191:アゼリア=ミラーの消失(下)
武闘大会の学生枠トーナメント1年女子の部も、ついに決勝戦。
<帝都>闘技場のメイン会場で、アゼリア=ミラーが声を震わせていた。
それは決して『武者震い』の類いではない。
「……なん……て、……言いました、の……貴方……」
もし、向かい合っている相手が、約1年の付き合いがある『同学級の少年少女』であれば、血相を変えていただろう。
あるいは、特に仲の良い女友達3人が飛んできて、なだめていただろう。
―― 虎の尾を踏む。
―― 竜の逆鱗に触れる。
今まで『このような機会がなかった』理由は、彼女の所属が下位学級ゆえに、だった。
『下位学級』の彼らを、あえて悪く言えば『負け犬の群れ』。
傷をなめ合うだけの、闘争心も競争心もない、武門として恥ずべき連中。
しかし、視点を変えれば『現状や境遇を受け入れた者たち』とも言える。
平穏と友好を愛する、のんびり穏やかな気質のクラスメイト達ばかりだ。
ガツガツと競い合い、争い合う。
時に、押し退け合い、奪い合う。
場合によっては、足を引っ張り合い、踏みつけ合いもする。
そんな、上昇志向のエリート達には無い、美点がある。
―― つまり、気遣い、だ。
両親に恵まれず、不幸な幼少期を過ごした少女が、『親代わり・保護者代わり』を買って出た同年齢の少年の事を、どれほど大切に思っているか。
それを知る同じ学級の生徒達は、うかつに兄弟子の事を悪く言ったりしない。
―― 例え、世間では嘲弄混じりで語られ、悪評と侮辱にまみれた、『落ちこぼれ』の、『出来損ない』の、『腑抜け』の、『魔剣士の成り損ない』の、兄弟子だと噂に聞いていても。
―― あるいは、天才児アゼリア=ミラーの引き立て役で、みすぼらしい敗者だと、面白おかしく語られていても。
それは、彼女アゼリア=ミラーが、<封剣流>直系で、『剣帝』の後継者で、同世代を逸する魔剣士だから ――
―― では、決して無い。
ただただ、クラスの友人の一人として、善良なる隣人として、いち人間として、重んじたからこその『気遣い』。
成績という、数字の高い低いでしか他人を測れない、上位A・Bクラスのエリート達には解らない感覚だ。
彼らは、生来から自分自身が『そう』扱われてきた。
だから、『そう』としか他人を扱う術を知らない。
「―― ヒュ……、ハッ」
引きつるように息を吸い、鋭く吐き捨てる。
対戦相手は、銀髪少女の異様な様子に気づかないまま、失笑混じりの声で続ける。
「なんでも、『その男』。
落ちこぼれの分際で、いまだに流派に居座っているのでしょう?
恥知らずな事に」
別に、対戦相手の公爵家令嬢・カイラ=バントゥーノに悪意がある訳ではない。
むしろ、その逆。
憧れた同世代・同性の英雄『剣帝流の後継者』への、好意からの発言であった。
ただ、致命的な勘違いがあると、まったく知らないまま。
無邪気な程に、善意の言葉で、憧れの相手の心を踏みにじる。
「アゼリア=ミラー、貴方だって。
厚かましくも先輩面する無能者に、辟易としていたのではなくて?」
―― 逆鱗を痛撃された。
―― 尾を踏みつけられた。
―― 心の傷を癒やしてくれた、最も尊い者を侮辱された。
この士官学校に通う1年の間で、初めて声を失う程に激怒させられた銀髪の少女は、
「―― ~~~~~~~ッ!!?」
蒸気の勢いで吐息。
目尻と口の端を、つり上げる。
緑の瞳は、心火を吹き上げるどころか、凍てつくほどに冷たい光。
激怒が、灼熱を遙かに超えて反転、絶対零度にさえ至ったのだ。
―― 悪夢が、始まった。
▲ ▽ ▲ ▽
「貴方、カイラ=バントゥーノ ―― とおっしゃましたか?」
「え、ええっ、そうです!
1年A学級で筆頭は、わたくしカイラです!」
静かなアゼリアの呼びかけに、対戦相手の褐色少女は勢いよく答えた。
今にも飛び出していって、抱きつかんばかりの熱意のこもった声。
しかし、アゼリアの続く言葉は、ひたすらに静かなまま。
「『魔剣士に勝つ、魔剣士ならざる者』。
例えば、そんな話をして、信じますか?」
「……なんの、話ですか?
そんな者、居るはずがありません」
公爵家令嬢がピシャリと断言すると、アゼリアは目を閉じて口だけで笑う。
「ええ、そうですわね。
例えるなら、『この鞘で、この剣を斬る』ような、矛盾」
「その通りです、あり得ませんっ
―― いったい何が言いたいのですか、アゼリア=ミラー?」
褐色少女が訝しむ。
銀髪少女は、それに答えるように、ヒョイ……ッと自分の剣を投げ上げる。
そして、試合用<正剣>が落ちてくるタイミングに合わせて、腰から外した鞘を下段からすくい上げるように振る。
「あら、斬れました」
キ・キ……ィン!と石畳を跳ねた試合用<正剣>は、剣身の半ばで二つに分かれた。
「―― な……っ!?」
公爵家令嬢・カイラは、驚愕に顔と声を引きつらせ、後退る。
それから数秒ほど遅れて、解説席の驚愕の声が、<魔導具>で増幅されて大音響で響いてくる。
―― 『な……、な、なんだ今のはっ!?』
―― 『ア、アゼリア=ミラー選手が……!』
―― 『まるで、鞘で<正剣>を斬ったようにも、見えましたが……?』
―― 『いや、そんなはずは無いでしょう!!』
―― 『あの鞘は補強があるとはいえ、木製ですよ!?』
―― 『試合用<正剣>は模造剣とはいえ、錬金金属製ですよ!!?』
悲鳴じみた拡声器の声は、会場に居合わせた全員の心の代弁でもあった。
観客席もざわめきが盛り上がり、しかし、すぐに波が引くように静かになる。
渦中の人物・『剣帝流の後継者』が、一歩進み出て、口を開いたからだ。
「これが、お兄様が ――
―― このアゼリア=ミラーが兄弟子と慕う方がつくりあげた、剣帝流の新たなる秘技【断ち】。
他流派の方は、わかりやすく『斬撃の魔導』などとも呼んでいるようですが」
「―― ……ぁ、……あっ、あり得ません!!」
褐色少女カイラは、口先では否定しているが、その体勢は完全に及び腰。
未知の脅威に対して、超人の戦士・魔剣士として鍛えられた直感が、最大級の警戒警報を発しているのだ。
「では公爵家の方、お見せいたしますわ。
模造剣を<聖霊銀>の宝剣に変える、必殺の斬撃。
それに、師・剣帝が作り上げた新鋭の身体強化魔法【五行剣】を組み合わせれば、どうなるか?」
銀髪少女アゼリアは、無造作に左手を前に突き出す。
その手首の周りに、精緻な魔力の文字が並んでいく。
そして、その魔法の術式<法輪>が一回転して、『チリン!』と鈴の音に似た音を上げた。
「【五行剣:火】。
―― さあ、参りますわよっ」
アゼリアが、木製の鞘を剣の代わりに構え、その背中に赤い魔法陣が出現すると、姿がかき消える。
「クゥ……ッ!」
公爵家令嬢カイラは、及び腰だったからこそ、回避の初動が間に合った。
左方向へ横っ飛びして、さらに石畳を転がる。
さきほど、脅威力2の魔物の中でも強敵である<樹上爪狼>と勇敢に単身で戦い、見事に退治してみせた、天才的な魔剣士であっても回避が精一杯。
「遅いですわよ?」
しかし、そんな超反応の回避さえも、同世代最強の少女の前では無意味。
まるで、石畳の上で転身した褐色少女が立ち上がるのを待っていたかのように、アゼリア=ミラーが目の前に出現する。
「―― ヒィ……ッ!」
公爵家令嬢が、その強気と余裕の表情を崩して、悲鳴。
果たして彼女は、防御しようとしていたのか、あるいは迎撃の剣を振りたかったのか。
―― チィィ……ィン!と金属の断末魔のような音が響き、1.5mほどの諸刃の剣身が落ちる。
試合用<正剣>が、その鍔のすぐ上から斬り落とされていた。
そう、アゼリア=ミラーが持つ、刃のない鈍器『木製の鞘』によって。
▲ ▽ ▲ ▽
褐色少女カイラの両手には、剣の柄と車輪型の鍔だけが残っている状態。
「……そ……そん、な……うそ……ありえ……ない……」
公爵家令嬢は、恐怖の表情で固まったまま、潰えた風船のように、ゆっくりと座り込む。
アゼリアは、そんな敗者の様子には一瞥もせずに、司会進行役の男性スタッフの方へ振り向いた。
―― 『しょ、勝者! アゼリア=ミラー!!』
冷たい碧眼に見つめられ、司会は慌てて声を張り上げる。
しかし、勝利判定を受けた銀髪少女は、不機嫌な顔で詰め寄った。
「―― 違います。
何を言っていますの、貴方?」
―― 『……え?』
「わたくし、最初に言いましたわよね?
『大会で【身体強化】魔法を使ったら反則負け』と」
―― 『…………は、ぁ?』
「と、いう訳で!
わたくし、うっかり『反則』をしてしまいましたので!!
もうこれは決勝敗退で仕方ありませんよね!?」
アゼリアは何故か、ウキウキと浮ついた口調で、自分の敗北を主張し始める。
そして、座り込んで呆然としている褐色少女に駆け寄り、その『柄だけになった剣』をかたく握ったままの両手を、やさしく祈るような手つきで包み込む。
「―― あらあら、公爵家の方!
このアゼリアを見事に下して、士官学校1年生女子の代表となったのですから!
是非是非、本戦トーナメントでも奮闘されてくださいね!
わたくしも、きっと、多分、日によっては、観客席で応援しておりますので!!」
「…………は……?」
「いえ、違いますわよ!
別に、本戦トーナメントなんかに出場してしまうと、せっかく学校がお休みなのにお友達と遊べないとか。
ハリちん先輩からお誘いの、新作お菓子の試食会にひとりだけ行けないとか。
どうせ現役<帝国4剣号>といっても、お師匠様やお兄様より弱い相手に興味が湧かないとか。
―― そんな、別に、違いますのよ?」
銀髪少女は、誤魔化すような笑顔で、一方的にしゃべり続ける。
『面倒な事が終わって解放された!』とばかりにウキウキしている様子で、本音がダダ漏れになってしまっていた。
「もう、何してますの、司会の方!
早くこちらの公爵家の方の勝利を、宣言してあげてくださいまし!」
―― 『……は、はあぁ~~~~ッ!?』
「もう! いいですわ ――」
そう言うが早いか、アゼリアは司会進行役から棒状の<魔導具>を奪い取る。
―― 『え~……、コホン!』
―― 『そういう訳で、わたくしアゼリア=ミラーは反則負けですので!』
―― 『勝者っ! えぇ~……あ、そうそう……、カイラ=バントゥーノさんですわぁ~~!!』
そして、勝手に勝利宣告をしてしまった。
傲慢不遜。
我が道を行く。
しかし、圧倒的強者。
そして、武門において『強者はなにより正しい者』。
だから、誰も異論を挟むことは、許されない。
―― そんな風に身勝手極まりなく、剣帝後継者アゼリア=ミラーが競技舞台から去った後に、
「―― うわぁあぁああああああ~~~~~!!
あぁ!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛~~~~~!!!」
公爵家令嬢カイラ=バントゥーノは、うずくまったまま、両拳で石畳を殴り続ける。
とても勝者とは思えない、悲痛な絶叫が響き渡った。
―― アゼリア=ミラーの公式記録、『学生枠トーナメント1年生女子の部・決勝戦で反則負け』