120:聖都の悪夢(下)
店の外から、ドオォォン!と花火らしき音が響いてくる。
「── ふぅ……っ
明日から『昇還祭』だけあって、みんな浮かれているな……」
大きなイベントを前日に控えた色町は、すでにお祭り騒ぎ。
『昇還祭』。
それは、夏の半ば、農作業の手が空いた頃に、初代<聖女>である<始源の聖女>様が天に昇った無数の魂を連れて、地上の様子を見に来られる日。
少なくとも、聖教においては、そうだと信じられている。
だから、皆、花火を鳴らし、ご馳走を用意し、歌や踊りで初代<聖女>様と先祖の魂をもてなす。
そんな<聖都>最大の、祭事にして催事だ。
しかし、白髪交じり中年男だけは楽しみにする訳でもなく、ただ厳つい顔を気難しげに歪めるだけ。
「あら、折角の接待なのにぃ。
中隊長さんったら、お疲れなのかしら」
中年男がグラスの強い酒をチビチビしていると、厚化粧の女がしなだれかかってくる。
そして、無遠慮にこちらの股間に手を伸ばす。
「あら、意外とコッチは元気じゃない?
まあ、『疲れマラ』って言うしね。
── もう2階に行っちゃう?」
好色そうに笑う女。
しかし商売女の内心とすれば、面倒な客の相手なんて早めに終わらせたいのだろう。
こうやって、本来は『裏組織を取り締まる』はずの衛兵の制服組の上役連中を、甘い蜜で懐柔しているのだ。
ここ<聖都>で100年以上続く、悪習であり腐敗だ。
「まだ、十代半ばか……」
「あらやだ、そんなに若く見える?
もう5年以上この店にいるのよ、わ・た・し!」
中年男はその職業柄、厚化粧で誤魔化した少女娼婦の実年齢を見抜いてしまう。
すぐに、手元で遊んでいたグラスを、一気に傾ける。
近い年頃の実の娘の顔が、脳裏にチラついたから。
「……いこうっ」
「はいはい、焦らないでっ
たっぷりサービスして、あ・げ・る・か・ら」
下着を隠す気がないくらい短いスカートの少女が、ギシギシなる安い造りの木製階段に片足をかけた。
その瞬間、酒場・兼・娼館のドアが弾け飛んだ。
「なんだお前ぇ ── グホッ!」
「『こんばんわ』と『おやすみなさい』の、ご挨拶ですのぉ!」
入り口で金勘定をしていた黒服が、ゴツン!と一撃で殴り倒される。
「な、なにっ なんなのっ」
娼婦の怯えた顔は、年相応。
つまり、親元にいるはずの少女の物。
最近、生意気な口をきくようになった自分の子と大差ない。
── ああ、こんな少年少女の『あるべき未来』を守るのが、自分がかつて目指した衛兵の道!
中年男がそう感じ入れば、身体は自然と、戦闘の準備を終えていた。
『カン!』と機巧発動音で、上級の身体強化魔法が、力をみなぎらせる。
「何者だ! 帝都の裏組織か!?」
「あら、この店は『当たり』だったみたいですわね?」
侵入者は、どういう訳か、若い娘。
いや、<聖都>の双頭の裏組織『姉妹の絆』・『兄弟の絆』では、少女も珍しくない。
付近の村や小都市から、孤児・捨て子・家出娘・不良少年が、<聖都>の煌びやかさに惹かれて、次々と集まってくる。
だが、田舎でまともに人間関係できなかった者が、都会に来たところでどうなるはずもない。
結局は、生活苦から『身売り』か『手を汚す』かの2択に陥るのだけ。
そして若さが翳る四十手前の頃に姿を消し、都市の外で骨だけが見つかる。
ここ<聖都>は、帝国3大都市に数えられる程の『繁栄』という明りの下に、そんな深く暗い影を落としていた。
「この俺、衛兵の中隊長が居合わせた所に襲撃とは、運のない刺客だな!
たとえ子供でも、少女でも、容赦はせんぞ!」
そんな、どうにもならない現状を『どうにか』したい。
若き日の男は、そんな熱い想いを抱いて、衛兵に入隊した。
そして当然の顛末として、『見えない大きな手』に握り潰された。
ここに居るのは、あの日の抜け殻。
倒すべき敵の走狗に成り果てた、みずぼらしい中年。
「こう見えても、剣の腕だけは自信がある!
俺は<四環許し>だ、降参するなら今のうちだぞ!」
「フゥ……ッ
── 訂正、どうやらこの店も『外れ』のようですわ」
男の内心の無様さを笑う様に、少女は呆れ混じりの鼻息。
「なめるなっ」
強い酒のせいもあって、かっと怒りに火が点いた。
男は、安酒場の軟弱な床板を踏み破らんばかりに、ズン!と強く強く踏み込む。
── 『ヤクザ者を見逃す汚職役人』
かつての自分が蔑んだ存在になり果てても、打ち込み続けた剣術。
── 人を守る剣士になりたい!
そんな熱意の残滓が、鍛え続けた渾身の一撃!
── これぞ我が生涯と、信念の結晶!
冒険者の半鎧くらい易々と貫通するであろう、<轟剣流>の師の絶技!
それに、あと一歩と迫る、我が得意技!
── 剛撃の刺突!
「……雑、ですわっ」
それが、ヒョイっと避けられた。
銀髪の少女は、上半身を柔らかく大きく反らした。
男の渾身の刺突は ──
『必殺』の域にまで練り上げた得意技が ──
── 刺客の少女の身どころか、その胸甲にさえも、ギリギリかすらない!?
「── ……なっ!?」
上級の魔剣士である中年男の渾身の一撃を、それをまるで素人のガムシャラであるかのように、軽くあしらってくる。
中年男と、娘ほどの歳の少女には、そんな絶望的なまでの腕前の格差 ── いや断絶が横たわっていた。
師匠や同じ道場の俊英・特級との稽古ですら、これほどの無力さを痛感した事はなかった。
── まるで、神童コンビ!?
── いや、あるいはそれ以上!!
「……ば、バカな……っ」
たった一度の攻防で、悪夢の様な実力差が知れた。
そのため、次の動きが少し遅れてしまう。
「く……っ
だが、簡単には負けんぞっ」
── 今はこの背に、守るべき子供が在るのだから……!
男が慌てて剣を引こうとするが、抑え付けられてビクともしない。
よく見れば、刺客の銀髪少女は、自身の胸甲と奥の手に持つ棍棒らしき武器を用い、こちらの剣を『テコの原理』で抑えつけている。
「困りました……
これでは簡単すぎて、特訓になりませんの……」
そんな言葉と共に、刺客の銀髪少女の手前の手が跳ね上がる。
たった一撃で、男の手の中から<中剣>がはね飛ばされた。
何より問題は、相手のその武器。
鋼鉄製の鈍器か何かと思っていたが ──
「── はぁっ!
フライパンだと!?
ふざけるなっ そんな物でぇっ」
男に出来たのは、不条理に対して怒声を上げるだけ。
竜巻のように回転する少女が、片方の武器で足を払い、倒れた所に頭へ一撃。
ゴォ~ン!と大鐘のような音が頭蓋に響く。
『きゃあ! なんなのアンタ!』『うるさいですの』『この、くらえっ』『さっきの方よりお話になりませんわ』『なんだ、うるせえ ── お!ぉぉ……っ』『汚い物、見せないでくださる?』『きゃああっ』『逃がしませんわ』
上下逆さまの視界の中、銀髪の少女が淡々と、老若男女おかまいなしに殴り倒していく。
男は、混濁する意識が闇に落ちるまで、それを眺めていた。
かつて夢に描いた、それを。
周囲の全てを敵に回しても、いっさい怯む事もない、圧倒的な『武力』。
── あの日の俺に、こんな『実力』があれば、あるいは……っ
そんな強い後悔を抱きながら。
▲ ▽ ▲ ▽
「── お、おい、神童!
おい神童って!
アイツら、街中で魔法ぶっ放したぞ!
一般市民もお構いなしだぞ、いいのかアレ!?」
放心状態から最初にもどったのは、『兄弟の絆』の重鎮。
「い、良い訳が、ないやろっ
なにをとんでもない事しでかしとんや、アイツらぁ~~!」
「ルカ、俺は道場に行って人を集めてくる!
そちらは、現場に向かって暴走を止めよ!
── つまりは、役割分担っ」
神童コンビの巨漢は、そう言い残して、商会の屋根から飛び降りた。
「お、おう、そうやな!
── と言う訳で、手伝え犯罪者!」
「えぇっ、お、俺もぉ!?」
「お前のせいで、こうなっとるんやろがぁ!?」
「あ、いや、そ、そりゃそうだけど……っ
でも、あんなバケモノ魔剣士を相手に、役に立つ自信がないんだけど……」
神童ルカが、重鎮の男を肩に担ぎあげ、特級の身体強化のジャンプ力で、建物の屋根上を飛び跳ねる。
色町が近づいてくると、何かとんでもない会話が聞こえてきた。
『── グヌヌヌッ!
剣帝流のガキどもが、調子にのりおってっ
お前達ならアレを殺れるんだろうな!?』
『兄弟の絆の第一兄ともあろう方が、何を解りきった事を……』
『その通りだ。この<聖霊銀>の全身装甲は、いかなる攻撃も弾く』
『そしてこの巨体から、繰り出す一撃は、全てを肉塊に変える』
『さすがは妖鬼人、豚鬼人、獣鬼人の3人。
銀星12座の巨躯戦団だ、大した自信だ』
『おっと、俺らを忘れちゃ困る、なあ赤斬魔?』
『ああ犬面魔、あのガキどもを真っ赤に染めるのは、俺たちさ』
『あの綺麗な顔をしたメスガキが、この<聖霊銀>の全身装甲に魔法が効かず、泣き叫ぶ姿が早く見たいわぁっ』
『ふん、泣女魔の悪趣味さは、相変わらずのようだな。
よし、妖魔戦団の3人、お前達も一緒に行けっ』
重鎮の男は青ざめ、神童ルカは顔をしかめる。
「第一兄、正気か!
こんな街のど真ん中に、あの『銀星12座』を呼び出したのか!?」
「その名前、覚えがあるで。
確か『戦闘屋』とかいう上位冒険者くずれよな?」
「そうだ、『兄弟の絆』の切り札だ!
だがマトモな冒険者だった『人食いの怪物』とは違い、快楽殺人で表社会に居れなくなった狂人どもっ
標的だけじゃなく、無関係な人間も5人10人と、見境なく惨殺して回る!
このままじゃ、色町が血の海に ──」
「── おいおい、マジか!?
そりゃ、ワイも『剣帝流』に加勢して、被害を食い止めんと!」
そんな緊迫を、完全にぶち壊す、脳天気な叫び声が割って入った。
『お、装備の良さそうなザコの群れ発見!
ぬぅうううん、一瞬千げ ── ミス【ゼロ三日月・乱舞】! でしたぁ!』
『ぎゃぁああ!』『俺の足ぃ!』『腕が、腕が!』『うそだ、うそだ』『<聖霊銀>の全身装甲が真っ二つにぃ!?』『血が、血がとまらないぃのよぉ』
『ああ、お兄様ずるいですわ!
リアも<聖霊銀>装甲を斬ってみたかったですわっ』
『……さすがにフライパンじゃ、無理だろう?』
『自分は模造剣を使ったですわよねぇ!』
『ああ、そういや、そうか……
リアちゃん、すまんすまんっ』
外野の心配を180度裏切る、とんでもない結果が聞こえてくる。
「お、おい神童っ、おい神童って!
アイツら、なんかスゴイおかしな事を言ってるぞ!
<聖霊銀>装甲を斬る?
銀星12座をまとめて倒す!?
── はぁぁぁ!?」
「まあ、よく考えたら『竜殺の剣士』な訳や、あのチビ。
全力出せれば、大抵の相手に負ける訳ないわなぁ~」
「なにそれぇぇ~~!
そんなひと言で納得しないでくれよぉ!
俺、ぜんぜん意味わかんないんだけどっ!」
「その『意味の解らん連中』にケンカ売ったアホが、お前らやぞ?
── まあ、安心せい。
最悪、『剣帝流』をおびき寄せる囮にでも、なってもらうさかい」
「── や・め・て・ぇぇ~~っ!
魔物がウヨウヨいる森に放り込むようなマネ、やめてくれ~~!
同じ死ぬにしても、せめて公平な裁きを受けさせてくれぇ~~!」
「……自業自得、やろ?」
「いやぁぁぁぁぁ~~~!!」
深夜の街中に、悪党の悲痛な叫び声が響いた。
▲ ▽ ▲ ▽
結局、この後、約20分ほど騒動は続いた。
聖教の総本山<聖都>の盛り場で、嬉々と暴れ続けた。
そして、悪党も役人も住民も震え上がらせ、その流派の名を恐怖と共に刻みつける事に成功する。
ロックとアゼリア ── 剣帝の『粗暴な』弟子2人 ── に、いまさら手を出そうなんて考えるバカは、誰もいなくなった。
ロックの目論見どおりに。
むしろ ──
── お前らとは、二度と関わりたくない!
── 頼むから早く出て行ってくれ!
── はぁっ、昨日の事件について弁明したい!?
── 罪!? 罰!? んな事いいから、早く帝都へ行け!
そんな感じで、ほぼ厄介払いな状況。
極悪非道を行った兄妹弟子は、翌日の昼前には<聖都>を出発。
まさに嵐の様に、台風一過と去って行くのだった。
!作者注釈!
聖都編のエピローグ、あと1話の予定。
なんかやたら長くなっちゃった……。




