中剣>の剣身を押し当てて、直径200mほどの円形のメインステージ外縁を高速周回を始める。
黒装束2人が特級の速力で、石材と金属との摩擦で火花を散らしながら、ひたすらに駆け回る。
ガリガリガリガリ……ッ!
ガリガリガリガリ……ッ!
乱入者からすれば、正面で威圧をかけてくる1人と、遠巻きに意味不明な行動をする2人。
注意が散り、対応に迷い、身動きが取れなくなる ――
―― それこそが、この陣形の狙いだ。
つまりは、『時間稼ぎ』。
前準備に時間がかかる『必殺の切り札』を仕上げるための、幻惑だ。
ガリガリガリガリ……ッ!
ガリガリガリガリ……ッ!
相変わらずに黒装束2人は、円形壁面の内側を削るように高速周回。
ついに、その周回が直径200m超のメインステージ1週目を終えて、2週目へと突入する。
『カァッッ!!』
乱入者は、そろそろ『時間稼ぎだろう』と見切っただろう ――
―― そのタイミングを読んで、正面の黒装束が機先を制する。
地面から剣を抜くと、一気に駆け出して強襲をかける。
果たして、あの実戦魔法の達人は、黒装束の背にある魔法陣『12の燭台』に火が灯る、という微小な変化に気づいていただろうか。
『端麗なる死神よ!
霊峰の怒りに呑まれて、死ねぇぇぇぇ!!』
―― ドォオオンン!!と、炸薬の発破で巨岩を割ったような、大音響。
駆け寄り<中剣>での一撃。
それが、上級攻撃魔法のような桁違いの破壊力を発揮する。
あの恐るべき乱入者を砂地の地面ごと ――
そして自ら振り下ろした錬金装備<中剣>ごと ――
―― 全てを木っ端微塵と粉砕して、砂煙を巻き上げた。
例え、噂に聞く『西方の英雄』神童カルタが、特級【剛力型】を極めたとして、決して到達し得ない破壊の極み。
―― まさに、黒装束の失われた故郷の象徴・霊峰アイトネ山が噴火して噴煙を吐き上げた、かのように!