169:命を賭けるに値する
わたくしリザベルの隣りの席から、スゥー……スゥー……と穏やかな寝息が聞こえてきます。
酒場で乾杯してしばらくすると、メガネの青年はテーブルに突っ伏してしまいました。
張り詰めていた物が抜け落ちたのでしょう。
ひどく優しい寝顔と、安らかな寝息です。
「養息にも、随分と心配をかけたみたいだな……」
ひさしぶりの美酒に酔う、赤ら顔の父は、優しい声。
自分の上着を脱いで、義兄の背にかけてあげています。
数年ぶりに、人前で『骨兜』を外し、素顔を見せる父。
疲れてテーブルで寝入る義兄ジェン。
そんな姿に、幼い日の思い出が重なります。
あれは、中級魔法の国家資格のために猛勉強していた頃でしょうか。
「少しでもぉ、お父さんの助けになるってぇ、必死でしたからねぇ~」
努力家の義兄。
わたくしリザベルにとって、自慢の義兄。
父にとっても、わたくしにとっても、大切な家族なのです。
「皆も、済まなかった。
今回の<瘴竜圏>攻略は、完全に俺のワガママだ。
戦団を危険にさらしたし、大した儲けもないのに時間ばかりを浪費した」
「いいわよ、そんな事。
みんなが無事だった訳だし、リコ様の呪いも解けたもんね」
「オイラ、さすがに今日は死ぬかと思ったけどなー」
『#4』と『#6』の言葉に、父はもう一度頭を下げます。
「すまんな。
俺の勝手に付き合わせて、割を食わせた」
すると『#3』が口を挟みました。
「同輩よ、何度も礼はいらない。
この戦団は皆、お前の家族も同然だ。
困っている者がいれば、助けるのは当然だな。
それよりも、どんな事情があったのかを聞きたい」
「そうだな、せっかくの機会だ、話しておこう。
<副都>には恩がある、命をかけるくらいの大恩が、な。
── リザベル、女房の葬儀の時に遅れてきた男の事を覚えているか?」
「うっすらと記憶にありますぅ。
あの小父様の事ですかぁ~、お母様のお墓の前で拍手をされていたぁ」
「ああ、その男だ」
父は、ビールのジョッキを脇に置き、神妙な顔になります。
両親の馴れ初めの辺りから、父の話が始まりました。
▲ ▽ ▲ ▽
わたくしリザベルは藩王国に属する、とある小藩王の孫娘になります。
というのも、わたくしの母ハリシャが、その王の娘だからです。
生来病弱だった母は、外の世界に強い憧れを抱いていました。
ある日、高位の冒険者への依頼のため宮廷に招集された父と偶然に出会い、恋に落ちたのです。
身分違いの恋は燃え上がり、両親は手に手を取って駆け落ち。
ここ大陸の端、東の帝国までやってきたのです。
── この辺りの事情は、戦団『人食いの怪物』のメンバーであれば、それとなく聞かされている話です。
そして、あまり人の耳がある所で話せる内容ではありません。
父も、それとなく話を端折り、重要な単語を伏せながら話を続けます。
駆け落ちした後の2人の生活は、上手くはいきませんでした。
そもそもが、病弱な母。
幼少からメイドに身の回りの世話をされていた『箱入り娘』。
母を連れ戻そうする祖父の使いの者から逃れるため、あちこちを転々とする生活。
母は身重になると、すっかり寝込んだままになってしまいました。
「ただでさえ身体の弱い女が、身重で、慣れない土地で、貧乏暮らし。
その上、旦那の方はまるで気遣いができない、ボンクラときた。
── 女房が大事なら子どもは諦めろ、とまで医者に言われたよ」
父は、自嘲しながら語ります。
娘として父を弁護すれば、母の面倒がみれなかったのも、やむを得ない事情があったのでしょう。
そもそもが冒険者は特殊な仕事、家を数日空ける事も多いのですから。
「そんな時に、手を差し伸べてくれたのが、<副都>の現・領主だよ」
とは言っても、父がその事を知ったのは、母ハリシャが亡くなった後。
近しい者だけの葬儀が終わった後の事だったようです。
当時の話を聞いていると、わたくしの脳裏にも色あせた幼い日の思い出が、断片的に思い出されます。
▲ ▽ ▲ ▽
「失敬。ダンヒル家の奥方様の埋葬は、こちらで?」
その人物は、立派な身なりの紳士だったと思います。
男性の割に小柄で、少しふっくらした外見と、豊かな鼻髭が特徴的な方でした。
「あ、ああ……。そうだが、何か?」
「葬儀に遅れて来て申し訳ない。
今からでも参らせていただけますか?」
墓石の前に立ち尽くしてた父は、数歩横に避けました
「ああ、構わんよ。
いや、是非そうしてくれ。
誰か知らないが、女房の知り合いなんだろ?
異邦の地で、病気がちで寝てばかり、知り合いも少なかったんだ。
せっかく来てくれた知人に、アイツも喜んでいると思う」
「ああ……っ、貴男がご亭主殿か。
お初にお目にかかる。
では、そちらがご息女 ── たしかお嬢様は、リザベル嬢とお聞きしているが?」
「ああ、そうだ。
── ほらリザ、挨拶を」
「は、はじめまして……」
父にうながされ、わたくしは、人見知りをしながら怖々と挨拶をしました。
「はじめまして、聡明なお嬢さん。
わたしは君のお母さんの ── そう、友達かな?」
その紳士は、子どもの目線にあわせるよう片膝をつき、握手を求められたのを覚えています。
その直後にビックリする事があったので、いよいよ印象に残ったのです。
── 紳士は、母の墓前でお祈りの後、突如として泣き始めたのです。
「── ああ、我が友ハリシャ……っ!
君は人生に一度きりの大舞台に駆け上がり、見事にその主演を演じ切ったのだ……!
他の誰にも理解されずとも、その輝かしい決意の果ての幕引きに、万感の拍手を送ろう!
すばらしい!
すばらしい舞台だった!
まさに一度きりの夢の舞台を演じきった!
君という100年に1人の名女優に、万雷の拍手を送ろう!」
流す涙をぬぐいもせず、ただ賞賛と拍手をされる紳士。
異様な言動に、わたくしも父も、ビックリしてしまいます。
父は、思わずこう問いかけたそうです。
「……なあアンタ、誰かと間違えてないかい?
妻は病気がちで、とても演劇舞台に出れる身体ではなかったんだが……」
「いえ、間違えてはいませんよ、ご亭主殿。
── 失礼、名乗り忘れておりました。
わたしはジェラルド=アレコー=バントゥーノ。
次期<副都>領主などという、身に余る重責をまかされた小人物」
「な……っ」
父は思わず息を呑みます。
遅れて母の告別に来られた小柄な紳士の名乗った肩書きは、驚くべきものでした。
「お父さぁん、どうしたのぉ……?」
しかし、幼い頃のわたくしは『偉いお役人さん』としか理解できていません。
「奥方様のハリシャ嬢とは、大使として藩王国に駐在していた頃からの文通相手。
父君であるナーガジャーラ藩王から『病床の娘と是非』と文通の相手を頼まれ、かれこれ14~15年になりましょうか。
もっとも、直接お会いするのは、これが初めてですが……」
そう名乗った紳士は一歩進み出て、父の手を自身の両手で包み込むように、握りしめたのです。
「ありがとう……っ
本当に、ありがとう……っ
『籠の鳥』であった彼女を連れ出してくれてっ
憧れの広い世界を見せてくれてっ」
涙を流しながら深く頭を下げ、まるで命の恩人にするように、強く握手を続けたのです。
「おかげでハリシャ嬢は、ただの不幸な娘で終わらずにすんだんだっ
恋という人生の大舞台に駆け上がることが出来たんだっ
すべて、すべて、君という素晴らしい男性に出会えたおかげだっ」
▲ ▽ ▲ ▽
父は、紳士から聞いた話を、かいつまんで続けます。
その話を簡単にまとめると、このような内容です。
現<副都>のご領主様である、その紳士は、自身のご容姿に引け目を感じておられ、社交界のような華やかな場を苦手とされていました。
外見で女性達に邪険にされ、身の上を明かすと媚びる人々が集まる。
手の平を返すような扱いばかりで、人間不信の心地だったのでしょう。
そういったご事情から、趣味はひとりでされる物が多く、特に好まれたのは読書と演劇鑑賞。
しかし、大使として赴任された藩王国は、音楽と踊りの国と呼ばれるような文化。
帝国であれば小さな町にもある大衆演劇場ですが、藩王国では首都や大都市でもほとんど見かけないそうです。
そして、周囲と歌や踊りで楽しめない者は『野暮』とされる異文化のため、居心地の悪い思いをされていたのです。
そんな頃に、母ハリシャの父 ── つまり、わたくしの祖父から『病床の娘の気晴らしになるよう手紙のやりとり』を頼まれたそうです。
紳士は、母をこう称したそうです。
『聡明な女性だった。
日のほとんどをベッドの上ですごす生活だからこそ、読書が唯一の楽しみで、深い思索を繰り返したのだろう。
そういえば、彼女はなかなか舌鋒の鋭いところもありましてね。
すすめられた物語の品評がいい加減だったり、見当違いな読み方をしていると、それはもう厳しい言葉で指摘されたものですよ。
いやあ、あれには参った、ハハハッ』
『……妻に、ハリシャにそんな所があったなんて。
俺は、彼女の事を何も知らなかったのだな……』
『ご亭主殿、それは当然というものでしょう。
貴男は彼女にとって、運命の男性。
わたしのような、その他大勢の男とは、態度が違う。
そんな相手には自分の美しい所だけを見せたい。
恋に生きるご婦人であれば、そう思われるのでしょう』
『それでも、だ。
自分の知らなかった女房の一面を、知らない男に言われると、な』
『ハハッ、わたしのような男に嫉妬される事はない。
例えば、わたしが彼女に手を差し伸べたとしても、鳥は籠から抜け出そうとは、しなかった。
この男は、舞台裏でハツカネズミのように走り回っている裏方にすぎないのです。
彼女は、恋という一世一代の舞台に駆け上がり、貴男というたった一人の観客の心を震わせるためだけに、幕引きまで全力で主演を務めたのです』
紳士は、道化師のように明るくおどけて告げました。
そして、ひとつ咳払い。
静かな声で、真摯に尋ねてきます。
『どうでしたか、彼女は完璧な女性ではありませんでしたか?
美しい恋人であり、賢い妻であり、優しい母でもあったはずだ。
きっと、貴男が他の女に目をくれる気も起きないような、最高の女性が帰りを待っていたのでは?』
『そうだな、妻は病気で起き上がれない時でも、温かな食事を用意していてくれた。
今考えれば、それは確かにおかしいな、一人で出来る事じゃない』
『おやおや……、困ったな。
いらぬ藪をつついて、蛇を出してしまったぞ』
紳士は、苦笑いして、諸々の裏事情を白状したそうです。
異邦の地で困窮する母ハリシャに、手紙で助けを求められ、それに応じたのだと語られました。
駆け落ちした恋人2人のために、陰から様々に援助してくださった恩人だったのです。
── 自分の目が届く<副都>の領都にかくまうべく、家を用意した事。
── 面識のある祖父と何度も手紙をやり取りし、駆け落ちを許す説得をしてくれた事。
── <副都>宮廷勤めの侍女の内、特に信頼を置ける者を数名派遣して、家事の手伝いをさせていた事。
── もちろん、病弱な母のため、週に1度は医師を通わせていた事。
「なるほどぉ。
幼い頃に毎日来ていた母の友達という方たちはぁ、そのような方々だったのですねぇ。
そう言われてぇ、ひとつ思い出しましたぁ~。
決まった曜日に年輩の衛兵さんがぁ、お茶を呑みに来られてましたがぁ……?」
「ああ、それも領主の差し金だろうな。
亭主が出かけて、女2人だけ残された家の事を、心配してくれてたんだろう」
そう言われれば確かに、母の友人という女性達と、何か難しい話をしている事もありました。
あれは、我が家の警備のために、不審者や不逞の輩の情報を交換していたのでしょうか。
そう事の真相に思い至れば、自分の顔が赤らむのが解りました。
失礼ながら今まで『あのお茶のみ』の事を、『お爺ちゃんなので体力がなく、こっそり仕事を抜け出して休憩している』と失礼な勘違いをしていたのですから。
「治らぬ病に苦しみ、最後は痩せ細ってガイコツのような姿で事切れる。
思えば、それが当たり前のはずなのに、女房は最後まで、儚くも美しい姿だった。
それどころか、家に帰って寝入ってる女房の、垢にまみれた姿も、それどころか髪が汚く乱れた所も見た事はない。
常に薄化粧をして美しく、寝間着やベッドだって、いつも清潔だった。
リザベルが小さな頃だって、家の中が散らかっているのを、ほとんど見た覚えがない。
『誰か世話をしている人間が通っている』と考えて当然なんだがな。
俺は領主のヤツにネタばらしをされるまで、それについておかしいとも思わない、ボンクラ亭主だったのさ」
▲ ▽ ▲ ▽
父の回想は続きます。
『ご亭主殿。
わたしは、これだけは伝えておこうと思って来た。
間違ってもらっては困るのだ。
彼女は、決して不幸ではなかった。
他人より短い人生で、愛しい夫と可愛い娘を置いて、若くして逝かねばならぬ事は、確かに悲劇だっただろう。
だか、それでも、間違いなく幸せだったのだ。
最高の相手と恋に落ち、燃え上がるような熱情に突き動かされて、病床を抜け出した。
初めて目にする世界の広さに感激し、諦めていた我が子さえもうけた。
限られた時間だったが、全力で生き抜いた。
最も美しい姿を、最高の自分を、最後まで君に見せて、綺麗に幕引いた。
そんな親友を誇らしく思うとともに、その手伝いが出来た事を満足してる。
だからご亭主殿、君も、最高の女性を世界一幸せにしてやったんだ、と胸を張ってくれ。
それだけが、ハリシャ=ナーガジャーラの親友だった、このジェラルドの願いだ』
紳士は、そう言って再び父の手を、熱く握ったそうです。
『もう一度言おう。
彼女と出会い、恋をしてくれて、駆け落ちしてくれて、ありがとう!
おかげで、この見る所のない肩書きばかりの小男が、親友のためにしてやれる事が出来たんだ!』
父は、その時の心境をこう語りました。
「男だと思った。
それも、命を賭けるに値する」
そして、こう続けました。
「だから『この借りは、いつの日にか命で返さなければならない』。
あの日からずっと、そう思っていたんだ」
それが、わたくしの父 ──
戦団『人食いの怪物』の#1・『骸骨被り』エンリコ=ダンヒルが、<瘴竜圏>攻略に固執した理由でした。
!作者注釈!
読者的には、脇役の過去とかクソどうでもいいエピソード……
……ですが、すみません、ちょっと付き合ってください。
一応この作品、宮沢賢治がネタのひとつなんで。




