190:アゼリア=ミラーの消失(上)
武闘大会の本戦トーナメント出場に必要な『試練』 ――
―― それはもちろん、『魔物退治』。
超人の能力で人々を守る、それが魔剣士の大原則だ。
だからこそ、<帝国4剣号>という『最強の魔剣士』にふさわしいか問われる。
通常なら複数人で退治する魔物を、単身で相手取る。
見事、自力で討伐して、『最強の称号』に挑むだけの腕前と胆力を示す。
そして初めて、『武闘大会の本戦トーナメント』への出場が許されるのだ。
―― それは、『士官学生の特別枠トーナメントの勝者』でも、同じ事だ。
例え彼らが、半ば記念出場であり、本戦トーナメントの前座。
さらに言えば、貴族・武門の子弟子女の中でも特に成績優秀と『お披露目』が目的であったとしても。
「うふふ、ブチったら。
しばらく見ないうちに、また大きくなりましたわね。
これなら、もう小さな陸鮫魔物には負けないのではなくて?」
間違っても、魔物を手懐けて、大型犬と戯れるように寝転がっていい訳がない。
観客も運営も置き去りに、自宅で愛犬とくつろぐような銀髪少女。
―― まるで、その不真面目な態度を叱責するように、激しい金属音が鳴り響いた。
ガシャ~ァ……ン!!と新しい金属檻が、競技舞台の機巧で地下から跳ね上がってくる。
金属扉が開き、グルル……ゥッ!と新たな魔物のうめき声。
―― 『おぉ~っと、2体目の魔物が出現!』
―― 『運営が、やり直しを命じているのでしょうか?』
―― 『新たな魔物は、森林の狩人!』
―― 『脅威力2の中でも強敵、<樹上爪狼>だ!』
―― 『木々の枝を飛び回る身軽さと、薄い防具なら貫通する鋭い爪』
―― 『これは手強い魔物ですよ』
メェ~!と急に鋭く鳴くと、寝転がっていた白毛の魔物は身を起こした。
「ん、ブチ?」
急に石畳の上に転がり落ちた、銀髪少女アゼリア=ミラーは不思議そうな顔。
そんな飼い主には構わず、白毛黒点模様の<羊頭狗>は、新手の魔物へと向かう。
体重が数百kgの巨体が駆ければ、ド・ド・ド・ド・ドォ……!と石畳が揺れた。
その巨体の突進に、狼型の魔物<樹上爪狼>は一瞬ひるむも、すぐに飛びかかる。
高さ3~4mの大跳躍から、折りたたんだ変腕を伸ばして振り下ろす、右の長腕の爪撃!
ガァン!とヒツジのようにねじ曲がった頭角が、盾代わりになって爪撃をはじき返す。
白毛の<羊頭狗>は、ブル、フゥ……ッと荒ぶる吐息。
そして、後脚2足で立ち上がり、後脚の3倍以上は太い豪腕を振りかぶった。
メェ~~~!!怒りの雄叫びで、大気を破裂させるような巨拳の一撃!
頭角にはじき返されたばかりの、<樹上爪狼>の右長腕が、ベキボキと枯れ木のように粉砕。
ギャゥンッ……ギャィン……ヒィン!と狼型魔物が悲鳴を上げて、地面をのたうち回る。
よく見れば、粉砕された片腕からは、折れた骨が破り出ていて、鮮血をまき散らしている。
―― 『ロ、<樹上爪狼>が、1撃……!?』
―― 『……い、いくら<羊頭狗>が相手とは言え』
―― 『<樹上爪狼>の代名詞である、あの長腕がたった1撃で粉砕っ!?』
実況と解説は絶句。
しかし、当然の結果だ。
大型犬並の<樹上爪狼>など、体重は50~100kg程度。
対して、白毛の<羊頭狗>は、体重が300~500kgはあろうかという巨体。
人間で言えば、幼稚園児と成人男性くらいの体格差になる。
全力を出す方が、大人げないくらいだ。
▲ ▽ ▲ ▽
―― 白毛ブチ柄の<羊頭狗>は、ト・ト・ト……ッと今度は軽い足取りで近寄る。
だが、それに怯えて<樹上爪狼>が逃げ出す。
キュィ……キュィンッと、命乞いでもするような情けない声をあげながら、無事な方の左長腕を伸ばす。
闘技場の観客席へとよじ登る。
『ひぃ……っ』
魔物を間近で見た観客席の中年女性が、怯えの声と、今にも逃げ出すように腰を浮かす。
しかし、その心配もすぐに杞憂と終わる ――
―― ギャァィィン!と狼型魔物が悲鳴。
メインステージを囲む高さ5~6mの壁の上には、観客席を守る鉄網が張り巡らされ、高圧電流が流れている。
うかつに接触すれば、今のように感電して転落する事になるのだ。
―― ガァァ……ッ!と、<樹上爪狼>は威嚇の声を上げて、荒ぶる。
さらに、『ゴォーン!』と魔物特有の魔法起動音。
狼型魔物の限界まで開いた大口から、近寄る白毛ブチ柄の<羊頭狗>へ向けて、魔法の火炎放射が放たれた。
白毛ブチ柄の<羊頭狗>は、メェ~……ッと頼りなく鳴きながらも、火炎魔法をヒラリと回避。
少し離れると、対抗するように口を大きく開き、魔法の術式<法輪>が作り出される。
しかし、それが1個にとどまらず、2個、3個と続けて形成される。
「―― だ、ダメですのよ、ブチ!
こんな人の多い所で、三重詠唱使ったらっ」
石畳にゴロ寝していたアゼリアが、ガバッと慌てて立ち上がった。
制止の声を上げながらワタワタと駆け寄るが、間に合わない。
―― 白毛ブチ柄の<羊頭狗>の前に、3種の魔法術式<法輪>。
1番目の『ゴォーン!』と鐘の音のような、魔法発動音は、真ん中の<法輪>だった。
氷魔法らしく、クリスタル結晶のようなギザギザの氷塊を生み出す。
間髪をいれず、2番目と3番目の『ゴ・ゴォーン!』と2重の発動音。
両左右の<法輪>は、衝撃波魔法の同時発動。
ドォォォ……ン!と落雷じみた爆音と、ギャァィィ~~ン!という断末魔が重なった。
―― 魔法の氷塊を破壊し、飛び散らせ、散弾としてまき散らす。
鋼鉄に等しい氷の散弾をたたき込まれた<樹上爪狼>は、ズタズタの肉塊と成り果てていた。
『ひ、ひぃ……っ』『うわっ』『……さすがは<羊頭狗>』『お、おぞましい……っ』『なんて威力だっ』
等々、観客席からは、恐怖と嫌悪のざわめき。
―― しかし、それもすぐに静まる。
白毛ブチ柄の<羊頭狗>が、ズルズル……と、死傷した敵を引きずり始めたからだ。
サルのような前屈体勢で、豪腕でつかみ、血まみれ肉塊を引きずっていく。
凶悪な魔物が向かう先は、同年代に比べても華奢な体格の、銀髪少女。
その足下へと、ドサリ……!
無残な姿に成り果てた<樹上爪狼>が投げ出された。
▲ ▽ ▲ ▽
アゼリアは、不機嫌顔で溜息。
「ハァ……、ブチ」
パコン!と鞘付きの<正剣>で、魔物の巻き角を叩く。
観客席からは『ヒ……ッ』と息を呑む音さえも響く。
「その魔法使ったら、『ボロボロで売り物にならないからダメ』って。
いつも、お兄様が言ってますわよね?」
メ、メェ~……、メェ~……ッ
白毛の魔物は、哀れっぽく鳴いて、ゴロンとひっくり返った。
少女の10倍は体重がある巨体の魔物が、反抗心一つも見せない。
「もう……、仕方ない子ですわね」
アゼリアがゴソゴソとポケットをあさり、地面に可愛らしい花柄ハンカチを広げる。
その上に、どこから出したのか、クッキーを2~3枚割って並べる。
メェ、メェ! メェ~ッ
飼い犬の服従ポーズをしていた、白毛ブチ柄の<羊頭狗>がヒョッコリと起き上がり、小口でポリポリと焼き菓子をかじり始める。
「―― あ、あの!
そういう訳で、この子やっぱり、ウチの子ですのっ」
アゼリアは、後ろに束ねた銀髪を尻尾のように揺らしながら、ペコペコと頭を下げる。
「いくら魔剣士とはいえ、ペットを殺すみたいな無体なマネはできませんし。
わたくしが、責任もって連れて帰りますので」
少女がそう懸命に訴えるが、司会も、実況も、解説も、絶句。
―― 『………………』
実況席の後ろで『物言い』をしている、闘技場の役員達も、声を上げられない。
「あの、みなさん? リアは、いったいどうしたら……?」
誰からも返事をもらえず、困り果てた少女がオロオロと左右を見渡す。
すると、少女が不意に、ポテンと尻餅をついた。
より正確に言えば、膝裏を白毛魔物が押して、背中に乗せるようにすくい上げたのだ。
「あら、ブチったら、もう食べ終わりましたの?
わたくし、お話中ですので、少し待ってね」
メェ~~……
「そういえば、角に付けていた鈴が無くなっていますわね?
―― よし、これで代わりにしましょう」
白毛ブチ柄の<羊頭狗>の右の巻き角は、半分で断ち切られていて、先端のほうに穴が開いている。
アゼリアは、その穴に花柄ハンカチを通してリボン結び。
メェ~~ッ
「あら、気に入りましたの?
ウフフ、楽しそうですわね」
メェ、メェ~~ッ
白毛ブチ柄の<羊頭狗>は、少女を背に乗せたまま、ガイコツ兜の頭を上下に振る。
角の先のリボンを、ヒラヒラと蝶のように揺らしている。
まさに、『飼い慣らされた馬と、牧場の娘』のような、のんき過ぎる光景だ。
確かに、彼女がさっき言った通り、今さら命がけで闘えというのも無体だろう。
―― 『……こ、これは……いったい、どうしたら……?』
―― 『……えっと……、あ、はい』
―― 『すみません。 まだ運営側も結論が出ないようで……』
―― 『えぇ、解りました』
―― 『では、いったん競技進行を中断して、休憩に入ります』
―― 『選手、観客のみなさんは、アナウンスがあるまでお待ちください』
30分以上かけて運営役員が頭を突き合わせても結論は出ず、会議は迷走を極める。
しかし結局、帝室関係者の『早く大会進行を再開するように』という下知に従い、うやむやのまま、『学生枠トーナメント』は再開される事になった。
▲ ▽ ▲ ▽
学生枠トーナメントの決勝戦。
それは、Aブロックの勝者と、Bブロックの勝者で行われる。
―― 『しかし、異例続きの、今年の学生枠トーナメント!』
―― 『ええ、通常なら、同学年最優秀のAクラスとBクラスで、雌雄を決するはず』
―― 『ですが、午前の部、2年生の男女ともに、Cクラスの生徒が決勝まで勝ち上がり』
―― 『しかも、そのまま優勝!?』
―― 『決勝のオッズは大荒れでしたね』
―― 『さらに、この午後の部、1年生の女子は、なんとDクラスの生徒が決勝進出』
―― 『おそらくは、学生枠トーナメントが始まって初の快挙でしょうね』
今、競技舞台の石畳の上で、アゼリアと向かい合うのはAブロックの勝者。
そして、つい先ほど『試練』をこなし、<樹上爪狼>を単身で討ち取っていた。
家柄ばかりでは無い、魔剣士として確かな腕前を示した、対戦相手の少女だった。
その、褐色肌の少女が、アゼリアに少し震える声で語りかける。
「かつて古代魔導師が作った『最悪の生物兵器』。
あるいは『魔剣士殺し』。
そんな凶悪な魔物を屈服させ、従えるなんて……っ」
「……ん?
何を言っていますの、公爵家の方」
アゼリアは、軽く首を傾ける。
しかし、公爵家令嬢は、気にせず対戦相手への賞賛を続ける。
「さすがは『黄金世代・紅一点アゼリア=ミラー』ですね。
まさに帝国武門の頂点を、継承する者。
貴方の武勇と武勲に、あらためて感銘しました」
「……わたくし、では無いですわよ?」
「ご謙遜を」
「いいえ、本当に。
あの子を、ウチのブチを躾けたのはお兄様ですわ」
「ご冗談を」
公爵家令嬢は、少し笑っているような声。
アゼリアは、楽しい事を思い出すような、歌うような調子で説明を続ける。
「悪い事した時に『メッ!』ってする怖いお父さん役が、お兄様なんですわ~。
わたくしは、『ヨシヨシ』してあげるお母さん役なんですわ~、ウフフ~ッ」
「……随分と、その『一番弟子』の事をかばってあげますのね?」
「ん? 別にかばってなんて、ないですわよ?」
「剣帝殿の後継者どころか、まともな魔剣士にもなれなかった。
『出来損ない』の一番弟子、なのでしょう?
何か、『その男』に弱みでも握られているなら、公爵家の権力で解決してあげても ――」
「―― は……、あァッ?」
アゼリア=ミラーの声が、震える。