170:恋に恋する少女のように
「今日は快気祝いだ、とことん呑むぞ~!」
ひさしぶりの酒宴で豪快に鯨飲していた、わたくしの父・エンリコ。
「今日は誰も寝かせないからなぁ!
お前ら朝まで付き合えよぉ、ガァ~ッハッハッハァ~!」
しかし、やはり病み上がり、勢いも長くは続きません。
呂律が回らなくなり、言葉数が減ってきた辺りで、お師匠さまに止められました。
「── 同輩よ、今日はこのくらいにしておこう。
みんな徹夜明けで疲れているし、君の体調もまだ万全ではない」
とは言っても、昼前から夜更けまで呑み続けていたのですから、相当な酒量のはずです。
さすがに宿の部屋に引き上げる時に、足下がふらついていました。
── そうして、久しぶりの酒宴は、夜にはお開きになりました。
▲ ▽ ▲ ▽
わたくしたち女性2人は、宿の近くの公衆浴場へ向かいました。
広い湯船に肩まで浸かると、ひと息という心地です。
「ふぅ……、良いお湯ねぇ」
「ええ、ようやく退治が終わった実感がでますねー」
「昨夜はお父さんの看病でぇ、シャワーだけだったものねぇ~」
わたくしがそんな『気の抜けた発言』をすると、やはり、すぐに藩王国侍女のサベラから『お小言』が飛んできます。
「── 姫様。
『お父さん』ではなく『お父様』です」
「あら懐かしいわぁ。
サベラに言葉使いの注意なんてぇ、久しぶりねぇ~」
先ほどの酒宴の時といい、子ども時代を思い出して、顔がゆるみます。
わたくしは、いったん湯船からあがり、身体を洗い始めます。
すると、サベラも湯船から上がり、わたくしの後ろに張り付きました。
「お父上が完治されたのが嬉しいのは、解ります。
でも、気分まで昔に戻ると困りますね?」
後ろ髪を洗われながら、そんなお小言をもらいます。
「そういうのじゃぁ~、ないんだけどぉ……」
「あら、違うんです?」
「ええ、彼の可愛らしい配下さんに、『ネコ被っているのが解る』って言われちゃったのぉ~。
だからぁ、あの方の前では少しぃ、『お姫様言動』を控えてみようかなぁ、ってぇ」
「ええっ、姫様、本気ですかっ」
「うふふぅ……」
侍女の驚く声が心地良く、少し笑みがこぼれます。
わたくしもずいぶんと酔っていて、気分が高揚しているのもあるのでしょう。
だから少し悪戯な気分になってしまいます。
思わずこんな台詞が、口から滑り出るくらいに。
「サベラも久しぶりで、想いが募るのは解るわぁ。
でもぉ、今夜はあまりお父さんを無理させないでねぇ、病み上がりだものぉ~」
わたくしの意趣返しは、予想以上の結果。
「── ひっ、姫様ぁっ、いったい何を!
いきなりっ、そんな ── キャァッ」
動揺したサベラは、中腰から立ち上がろうとして、足を滑らせてしまいます。
大衆浴場の広い空間に、濡れた石床に腰を打ち付ける、痛々しい音が響きました。
▲ ▽ ▲ ▽
尻もちをした、わたくしの侍女サベラ。
彼女に手を差し出して、立ち上がるのを手伝ってあげます。
「あらあら大丈夫ぅ~、サベラ?」
「………………」
いつも年上ぶって、子どもにするように世話を焼き、お小言をくれる彼女。
ですので、仕返しの満足感で、口元が緩んでしまいます。
転んだ醜態を恥じているのでしょうか。
あるいは、秘密裏に事を運ぼうとしていて、言い当てられて気まずいのでしょうか。
三十路の侍女は顔を真っ赤にして、目線を反らします。
「ウフフぅ~……」
「…………な、なんですか……?」
日頃は、小姑のように口出ししてくる『自称・藩王国の教育係』の滅多にない様子に、ちょっぴり嗜虐の気持ちがわき上がってきます。
からかい混じりの軽口が止まりません。
「それともぉ~、サベラは今夜はお父さんの部屋には行かないのぉ?
随分と念入りに肌を磨いていたからぁ、そのつもりかと思ったのだけどぉ……」
「いや、その、わ、わたしは、別に……」
「ウフフぅ~、そんなに隠さなくてもぉ~。
わたくしも、もう20手前の娘よぉ。
お祖父様の国だと、少し『嫁ぎ遅れ』なくらいでしょぉ~?」
「そ、それはそうですけど……」
サベラの、どこか伺うような目線に納得します。
なるほど、『恋人の娘』に遠慮していたのですね。
幼い頃に『大声を上げて彼女を責めた』記憶が脳裏をよぎり、少し反省します。
「……もう小さな頃みたいにぃ、目を三角にしないわぁ~」
── あれは、もう6年前、いや7年前でしょうか。
父は、連れ合いを亡くして数年後、今度は冒険者仲間までも失ってしまいました。
異常個体が率いる<羊頭狗>の群れに戦団は全滅。
さらに、唯一生還した父・本人は、強力な呪いに蝕まれていました。
『呪われた冒険者』。
『死神に取り付かれた男』。
そして、『仲間殺し』。
奇跡の生還劇は、勇名と悪評の両方を、父に与えました。
周囲から孤立し、どこの戦団にも所属できない状況になってしまいます。
まだ幼かった義兄は、孤立して冒険者稼業がままならない養父を助けるために、魔剣士の簡易資格を得たのです。
── また、その当時、わたくしの面倒をみるために藩王国の祖父から遣わされた侍女。
彼女は下級貴族の一員として、護衛係として戦闘の訓練も受けていたのです。
やがて彼女も、父の冒険者稼業を手伝うようになっていきました。
若い男女が共に、何度も命がけの戦闘をくぐり抜ける ──
── 特別な関係に進展しても、何もおかしくはありません。
しかし、思春期のわたくしは、母を亡くした心の傷をまだ引きずっていた頃。
頼もしい『姉貴分』と慕っていた教育係と、独り身になった父の情事は、とても受け入れられない物でした。
「うふふぅ……、考えてみれば、あの頃のわたくしは滑稽ねぇ?
道ならぬ恋に落ちた二人を引き裂こうなんてぇ。
逆にぃ、恋心が燃え上がってしまうばかりよねぇ~」
「姫様……」
サベラは、なんとも言えない表情で目を伏せます。
酔って、少しふざけた言動をしているわたくしに、呆れているのでしょうか。
それとも、過ぎ去った時間を思い出して懐かしんでいるでしょうか。
「今のわたくしには、その懊悩と苦しみが解ってしまいますものぉ~」
「え……?」
「魔剣士ならざる身で、武人の理想『斬魔竜殺』を体現する、勇士さま。
そんな武門の至宝を、帝国が国外に出す訳がないわぁ~。
わたくしも、いずれはお祖父さまの故国に戻らなければならないぃ……。
あの方とわたくしの行路は今後交わる事はないのぉ……。
……だからこの胸に灯った小さな恋の火は、そっと吹き消す他にないのよねぇ?」
「姫、様……」
少し哀しげな表情で見つめてくるサベラ。
わたくしはしかし、安心させるように笑みを向けます。
「── でもぉ。
と、期待してしまうのよぉ~」
そして、夢物語を語ってしまいます。
「約1年前の、<翡翠領>の『魔物の大侵攻』ぉ。
今回の、<瘴竜圏>の『門番』~。
── そんな、災厄や不条理を、高潔な魂で下してきたあの方ならぁ、きっとぉ!」
まさに、恋に恋する少女のように。
「── そう、まるで、伝え聞いた両親の馴れ初めのようにぃ!!」
わたくしも随分と祝杯がすすみ、酔ってしまっているのもあるのでしょう。
「藩王国の宮廷の花園でぇ、父が母の前にひざまづいてぇ、預けられた手を引いてぇ!
籠の中で一生を終えるはずの小鳥をぉ、異国の空に放ったようにぃ!
わたくしの身分や懸念なんて笑ってぇ、簡単に檻から連れ出してくださるのではないのかしらぁ~!?」
そして、両親の恋物語のステキな舞台裏を聞いて、高揚しているのでしょう。
恋に生きた母にあてられ、気持ちが盛り上がってしまいます。
胸が高鳴り、顔が赤らむのは、酒精と湯船のせいだけではないはずです。
「……あの。
盛り上がっている所、大変申し訳ありませんが。
── リザベル様の場合だと、『身を清める』方が先ですよね?」
サベラはため息と、冷ややかな目で、なにか不思議な事を言ってきました。
▲ ▽ ▲ ▽
「── んん~……?
『身を清める』って何の事かしらぁ……。
お祖父様の国の、嫁入り前の身支度の事ぉ~?」
「ある意味『そう』で間違いありません。
ようは『男性関係の清算』です。
── ほら、今まで姫様に求婚された、貴族ゆかりの魔導師や騎士の方々の事ですよ。
結婚条件として無理難題を突きつけたたまま放置している、あの方々です」
そう言われれば、うっすらと思い浮かぶ記憶が ──
── まったく無い訳では、ありません……ね。
「……う、うふふぅ……?
そ、そんな方、いらしたかしらぁ……?」
「『いらしたかしらぁ?』では、ありませんよ……」
わたくしが逃げるように湯船につかると、サベラがすぐに隣りにきて話を続けます。
「やれ『<羊頭狗>の群れを退治してこい。父と同じように単身で』だの。
やれ『現世の地獄・巨人の箱庭に出向いて<終末の竜騎兵>の牙を抜き取ってこい』だの。
やれ『魔剣士殺しの<土鬼>を単身で剣で倒してこい』だの。
無理難題をふっかけた相手は、2~3人では済みませんよね?」
せっかく、滅多にない程に心が浮き立ち、お芝居のようなステキな恋の甘さに痺れていたのに。
そんなに現実を突きつけるのは、止めて欲しい。
「み、みなさん……っ
きっと、わたくしのような性悪女の事なんて忘れていらっしゃるわぁ~……」
額の汗をぬぐいながら、言い逃れをしてしまいます。
しかし、小姑のように口やかましい三十路の侍女は、加減も遠慮もありません。
「それ、姫様の希望的観測ですよね……、ハァ。
── もしも、誰かひとりでも『あの無謀な課題』に挑戦していたら?
── さらにもしも、半ばでも進捗していたら?
それはもう、大変な揉め事の原因になってしまいますよっ」
「だ、だって、サベラぁ!
仕方ないではありませんかぁ~っ
あの方々、しつこいんですものぉ……っ
わたくしみたいなぁ、異国まじりの女性が珍しいってぇ、そんなにご執心頂かなくてもぉ!」
姉のような女性に泣き言を告げながら、すがりついてしまいます。
しかし、彼女はわたくしに横から抱きつかれて、迷惑そうな態度と声。
「ハァ……、もう。
面倒だからと、雑な対応をするからよ、まったく」
久しぶりに『姉貴分』な口調をする彼女に、少し甘えてしまいます。
「うぅぅ……
だって仕方ないのよぉ、サベラぁ。
身近に立派な男性が多すぎて、どうしても比べてしまうわぁ」
「まぁ……確かに、そうですね」
彼女は、わたくしの長髪が湯につからないうようタオルを巻き直してくれながら、ため息混じりに言葉を続けます。
「……お父上は、勇猛無双の英傑。
義兄は、眉目秀麗の秀才。
魔導の教師は、仁徳も備えた賢者。
── 優れた男性に囲まれ、有象無象では比べる気にもならない」
「そ、そうよねぇ~?
だから今までぇ、勇士さまくらい偉大な英雄でもないとぉ、目に映らなかったのよぉっ」
わたくしの泣き言に、サベラは深々とため息。
「では、その『偉大なる英雄である勇士さま』に愛想を尽かされないように。
なるべく速やかに、過去の男性関係を清算しましょうね?」
「サベラのいじわるぅ~。
そんな言い方では、まるでわたくしが『数々の男性を手玉にとってきた悪女』のようだわぁ~!
この身はぁ、藩王の孫娘として恥ずかしくないぃ、まだ清い身よぉ?」
わたくしは、思わぬ恋の障害に頭を抱えます。
明日にでも、勇士さまの胸の中に飛び込んでいきたいと思っていたくらいなのにぃ……。
「うぅ……リザベルの勇士さまぁ。
今しばしお待ちくださいねぇ~。
すぐに過去の問題を解決してぇ、貴男の元へ参りますのでぇ~」
湯船に顔半分までつかり、子どものようにブクブクと泡を吐いていると、
「……悪女、ねぇ。
実質的に、あまり大差はないわよ……」
何かポツリと、三十路の侍女が失礼な事を言ったような気もしました。
▲ ▽ ▲ ▽
そんな風に、わたくしが想いを募らせる、『竜殺の剣士』たる勇士ロック様 ──
そして、皆に慕われる我が父『骸骨被り』エンリコ ──
── <瘴竜圏>攻略を為した偉大なる英雄2人。
翌日、朝靄のたちこめる早朝。
『拠点:主戦場』の城壁外の、森の中。
「おいおい、名医センセイよぉ?
『病み上がり』だの『安静にしてろ』だの言ってた次の日に、これかよぉ?」
父エンリコが、野獣のように歯をむき出しにして、威嚇混じりの笑み。
対して、勇士様は、どこまでも静か口調と、凍てつくような殺気。
「ああ、すまん、気が変わった。
なんか『脚が折れたウマは、安楽死させてやるのが情け』って聞いた事があるしな」
その2人は、殺意と剣をぶつけ合い、流血さえしながら向かい合っていたのです。




