125:身の程知らず
私、クルス=ミラーは、疲れの混じったため息を吐いた。
耳元で、やたらとはしゃいだ声を叫ばれ、ウンザリとしたからだ。
「おいおいっ、クルス兄ぃ!
なんだい、ありゃ?
なにがどうしたら、あんな風になる?」
「何度も何度も、報告の度に、そう言ってきただろうが……」
横に立ち肩を組んでくる、男勝りの仕草の妹に、そう答える。
四十手前の妹は、驚き笑いながら、姪っ子の模擬試合を指差す。
「だって、あのアゼリアだよ?
<五環許し>になっても野生動物っぷりが抜けなかった、あの子だよ?
それが『人間の剣』を、『理合いの剣』を使うなんてっ」
「老師の人徳と、兄弟子殿の情愛が、あの子を正道に導いたんだよ」
── 『あの子の実家である、この道場ではとても出来なかった事だ』
そう付け加えようとして、かろうじて言葉を呑み込む。
せっかく ── そして、ようやく、姪っ子が本家道場で認められつつあるのだから、余計な敵をつくる事もあるまい。
「まあ、確かに、耳にタコができる程聞いたけどねっ
── そのジジイとボウズが2人がかりで『力尽くで女として躾けた』んじゃないか、とまで思っていたんだけどね?」
「── おい……っ!」
クルスの湧き上がる憤怒で、声が低く響く。
「にらむなよ、クルス兄ぃっ
ちょっとした冗談だろ?」
「── ……冗談、だと?
いまの侮辱がか!? バカを言うなっ」
その下卑たる邪推は、とても許せる物ではなかった。
不幸な姪の、叔父としても。
高潔な剣士師弟の、知人としても。
『汚点の姉の子』としか見ず、あの子の不遇をせせら笑っていた連中への、秘めていた怒りが爆発しそうになる。
「なら、試合うかい?
今日は、『可愛い姪っ子ちゃん』の『剣帝後継者』としての、お披露目なんだ。
そんな日に『お優しい叔父様』が無様な醜態を晒して、お祝いムードを台無しにしなくてもいいと思うけどね?」
「チ……ッ
武門は、強い者の声が通る、か……」
大人として、感情を理論で制する。
私が自分勝手な感情で荒ぶっても、あの子の晴れ舞台にケチをつけるだけ。
こちらの鼻息が荒い事を見て、妹は肩組みを止めて、少し離れた。
バツの悪そうな顔をしているので、本人も言動が不味かった自覚はあるのだろう。
「悪かったよ、クルス兄ぃ。
我が<封剣流>が『剣帝の新鋭の身体強化魔法』を手に入れた事で、ちょっと浮かれてたよ」
「── 『剣帝』殿っ、だ!
我が<封剣流>の元門弟で、アゼリアの師である。
いわば遠戚のようなもの。
少しは、敬意を払えっ」
問題児を預かってもらい、立派に育ててもらった恩義があるのに、そんな相手を口汚く侮辱したなど。
好意が裏返れば、殺意が生まれる。
親しい間柄こそ、礼儀を尽くさなければならない。
妹は『相手方が聞いていないからいいだろう』と少し他人をなめた所がある。
だから、いい歳の大人と解っているが、叱りつけておく。
「はいはい……。
『剣帝』殿、これでいいんだろ?
まあ、今はどうか知らないけど、全盛期は剣号並に強かったらしいしね」
粗略な妹は、半ばイヤイヤ従ってから肩をすくめた。
そして、思いついた事を言い足す。
「── でも、まあ、そういう事さ。
武門の中では、強さが全て。
もしも不満があるなら、歯を食いしばって、腕を磨く以外にないよね」
「あのジャジャ馬が、いっぱしの口を利く様になったじゃないか?」
── 『お前も口先ばかりで、行動が出来ていないがな?』
そういう皮肉を吐く。
だが、当の妹は厚かましい事に、『感心された』と勘違いしたらしい。
「まあ、あたしも子供が3人も居る年齢になったからねっ。
どいつもこいつも、言う事を聞かない悪ガキの、跳ねっ返りばかり、だけど……ぉっ。
―― まったくぅ、子育ての腕だけはクルス兄ぃには負けるよ」
そんな独白をしながら、私の妹カサンドラは素振りを始める。
姪っ子の鮮烈な剣技の冴えを見て、剣士として触発されたのかも知れない。
「カイは、クルス兄ぃの自慢の娘だろうけど。
あたしにとっても、自慢の弟子だよ。
優等生で、素直で、努力家で、見ていて気持ちがいいくらいだっ」
妹カサンドラは、長兄リックに並ぶ、天賦の才能。
<封剣流>直系が誇る魔剣士として、<帝都>上位の腕前のはずだ。
「そして、『あのギルダ姉ぇの娘』アゼリア。
あの子が初めて道場に顔を出した時、あたしは『こりゃダメだ』って見限った。
それが、まさかの<五環許し>。
それが、まさかの『剣帝後継者』。
今となっては、あのヨダレ垂らして牙むき出しの『ケダモノ剣術』が鳴りを潜めて、『理合いの理想像』まで体現しつつある。
クルス兄ぃの慈悲深さと辛抱強さには、同じく子供を持つ身として、頭が下がるよっ」
自分より上位の腕前で遙かに才覚のある妹の、剣技の練習。
それが、今の私には色あせて見えた。
(なるほど……。
これが<裏・御三家>がよく言う『所詮は道場剣術』という事か)
どうやら、一流に半歩届かない魔剣士である私クルスにも、『実戦の勘』という物が宿り始めたらしい。
姪っ子のために定期的に<ラピス山地>を訪れ、その道中で否応なしに凶悪な魔物と戦う内に、そういう物が身についてきたのだろう。
帝都の剣<御三家>が<封剣流>の本家道場。
そこにひしめき、切磋琢磨をする、帝国最高峰の魔剣士たち。
自分よりはるかに腕の立つ者の剣技に、なんの脅威も感じない。
── もちろん、『尋常の模擬試合』をすれば、当然、腕前の劣る私が負けるだろう。
だが、この程度なら、殺される気がしない。
もし『命のやりとり』をするとなれば、この程度の連中、どうにでもあしらえる。
少なくとも、帝国有数の危険地帯<ラピス山地>で、魔物の群れに囲まれたような絶望感は感じない。
── 『上手いものだな』と感心するだけ。
(生命のやりとりをする緊張感も、苛烈さも、何もない。
模擬試合ばかりで、小手先の技ばかりが上達した『ぬるま湯』か……)
だからこそ、こう思う。
(我が妹、カサンドラよ。
さっきのような、お前ごときが、はるか練達の魔剣士である姪っ子を揶揄するような無礼など。
本来、実力至上主義の武門では許されない事なのだぞ……?)
あの妹の目には、いつまでも幼少の頃の姪っ子が映っているのだろうか。
名門の天才として讃えられる内に増長してしまい、正しい実力差が理解できないほど目が曇ってしまったのではないか。
そんな疑念さえ湧いてくる。
「もしも、これが見えていないのなら、相当な重症だな……」
チラリと視線を姪っ子に戻せば、彼女も素振り練習を始めていた。
道場の若手40人連続の模擬試合など、早々に終わらせてしまったらしい。
年齢は13から25まで。
直系の天才児、本家道場通いの俊英、分家道場からの選りすぐり。
それらがまとめて、一蹴だ。
もはや、再戦を挑む気力がある者など、1人も残っていない。
そもそも、まともに勝負してもらった相手すら、数えるくらいだ。
── 高段者が、未熟な若手へ実技指導。
あえて言い表すなら、そんな模擬試合の光景だった。
それぞれ1分ほど持ち時間を与えられ、好きに攻めさせてもらい、次の30秒で問題点の指摘、次の30秒で理想像の実演をされてしまう。
直前まで大口を叩いていた若手道場生たちは、そろって鼻っ面をへし折られてしまい、情けなく項垂れていた。
「兄さんも、南方大陸から帰ってきたら、大騒ぎするだろうな……」
自慢の息子2人ともが、汚点の妹の子に惨敗したなど、プライドの高い兄には認めがたい事だろう。
白目まで真っ赤にした厳つい兄の顔を想像すれば、我ながら意地の悪い吐息が、フフッと漏れた。
── 銀髪の忌み子、<封剣流>本家道場へ帰還す。
かくして、他流派で厳しい修練を積んだ秘蔵っ子は、陰口・侮り・疑念の声をたった1日で根こそぎにして、若手最強として君臨したのだった。
▲ ▽ ▲ ▽
最初、わたしバーバラは、それが少女だと思った。
少なくとも、女性事務員に連れられてきた人物は、そのように見えた。
黒髪はよく手入れされて艶やか。
肌つやも血色もよく、顔立ちに品がある。
表情も穏やかで、しかし、自信に満ちている。
きっと、生まれながらに裕福で、一度も生活苦を味わった事がない。
だから、礼服を着る姿も様になっていて、きっと日頃からぜいたくに慣れている。
そんな恵まれた境遇へ、妬みの感情が湧き上がる。
── なにが『千年に1人の魔導の天才』だ。
真の天才が持つ、異常さがない。
頭の何かが外れた者特有の、忌避感を感じない。
血の滲む努力をした者特有の、全てが敵という目つきではない。
── せいぜい『人並み以上に頑張った秀才ちゃん』くらいだろう。
きっと、そこそこの有力者が我が子のかわいさに目が眩み(つまり客観的な評価ができず)、魔剣士<御三家>の人脈でねじ込んできた。
宮廷魔導師 ── つまり、魔導三院の研究者としての末席にある、自慢の明晰な頭脳が、一瞬でそんな経歴分析をした。
だから、こう尋ねた。
「どこにでも居る下級貴族か、裕福な商人の娘では……?」
「ああ、彼、男性だそうですよ」
── はぁ……あっ?
彼?
男性?
おとこ?
この社交界でキザ男が『可憐な花1輪』とか、ほめそやしそうな人物が?
「…………っ!?」
だから、マジマジと見つめてしまった。
昔から他人と目を合わせるのを、苦手とするわたしが。
だから、彼女かと思った彼の、その悪い方への非凡さがはっきりと解った。
── なにが『千年に1人の傑物』か!?
再度、内心で毒づく。
── 魔力量なんて極小じゃないか!?
── これなら、読み書きの出来ない貧民街の子の方が、まだマシだ!
そんな内心の苛立ちを、なんとか抑え込む。
人脈のゴリ押しとしても、あんまりな人選だった。
もう、『研究者として足る人材か試験をする』とか以前の問題だ。
呆れのため息しか出ない。
「『千年に1人』ねえ……
キミ、どうしてそんなウソをついたんだい?」
「……いや、別に俺、ウソとか……」
本人は、責められて苦し紛れのような声。
おそらく、魔力量と魔導の才覚は別物だと訴えたいのだろう。
気持ちは分かる。
だが、あまりに魔力量が少なすぎて、現実的では無い。
「ここ、魔導三院は、帝国の魔導研究の最先端だ。
養成校である魔導学院を首席で卒業するのは、だいたい『千人に1人』の魔導の天才だ。
だけど『魔導三院の研究員』の中には、その程度の才能なんて、ゴロゴロ転がっている」
特級魔法を数回で、ひっくり返りそうな極小の魔力量の人物が、最新鋭の魔導の研究なんて何の冗談だ?
ここ魔導三院の研究者達は、誰もが血の滲む様な想いで、試行錯誤を繰り返している。
朝から晩まで改善点を思いつく度に、何十、何百と魔法を起動させているのに。
── 『魔力の無い魔導師』なんて『虚弱な魔剣士』と同じくらいの笑い話だ。
そんなポンコツがうっかり活躍するなんて、大衆演劇の喜劇舞台の中だけ。
「しかし『千年に1人』の天才とまで呼ばれる者なんて、ね。
帝国で古代遺跡研究の第一人者のわたしも、まだお目にかかった事がないよ」
そんな話をした時に、ふと頭の隅に甦った物がある。
机の底にしまい込んでいた、古びた封筒を取り出した。
「そんな超絶の天才なら ──」
久しぶりに見る『写本の資料』は、折り目さえも色がにじんでしまっている。
「── この程度の問題、スラスラと解いてくれないとねぇ……?」
もう6年も前に、わたしが解く事を諦めた問題。
帝国の魔導を研究する立場でありながら、『古代遺跡の研究』というジャンルを落ちぶらせてしまった実父。
そんな父が最後に残した、何なのかも解らない謎の『資料』だった。
▲ ▽ ▲ ▽
「うげ、何これ……っ」
見せれば、少女の様な少年は、悲鳴を上げる。
当たり前だ。
現在、帝国の『古代遺跡研究』の第一人者である、わたしバーバラの手に余る代物なのだから。
魔導文字の中に混じり、効果不明の『死語』や、本当に魔導文字かも解ってない『未解明文字』さえもが、ずらりと並ぶ。
古代魔導の術式を書き写した物なのか。
あるいは、魔導文字を用いて書かれた記録書の類いなのか。
それすらも、判別できない。
「一応、魔法っぽいから、ちょっと試すか……?」
そもそも、現代の魔導術式の標準構成は、200文字~250文字。
これは、<四彩の姓>が研究して導き出した、人の脳の処理能力の平均から算出された最適値だ。
少なくとも、ここ数百年、この最適値は大きく動いていない。
それなのに、この写本の紙に書かれているのは、総数2,553の文字。
現代魔導の標準構成の、その10倍。
人類最高峰の魔導師だって、『五重詠唱』が限界。
つまり、半分の1,250文字くらいしか自力詠唱できないという計算だ。
当然、人間が自力詠唱できる文字量ではない。
もしも機巧詠唱するとしても、<空飛ぶ駒>くらいの非常に大型な<刻印廻環>がないと……。
「うええぇ……目が回りそう……あ、ギリいけるか……?」
そう、直径2m以上という、こんな大きな<法輪>になるハズで ──
「── え……?」
わたしは、思わず声を上げた。
── 総数2,553文字の魔導術式!
── 標準構成の10倍!
── 世界最高峰『五重詠唱者』の2倍の処理能力!
魔導三院の俊英や天才だって、そんな物を自力詠唱するのは不可能だ。
「……うわぁ、処理重すぎて、回るのに時間かかるな。
ああ、頭痛がする……っ」
もはや『処理が重い』とか『時間がかかる』なんて次元の問題じゃ無い!
魔導の最先端というべき<四彩の姓>が絶世の天才を、優に倍する処理能力!
そんな膨大な術式を、どうして自力詠唱できている!?
「── はぁ……? えぇ……っ?」
目の前で行われている事が、とても現実とは思えない。
研究の忙しさに睡眠時間を削りすぎて、ついうっかり、うたた寝でもした気分だ。
うつらうつらとした時にたまに見る、不条理な夢にしか思えない。
すると、魔導術式が『チリン!』と音を立て、空中に何かを浮かび上がらせる。
「お、文字が出た。
……えっと『誇り』、『7回』、『マードッ』ぉぉ……ん~、最後は『ク』か、これ?
後は、なんだ、崩れすぎてて読めないな……」
「── ……な、なに……っ」
彼がつぶやいた、言葉に思わず、心臓が跳ねた。
『マードック』という名字。
それは、過去と共に捨てた名字であり ──
── 今もなお着いて回り、未来を閉ざす呪縛なのだから。
▲ ▽ ▲ ▽
「紙の端にメモっておくか……」
そんなつぶやきと共に、自称『千年に1人の天才』少年は、恐ろしい事を始めた。
── 研究資料の原本に、ペンをサラサラと走らせる!?
思わず、声にならない悲鳴が出る。
「── ぃ~~~~……っ!?」
「ん~……。
これってもしかして『タ抜き暗号』か?
よくみたら、変な単語の中に『殺し文字』が入ってるし、まずそれを抜いてみるか?」
何か、ブツブツ言いながら、さらに古い紙に直接インクで書き込もうとする!
とんでもない暴挙を働く少年から、貴重な資料を奪い返した。
「何をする、キミは!?
『資料の原本』を汚すなんて、研究者として論外だぞっ」
そう言って、『写本の資料』の汚れ具合を確認。
残念な事に、すでに文字が書き足されて、インクが乾いてしまっている。
すでにインクを吸い取る事も、染み取りをする事も難しいだろう。
「ああ……っ、なんて事を……」
思わず、加筆の部分に指を這わせる。
その加筆部分は、所々の未知の文字を指す『矢印』。
さらに『殺し文字』の記述。
「……『殺し』……『文字』……?」
どこかで見聞きした言葉が、わたしの頭に引っかかった。
研究所に入所する前の、学生時代の想い出。
魔導学院で特に苦心したのは、いままで馴染みのなかった『薬学』や『魔導具整備』の授業だ。
苦手分野の試験を合格して必須単位を得るために、何度も一夜漬けした。
そんな最中で見聞きした言葉に、『殺し文字』があったハズ!
「薬学!? いや魔導具整備っ!? どっちだっ
── たしか、この辺りに学生の時の教本を……っ」
「……『魔導技工士』の技術だから、多分<魔導具>系じゃない?」
「そうだ!
確か、『魔導技工士』の整備技術論!!
<魔導具>の補修と、テスト作動のための安全措置!?
── あった、『殺し文字』!!」
机の上を占拠しいた書類全てを払いのけ、もう5~6年は開いていない学生時代の教本と、古びた紙だけを広げる。
── ふと浮かんだ一つのアイデアが、記憶を連鎖させる。
── 発見の興奮が、頭の中に激しく血を巡らせ、眠気もどこかに飛んでしまう。
研究者として、最高の状況!。
なのに、せっかくのそれを邪魔する、小うるさい声が割って入る。
「あのぉ……、お姉さん?
俺、いったいどうしたら……?」
「うるさい、黙ってっ」
何故、邪魔をする!?
せっかく、十年以上も解けなかった問題が解ける、その糸口が見つかったのに!
あれから17年間ずっと、解けずに頭を悩ませ、心を苛み続けた問いの、その回答が得られるというのに!
そんな苛立ちから、殺意さえ覚える。
「………………」
「本当だ! よく見たら『殺し文字』が混じってる!
『未知の古代文字』ではなかったんだ、『既知の魔導文字』を無効化するために加筆してあっただけだったんだ!!
なら、これを全て修正すれば、本来の術式が判明する!?」
「いや、逆じゃない?
『タ抜き暗号』だから、余分な単語を削った方が ──」
どこかの誰かが、余計な口出しをするから、思わず声も鋭くなる。
「── 静かに! 今、集中しているんだからっ」
「あ、はい……っ」
やがて誰かが、ドアを開けて出て行く気配。
内心、ホッとひと息。
ああ、これで、問題を解く事に集中できる……!




