140:三者三様(上)
<帝都>の最奥、夜の宮廷。
その離れの地下階廊下に、小刻みで軽い足音が響く。
若い女が肩を怒らせ、小走りにやってきた
「── 『金貨の12番』を仕留めた。
そんな寝言を聞かされ、万が一と見に来れば、貴女ですかっ」
涙目の仮面と、白い式服 ── 魔導師の能力を高める、魔法付与の羽織 ── という特徴的な格好の女だ。
「おや、仮面のお嬢さん、久しぶりだね」
振り返った相手は、騎士を退位した白髪の老女。
しかし、その長身は引き締まっていて老いを感じさせず、男性騎士に引けを取らない精悍さを漂わせている。
「……『狼泣かせのスペンサー』、そして『岩斬りのスペンサー』!
西方国境の猛将にして剛剣は、老いても健在ですかっ?」
仮面の女は、相手の連れた可憐な少女に気付く。
そして得心したと、小さく鼻息。
「フン、なるほど、秘蔵っ子の『殺戮人形』までも動員。
騎士団の第四が切り札を使ってまで、神王国の工作員を暗殺とは。
越権行為に死に物狂い、よほど『金貨の12番』に恨みでもありましたか?」
「── 『暗殺』……?
何を言っているんだい、『金貨の12番』、まだ死んじゃいないよ」
「はぁあ、『死んでない』って!?
まさか、生きているんですか!」
「ウソだと思うなら、そっちの治療室をのぞいてきな?
ベッドで青ざめてウンウン言ってるから。
めったと見られない傑作だよっ」
「── コ、『金貨の12番』が、生きて、そこに居るぅ……っ!
神王国の切り札を、生け捕りぃ!?
ふざけないでくださいっ」
白い式服の女は、髪を振り乱すほど、頭を振る。
仮面に隠れて表情は知れないが、激情と混乱は明らか。
長身の老女は、失笑しながらも、話を続ける。
「さらに言うなら、今回の為手はワタシでもこの子でもないよ」
「バカな!
他にいったい誰が、あの『黄金色の悪夢』をっ、魔物同然の『巨獣』を!
生かしたままで捕らえられると言うんですか!
対人戦に長じる<狼剣流>精鋭単班さえも、そろって生首を落とされたのに!
戯れ言も、いい加減にしてくださいっ」
仮面の女は、ほとんど悲鳴じみた金切り声。
対して、老女は笑いをこらえるような声で応える。
「魔物同然ね、クク……ッ、なるほど。
なら逆に、得意中の得意だろうね。
まったく、なんてガキだい……っ」
「いったい、何を言ってるんですか!?」
事情が呑み込めず混乱する仮面の女。
老女は、軽く肩をすくめて、極めて雑な説明を始める。
「この子を ── ウチの若い乙女を ── 憎からず想っている若者がね、窮地に駆けつけて不埒者を叩きのめしたのさ。
う~ん、愛の力は偉大だねぇ~っ」
「いやいや、お師匠サマ……」
祖母ほどの高齢騎士に、頭をなでられた褐色少女は困った様に眉を寄せる。
そんなアットホームな光景すら、仮面の女の神経を逆撫でする。
「── バカにしてるんですかっ?
お望みなら、宮廷に特別審問を申請しますよ!
いくら『第四の監査部』が、貴族すら粛正する懲罰部隊だとしても、こちらは帝室の直轄機関ですからね!!」
「やれやれ、余裕のないお嬢さんだね。
いつもそんな様子なら、『月下凄麗』ではなく『癇癪の涙』とでも改名したらどうだい?」
「くっ、他人をバカにして……っ」
仮面の女が、下唇を噛みしめる様な声を出す。
冷たく厳しい声色が、老女の口から漏れた。
「フン……、何を言ってるんだか。
他人をバカにしてるのは、アンタじゃないかっ
ウチはアンタ達 ── 帝室密偵の仕事を手伝った立場だよ?
あんな厄介な神王国の工作員を、今まで放置してくれたお陰で、こっちの隊員が何人やられたもんか!
それなのに、『越権行為』だの『特別審問』だの、脅される筋合いはないね!」
「……クッ……」
正論の反撃に、仮面の女は言葉に詰まった。
老女は、ため息をひとつ。
悪化した雰囲気を和らげる様に、冗談めかした口調で告げた。
「まあ、<帝都>から出た事ないアンタは知らないかもしれないけど、辺境はどこもおっかない所でね。
<翡翠領>の外れなんて、まさに帝国随一の魔境。
まともな神経の人間が住む場所じゃない。
だから、まともじゃない奴が ──
── 例えば<羊頭狗>と真っ向から斬り結ぶような、尋常じゃない猛者が育つ」
「……『羊頭狗殺し』。
つまり、元AA冒険者『人食いの怪物』を雇用?
だが、その戦団は数ヶ月前に<聖都>から<副都>へ本拠地を移したはずです。
この<帝都>に入ったという報告は受けていませんが?」
仮面の女は、疑念の声。
そこに、若い男の声が新たに加わった。
「若者、<翡翠領>、『羊頭狗殺し』……。
なるほど。
『彼』、元気にしてました?」
老女が振り返り、少し目を見開く。
「おや、そっちの金髪お坊ちゃんは、アイツの知り合いかい?」
「ええ、おそらく。
その『彼』が、小柄であるのならば。
── おっと、ご挨拶が遅れました。
お初にお目に掛かります、スペンサー元・特務騎士」
元・騎士の老女が若い男に目を向けると、相手は腰を折って頭を下げる。
穏和な言動に、明るい金髪と甘い美貌、そして精悍な長身痩躯。
若い女性の理想を形にしたような、若手魔剣士だった。
「── お初、か……。
ワタシの方は、その嫌味なほど整った顔に見覚えがあるよ。
あの種馬め、こんな男女まで口説きやがったからね。
まったく『選ばれた血脈を繋ぐ義務』なんて寝言をほざいていたけど ── 息子か、孫か、はたまたひ孫か知らないけど ── アンタみたいな『実例』が生まれてるんじゃ『スケベ爺の妄言』と笑えなくなるねぇ」
「ハハハ……っ」
若手魔剣士は、身内への厳しい評価に苦笑い。
そんな彼に、仮面の女が詰め寄った。
「── スカイソードっ
貴男、今回の為手に心当たりがあるのですか!?」
「ええ、先輩。
前に一度、手を貸してもらいました。
それこそ<羊頭狗>の群れを連れた敵集団と、斬り合った時に」
「……ば、バカな……っ
<御三家>の天才児 ──
── よりによって<天剣流>の第五席次である貴男に匹敵する使い手が、無名のまま野に居るとぉっ?」
事もなく肯定され、仮面の女は思わず一歩後ずさる。
そして仮面の下の細い顎に指を当て、ブツブツと独り言をもらす。
「あの<錬星金>の『剣刃殺し』を突破して……
『金貨の12番』を生け捕りにするようなバケモノが……
この<帝都>に、人知れず潜んでいると……?」
「……『バケモノ』は酷いね、仮面のお嬢さん。
ウチの乙女の『いい人』なんだから、悪口はやめてもらえないかい?」
失笑しながら苦言をいう老女。
すると、部下の褐色少女が顔を紅潮させた。
「お師匠サマ、な、な、なにを!
ワタシの『いい人』なんかじゃないデースっ」
「いいじゃないか。
コレって男が居たら早くツバつけとかないと、すぐにかっ攫われるよ?」
老女と若い娘が、恋愛話で盛り上がる。
そこだけ切り取ってみれば、ひどく平和な光景。
仮面の女は、そんな弛緩した空気を斬り裂く様に、剣呑な声を発する。
「つまり、その小娘が色香で、『羊頭狗殺し』の人外を手懐けている、と?」
すると、元騎士の老女は小さく肩をすくめて、年長者として含蓄ある言葉を告げた。
「バケモノ、人外、ねえ……
自分が投げつけられた言葉のナイフを、他人に向けるもんじゃないよ、仮面のお嬢さん?」
「………………黙れ……っ」
仮面の女の声は、冷たく凍てついた物。
聞きようによっては、まるで泣く寸前の無機質さ。
老女は、また小さく肩をすくめる。
「フゥ……ッ、まあいいさ。
詳しくは、そっちの色男に訊きな?
いわば『例外中の例外』、存在するはずがない強者。
── そういう意味ではアンタのご同類だよ、『妖精』のお嬢さん?」
そんな言葉を残して。
帝国騎士団第四方面隊の監査部 ── 不穏分子粛正の密命を帯びた特殊部隊は、帰って行った。
▲ ▽ ▲ ▽
同日、<聖都>行政府の中心。
「── だからワシはこう思うのじゃ。
結局、『五行剣』を<封剣流>へ譲渡したのは交換条件の一つ、つまり『結納の品』代わりだと」
「つまり、剣帝が欲したのは『流派の後継者』としてのアゼリア=ミラーではない……?」
「<封剣流>の娘を弟子に迎えた理由が『一番弟子につがわせる花嫁だから』、だとぉ……?」
「ああ、そうとしか考えられん。
おそらく件の『竜殺の撃剣』、あるいは『斬撃の魔導』と呼ばれる術式こそが『剣帝流の真の奥義』じゃろう」
夜も遅い時刻というのに、魔剣士らしき老人たちが正装で集まっていた。
「つまりソレこそが、剣帝が苦境に身を置いてまで追い求めた剣の究極、という訳か?」
「なるほど。
ナマクラを一時的に利刃に鍛える魔導があれば、いかなる状況でも全力で闘える。
粗末な武装で戦い抜いた常時戦場が故の、奥義か……」
「そうと解れば、もはや疑問の答えは明白じゃろう?
剣帝にとって真の意味での『後継』とは、あの一番弟子をおいて他におらぬ。
── ハッ、『魔剣士としての才がない』だと?
── 『魔力の不足から後継者から下ろされた』だと?
バカを言うな、そんな見れば解る事、剣帝のヤツは最初から当然承知の上だったはず」
老人3人が雑談に興じているのは、大聖堂の奥にある貴賓室。
「そもそも剣帝は、10年以上も前に魔導三院へ術式を開示しておるからな。
皇帝陛下との例の約束事の一部とは言え。
そう言う意味では、あまり『五行剣』には重きをおいていないようにも、思えるしな」
「まあ、道理を考えれば当然か。
確かに『五行剣』は新鋭の身体強化魔法であり、『特級』を越えた『超級』とでも呼ぶべき性能。
だが現実として、いったい何人の魔剣士がそれを使いこなせるか?」
「我ら<裏・御三家>直系の中でさえ、そもそも『特級身体強化の特上性能すら十全に活かす才能』が何人いるか……」
この貴賓室は、聖教の最高指導者<聖女>との面談の場。
「特級でさえ持て余しているのに、特級を超た魔法など無用の長物」
「そんな物を使いこなすなど、それこそ『封剣流が練武千年の結晶』銀髪の忌み子くらいという訳か?」
「なるほど。
『竜殺の剣士』を父に、『五行剣の継承者』を母に、なぁ……
ククッ、想像しただけで震えが起こるわっ」
しかし、この老人3人を呼び出した、肝心の<聖女>本人が急用のため、この部屋で待ちぼうけをくらっていた。
「そうして生まれた子は、間違いなく帝国最強の魔剣士……!」
「ああ、その血脈は『人類守護の剣』と呼ぶに相応しいであろうっ」
「ついに、真の意味での『斬魔竜殺』が体現されるかよぉっ
それこそ、剣帝が考える『あるべき結末』かぁ……!」
そのため、雑談が ── しかも他流派の後継について、という四方山話がひどく弾んでいた。
「老いたこの身がうらめしいのう……
『子』が育つまで20年、なんとしても生き延びて、その在り様をひと目みたいものよっ」
「しかし『子』とは、つくっておくものだなぁ。
<轟剣流>も、魔剣士家業から逃げ出し漁師なんぞになった次男坊の、さらに子が、いつの間にか『神童』などと呼ばれるのだからな。
つくづく、人の縁とは解らないものよ……」
「貴様ら<魄剣流>と<轟剣流>は良いではないかっ
『神童コンビ』という有望若手!
さらに『剣帝流』から秘伝の<魔導具>も、戦争のどさくさで入手しおって!
── ああっ、どうして我が<玉剣流>は、こうも冴えない『子』ばかりか……」
待ちぼうけ老人3人の話は盛り上がり、まるで居酒屋談義ほどに白熱してくる。
そこに、優しげな女声が水を差した。
「── 楽しそうな、お話ですね」
待ち人<聖女>の入室に気づき、魔剣士の老人3人は居住まいを正す。
「これはこれは、聖下!」
「聖女様も、お人が悪い」
「早くお声をかけていただければ」
「ごめんなさいね、あまりに楽しげでしたから」
呼び出した本人は曖昧な笑顔で、対面の席に腰掛ける。
「このような夜更けに、どのような御用向きで?」
最も年配の老人が、3人を代表して問いかける。
すると、聖教の最高指導者である老女は、ス……ッと目を閉じて、笑みを引っ込める。
独り言のようにつぶやく。
「……かつてミャーコ様も、このようなお気持ちだったのでしょうね。
重い、重い決断をしなければならない時がきました。
例え、後世に『血まみれの聖女』と呼ばれるとしても……っ」
そして、数秒の沈黙。
目を開けば、そこには冷厳な緊迫感がみなぎっていた。
凛とした声で、告げる。
「第38代目聖女、メーガン=タマーコ=クライスラーの名において ──
── 『首刈り鎌』の招集を要請します」
▲ ▽ ▲ ▽
当代の<聖女>の言葉が続く。
「今から3ヶ月前のあの日、わたくしは会食に出席する予定でした。
『剣帝流』の弟子2人との会食です。
その翌日の『昇還祭』開会式にも、貴賓として迎えるつもりでした。
<翡翠領>を守った若き英雄の功績を讃え、その名声を広めるために。
── 思い返せば、何と愚かな考えだったか……」
第38代目聖女タマーコは、悲しげに微笑む。
「若者たちは、そんな形ばかりの栄誉や名声など、何も望んでなかった。
むしろ、自ら進んでドロを被り、この<聖都>に長年巣くう闇を浄めようとさえ、してくれた」
菱十字を円に囲む、聖果・山梨の枝、翼の生えた雲・聖水霊クラムボン ──
── 最上位の聖紋衣を着た老女は、苦悩の顔で頭を振る。
「いま思い返せば、当日の『神童』たちも、どこか様子がおかしかったように思います。
あれは『敵を騙すならまず味方から』、そのような武門の心構えだったのでしょうね。
都市追放処分という重罪を覚悟の上で、裏組織との死闘に向かった少年少女。
おそらくは<翡翠領>防衛に協力した『神童コンビ』への、恩返しのつもりでしょう。
そんな戦友の友誼と覚悟を重く受け取り、いまだに沈黙を守る『神童』の2人……!」
閉じた目尻に、光る物があった。
「若者たちが、身も心も犠牲にして……!
栄誉も名声も全てドブに捨ててまで、未来を切り拓こうと必死になっている……!
── それなのに、わたくしたち年寄りは、いったい何をしているのかっ」
「………………」
「………………」
「………………」
<聖女>の憤りの声に、老魔剣士3人は表情を引き締め、ひたと向き合った。
第38代目聖女タマーコは、語りの声を変調させる。
「今より約300年前、帝国がその版図を広げていた頃。
<聖都>を背負う当時の聖女、第25代目聖女のミャーコ様は、ひとつの大きな決断に迫られていました」
「── 『代聖伐』、ですね?」
聞き手の老人のひとりが口を挟むと、聖女タマーコは小さく肯く。
「当時の旧・連合国は、腐敗と悪徳の極みでした。
もっと早くに落ちるべき『山梨の実』が、枝に垂れ下がったまま活力を吸い取り続け、木その物を立ち枯れにする寸前でした。
── それは、旧・連合国を腐らせた、悪徳の都・<央乃宮國>!
初代聖女様の、<始源の聖女>様のご昇還を政治利用し、信徒たちの目が悲しみで曇っている間に盗み働くように、偽りの『世界統一国家』を建てた、かの大罪人の末裔たち!」
聖女タマーコは、一度深呼吸して、荒れた語調を戻す。
「第25代目の<聖女>は、きっと思われたはずです。
自分が賜った聖別名が『天上の都』であるのは、偶然ではないと。
聖兄 ── 『天の恵みの神』のご采配に違いないと!」
一同はそれぞれ、遙か昔の出来事に、思いを馳せる。
それから先の話を、いちいち話されなければ解らない、<聖都>の信徒ではない。
異世界ニッポンで例えるなら、『本能寺の変』のような大事件。
旧・連合国であれば誰もが知る、歴史上の転換点なのだから。




